6章:避暑の旅

6-1.

 七月になると、首都の暑さと魔素の薄さは更に加速し、常時空腹の俺は暇さえあれば何か食べていた。

 ハイエルフが哀れんで恵んでいった菓子など啄んでいたら、生徒に甘い物が好きなのだと勘違いされて、仕事部屋のドアに供えものをされたりもした。ありがたくいただいた。


 そして、七月の半ばからはいよいよ、夏休みに入る。

 アリアとハインリヒは、補習の生徒の面倒を見るために、夏の間も出勤せねばならないらしい。客員教授待遇の俺は免除だ。助かった。

 「お父さん、少しは元気になった?」

舗装されていない道をごとごとと移動する鉄の箱の中で、イブキが心配そうに俺の顔を覗き込む。

「……そうだな」

首都を出て景色が田舎になるにつれ、魔素の濃さが許容値になり、身体も随分楽になった。

「夏バテなんて、だらしないなあ」

「何とでも言え」

魔素不足とは言えないので、軽い夏バテということにしてある。ソフィアには「夏バテの割によく食べるのね」と訝しがられたりもしたが、適当に誤魔化した。

「ねえライン、この乗り物も魔具なんだよね?」

俺が回復に向かっていることを確認して、安心したイブキは、窓を開けて風を受けながら、通り過ぎる景色を追っていた。

「そう。魔導車っていうんだ」

「へえー」

 車内は見た目よりも広く、運転席の後ろに向かい合わせの座席が付いていて、中心に小さなテーブルが固定されている。運転手と背中合わせになるようにラインとサイが座り、俺とイブキが進行方向を向いて、対面に座っている形だ。

「どうやって動いてるんだろう」

俺たちの乗っている車の前後には、同じ形の車体が一台ずつ走っている。使用人と荷物を載せている他、この車の護衛も兼ねているらしい。

「魔導車に乗るのも初めてか。イブキと先生って、首都までどうやって来たんだ? 馬車?」

最近は、旅行会社などが相乗りの大型魔導車を導入し、乗車料を取って一定区間を往復する事業なども始まっているそうだ。庶民には少々値は張るが、馬車よりも速くて快適だという話だった。

「ええっと……。お父さんの魔法で……」

正しくは、上空の寒さと空気の薄さからはイブキ自身に身を守らせて、俺が抱きかかえて運んだ。

「魔法でって……。もしかして先生、空でも飛べんの? 夏には弱いのに?」

「ライン、それは関係ない……」

サイの静かな突っ込みが入った。

「この乗り物、ラインのお爺さんの持ち物なんでしょ? まさかジェードの魔具屋さんだったなんて、すごい偶然だよね」

イブキが速やかに話題を逸らした。苦労を掛けるのがかたじけない。

「まったくだ。じいちゃんも、先に言っといてくれればいいのにさあ」

窓の縁に頬杖を付いて、ラインが口を尖らせた。避暑に同行させるにあたって、イブキを王家に紹介したところ、初めは渋られたものの、魔具屋のおかげで許可が下りたらしい。

「今度ジェードに戻ったら、挨拶くらいするか」

「うん、いっぱいお世話になってるもんね」

 この最新式の魔導車も、ラインの祖父がより快適になるよう改造したものなのだそうだ。

 座席の座り心地を良くしたり、私財を投じて搭乗者に伝わる振動を少なくする機構を開発させたりした他、本来は運転手の生体魔素のみで動くところを、大気中の魔素で半分補うようにしているとか。

「ソフィアも来られたら良かったのに」

「冗談。あんなうるさいのが来たら、休みが休みじゃなくなる」

ソフィアは、一行の行き先を突き止めようと度々試みていた。が、その努力も空しく、バイオレット家が経営するリゾート地に連れて行かれたそうだ。休み明けの反応が怖い。


 しばらく代わり映えのしない田舎道を進んでいると、急に魔導車の動きが止まった。窓の外を見ると、前方と後方の車両から、近衛兵が数人出てきて空を見ている。

「今年もか?」

ラインが窓から顔を出して訊ねた。

「はい、いつもの魔物です。窓を閉めて、外に出ないようにお願いいたします」

「……鳥か」

黒い大きな影が、上空を旋回していた。首都は結界に守られているが、一歩外に出るとこんな調子だ。

「毎年、この辺で足止めされるんだよなあ」

ラインが座席に座り直し、大きくため息をついた。外では、遠距離に対応した大振りな杖を持った兵士たちが、鳥型の魔物を追い払おうとしている。

「あれじゃ、届かないだろう」

「追ってこないように、適当に脅すだけだよ」

駆除ではなく、威嚇が目的か。

 しかし、毎年のことなら先方も耐性を付けているだろう。現に、鳥どもはからかうようにしつこく旋回を繰り返している。あれではキリがない。

 ふと車内の天井を見ると、四角い蓋のようなものがあった。

「そこ、開くのか」

「開くけど。え、まさか」

返事を聞くが早いか、俺は天井の蓋を開け、外に顔を出した。行儀悪くテーブルを踏み台にして、屋根に上がる。

「わあっ?! 何をなさってるんですか! お戻りください!」

俺に気付いた若い兵士が、慌てて駆け寄ってくる。

「うるせえ。キチッとやらないから、ナメられるんだ」

「課外授業?」

サイが、続けて顔を出した。中からイブキとラインが引っ張って降ろそうとしているが、またいつもの、気まぐれな強情さが出しゃばっている。

「そうだな、やってみろ。一番得意な形で、できる限りでかいのをぶちかませ」

「……わかった」

引っ張り上げてやると、鳥をじっと見つめた後、しなやかに人差し指を向けた。

氷柱クルスタロ

瞬間、細長い巨大な氷の槍が煌めき、一羽の胴体を貫いた。黒い羽の先まで凍り付き、地面に落下する。と、他の鳥たちが旋回パターンを変え、ギャアギャアとうるさく喚き始めた。

「よくやった。二学期の成績に足しといてやるよ」

「……やった」

表情は変わらないが、嬉しそうな雰囲気は伝わってきた。この少年、実は感情豊かなのではないだろうか。

 突然目の前で披露された王子の魔術に、兵士たちはぽかんと口を開けていた。

「車内に戻れ。残りは俺がやる」

「ああもう。全員車内に退避、先生の言うことを聞け!」

ラインが顔を出し、声を張り上げて全員に命令した。困惑しながらも、兵士たちは渋々車に引き上げていく。

「中に戻れ」

「うん……」

一羽仕留めて満足したサイも、大人しく車内に戻った。ラインが扉を閉めたのを確認すると、

「俺の前を遮るとはいい度胸だ」

睨みつけた一羽が、俺の正体に気付いて慌てて逃走を試みる。が、もう遅い。

「腹の足しにしてやるよ」

ドン、と爆発音にも似た轟音が響き渡り、遠くで魔物ではない普通の鳥の群れが飛び立った。

 うるさかった魔鳥の声は一切聞こえなくなり、地面にぼたぼたと黒い塊が落ちた。薄く煙を上げ燻る身体からふわりともやのようなものが立ち上り、すぐに空気中に消えた。

「……終わった?」

そろりと、イブキが半分だけ頭を覗かせた。

「ああ」

車内に戻ると、ラインが目頭を指で擦っていた。

「なんか光ったよな? 何が起きたのか、全然見えなかったんだけど」

「雷を落としたんだよ。お父さん、それが一番得意なんだ」

まだ人間に魔物として認知される前は、竜は雷の化身だと思われていたくらいだ。いくら魔素不足で衰えていても、鳥を撃ち落とすくらい目を瞑っていてもできる。

「雷?! 魔法って、そんなもんまで扱えるのかよ」

魔術には、雷を扱う呪文はない。再現できなかったのかもしれない。

「……俺も使えるようになる?」

「さあな」

こればっかりは、本人の素質と努力次第だ。イブキも、今のところ雷は使えない。

 腕と足を組んで窓の外を見ると、安全を確認しに外に出ていた兵士たちが、車両に戻っていくところだった。

 そして間もなく、再び景色は動き出した。

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