4-2.
交換条件を飲み、アリアに手伝ってもらうことでどうにか問題を作り終えた、翌日のことだった。
「……なんでこうなる」
俺は、生徒が下校した後の修練場にいた。
目の前には笑顔でごまかすアリアと、ハインリヒその他、主に学内の魔法学の教師が多数。
「すみません、ディル先生に魔法を習うと言ったら、皆さん興味津々で……」
魔法を教えるには実践が一番ということで、放課後に課外授業を行う約束をしたら、このざまだ。謀られた。
「アリア先生だけずるいです!」
まだ学生と言っても通用しそうな、若い女教師が仔犬のように吠えた。二年の授業を担当している教師だ。確か、名前はシエナ。
「ディル先生の課外授業と聞いたら、居ても立ってもいられなくて」
ハインリヒは、未だかつてない満面の笑みだ。
それだけならまだいい。中には、
「お二人は、随分仲がよろしいんですね」
俺とアリアの関係を邪推しているらしい、面倒な輩もいる。彼女は生徒からだけでなく、保護者や教師からも人気があるのだ。
「内容に興味がないなら帰れ」
アリアと絡む度にいちいち嫌味を言われては、はっきり言って邪魔だ。睨みつけると、男は怯んで一歩後ずさった。
「な、なんですかその言い方。大体、新任の貴方が魔法学総括のアリア先生に、何を教えるっていうんです」
アッシュグレイの髪を流行りの髪型に整えた、身振りが少々大げさで気障ったらしい教師は、顔を引きつらせながらもなんとか口を開いた。
「マイヤー先生、頼んだのは私なんです。失礼なことを仰らないでください」
さすがのアリアも憤慨していた。しかしマイヤーという教師は、アリアが俺を擁護するのがまた気にくわないようで、更に噛みついてくる。
「ローズ校長とも随分親しいそうですね。そうやって女性を誑かして、不相応な地位に就いているのではないのですか?」
「……」
もはや、呆れてものも言えない。アリアは、申し訳なさそうに項垂れた。
マイヤーのアリアへの好意は他の教師も知るところのようで、各自肩をすくめて、また始まったと言わんばかりだ。
折角アリアが忙しい合間を縫って確保した貴重な時間だというのに、こんな色ボケ男の相手をしている場合ではない。俺はため息をついた。
「わかった。不相応かどうか、自分で確かめてみればいい」
「? どういう意味です」
「喧嘩を買ってやるって言ってんだ。撃ってこい」
口で説明しても無駄な奴には、実際に見せる他ない。
「巻き込まれたくなかったら離れろ。自衛は各自で」
自分が蒔いた種が予想外に大きくなっていることに気付き、マイヤーは離れていく他の教師を、え、え、と焦った顔で見回す。
ハインリヒなどは、真っ先に動き出して端に座り、スポーツの試合を見る少年のように目を輝かせている。
外野が十分に離れたことを確認してから、俺は再びマイヤーに言った。
「いつでもいいぞ」
今更怖じ気づいているマイヤーは、腕組みしたままろくに構えもせず立っている俺を、しばらく睨みつけていた。が、
「偉そうに……!
構えた杖の先から、勢いよく水が噴き出した。威力と照準は悪くない。俺は球体に張った盾で受け止めた。跳ね返った水しぶきが飛び散り、暢気に見ていた他の教師たちも、慌てて盾を展開して防いだ。
「……え」
と、自分が噴射した水が突然凍り始めたことに気付き、マイヤーが小さく声を漏らす。
「魔術の弱点は、呪文のせいで今から何をするかが、敵にバレることだ」
「あ、あ……」
パキパキと音を立てながら襲い来る冷気は、逃げる間もなく杖を持った腕を飲み込んだ。氷は鎌首をもたげる巨大な蛇の姿を取り、悠然と見下ろす。
「呪文なんて、一瞬のことだと思うだろう。一瞬あれば、敵も呪文を唱えられる。避けて距離を詰めることもできる。こんな風に逆手に取ることもできる」
ポケットに手を突っ込み、マイヤーの元に歩き出しながら、俺は続ける。
「考えろ。どうやったらこの状況から抜け出せる。このままだと、二度と杖を握れなくなるぞ」
マイヤーは腕を引き抜こうとして初めて、足下も氷漬けにされていることに気付いた。
氷は見る見るうちに下半身を侵食していく。息が白くなり、顔が青ざめていく。別の呪文を口にしようとしても、かちかちと歯が鳴ってうまく声にならない。
「そこまで」
凜と響いた声に、俺は舌打ちした。
「修練場の使用許可が申請されていたので、様子を見に来たら……。まったく、貴方って男は」
ローズが、修練場の入り口に立っていた。全員の注目が集まる中、しずしずと歩いてきて、腰ほどまで凍り付いたマイヤーの隣に立つ。
しなやかな白い手が、杖と右手を拘束している氷に触れる。じゅっと音を立てて、解けた水が滴り落ち、床に吸い込まれる。
「さあ、杖は使えるようになりましたわ。足下はご自分でどうにかなさって」
「あ、はい……。ありがとうございます……」
氷よりも冷たい表情のハイエルフは、ローブのポケットから取り出したレースのハンカチで濡れた手を拭き、不機嫌そうに俺を見据えた。
「勝手に職員の数を減らさないでくださる?」
「先に突っかかってきたのはこいつだ」
「面倒臭くなるとすぐ半殺しにして黙らせる癖は、やめた方がよろしくてよ」
「言ったって聞かねえんだから、仕方ないだろう」
淡々と言い合いをする俺とローズを、教師たちは呆気にとられて見ていた。
「やり方というものがあるでしょう。手足と口を動かなくすれば抵抗はしませんし、耳はいつだって開いていますわ」
この女、自分も大概物騒なことを言っていることに、気付いているのだろうか。
「大体こいつ、お前とアリア先生が、俺に誑かされて職を用意したとか抜かしたんだぞ」
「あら。それは本当ですの、マイヤー先生?」
「えっ?! いえ、それは、その、言葉の文と言いますか……」
やっと足枷を溶かして安堵したのも束の間、マイヤーはヒッと身体を縮こまらせた。
「男の趣味が悪いのは自覚していますが、この男に誑かされたなんて言われるのは、心外ですわね」
「自覚あったのか」
「お黙りあそばせ。……わたくしのことはさておき、アリア先生の趣味がこんなものぐさ男だと思われるのは、許し難いことですわ。マイヤー先生。減給と勤務時間外の奉仕活動、どちらがお好み?」
「そんなあ?!」
ほぼ私怨だった。ついでのように俺を悪し様に言うのはやめろ。
「あ、あの、私のことは大丈夫ですから、それくらいで……」
思わずアリアが割って入る。しかし、ローズの怒りは収まらない。
「それとも、勤勉なアリア先生が、職務を理由にして校内で逢い引きするような人間だとでも? アリア先生を魔法学総括へ起用した、わたくしの見る目がないと?」
「いえ! そのようなことは決して!」
碧の目に睨まれたマイヤーは、床に膝を突き土下座する勢いだ。
「この男が不正に教師になったわけではないことは、身を持ってお分かりになりましたわね。妙な噂を流されると、学校の質が疑われますわ。……よろしくて?」
「はい……。申し訳ございません……」
「マイヤー先生の処分は後ほど検討いたします。それでは、わたくしはこれで」
そして、ローズは何事もなかったように、しずしずと修練場を出て行った。
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