6-2.

 二日目も、焼き菓子屋は盛況だった。俺は相変わらず、客引きを阻害しない程度の位置から、様子を見守るに徹していた。

 一度だけ、

「お嬢ちゃん、可愛いねえ」

「あ、ありがとうございます」

「ここのお店、夕方までだよねえ。その後は何するの?」

「ええっと……」

昼間から出来上がっている酔っ払いが、釣り銭を渡そうとしたイブキの手を掴んで手の甲を撫で回し、離さない事案が発生したので、

「失礼」

後ろから肩を叩き、振り向いたところを思い切り睨みつけて威嚇した。

「ヒッ」

一瞬で酔いが冷めた中年男は、喉の奥を引きつらせ、腰を抜かした。

「何か問題でも?」

「な、何でもありません!」

元・酔っ払いは、四つん這いで地べたを這うようにしながら、釣り銭も受け取らず一目散に逃走した。

「悪い。邪魔した」

うっかり周辺の人垣まで割ってしまい、俺は大人しく定位置に戻る。

 すぐに、イブキの側にそばかすの少女が寄ってきて、大丈夫かと話しかけた。すっかり、売り子部隊のまとめ役だ。クリストフが言っていた、正式に雇い入れる予定がある子どもなのだろう。

「イブキパパ、ホントに学校の先生? 何人か殺してる目だったよあれは」

「あはは……」

イブキが苦笑している。累計すると何人どころではないが、イブキの教育上良くないので、ここしばらく人間は手に掛けていない。

「あの酔っ払い親父、毎年来るんだ。真面目そうな子ばっかり狙って、ああいうことするから困っててさ。これに懲りて、もう来ないといいんだけど」

常習犯だったらしい。捕まえて、首から札でも下げて正座させておくべきだったか。

 一方のイブキは、

「どうしよう、お釣り……」

渡しそびれた小銭を持って、ぽかんとしていた。イブキを困らせてしまったので、次があったら、逃げない程度に留めておこう。

「会計合わなくなっても困るし、貰っちゃいな。お触り代にしちゃ少ないけどさ」

「いいの?」

「気になるんだったら、後でソフィアお嬢様に言っとけば大丈夫だって」

にひひ、と下品な笑い方をする先輩少女の悪知恵で、酔っ払いの忘れ物は、イブキの小遣いとなった。


*****


 本日の昼は、イブキと昼休憩の時間が被った。警備員と違い、売り子たちは客が途切れた合間を狙って交代せねばならないため、きっちりと何時から、というわけにはいかないらしい。

「今日はね、お父さんが休憩に行くの見て、ミアが、先に行っておいでって言ってくれたの」

そばかすの少女はミアというらしい。

「ミア、すごいんだよ。迷ってるお客さんがいたら、仲良くなって二つとも買わせちゃうの」

「へえ……」

「弟妹が多いから、いっぱい稼がないといけないんだって」

貴族は子どもができず、養子縁組をする羽目になる場合も多いと聞くのに、平民はたくましいものだ。

 イブキが、研修中の出来事やほかに仲良くなった売り子のことをせっせと話していると、また、マークが休憩を取りに来た。こちらに気づいてほっとした顔で笑い、近くの席に座った。

「娘さんですか? こんにちは」

「こんにちは! 警備、お疲れ様です」

元気な挨拶と笑顔に、マークの顔が綻ぶ。が、すぐに浮かない顔で俯いてしまった。蓋を開けた弁当も、ぼんやりと煮豆を転がすばかりで、食が進んでいない。

「どこか、具合が悪いんですか?」

イブキが心配そうに訊ねる。するとマークは、ハッと気づいて、表情を取り繕った。

「大丈夫だよ。ここの仕事の他に、もう一つ仕事を入れているものだから、少し疲れているだけ」

力なく笑う顔には、確かに疲れの色も窺えたが、どうも、それだけではなさそうだ。イブキも、首を傾げている。

「そんなにキツい仕事なのか」

「いえ、昼間と同じ、警備の仕事です。ただ……」

と、言いかけて口を噤む。ちらりとイブキの顔を見て、申し訳なさそうに微笑んだ。

「……少し、おかしな内容で」

子どもに聞かせるような話ではないが、誰かに愚痴を言いたかったようだ。視線で先を促すと、疲れた顔の男は首の後ろを擦りながら、ぽつり、ぽつりと話し始めた。

「祭りの期間中の、夕方から夜中にかけての警備――というより、ただの見張り番ですね。そんな募集でした」

場所は、博物館の裏手にある、古い倉庫の前。博物館への搬入のために通りの幅こそ広いが、目立つ店もなくひっそりとした区画だ。

「場所に慣れるために、早めに警備を始めるよう言われて、ここ二週間ほど、毎日同じ場所に立っているんです」

とは言え、もちろん博物館の搬入口や職員通用口には、常駐の警備員が立っている。気弱な臨時の警備員なんぞ立てずとも、十分に一帯の抑止力として機能していた。

 それに昼間ならまだしも、暗くなってから通りかかるのは、それこそ博物館の職員か、帰宅中の近隣住民くらいのものだ。

「それだけなら、ただの暇で楽な仕事なんですが……。不思議なのは、私が立っている間に博物館周辺を通りかかった人間を、どのような風体でどこからどっちに行ったかということを記録して、毎日報告するよう言われていることなんです」

不審者と近隣住民を見分ける訓練だと言われたそうだが、あまりにも事細かく訊ねられるのが、どうにも腑に落ちないという。

「雇用主はどんな奴だ」

「倉庫の管理を任されているという男性です。傭兵か軍人崩れかわかりませんが、大柄で筋肉質で、額に古い傷があって」

言いながら、マークは自分の左眉の上辺りで、大きく指を動かした。大振りな武器で切られたか殴られたか、そんな大きさの傷だ。

「ただの倉庫の管理人にしちゃ、物騒な出で立ちだな」

「そんなに強そうな人なら、その管理人さんが見張りをすればいいのにね」

黙って弁当を食べ進めていたイブキが、尤もな感想を述べた。

「それで、警備の期間は記念祭休暇いっぱい、ということか」

「いえ。式典の後は、人出は減る一方だから、もう見張りはしなくていいと言われました。……変ですよね?」

「ああ……」

そんな中途半端な時期に打ち切る仕事があるものだろうか。話を聞くだけで怪しい。

「おかしなことはもう一つあって。面接の時のことなんですが」

少し調子が出てきたようで、マークは弁当に手を付けつつ、早口で続けた。

「その倉庫の警備の仕事、提示された給料がとても良かったので、応募者も多かったんです。面接場所には、明らかに私よりも警備員に向いていそうな大柄な方や、退役した軍人の方もいました。……なのに、何故か私が採用されたんです」

「自分を卑下しすぎじゃないか」

現にバイオレット商会でも採用されているのだから、何か警備員に向いた性格や技能があるということではないのだろうか。

「国の警備をしていた方よりも優れているとは、到底思えません」

妙な方向に自信を持ちすぎている男だった。

「……まあ、採用条件のことは置いておいても、気にはなるな」

「どうするの?」

「多分今日辺り、悪ガキどもと保護者が来るだろう。知らせておこう」

「あ、そっか!」

しばらく遊んでいない二人を思い浮かべ、イブキがにへへ、と嬉しそうに笑った。マークは首を傾げていた。

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