8章:敵襲と変身魔法

8-1.

 一人の雄叫びを合図にするかのように、次々と周囲の人間たちが発狂しながら兵士たちを襲いはじめた。守備が薄くなった一点から雪崩れ込むようにして、箱に向かっていく。倒れたり兵士に取り押さえられた人間を踏み越えてまで突進する様は、異常としか言いようがなかった。

「何が起きてる!」

ヴィリッドが、自らも暴走する民衆をねじ伏せながら、突然の騒ぎに声を荒げている。

「わかりません! 突然見物人が暴れ出して!」

「くそっ、またあの方・・・の読みが当たった! 殺すな、打ち合わせ通りに!」

「はい!」

男の声を遠くに聞きながら、俺は周辺を見渡す。

「ただの暴動ではなさそうですね」

魔具屋も、隣で冷静に観察していた。なにしろ、何の武装もしていない平民が暴れているだけだ。警備の兵士たちだけで十分に鎮圧できると踏んで、巻き込まれた民間人の振りを続けることにしたようだ。

「あれは、操られてる動きだな……」

政治に対して抗議するような、意思のある行動ではない。箱を奪取するよう命令されて、最短距離を取っているだけ、という感じの単純な動きだった。

「ですが、集まっていた民衆が全て暴徒化したというわけでもない」

もちろん魔具屋は無事だし、俺たちの周囲には、騒ぎを聞きつけて増えた野次馬の他、逆方向に逃げ出す者、弾みで転んだまま立てなくなっている者、おろおろと辺りを見回している者など、正常な動きをしている人間たちもいくらかいた。

「さすがにこの騒ぎじゃ、術者は探せないぞ」

俺は舌打ちした。彼らを操っている魔素の流れを探るには、人間の数が多すぎる。

「操られる条件があるのでしょう。騒ぎが収まったら、調べてみましょうか」


 予想通り、すぐに怒声は止んだ。残ったのは、踏み荒らされた芝生の上に倒れ伏す人々と、さほど息も上がっていない兵士たち。暴走した民衆のうち、箱まで辿り着けた者は、誰もいなかった。

 そして、

「せんせええ! いらしてたんですねえぇぇ」

涙目のティアーナが、俺を見つけて縋り付いてきた。

「落ち着け。お前は正気だな?」

首根っこを掴んで引き剥がしつつ、念のために訊ねる。

「はいぃ……」

俺の元まで辿り着いて安心したのか、えぐえぐと泣きじゃくり始めた。こいつもなかなかに、面倒事に出くわす体質だ。

 しかし、いつまでも泣かれては困る。聞きたいことがあった。

「ティアーナ。暴れ出した奴らに、何か共通点はないか」

「きょ、共通点……?」

俺の問いに、恐る恐る制圧された人間たちを観察する。そして、

「皆さん、昨日も一昨日も、ここで槍の搬出を待っていた方たちばかりです……」

「じゃあ、暴動に参加してない奴らは」

「私が見た限りでは、昨日までに見かけたことがある方はいません」

怯えながらも、はっきりとそう答えたティアーナを見て、魔具屋がほう、と感心した。

「他には。誰かに話しかけられていたとか、何でもいい」

「ええっと……。その場で仲良くなって、お話をされたりは、していましたけど……」

話しているうちに落ち着いてきたようで、いつしか嗚咽が消え、こめかみに指を添えて、真剣に思い出すティアーナ。

「あっ! 皆さん、歩き売りの飲み物屋さんから、飲み物を買っていました!」

「それだ」

俺が夜に見かけたのは食べ物屋だったが、他にもいたらしい。

「……お前は飲まなかったのか」

一応確認する。

「お祭りの飲み物は割高なので、水筒に入れて、家から持参していたんです」

貧乏性が功を奏した。ちなみに焼き鳥は、肉の塊の誘惑に勝てなかったらしい。

「魔具屋、こいつの記憶は信用していい。湖の事件の参考人でもある」

「なるほど。お嬢さん、私と一緒に来て、その歩き売りの顔を証言してくれますか」

「はい、構いませんが……。おじいさんは、どなたですか?」

「ラインの祖父だ」

「ああ、ラインさんの。……え? ラインさんの?」

「いいから行け」

平民によるその手の反応は、ここ数日でもう見飽きた。いちいち驚くのを待っている場合ではない。

「現役は退きましたが、城までお嬢さんを護衛するくらいなら、務まりましょう。さあ、行きますよ」

「えええ!? 先生!? せんせーっ!?」

シルバランス先代当主に、強引に手を引かれて行くティアーナを見送り、俺は博物館を振り返った。


*****


 制圧された市民たちは、いずれも気絶しているようだった。速やかに担架で運ばれて行き、暴動事件の捜査のため封鎖された博物館周辺は、徐々に落ち着きを取り戻していった。


 兵士たちは、箱が無事であることを再度確認すると、予め搬入口脇へ用意していた魔導車の中へ、台車ごと乗り入れる。その後も、万が一に備えての点検が続いていた。


 俺はその様子を、博物館の二階にある資料室の窓から見ていた。

「……先生、これで終わりだと思う?」

作業灯を眩しそうに見ながら、目深に帽子を被った男――首飾りを外し、博物館警備員の制服を着たラインが、小声で訊ねた。

「いや」

短く返すと、

「だよなあ」

帽子を取って髪をわしゃわしゃと掻き、もう一度真っ直ぐに被り直す。

「お前、その制服どこから持ってきた」

「博物館も王立だからな。一着融通するくらいなら、どこからでも」

ずっと博物館の中から気配がしていたので、不審に思って建物に近づいたら、職員通用口から手招きされたのだ。部下一同を囮にして、さっさと城から脱出していたらしい。

「お、そろそろ動くぞ」

ラインが言う通り、ようやく車の点検が終わったようだ。

 箱が載った車には、ヴィリッドと数人が乗り込んだ。他の兵士は上部が吹き曝しになった背の低い車に乗り、前後左右を囲んだ。

 最後に、一人乗りの小型魔導車に乗る兵士たちが周辺をもう一度確認し、ようやく一団はゆっくりと動き出した。

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