第5幕「幸運と脱衣」

また・・……ですか?」


 詠多朗の問いに、真理は重そうな胸を持ち上げるように腕を組んで「うむ」と首肯する。


「いつものように、エンディングは渡すからやってくれ。今日のために、いろいろとセリフやポーズも考えてきたのだ! 本気のバトルをしたいところだがやれないし、なりきりバトルも捨てがたい! 私の魂が叫びたがっている!」


 彼女は感極まったように立ち上がると、詠多朗のそばに来て拳を握りしめて力説した。常時は凜とした切れ長の双眸が、幼子のようにまん丸にキラキラと光っている。これはかなりバトルをしたいのだろう。

 詠多朗は、胸中を察したとうなずいた。


「なるほど、わかりました。……だが、断る!」


「断る!? どっ、どうしてだっ!?」


 気持ちはわかる。しかし、できないこともあるのだと、黒縁眼鏡をクイッとあげて冷たく言い放つ。


「今は、ちょうどよいエンディングカードを持ち合わせていないからです」


「そっ、そんなぁ~……」


 全校生徒に一目置かれる美女生徒会長が、ヘタッと崩れ落ち床に座りこんでしまった。このような情けない姿は、2人きりのとき以外で見せたことはない。それは、2人の間に秘密があるからだろう。なにしろ、詠多朗は互いに物語士カタリストであると知った後、彼女のこの趣味につきあってきたのだ。


 どうやら真理は、中学まで中二病――いわゆる自分を物語の主人公にしてなりきってしまい、万能感や特別感に支配されたまま半自己暗示的に、日常の人間関係へ亀裂を入れかねないほどの行動をしてしまう状態――を患っていたらしい。

 ところが高校受験のために、アニメや漫画から離れて本気で勉強し始めた時、ふと我に返ってしまったようだ。当時の自分を黒歴史だと否定し、中二病からの卒業を決心したのである。そのために地元とは離れた高校を受験し、入学後は少し変わった性格と口調を引きずりながらも優等生として過ごしていた。


 しかし、真理にも求める願いエンディングがあったのだろう。高校二年になったある日、彼女は物語士カタリストとなってしまった。まるでアニメや漫画の主人公のように特別な力をもち、その能力を使って命がけで戦う物語の登場人物になってしまったのである。

 こうなると、中学生時代の「自分には能力がある」というのが「嘘ではなかった」と思えてしまう。やはり自分は、この世界の主人公なのかもしれない。そう考えてしまうのも、致し方ないことだろう。そうなれば、箍が外れてしまう。高が知れている普通の人生などおまけになってしまう。彼女は物語士カタリストとしてのバトルにはまっていった。


 ところが、問題がなかったわけではなかった。


 まず、いくらおまけの普通の人生と言えど、そう簡単にそれを捨てることはできなかった。そもそも、物語士カタリストで急に金持ちになるわけでもない。それに責任感の強い彼女は、生徒会長としての役割もきちんとこなしたかった。だから、表面上は今までと同じように生活をしていた。もちろん、家族にも内緒にしている。


 しかし、そんな普通の生活をしていると、簡単に他の物語士カタリストに巡りあうことはできなかった。平日は遅くまで生徒会の仕事があるし、家族と同居しているのだから夜に出歩くことも難しいだろう。土日は勉強や習い事もあると言っていた。

 それでも過去に2人、こちらを見つけて学校に乗りこんできた物語士カタリストがいたが、それっきり訪れる者はいなかったのだ。


 それに根本的な問題がある。降りかかる火の粉は払わねばならぬが、自分から誰かを殺したり不幸にしたいわけではない。戦いたいけど、敗者の不幸を望んでいるわけではない。その矛盾は、詠多朗にも十分理解できた。


 そんな中で出会った詠多朗は、真理にとって絶好の遊び相手パートナーだったのだろう。彼女は詠多朗に取り引きを持ちかけてきた。自分と遊んで欲しいと。そして、詠多朗はそれを受けた。その取り引きは詠多朗にとっても、十分に利益となり得るものだったからだ。


 それに、詠多朗は彼女とはできるなら戦いたくなかった。なぜなら、自分の敗色が濃厚だったからだ。配色で言えば、真理が白で詠多朗が黒。真っ黒だ。学校に乗りこんできた相手と彼女のバトルを見た詠多朗は、彼女に勝てる気がしないのである。


「せっかくいいカードが手に入ったから、またやってもらうと思ったのだが……」


「またトレーディングで主人公カードを引いたんですか……」


「うむ。しかもランク3だぞ。欲しいだろう?」


「欲しいですが……ってか、どれだけ運がいいんですか、貴方は」


 そう。真理は運がいい。

 いや、そんな簡単な言葉では解決できないほど、最強で最恐で最高の幸運の持ち主なのだ。これが彼女に勝てる気がしない理由であった。


 具体例をだせば、10日に1度できるトレーディングという能力がある。カード1枚を別のカードに交換できるというものだ。交換できるカードはエンディングカード以外なら何でも良い。1枚選んで両手で挟み、「トレーディング」と唱えるだけだ。それだけで、挟んだカードが別のカードに交換される。

 その時、稀に主人公カードが手に入ることがある。ただし、その確立はレアランク2で3%、レアランク3で2%、レアランク4で1%、それ以上だと1%を切るという。

 一見、普通のソーシャルゲームのガチャなどに比べると確率的に高いように感じる。しかし、10日に1度のチャンスしかなく、課金してガチャをまわすこともできない。トレーディング以外だと、物語り合いバトル中の「チャージ」か、勝利時に敗者の残った主人公カードを奪うしかないのだ。しかも敗者になれば、召喚した主人公カードは失われてしまう。


 すなわち、主人公カードは非常にレアなのである。

 しかし、真理はその主人公カードを何枚も何枚も手にいれている。なにしろ、のだ。その奇跡を確立する確率を計算すれば眩暈がすることはまちがいない。もちろん、トレーディングした状況・人物カードは減っていくが、バトル開始時に足らない場合は自動的にチャージしてくれる。


 しかも、そのチャージ内容もエグい。詠多朗は真理のバトルを見ていてわかったが、本当にその物語の流れにそった、適切なカードをチャージで手にいれているのだ。勝利の女神が彼女に、おはようからおやすみまで微笑み続けているとしか思えない運の強さなのである。

 ただし、その強運を得たのは、高校生になったばかりの頃らしい。何がきっかけなのかわからないが、とにかく下手な戦術では彼女の運に簡単に喰われてしまうだろう。


「ああ。どうして詠多朗は練習プラクティスができないのだ! それができれば……」


「ハードモードプレイヤーですいません……」


 物語士カタリストにはなると、一番最初に個別指導チュートリアルが受けられる。そして、その後も対戦者同士が承認すれば、練習プラクティスバトルというのができるようになる。バトル自体は本番と変わらないが、試合結果が現実に反映することはないし、使用したカードもすべて元に戻るのだ。


 しかし、詠多朗はこの練習プラクティスを行うことができない。それどころか、個別指導チュートリアルさえ受けていない。いつも命がけのぶつけ本番で語り合っていた。その代わりに指導者リディがそばにいたわけだが、彼女は決して甘くはない。むしろ、困る詠多朗を見て楽しむ癖がある。ゆえにハードモード。


「ふむ。私のエンディングカードではやはりだめなのか?」


「申し訳ないですが、会長のことは信用していますけど、師匠から絶対にやるなとも言われているので、他人のエンディングを頼ることはしません」


「そうか……。まあ、そこは無理を言うまい」


 がっくりと俯き、黒髪を前に垂らす姿は、テレビ画面から飛び出してくるホラー映画の幽霊を思い出させる。それほど彼女の落ち込みは激しかった。

 しかし、物語士カタリストに関して、リディの言うことは絶対だ。そもそも、リディには会長とのお遊びさえ「やらない方がいい」と言われている。それを「遊ぶ報酬として主人公カードを渡す」という好条件でリディを不承不承で納得させていた。そんな状態でリディの言いつけを守らなければ、どんなお仕置きがくるかわかったものではない。


「しかし、ああ……なんてことだ。私は今日、やる気満々で下着まで用意してきたのに!」


「……はい? なんで下着?」


 突飛な単語に、詠多朗の黒縁眼鏡がズルッとずれる。


「ん? 見るか?」


「――はいっ!?」


 唐突に、真理がスカートのフックに手をかけた。

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