第5話 チョコレートがはじまる

 ほぼ私より年上の女性ばかり、約十五人が参加する教室が開始され、その思いを修正したくなった。

 興味はあるが、得意だとは言っていない。

 薄力粉と純ココアを混ぜることすら苦戦し、次は初体験のチョコレートの湯煎だ。レンジで溶かさないのって、面倒だ。そういうガサツさが表れてしまう。

「一岡さん、もっと丁寧に混ぜてね。チョコレートが泡立ってしまうわ」

 このキッチンの主である火野ひのさんは、私に対して困惑した笑みを見せながら注意した。恥ずかしさでうつむきながら、そっとかき混ぜた。

「すみません」

 板チョコではない、製菓用のチョコレートを湯煎で溶かして、無塩バター入れてまた溶かす。これだけでも美味しそう。

 私の泡立つ湯煎のやり方と違い、颯斗くんのチョコレートは、なめらかになっているのがわかる。見ないで~と思いながら、私も丁寧に湯煎をしていった。

「颯斗くんは上手だね」

「そんなことはないよ」

 そうは言いつつ、嬉しそうだ。

「そんなことなくないわ。颯斗ちゃん、あなたは筋がいいわ。その調子よ」

 必要以上に颯斗くんにべたついている。これが女性だったら嫌悪感が半端ないのだろうが、主は男性だった。なんとなく許されてしまうのは役得だよなぁと横目で見る。

 私も颯斗くんに触れてみたいのに。

「あ、ありがとうございます」

 颯斗くんは困った顔を見せながら、だけど嬉しそうにお礼を述べた。火野さんは、マッチョとも言える大きな体をくすぐったそうに揺らした。

 韓国人アーティストのバックダンサーにいそうな風貌で、顔は女性的なメイクをしている。三十代後半と言ったところか。

 ピンクとパープルのアイシャドウとつけまつげ、そしてきめの細かそうな、艶やかな肌がとても綺麗。私よりファンデのノリが良さそうだ。バンダナで覆った頭部からは黒髪が覗いている。

 颯斗くんがここに来るのは初めてだと言っているが、二人は昔からの知り合いみたい。

 人間関係も、ひとめぼれみたいなものかな。やっぱり、友達になる人って最初から「話してみたい」と思うものだから。

 そこでメルの顔が浮かんだ。同じ部屋にいても、ほとんど顔を合わせて話さなくなった友人の何を気にしているのだろう。

 ずっと、心のどこかで引っかかっている気分だ。仲直りしないと、私は友達がゼロになってしまう。なんとかして、話を合わせるべきか……。

 いいや、作業に戻ろう。

 キッチンスタジオで貸し出されたエプロンは、私も颯斗くんもふりふりレースがあしらわれたハート柄のエプロンだ。

 ピンク・赤・エメラルドグリーンなど、カラー展開は豊富だが。若い女性だけでなく、還暦を超えた女性グループも一様に同じエプロンである。

 なんだかすごい場所に来てしまった。でも、普段他人と交流しない生き方をしているから、物珍しさもあって楽しい。お菓子作りなんて、家では面倒でやらないし。

 甘い香りで、お酒に酔ったみたいな気分になる。隣には、颯斗くん。そういえば、今日も、いつものお店でも、颯斗くんは私の右隣になる。そういうクセがついている状態が嬉しい。

「はぁーい、ハンドミキサーを使いますので、準備してくださぁい」

 火野さんの声かけで、ハンドミキサーをコンセントにさす。使うのは、高校の時の調理実習以来だ。

 卵白と卵黄を分けるのも私はまごつき、颯斗くんは手早かった。どうにか卵を無駄にせずに分けることができたけれど、神経を使いすぎて早くもしんどい。

 卵白を泡立ててメレンゲにする。ハンドミキサーでふわふわの雲のようになる卵白に感動した。

「顔面を突っ込みたい」

 ぼそりと呟いた声が、颯斗くんの耳に届いたようでぶふっと笑われてしまった。子供っぽかったと反省するけど、笑ってくれるならそれでいいかとも思える。

 別のボウルでは、分けた卵黄と砂糖を混ぜる。こちらもハンドミキサーを使いマヨネーズ状になるまで。

 溶かしたチョコレートと生クリームを合わせて混ぜていく。あらかじめ振るっておいた薄力粉と純ココアも投入。

 メレンゲを三回に分けて混ぜていく。泡をつぶさないように、さっくりさっくり、と火野さんから念仏のように指導された。さっくり。工程が多いけれど、ひとつひとつこなしていけば、だんだんと姿になる。

 少しずつ積み重ねれば、私も一人前になれるのかな。

 料理をする工程を見て、颯斗くんにガサツ部分がないというのが嬉しい発見だった。男の嫌いな部分が、デリカシーのなさである私にとっては嬉しい。反対に、私がガサツだとイメージが悪くなる可能性はあるけれど。

 型へ生地を流し込んだらオーブンへ。待ち時間は四十分なので、待ち時間がある。その間、使った道具の後片付けをするのだが、物珍しい颯斗くんは、教室の生徒さんに囲まれてしまった。

「颯斗くんって言うの? いくつ?」

「高校三年生です」

「ウチの子よりお兄さんね!」

「料理好きなの?」

「また来てくれる?」

 ……人気者だ。火野さんがそれとなく「片付けを進めてください」と声をかけても、聞く耳を持たない。さすがのパワーである。四十分もあれば時間に余裕もあるし致し方ない。

 私は真面目に、チョコレートがついたボウルや、粉振るいを洗っていく。疎外感はあるものの、自分が好きになった人が人気者になるのは嬉しい。私の見る目があるということだ。誰かから評価されても仕方のないことなのはわかっているけれど。

 次第に教室に甘く焼けたチョコレートの匂いが漂った。ようやくのメインイベント!

 焼けたケーキをオーブンから取り出し、粉砂糖を振りかけて完成だ。

 焦げたチョコレートの匂いが、空腹を誘う。それにしても、太りそうな材料ばかりで作られたケーキだ、と少し身震いした。ホールサイズではなく、片手に乗るくらいのサイズではあるが、ひとりで食べきれるかどうか。私が作ったガトーショコラより、颯斗くんが作った方が見た目が綺麗でちょっと悔しい。

「みなさまー! お疲れ様です。素晴らしい出来よ。ガトーショコラは冷ました方が美味しくなるから、ぜひ持ち帰ってくださいね」

 普段は食べて帰る人もいるが、今日は土曜午前の開催なので食前デザートになってしまう。各々お持ち帰りするために、紙のケースが配られた。これもまた、ピンクの花が描かれていて可愛い。

「颯斗ちゃん、無料体験だけとは言わずまた来てね」

 火野のヤツが、颯斗くんだけに言う。商売なんだから私も誘いなさいよ! 誘われても入会しないけど!

「大学生になったら、ぜひ」

 充足した表情で答えている。奥様方にもちやほやされ、颯斗くんはここへ通う気が加速したようだ。

 なんだかちょっと、置いていかれている気になる。お菓子作りを積極的にしたいわけではないのに。

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