初春──①

 四月の温かなお日さまの下、派手に荒らされた教会の庭を見てエコ・ランチェスターは頬に手を当てて小さくため息をついた。せっかく実らせたばかりの桃の実やキャベツ、トマトなどが見るも無残に食い荒らされている。泥棒よけのために庭を囲う木柵は、何者かの手によって鈍器のようなもので壊されていた。

 今月に入ってこれで三回目だ。犯人──あるいは害獣か──はエコの畑を絶好の食事場と定めたらしく、たびたびこうして忍び込んでくるのだった。これが果物のふたつやみっつならエコも問題視せずに看過していただろうが、さすがに損害の規模が大きすぎる。畑の形状が変わってしまうほど踏み荒らし、植物の蔓を引っこ抜くは引きちぎるは、あげくに野菜をいくつか持ち去っているらしかった。おそらくねぐらに持ち帰って食べるつもりなのだろう。

 エコはシスター服に土がつかないようにスカートのすそをきゅっと縛ってから地面に屈んだ。柔らかな腐葉土に靴の跡が残っている。大きさや深さして成人男性のもので、数種類あった。組織的な窃盗団なのかもしれない。

 エコはおもむろに立ちあがった。ふと空を仰ぐと、二羽の金色の子鳥が仲良く飛んでいるのが見えた。彼らは空の散歩を楽しみながら、街の南へと風に乗って旅立っていく。

 柔らかな風が運んでくるタンポポの香りにつつまれたエコは、いくぶん穏やかな気持ちになって周囲を盛んに飛び回るホエホエミツバチたちに目を向けた。彼らは自分の本分をこなすべく、せっせと花の蜜を吸い上げては自分たちの巣へと運んでいる。もちろんその際に教会の花々を受粉させることも忘れずに。

 彼らはエコにとってかけがえのない働き手である。

 ホエホエミツバチは非常に穏やかな気質をもち、めったなことでは人を刺さない。さらにエコが彼らに「ここを訪れるひとを刺してはいけませんよ」と言い聞かせているものだから、実質、彼らの毒針は秘密兵器扱いされたまま役目を果たさずに土にかえることがほとんどだ。

 そんな心優しいしもべたちの力を借りることよしとすべきか、エコは真剣に悩み始めた。

「この子たちに見張りをお願いしないといけないかしらねぇ」

 そうつぶやいたものの、エコはいまひとつ気乗りしなかった。ミツバチたちをいつ来るともわからない犯人のために警戒をおこたらせないというのもかわいそうだと思う。

 それに、犯人たちもおなかがすいて、つい魔が差してしまっただけなのかもしれないのだから。

 いや、ひょっとしたら、私の畑から作物が盗めなくなったら、犯人たちも飢えてしまうかもしれない。折からの不況で仕事が見つからずにしかたなく盗みを働いているのかもしれない。

 考えすぎなのだろうとは思う。人がいいということはわかっている。しかし、こうして余計な心配をしてしまうのはエコの性分なのだ。

「うん。またこの畑が荒らされたら、そのときに考えましょう。植物はまた、生やしなおせばいいものね」

 結局、問題の解決を先延ばしにすることに決めた彼女は、すっきりした面持ちで庭の隅に放置されていた赤子ほどの大きさの麻袋を両手で抱えあげた。つんとした刺激臭がエコの鼻を突く。麻袋の中にはマリアヴェルの街で暮らすケダモノたちや家畜たちの糞尿が詰まっていた。

 エコは慣れた手つきでそのなかに手を突っ込み、無残に荒らされた庭の一角にまんべんなく撒いた。そしてその上に、シスター服の内ポケットから取り出した小粒な種を置く。窃盗団に盗まれ、食い荒らされた果物や野菜と同じ種類の種を、それぞれ均等な距離で配置していく。

 そしてエコは、そっと瞳を閉じ、肥料まみれの臭気を放つ畑に手を添えた。朝の光に包まれる古ぼけた教会の庭で聖職服をまとった黄緑色の髪の娘が地に伏すそのさまは、一枚の絵画を思わせる光景であった。

 と、エコの周囲に撒かれた種子がその身を震わせた。鶏卵の孵化を連想させる微弱な振動ののち、ぱかりと種がふたつに割れ、細長く白い芽と茶色みを帯びた根があらわになった。根はすぐさま地面へと潜りこんで地中の水分と養分を吸い上げ、薄緑色の芽はあっという間に双葉となってにょきにょきと天へ向かって伸び始める。まるで時間の流れを早めたかのような光景だった。

 エコの周囲に撒かれたすべての種に同様の現象が起きていた。伸びた芽は徐々に太くなり固くなり、枝や幹へと変わっていった。蔓となった植物はずいずいとその身を伸ばし、あれやという間にエコの身長を上回ってしまった。キャベツやニンジンは着実に緑葉を広げ、教会の庭を鮮やかな緑色で埋めていく。

 それに比例して庭の土壌が変質していった。肥料をまかれて潤沢な養分を内包していた土が、見る見る間に痩せて、からからに干からびていく。植物たちが土の養分を、すべて彼ら自身の早急な成長に費やしているがための副作用だ。あとでふたたび肥料をまいて、それからしっかりと水を与えなければならないな──とエコ・ランチェスターは思う。

 ぼろぼろだった庭は、数分ほどで元の調和のとれた花園へと返り咲いた。黄色や赤の可憐な花が自慢げに咲き誇り、熟れた果実は甘い香りを放ち、ホエホエミツバチの麦笛が心地よく耳に響く小さな楽園。無残に壊された柵は──まあ、あとで大工さんに修理をお願いしよう。

 エコは膝をはたきつつ立ち上がった。腰まで伸びるつややかな黄緑色の髪がそよ風にあおられて生き物のように踊る。

 春の日差しは暖かく、エコにひと仕事したあとの充足感とささやかな幸福感を与えてくれた。

 教会の庭を蹂躙した窃盗犯のことはすでに彼女の頭から消えかかっていた。

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