呪文と教え(1)
旅用の袋を持って施療院に向かう前、魔女は憤りを覚えながら、すこし寄り道をした。大通りの突き当りにある、聖堂のほうにまずは足を向けたのだった。聖堂はかなり古色蒼然としてはいるが、それゆえに新興の街の建物とは雰囲気を異にし、威圧的な雰囲気を醸し出していた。圧政に苦しむ市井の民など意に介さず、聖職者たちは聖職者としての名誉と富を蓄えるだけの存在と化している。領主のお墨付きもあって、魔女には町での彼らの振る舞いが非常にふてぶてしく見えた。
魔女は、一時はあそこに行こうとしていた過去を考えたくもなかった。権力の上で胡坐を掻き、本当に必要な真理に至る道を歩まずに老いさらばえていくことは、彼女に歯耐えられなかったのだ。
――結局、アマンダも私も、あそこに残る道は選ばなかったのだ。
施療院へと足を向ける道すがら――何とも懐かしいはずの街並みの光景を見ては、郷愁とも憎悪ともつかない思いの間で闘った。
魔女が孤児だったころ、アマンダに声をかけられた。そこで出会った仲がいまだに続いていることに、魔女は素直に驚いている。
ニコラ――ニコラ――
そう、そのときのアマンダの、宿場で張り上げるしわがれ声と違った、澄んだ小鳥のような声を鮮明に思い出すことができる。
一人で泣いていた。誰から生まれ、いつそこに放り込まれたかもはっきりしない。ただ産まれてからずっと、厩舎のような暗く埃っぽいところにずっといたことだけを覚えていた。
――ニコラ、あそぼ。
ニコラと魔女とでは、身分が違った。声をかけたことは、アマンダの慈悲の心がそうさせたのだった。
それは主の命であるから? 魔女はそうは考えたくない。そもそも、回想に浸ることもこの辺りにしておきたかった。これ以上突き詰めれば、思考の渦に飲まれてしまう感があった。とにかくアマンダの言葉に従って二人は遊び、仲良くなった。
久々に見る施療院は――傷病者でいっぱいだった。まず、ぐったりと苔むした施療院の外壁にまで、治療するものが何やら祈りをささげながら、だましのようなまじないで痛みを取り除いたり、傷に聖水と称し水を吹き付けていた。
――そういう道もあるが、ルークならもっとうまくやっただろうな。
魔女の目立つローブ姿を見た治療者の一人が、
「貴方は――」
まるですがるような声を上げた。見ると、ルークの弟子で、かれの片腕として働いていた助手の姿があった。
「情けない声を出すな、患者に弱いところを見せると、気力に影響するだろう」
「すみません、しかし、この者たちはとても、私たちではさばききれません。伯爵が信心深くなってからというもの――」
「その話は聞いている――手っ取り早く、ことをすませよう」
自分がかつて、ここに放り込まれたころと同じ年頃の少女が悲鳴をあげ、あたりに響いた。街の人々は、それを意に介さない。その事態が恒常化しているかのように。
――教会近辺と比べると、同じ街とは思えないな。
魔女は内心嘆息をする。少女の悲鳴はますます高くなる。早速治療を始めるべく、
「私の部屋はそのまま残してあるだろうな?」
「はい、何に使うのかわからないもので、捨ててしまおうと思っていたものばかりですが、一応そのままとってあります」
「ならいい」
以前よりずっと衛生環境が悪くなり、埃っぽさと血の匂いにローブで口元を覆いながら、魔女はかつてあてがわれた自分の部屋を訪れた。
魔女が師に教えを乞うていたころから使っている、呪術道具が山と置かれた部屋。人の形をした模型物、獣の剥製、――そう言った道具のすべてに塵が降りかかっており、忘れ去られた一室であったことは明らかだった。
――まずは痛みを緩和する麻薬――はこの壺だったか。肝心の蘇生は――人体依存にするか。久々に、大がかりな術式を書かねばならないな。面倒だが――まあ、これがあるからましだろう。
魔女が旅用の革袋から取り出したのは――ずっと集めてあった、『ラファルの抜け毛』だった。
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