8-3.
外に出るのかと思いきや、
「こっちこっち」
ラインは職員用トイレへ手招きする。
「外で館内警備員の格好してたら、目立つだろ?」
と言って、用具入れの中から鞄を取りだした。
中には、王国軍兵士の制服が入っていた。街中でよく見かける、あまり等級の高くない兵士のものだ。
「先生はどうする?」
さすがに慣れたもので、ベルトや金具の多い服を手早く着替えながら、訊ねる。もちろん、俺の分の着替えはない。
「……要は、監視から見つからなければいいんだろう」
「えっ?!」
急激に下がっていく目線に、ラインが驚いている。
「こんなもんか」
最後に身震いして、きちんと変化できているかどうか、身体の感覚を確かめる。
「えええ……。マジかあ……」
ひょいとラインから持ち上げられた姿――金色の目を暗闇に光らせる黒猫が、手洗い場の鏡に映った。イブキを拾ってから一度も使っていなかったので、鈍っているかと思ったが、大丈夫そうだ。
「それで。どうするんだ」
「……とりあえず窓から外に出る。このトイレの窓、外の警備からは死角になってるんだ」
聞きたいことがありそうなラインだったが、今はそれどころではないと首を振り、俺の問いに答えた。
「後で、警備の配置を変えるよう言っておけよ」
「わかってる」
格子の嵌まった窓枠に飛び乗り鍵を開け、外に出る。続けて、ラインも予め簡単に外れるようにしておいた格子を外して出てきた。ラインが閉めた窓に、俺が内側の鍵を掛け直す。
「マークがいる倉庫に行こう。次に何かあるとしたら、あの倉庫だ」
そう言うと、ラインは俺を抱き上げて走り出した。
「おい、何をしてる。配置に戻れ!」
途中、中年の兵士に咎められたが、
「すみません、猫が入り込んでいたもので! 邪魔にならないところへ逃がしてきます!」
俺を見せると、男はため息をついた。
「……早く行ってこい」
ラインは一礼して、再び走り出す。
「へへ、あの人猫好きなんだ。先生がいて助かった」
「そうか……」
さすが元諜報部隊と言うべきか。よくもまあ、親しくない他人の好みまで覚えているものだ。
「緊急時で良かったな、先生。ただの警備任務だったら、十分は撫でられてるぞ」
「……」
訂正、よく知らずとも噂になる猫好きだった。
*****
古倉庫の前には、マークが不安そうな顔をしながらも、律儀に持ち場を離れず立っていた。
「マーク」
ラインが話しかける。
「はい! ……ええっと……?」
黒猫を抱えた見知らぬ青年兵士に、突然名前を呼ばれたマークが、困惑している。
「ああ、そっか。えっと」
現在の自分の姿を思い出し、ラインが口籠もる。
「俺も第三王子近衛隊だ。あんたの話は聞いてる。誰かに状況は聞いたか?」
「そうでしたか。槍が運ばれる時に何か騒ぎがあったということは、近所の方から聞きました」
味方だとわかり、ほっとした顔で頷くマーク。
「見物客が急に暴れ出したんだ。今は沈静化してる。こっちで、何か変わったことは?」
「私が配置に着いてからは何も。ですが……」
と、耳を寄せて、小声で続ける。
「警備中に顔見知りになった、ずっと待機をしていた見物客の方が、昼間、倉庫に男がぞろぞろ入っていくのを見かけたと」
「……確かに。倉庫の中に、昨日までなかった反応がある。十人」
「え?」
何故こんなところに猫が、という顔で俺を見ていたマークの表情が、凍り付いた。
「驚かなくていい。俺だ」
「その声……。もしかして、先生ですか」
「ああ」
頷くと、マークはしげしげと俺を眺めた。目の前で変化したのを見ていたラインならまだしも、急に言われても信じられないのは、仕方ない。
ラインは、マークに何かを案内させるふりをして、倉庫の前から一旦誘い出した。
周囲から見えない塀の内側で、俺は言う。
「お前は家に戻った方がいい」
「ですが……」
持ち場を離れたことがバレたら、今までの仕事が水の泡になってしまわないかと、不安なようだ。
「大丈夫だ。警備は俺が代わる」
ラインの腕から抜け出し、地面に降りると同時に、再び目線が高くなる。
「これでどうだ」
再び、ラインとマークが絶句していた。
「……ちょっと、本物より目つきが悪いな」
はは、とラインが乾いた声で笑う。マークは、自分と同じ顔の人間が突然現れて、今にも卒倒しそうだった。
「貴族に関わると、ろくなことがないぞ。これからは賃金だけじゃなくて、雇い主の身元がしっかりしていそうな仕事を選べ」
「先生、俺も貴族なんだけど」
「だからろくなことがないって言っているんだ」
軽口を叩いていると、なんとか気を持ち直したマークが、今度はラインのほうを見て不思議そうな顔をしていた。
「どうした?」
「あの、貴方もシルバランス家の方、ですか?」
「……そうだよ」
「やっぱり。昨日来た男の子と、よく似ていると思ったんです。もしかしてご兄弟ですか?」
「ああ、シルバランス本家の三男。ラインハートだ。よろしく、マーク」
平民は、既にラインハートが死んだことになっていることも、それどころか本家に息子が何人いるのかすら知らないだろう。本来の名前を名乗れることが少し嬉しいのか、ラインははにかんで手を差し出した。マークはおっかなびっくり、その手を握り返し、
「はい。こちらこそ」
緊張しつつも、ふにゃりと笑った。
「行け。イブキと、もしかしたらまだ、ソフィアもいるかもしれない。遅くなるかもしれないから、適当に誤魔化しておいてくれ」
「わ、わかりました。お世話を掛けます」
封鎖されていない道のほうへ走り去るマークの背中を見送り、
「じゃあ、改めてよろしく、マーク」
冗談めかしてラインが言った。
「こちらこそだ、ラインハート」
俺も言い返し、共に倉庫を睨みつけた。
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