6章:記念祭休暇

6-1.

 昼は子どもたち、放課後は教師たち、といつの間にか想定以上に『先生』をする羽目になっているうちに、秋は思っていたよりも慌ただしく深まっていた。

 街路樹の葉が心許なくなり、冬がそこまで来ていることを感じられるようになった頃、いよいよ、建国記念祭休暇が始まる。


 朝一番の段雷と同時に店が開き、人間が川の水のように大通りを蠢いていた。

 貴族や物資を乗せた乗り物は、歩道からはみ出た人々を轢かないよう、窮屈そうに移動している。背の低い子どもなど、手を離したら最後、一瞬で押し流されて迷子だろう。


 バイオレット商会が経営する総合マーケットの、大通りに面した出入り口には、可愛らしい飾り付けの大型テントが出現していた。

「いらっしゃいませ!」

「スコーンと、チョコクッキー一袋ずつですね」

「ワッフル、焼きたてでーす!」

喧噪に負けない初々しい呼び込みの声、小麦粉と砂糖の香ばしい匂いに釣られて、浮かれた人々がふらふらと吸い込まれていく。

「ありがとうございます! またお越しください!」

テントの中を走り回る子どもたちの中に、イブキもいた。

 肩の辺りが膨らんだ紺のワンピースの上に、フリルの多い白のエプロンという使用人風の制服を纏い、活き活きと働いている。「イブキくんには絶対似合うと思っていたの!」とは、ソフィアの談だ。

 一方の俺はというと、商会直属警備員の制服を着て、遠巻きに屋台の様子を見ていた。

「威圧感がすごいわ」

「並の悪漢は一睨みで蒸発しそうですね」

と、あまり褒められた気のしないバイオレット親子からの賛辞を貰い、言われた通りの場所に立っているだけの仕事だ。――客はもちろんのこと、商会の従業員からも避けられている気がする。


 午前の仕事は特に何事もなく終わり、そろそろ昼になろうかという頃だった。

 にわかに人混みがざわつき、屈強な男たちがぞろぞろと、特設テントの前にやってきた。よく見れば、目深にショールを被った線の細い女性が、申し訳なさそうに中心を歩いている。

 あまりの物々しさに、行き交う人々は一瞬注目したものの、なんだ物好き貴族か、といった様子で、すぐに興味をなくした。

 女性は、机に並べられた焼き菓子をじっと眺め、それから働いている子どもたちを眺めた。ショールから淡い桃色の巻き毛が覗いていたが、俺の位置からは、顔までは窺えない。

 女性は子どもたちの働きぶりに感心したように頷き、少し迷ってから、イブキに声を掛けた。

「そちらの、黒髪のお嬢さん。プレーンとチョコレートのクッキーを一袋ずつと、ワッフルを二つ、頂けるかしら」

優雅でおっとりとした話し方に、殺気立つほどに忙しない空気が、一瞬和らいだような錯覚すら覚えた。

「クッキーと、ワッフルですね」

指名されたイブキは、にこやかに言われたものを紙袋に包む。手つきも随分慣れてきた。会計は、付き人の一人が行った。

「ありがとう。お邪魔してごめんなさい。……お仕事、がんばってね」

「ありがとうございます」

最後に会釈をして、女性は共を連れ、速やかに去って行った。

「今の、かなり良いとこのご婦人だったな」

イブキと共に働く、そばかすのある少女が、ひそひそと耳打ちした。

「綺麗な人だったねー」

「知り合いじゃないのかい?」

少々粗野な喋り方をする少女は、十歳から毎年、バイオレット商会のアルバイトをしているのだという。この人の多さも慣れたもので、幼年学校しか出ていないというが、人一倍計算が早い。

「うん、知らない人。……どこかで、見たことはある気がするんだけど……」

しかし、思い出す暇もなく次の客が来て、会話は中断してしまった。


*****


 昼になると、売り子、調理担当、そして警備員たちにも、時間をずらして昼食休憩が与えられる。

 特設テントの裏に設営された、一回り小さな備品庫兼休憩用テントの中で、俺は支給された弁当を啄んでいた。他にも複数の子どもたちが楽しそうに昼食を取っているが、生憎、イブキとは休憩時間がずれている。身内だからと言って、特に便宜を図らないところがソフィアらしい。


 しばらくすると、同じく警備員の制服を着た男が、テントに入ってきた。こちらを見て、一瞬びくっと肩を震わせ、慌てて会釈をする。

 男は、『一人一つまで』と張り紙のされた机の上に積まれた、紙箱の弁当を貰い、

「ここ、いいですか」

気の弱そうな笑顔で、俺が座っていた長机のはす向かいを指した。

「ああ」

事前の顔合わせで、軽く挨拶をした。確か、名前はマーク。

「毎年のことですが、すごい人出ですね」

「そうだな」

俺も、まさかここまでとは思っていなかった。スリや万引きは、さぞ仕事がしやすかろう。

「確か貴方は、王立の先生、でしたよね」

「ああ」

緊張すると、喋らずにはいられないたちの人間か。そわそわと落ち着かないマークの問いに、適当に相づちを返す。

「王立の先生と言えば、高給でしょう。どうしてまた、祭りの警備員を?」

「……娘がバイオレットの娘と友達で、売り子をしてるんだ。暇なら手伝えと誘われた」

「娘さんの付き添いというわけですか」

すると、少し緊張が解けたようで、口元を綻ばせた。

「私も、娘がいるんですよ。もうすぐ十歳になります。自分も十歳になったら首都に出稼ぎに行くんだと言って、今から張り切っています」

「それは、……心配だな」

俺も、ローズに「いい加減子離れすべきですわ。かつて娘だった者として言わせていただきますけれど、父親が自分たちの会話を盗み聞きしているなんて、気持ち悪いったらありませんわよ」と本気で嫌そうに吐き捨てられ、イブキの様子を覗うのを少しずつやめようとしているところだ。が、自分の与り知らぬところでイブキが事件に巻き込まれていやしないかと、すぐに心配になる。

「娘が働かなくてもいいくらい、私が稼げればいいんですが」

せめて娘が独り立ちするまでは不自由させないよう、気の弱さを奮い立たせて、給料の良いバイオレット商会の警備員に応募したという。働く事情は、様々だった。

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