お名前は?
中学1年生の頃、看護師になりたいと思った。何がきっかけだったのかは思い出せない。テレビのドキュメンタリーを見たのか、幼い頃から健康体であったが故の、病院という環境への憧れか、自分自身のことと言えども、7年前の私は別人なのではないかと思う。
中学2年生、漠然とした憧れは明確な将来像となった。大きな災害によって亡くなった命を知った時、ありふれた言葉ではあるが、自分の無力さに打ちひしがれた。今思えば、14歳なんてまだこども。何もできなくて当たり前。そう言って慰めてあげたい。小さな背中に優しく手を添えて、私が私に寄り添う想像を、何度繰り返したことだろうか。
無事、看護学校に入学し、着々と看護師への道へ進んでいる。1年生の頃は座学ばかりで、早く実習に行きたいとうずうずしていたものだが、またしても私は私に助言をしたい。実習は楽しみにするようなイベントではないと。
「ねえ、あなたお名前なんだったかしら」
廊下を歩いていると、車椅子に座って上機嫌そうな山下さんが首を少し回して話しかけてきた。
「佐藤ですよ。佐藤優輝です」
先ほどの西舘さんの件は一度忘れて、患者との会話に癒しを求めた。西舘さんが悪い訳では絶対ないのだが、実習中の私はできるだけ自分に負担をかけたくないという決意表明のようなものがあって、責任転換の天才になっている。
「いい名前ねえ」
顔は見えないが、山下さんはいつものように穏やかな笑顔で笑っているに違いない。
「そうですか?佐藤って、日本で1番多い苗字らしいですよ」
「佐藤も素敵だけど、下の名前がね、とても素敵よ」
ちなみに患者との会話で名前が話題に上がるのは毎度のことで慣れたものである。学生の名前が珍しいものでも、どこにでもいそうなものでも関係なく、なぜか高齢者は私たちの名前を褒めてくれる。そして教えたはずの名前を明日には忘れているのが常だ。
「本当ですか?男の子みたいだねってよく言われますよ」
病棟には各階にデイルームという休憩所のような部屋が設けられている。大きな窓があって、田舎の風景代表のような山と畑が一面に広がる、なんとものどかな世界が見渡せる。デイルームに入り、窓の前に車椅子を止めて、しっかりとブレーキをかける。隣に椅子を置いて自分も座り、しばらく会話を楽しむことにした。
「漢字は?どうやって書くの?」
「これです、これ。優しく輝くって書くんです」
実習着の胸元に刺繍されている名前をつまみ上げ、山下さんに見せた。
「あら、よく見えないけど、優しく輝くなんて、いい名前つけてもらったのね」
山下さんの目を細める仕草が何とも可愛らしかった。
優しく輝く、なんて、大層な名前をつけられたものである。親はこどもの未来の姿を想像しながら願いをこめて名前をつけるものなのだろうが、親の期待を生まれたての赤子に背負わせるのはいかがなものなのだろうか。私はきっと、名前を与えられた時から重荷を背負い、見事に正反対の人間になってしまった。
山下さんの誉め言葉に対して、一瞬でこのネガティブ思考が繰り広げられる自分に才能すら感じるが、悲劇のヒロインを気取る有様に吐き気を催しそうだ。
たわいもない会話を数十分続け、病室に戻った。
車椅子を片付けていると、先生が話しかけてくる。
「山下さんと良い関係が築けているみたいね」
そう言って笑うと、またどこかへ行ってしまった。
良い関係とは何だろう、と考えすぎる自分の性分がうずく。私にとって、山下さんはどんな存在なのか。実習中しか関わりのない相手で、失礼な言い方ではあるが、毎日提出する記録を書くためにコミュニケーションをとっているような節がある。反対に山下さんは私をどう思っているのだろうか。いつもにこにこしているが、本当は毎日来る学生に嫌気がさしているのかもしれない。
散歩が終わったことを西舘さんに報告するためにナースステーションへ向かう。
まるで今日食べた朝ご飯を思い出すかのように、私は何になりたいんだっけ、なんて考えながら。
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