8-2.

 「よし、俺たちも行くか」

廊下の様子を覗いつつ資料室を出るラインに続いて、俺も廊下に出た。かと思いきや今度は、廊下の隅にひっそりと設置されている扉から、関係者専用通路へ入る。来館者の目に触れずに職員が移動するための通路らしい。

 明かりが消えた、人気のない通路を移動しながら、ラインがひそひそと訊ねる。

「なあ先生。さっきの話だけど。飲み物に魔法を仕込むなんてこと、本当にできるのか」

「魔素を水に変えることができるんだから、その水にもう少し細工をするくらいは可能だ」

余談だが、魔素から生物を作り出すことはできないので、野菜や肉のような食物に変えることは不可能だ。

「ただ、魔法式――使用者から切り離された魔法は、縛りが多いんだ。発動は一度きり。複雑な魔法も仕込めない」

使う魔素は仕込んだ分だけになるため、威力は通常の魔法に劣る。後から書き換えることもできない。

「魔法式っていうのか。……魔術の授業じゃ、習わないよな」

「魔具のほうが便利だから、廃れたんじゃないか」

あるいは、意図的に後世に残さないことにしたか。

「魔法式が使われたかどうかって、調べてもわかんないの?」

「普通の毒物みたいには、検出されないからな……」

発動後の、赤子の小指の先ほども残っていない他者の生体魔素を辿るのは、俺にだって難しい。他に薬などの混ぜものをしていたならまだしも、ただの魔法式となると、特定はほぼ不可能だろう。

 俺が頷くと、ラインは腕を組んで、眉間に皺を寄せた。

「もしかして……。ガルバンダの娘を殺した奴と、さっきの暴動の首謀者は、同じ奴か?」

女の死因は、未だ不明ということだった。現場の状況から考えても、魔法式の可能性は高い。そして学校でも教えない魔法式を、実用レベルに操れる人間が、そう何人もいるとは考え難い。

「湖の隕石の次は、銀の槍か。何がしたいんだ、魔物研究所って奴は」

「俺も知りたいよ……。ティアーナが覚えてたっていう歩き売りが、術者本人とは限らないからなあ。犯人捜しは、無謀か……」

下手をすれば、その歩き売りも同じように殺されかねない。慎重な捜査が必要だった。

「発動条件から容疑者を絞り込むことは、できるかもしれない」

魔法式は、本当に使うのが面倒くさい。あんな使い勝手も趣味も悪いものを好んで使うのは、同胞を殺すことを咎められる社会性を持った生物、即ち人間くらいだ。

「発動条件って?」

「まず、対象の体内に魔法式を仕込まなきゃいけない。それから、術者は魔法式の近くにいないといけない。普通の魔法でも、射程があるのと同じだ」

術者が人間なら、性能のいい魔術杖を持っていたとしても、さほど遠くからは使えない。

「しかも、仕込んでから発動するまでが長くなるほど、威力は低くなる」

クォーツ曰く、長くても二週間。これは体内に取り込まれた異物が、生物の身体の自浄作用によって、二週間程度で排出されてしまうからだそうだ。

「仕込んだ式の効果にも寄るが、生物を殺せるような威力となると、持って数日だ。城に仕えてる人間はたくさんいても、女が死ぬ直前に何かを差し入れることができた人間と、死んだ時間に射程に入る距離まで近づけた人間は、そう多くはないと思うが」

「なるほど……。帰ったら調べてみるよ。ありがとう、先生」


 話しながら一階に降り、気がつけば『近世の部屋』の裏まで来ていた。

「曲がるぞ、ぶつけるなよ。ゆっくり、慎重に」

「はい」

壁の向こうから、声がした。ラインは堂々と警備員のふりをし、俺は備品棚の陰に身を潜める。

「こうやって持ってみると、本当に大きな槍だよな。クォーツ様って、本当は大男だったのかな」

「絵画や伝説では、線の細い色男だったというのが定番ですが」

「私なんて、初恋は伝記の挿絵のクォーツ様でした」

のんびり喋りながら通路に入ってきたのは、博物館の職員たちだった。一人が先導して障害物を避けたり扉を開ける役目をし、他の二人が、布に包んだ細長い棒状のものを担いで運んでいた。

「しかし、事件が起こる可能性があるからって、毎年搬出に使っている木箱は囮にして、中身だけをこっそり少人数で運ぶなんて、上層部も大胆なことを考えますね」

「おかげで我々が、こうして直に伝説に触れる機会を頂けたんだから、複雑な気分だよ」

元々防犯設備のある館内で仰々しい警備を付けて、そこに槍があることを目立たせる必要はない。囮の箱に観衆が付いていったところで、秘密裏に持ち出すという算段だったらしい。まさか本当に事件が発生し、完全に人払いされるとは思っていなかっただろうが。

 なお、職員たちは立っているラインには目もくれず、槍と共に目の前を通り過ぎた。変にコソコソするよりも、当たり前のようにしていた方が不審に思われないというのは聞く話だが、よくよく肝の据わった男だ。


*****


 彼らの後を追うと、拓けた倉庫のような場所に、最低限槍が収まる大きさの魔導車が待機していた。どうやら、大型の展示品の搬入出を行う場所らしい。

「先に搬出口の中に車を入れておいて、積み込みを外部に見せずに、ただの備品を積んだ車のふりをして出る、と」

運転手と助手席、そして荷台にも、設備業者のような作業着を着た男たちが乗っている。言わずもがな、軍人だ。体つきや外見年齢から察するに、いずれも階級の高い、実力のある人材のようだった。

「アイレンベルク隊? 誰の作戦だ?」

一方で、ラインは別のことを気にしていた。知っている顔だったらしい。

「……まあ、今はどうでもいいか。なんか、嫌な予感がするんだよな」

「そういうことを言うと、本当になるぞ」

最初の槍の持ち主のように。

「とにかく、後を追わなきゃ」

言うが早いか、ラインは来た道を戻り始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る