4章:課外授業

4-1.

 アルバイトを行うことが決まってから、イブキはソフィアと共に帰るようになった。

 仕事内容は難しくはないと言っていたが、当日の準備や練習をしたり、有事に備えて軽い研修をしたりするのだという。もちろん、拘束時間分の給料も支払われる。店舗を監督するソフィアの気合いも感じられた。

 俺については、普段仕事をしていることもあり、休日に一度、他の警備員と顔を合わせに行けば良いということだった。イブキの帰りが遅くなる分には、護衛を付けて送らせると言うので、好きなようにさせることにした。


 まあ、それはいいとして。

 俺は学校の仕事部屋で、眉間に皺を寄せていた。――二学期の学期末試験の、筆記試験問題を作らねばならないのだ。

 二学期の中間試験までは、アリアが作ったものを手直しするだけだったが、『そろそろ、貴方もお考えになったら?』とローズに言われてしまったからだ。

 自分が教えた内容について、きちんと理解しているかどうかを、文章で問う。なかなかに面倒くさい作業だ。


 部屋の隅に備えられた、簡単な調理ができる魔導炉コンロのほうから湯の沸く音がして、しばらくすると部屋の中に茶葉の香りが広がった。

「どうぞ」

傍らに人間の気配が近づいてきて、机の端、手が当たって倒れない位置に、静かにカップが置かれた。

「ありがとう、フィー」

無意識に出た言葉に、一拍置いてから気付いて、慌てて顔を上げる。

「悪い。間違えた」

目が合ったアリアが、驚いた顔をしていた。それから、ぷっと吹き出した。

「奥様……は、いらっしゃらないんでしたっけ。……恋人さんですか?」

慣れない作業をするので、応援を頼んでいたのだ。存在を忘れていたわけではないが、俺はばつが悪くなり、ペンを置いて眉間の皺を揉む。

「いや。……昔の、研究仲間だ」

自分でも、イブキではなくその名前が出たことに驚いた。

「研究仲間……。じゃあ、魔法の研究をされている方なんですか?」

「記録は残っていないと思うぞ。裏方だったから。……よくこうやって、茶を入れてくれたり、身の回りの世話をしてくれた」

研究者なら名前を知っているかもしれないと思ったのか、記憶を辿るように首を傾げるアリアを見て、俺は先に答えた。

「そうでしたか……」

 それから、居心地の悪い沈黙があった。誤魔化すように、改めて礼を言ってからカップに口を付け、何故急に懐かしい名前が出たのだろうかと、しばし考えた。


 理由には、すぐに思い当たった。ひとつは、先日博物館で懐かしいものを見たせいだ。そして、もう一つ。

「少し似てるんだ。あんたとフィーが。だからつい、呼び間違えた」

声を荒らげず、穏やかに話すところ。気配りと笑顔を絶やさず、場を和やかにするのが上手いところ。今まで気付かなかったが、近寄ってくる気配まで似ていたものだから、油断してしまった。

「……なるほど。それでローズも、あんたに甘いんだな」

ついでに、あのハイエルフが彼女を気にかけている理由にも気付いた。

「確かに、校長には何かと良くしていただきますが……」

「実力以上に贔屓しているとか、そういうことじゃないから、安心してくれ。あいつも多分、無意識だ」

ローズは、フィーのことを特別気に入っていた。おそらく、素直で勉強熱心な人間の女を見ると、条件反射的に優しくしてしまうのだ。イブキに甘いのも、同じ理由だろう。

「その、フィーさんという方、ローズ校長ともお知り合いなんですね。……今は何を?」

「死んだよ」

何百年前の話だ。どう頑張ったって死んでいる。しかしアリアは予想以上に狼狽えた。

「えっ! すみません、言いづらいことを……」

「気にするな。元はと言えば、俺が間違えたのが悪いんだ」

こちらこそ、要らぬ気を遣わせてしまった。

「ええと……。どんな研究をしていたんですか?」

話題を逸らすべく、アリアは早口で訊ねた。続けたい話題でもないので、流れに乗ってやることにする。

「仲間内の誰かが少しでも興味を持ったことを、そのとき暇な奴全員で、片っ端から。真面目なことばかりじゃない。と言うか、大半は馬鹿みたいなことだった」

人間は魔法を使えないというのが常識で、魔術なんて言葉も存在しない時代だ。それこそ、魔法や魔具の暴発は日常茶飯事だった。

「馬鹿みたいなこと、と言いますと」

「空を飛んでみたいって言って、風を起こす魔具の試作品を背負って坂から転げ落ちた奴もいたし、雷の魔術に挑戦して、山火事を起こしかけたこともあったな」

調べた限りでは、その二つは未だに実現できていないようだ。研究を引き継いだ人間がいなかったのか、クォーツやヴァルテッリのイメージに傷が付くと見なされて、なかったことにされたのかは、定かではない。

「それはまた……」

品行方正でまともな部分の魔法学を専攻してきたであろうアリアは、案の定引いていた。

 無理もない。治癒魔法が使える俺がいたせいで、死ぬような怪我さえしなければ治せばいいという、ずさんな危機管理体制だったのだ。

「いろんな文献を読んだつもりですが、ディル先生のお名前を見たことがなかったのは、その、変わった研究をなさっていたからでしょうか」

ものすごく気を遣った言い方をされた。きっと、彼女なりに俺の素性を調べようとしたことがあったのだろう。

「形になった研究結果も、他の奴にくれてやってたからな。フィーと同じで、俺の名前では何も残ってない」

「そんな、もったいない」

「名を上げることにも、成果を広めることにも、興味がなかったし……。今更あれは俺の手柄だったなんて言うつもりもない」

人間に持て囃されたところで、面倒くさいだけだ。全部クォーツに押しつけてしまったのは、少し悪いことをした。

「まあ、少しくらい自分で書いておけば、文章を書く練習にもなっただろうにとは、思ってるが」

何が役に立つかわからないものだ。机の上の紙を指で叩き、俺はため息をついた。

「……私のやり方で良ければ、問題を作るコツをお教えしましょうか」

「コツ? それは助かるな。頼む」

日頃、他の職員から合格を貰っている方法を教えてもらえるなら、それが最善だ。

「はい。その代わり、と言っては何なんですが――」

アリアは姿勢を正し、意を決した表情で続けた。

「私に、魔法を教えて頂けないでしょうか」

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