5-4.

 「何かいいことでもありまして?」

翌日も午前中から逃げ込んだ校長室で、挨拶よりも早く、ローズに訊ねられた。

「大したことじゃない」

すると、ハイエルフはフンと鼻で笑った。

「当てましょうか。盗み聞きをしていたら、イブキさんに何か誉められたんでしょう。それもとびきりに」

図星すぎて、テーブルの上のクッキーをつまみ損ねた。

「……ハイエルフは、読心の魔法でも開発したのか」

「いいえ。貴方がわかりやすいだけですわ。……本当の父親みたい」

最後はぼそりと、苦々しげに呟いた。

「それは貶してるのか」

「貴方にとっては、いい傾向かもしれませんわね」

やっぱり貶しているようだ。何が不満なのかわからないが、このハイエルフの考えていることがわからないのは、昔からだ。首を捻りながら、俺は先ほど取り落としたクッキーをつまみ直した。


*****


 夏休みの前には、一学期の学習成果を見る筆記試験がある。と言っても、俺が担当しているのは実技なので、筆記試験の内容は、ほとんどアリアが考えている。俺の仕事は、出来上がった試験問題に間違いがないかの確認と、試験後にアリアの部屋で採点を手伝うくらいだ。


 試験の日は、生徒は昼までで解散になるので、イブキには遅くなる旨を伝えて先に帰らせた。

 先日ローズにからかわれてから、なるべくイブキの様子を探ることをやめるよう試みているが、ふと思い出すと心配になる。

「本当に、イブキさんは優秀ですね。他の教科の先生方からも、真面目で良い子だと評判なんですよ」

一組の採点をしながら、アリアが嬉しそうに笑った。

「……そうか」

俺が採点しているのは二組だ。一組よりもミスが目立つが、概ね理解はしているように思う。アリアの授業がわかりやすいからだろう。

「あのう、ディル先生」

隣で採点をしていた、三組から五組を受け持っているハインリヒが、不意に声をかけてきた。眼鏡を掛けた痩せ型の中年男で、本来は宮廷魔術師を輩出する貴族の出身らしい。

「何だ」

「つかぬことを伺いますが、ディル先生って、王立にいらっしゃる以前は、何をされていたんです?」

「あっ、私も気になっていました」

アリアも採点の手を止めて、顔を上げる。

「……何を、と言われても……。ジェードの山で、子育てをしてた」

その前は数百年ほど洞窟に引きこもっていた。性悪ハイエルフやサイの先祖とつるんでいたのは、それよりも更に前だ。

「ええと……。奥様は?」

「いない。そもそも、イブキとも血は繋がっていない」

「ええっ?! あの、失礼ですが、どういった事情で……?」

いずれ訊かれることだとは思っていたので、変に隠し立てせずに答える。

「山に捨てられていたんだ。気まぐれに育ててみたら、思いのほか出来の良い娘になった」

フンと鼻を鳴らして笑うと、アリアとハインリヒは顔を見合わせた。

「じゃあ、髪の色が同じなのは偶然ですか?」

「そうだな」

俺が似せているので必然だが、そういうことにしておく。

「黒髪は南の方に多いですよね。ああ、でもあちらのほうは肌も濃い色をしているから、違うのかな」

「さあな。人間はどこにでも移り住むから、起源がどこかなんて探すだけ無駄だろう」

以前、親に会いたいなら探してやるとイブキに言ったことがある。が、彼女は首を振り、「今はお父さんがお父さんだからいい」と答えた。以来、イブキがどこから来たのかを、真剣に調べたことはない。

「ディル先生って、時々ご自分は人間じゃないみたいな言い方をされますよね」

言い回しの妙だと思っているようで、アリアはくすくすと笑った。

「人間じゃなかったら、何だっていうんだ」

「何でしょう。精霊、魔物……。うーん、何か違いますね」

「もしかして、竜とか。いろんな魔法が使えますし」

ハインリヒが、うっかり正解に辿り着いた。もちろん、本人は冗談のつもりだ。

「僕、竜に魔法を習うのが学生の頃からの夢なんですよねえ。ディル先生の授業に、僕もお邪魔しようかな」

すると、アリアは再び首を傾げて唸った。

「竜って言われると、私はどうしても黒竜が思い浮かんでしまうんですが……」

黒竜。四百年ほど前、突然暴走して世界の人口を半分に減らす大災害を起こし、悪魔とも呼ばれた竜だ。

「あっ、ディル先生が悪い竜だって意味じゃ、ありませんよ?」

「わかってる」

アリアが慌てて取り繕った。もしや黒髪で顔が怖いから、連想したわけではあるまいな。


 奴のおかげで、他の無害な竜への風評被害が凄まじかった。同じ種であるというだけで人間どもに駆逐対象にされ、元々個体数が少なかった竜種は更に数を減らした。今となっては、俺以外の個体が存在しているのかどうかもわからない。

「ハインリヒ先生は、どうして竜に魔法を習いたいんですか?」

当時を思い出してまた眉間に皺を寄せていたようで、アリアが慌てて話題を移した。

「学生の頃、歴史学の教員資格も取ろうと思って、古い文献を読みあさっていた時期があったんですよ。そうしたら、五賢者の中で最も魔法の扱いに長けていたという『始まりを知る者ディルクルム』は、人間に化けた竜だったって説があるそうなんです」

五賢者は、黒竜を封印したと言われる五名のヒト種を、生き残った人間たちが称え崇め奉った呼び名だ。サイバーの先祖のクォーツ、ハイエルフのローズ、そして表向きには人間ということになっていた俺と、あと二人。

「本当ですか? ローズ校長なら、真相をご存じなんでしょうか」

「以前興味本位で訊ねたことがあるんですが、『それを知ったところで、どうしますの』って、冷たくあしらわれちゃって。あまり触れられたくない話題みたいです」

それはそうだ。俺だって、できることならもう、思い出したくない。

「ローズ校長って、今でも十分に若くてお美しいですけど、当時はどんな風だったんでしょうね」

「そうですねえ。いやあ、見てみたかったなあ」

「おい、手が止まってるぞ」

盛り上がり始めた二人にぴしゃりと水を差すと、慌てて答案に目を戻した。

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