街にて(5)
魔女は一瞬あっけにとられ、抱きかかえていたラファルを取り落としそうになった。
「簡単に言ってくれるな」
「びょうきの人、たくさんいるんでしょ? じゃあみんなみんな、お母さんが治せばいいんだよ! 僕にしてくれたみたいに」
「そうは言っても」
そこに、押し殺した低い笑い声が響いた。魔女が眉をひそめる様子が、アマンダにはおかしかったらしい。
「そうすればみんな元気が出て、街は元気になるよ! きっとそうだよ」
「あのな、ラファル。ことはそんなに単純じゃない。街の不活況は傷病者が増えたってだけじゃないんだ」
「ふかっきょう? しょうびょうしゃ?」
「あらあら、簡単な言葉で説明してあげたら?」
後ろで茶々を入れるアマンダに舌打ちをしながら、魔女は、
「病気の人がいるせいだけじゃない。みんながみんな、この地の支配者に苦しめられているんだ」
「……えっと、偉い人?」
「そう……身分だけ高い大馬鹿者だがな。私の友人含め商人たちを虚仮にして」
いらだちを隠しきれない魔女の声色に、ラファルの尻尾の毛が逆立った。アマンダが少し嬉しそうに口角を上げているのがなぜか、彼には分からない。
「なんとかこの街のどんよりした空気に気づいてほしいものだが……領主は城にこもりっきり。どうせずっと、贅沢をしているんだろう」
「みんな苦しいのに、しはいしゃさん、ぜいたくしてるの?」
「その不公平さが分かるか」
幼い子供に理解できることが、魔女には驚きだった。
「昔から、レジーおにいちゃんにばっかり食べ物を渡されて、ぼく、苦しかった。ぼくだって、体は小さいけど、おなかすいてたのに」
「ふん……この世の不平等を、身をもって知ったわけか」
ラファルには分からないように、魔女はそう呟くのだった。
「率直に言って、すぐにどうにかできるものではないだろう。な、アマンダ」
「そうね……最近輪にかけて信心深くなっていく一方だからね」
「施療院を増やすはいいが、そこで治療する医者の身にもなってほしいものだ……人手がまるで足りていない」
魔女はそう言うと出かける支度を始めた。その時までずっと、自分の荷物を下ろすこともしていなかったのだ。
「どこ行くの?」
「門のところで言っただろう。施療院を手伝ってくる」
「僕も手伝う!」
フードつきのローブの後ろ側が、パタパタ揺れているのが分かった。が、魔女は制して、
「まだ文字もまともに書けないくせに、出しゃばるな――お前はここにいろ」
自分の心の内に、彼と同じような年頃の子たちが苦しむ姿を見せたくない、という思いがあることに、魔女は気づいていなかった。
「あんたも馬鹿だね、このお人よし」
アマンダが言った。
「昔の修道院の成績からすれば、アマンダの目には誰だって馬鹿に見えるさ」
魔女も合わせて片目をつぶってみせるぐらいには、緊張がほぐれ、後ろめたさも薄れていた。
「積もる話もあるから、早く戻る。その間ラファルを頼んだ。うるさいガキだが」
「はいはい、ぐずろうが夜泣きだろうが慣れてるよ、こちとら伊達に商売やってきてないからね」
丸顔をしわくちゃにして笑うアマンダ。
「お人よしはお互い様だ」
「そうかもしれないわね……で、この子を連れてきた目的は、面倒を見てほしいというだけではないんでしょう」
「――そこまでばれているか、お手上げだ」
魔女は一瞬目を白黒させたが、心から信頼するアマンダへやわらかなほほえみを送った。
「実はこいつに魔術を仕込もうと思っているんだ。うちの入門書ではもう、物足りなくなってな――お前の家にある書物を読ませる時が来た。なかなか筋があるから、将来私の手伝いぐらいはできるようになるかもしれん」
「へえ、初の弟子というわけね――その割には溺愛しているように見えるけれど」
魔女の頬にまた少し朱が差した。
「とにかく! こいつ向けに本を整理だけしておいてくれ」
「私も基礎的な勉強なら教えられるけれど」
「そこまでしてくれるか、申し訳ないな――もと修道院の首席クラスの薫陶を受けられるとはラファルも幸運なものだ」
魔女は言って、
「くれぐれも人目に触れないようにな」
「分かってるわよ。大切に思っているのね。ラファルくん、暑苦しいでしょう。早くローブを脱いでしまいなさい」
ラファルはそれまでのふたりの話から、親密さを察していたので、魔女の許可を取らずローブを脱いだ。
「うふふ、かわいらしいお耳。こんな子の世話ができるだなんて、嬉しいわ」
アマンダは固い布地に癖づいた尻尾の毛を撫でつけた。気持ちよさそうに目をつぶるラファルを見て、魔女はにやにやしてしまう。その顔を見られたくなくて、
「よろしく頼んだ」
支度をはじめ、階段を降り始めた。
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