街にて(4)

 確かに雰囲気の違いを、魔女は感じ取っていた。ここはかつて、旅人たちが賑わいを見せたラウンジのはずだった。調度品はひとつとして真新しいものがなく、どっしり落ち着いていたが、それらは旅をする者たちの熱意に満ちた冒険譚を、しばらく聞いてはいないようだった。


 腰を曲げて書き物をするフランコの姿が、魔女にはひどくひ弱なものに見えた。彼の肩にかかっていた、業を営む者の誇らしげな責任がすべてとれ、代わりに残りの人生を無為に過ごすことの重荷が彼にのしかかっているようだった。


「体力的な問題というのは、あるけれどね。――領主様のさぞ敬虔な、心変わりだ」

「街に活気がないように見えたが?」

「ああ――主にすっかり心を奪われているんだよ、ブラン伯は」


 魔女はかつて、領主の代替わりの式を覗き見たことがある。もう40年も前の話だ。来るもの拒まず去るもの追わずの恬淡とした性格と、若々しい大胆な政治が気に入られたブラン伯も、もう老いの道をずいぶん歩いたであろう。若い頃執政に腕を鳴らした領主が、過去の過ちを――振り返らずとも誰も文句を言わない過ちに満たない過ちを、悔い嘆くことは少なくない。宗教は違えど、と魔女は思い出した。東の国の王に、そういった理由で教典を集め、祭祀場を山と作った者がいたはずだ。


「恵まれない子供たちに目を向ける前に、元から住んでいる私たちの生活を安定させてほしいものだね」


 伯の財政はこうだった。施療院を拡張し、国の至るところから貧困にあえぎ治療を受けられない人々を受け入れる。その分院として、宿屋や酒場などを圧迫するために、「場」を提供する業を営む者に税を課す。その「場」の広さに応じて、税は増える。


 アマンダの宿屋はブラン候若かりし頃に開業した。その頃に比べ、納める貨幣量が、ぐんと増えた。


 ただでさえ以前にぎわった、年一回の売り出し祭が取りやめとなって、旅行客が激減していたところに、増税は痛い。さらには、アマンダ夫婦の体力的な問題もある。


 魔女はしばらく窓の外をぼんやり眺め、人生の最後に生業を放棄せざるを得ないということを考えた。世の中は思いもよらない速度で変わっていくものとはいえ、領主の敬虔さは見上げたものとはいえ。あの時迷惑をかけた世代――まさにアマンダたちの世代に、その思いは還元されてしかるべきではないか。そのような憤りが腹の中でぐるぐると渦巻いた。


「私もブラン伯に会ったことがあるけれど、特に憎まれているらしいわ……教徒を育成するための修道院で、さぼってばっかりだったからねぇ……」


 魔女はアマンダの修道院での信仰心を思い返していた。衆に抜きんでた彼女の学業成績もそうだが、日ごろの立ち振る舞いなどに関しても申し分なかった。


「修道院上がりで商売人になるってのは、覚悟がいったのよ?」


 アマンダを修道院生活から抜け出させ、道にそれた道――魔女修業へといざなったのは、ほかならぬ魔女であった。


「……巻き込んで、すまない」


 魔女はかなり意気消沈して、アマンダと目も合わせられないままで言った。

「何十年も昔のことだから、詳しいことは忘れちゃったわよ!」


 なおも、魔女にはやりきれない思いにさいなまれていた。


「それにフランコと一緒にいられて、幸せだったから」


 フランコがまた、きまり悪そうに頭を掻いた。その気持ちが、どうしても魔女には分からない。愛し合う異性と生活を共にすることの、しあわせが、理解できない。

「この建物は、孤児たちの施療院分所として買い取られた。私たちはここで借りぐらし。この家を最後まで、持っていられなかったわね――だからと言って、どうということはないんだけれど」


 魔女は、何かが自分に欠けている気がした。彼女といるといつも、ほんの少し、自我が揺らぐのが感じられる。この道を歩んだことに後悔はないが、今研究に没頭する、それ以外の、他人の幸せには敏感になってしまう。


 ただ。


 ――アマンダは幸せな人生を送っただろうか。


 空しい隔靴掻痒の感から、窓越しに街並みを見た。ラファルを抱きかかえ、彼にもそれを見せながら、


「昔はもっともっと、栄えていたんだ。人通りを掻き分けなければ前に進めないくらいに」


 ラファルは窓からの景色にしばらく見入っていた。彼にしては、街の人間がたまに行きかうだけでもワクワクしていたのだが、彼の感覚が魔女の悲しみを悟った。

黙っていたラファルが、言ったのだ。



「お母さんは、元に戻すの、とくいでしょ。昔みたいに、戻したらいいじゃん!」

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