5-3.
夏の予定が決まってから、イブキはずっと上機嫌だった。
「私、旅行って初めてなんだ! 楽しみだなー!」
空調魔具により快適な室温に保たれた教室で、今日も楽しそうにしている。周囲も避けることが面倒になってきたのか、三人以外のクラスメイトとも徐々に打ち解けていた。
「初めてって……。もしかして、今までジェードから出たことなかったのか」
「うん。ジェードの町と首都以外、行ったことない」
「そうだったの。行きたいところがあったら言うのよ? どこでも連れて行ってあげるから」
自分だけ避暑について行けないことがよほど悔しいようで、ソフィアは以前にも増して、べったりとイブキにくっついている。
「というか、いつでも遊びに行きましょう! そうね、とりあえず今度のお休みなんかどうかしら!」
ソフィアは押しが強い。商人たるもの、それくらい強気でないと、商売などできないのかもしれない。
「いいよー」
「二人きりよ? 男子は抜きよ?」
軽く承諾したイブキに、真剣に丁寧に確認した。すると、ラインがへっと鼻で笑った。
「また引ったくられるぞ」
「護衛はちゃんと連れて行くわよ!」
もう、と憤慨して言い返すソフィアだった。
一方その頃の俺はというと、
「なんで首都は、こんなに魔素が薄いんだ……」
高い位置にあるため、地上よりは多少魔素が濃い校長室に、逃げ込んでいた。
「魔具の利用率が高いことと、魔物避けの結界に魔素が割かれているからですわね」
あっさりと答えを返すローズ。
「竜の侵入も防げない結界なんか、やめちまえ」
「進言しておきますわ」
仕事部屋のソファよりも座面が広い、上等なソファに転がって、だらだらと茶菓子をつまんでいると、
「……竜の唯一にして最大の弱点は魔素不足、って、レポートにまとめて学会に発表したら、面白そうですわね」
ぼそりと不穏なことを呟いた。
「そんなことしてみろ。首都ごと焼いてやる」
「あら怖い。昔から、竜が人間の女に入れ込むと、ろくなことをしませんものね」
「……」
「……失礼。世界中を敵に回して自ら滅ぶようなバカは、一匹で十分でしたわ」
「……」
「ちょっと。何か仰ったらいかが?」
「イブキたちが食堂に行くみたいだ」
ハイエルフの言葉を半分以上聞いていなかった俺は、四人が移動する気配を察して、半身を起こした。このために、腹が空いても我慢していたのだ。
「……盗み聞きをやめたら、少しは魔素の節約になるのではなくて?」
「……そういう節約もあったか……」
あまりにも日常になっていたものだから、盗み聞きにも魔素を使っていることを、すっかり忘れていた。試しにイブキの気配を探るのを、やめてみる。
「不安になる……」
食堂に向かっていることは間違いないが、急に居場所が不確定になっただけで、こうも落ち着かなくなるものか。
「病気ですわね?」
きっぱりと言い放つローズに言い返す言葉が見つからず、俺は舌打ちして校長室を後にした。
*****
次の休みの日、イブキは約束通りソフィアと城下に繰り出した。護衛を伴い家まで迎えに来たソフィアは、市中にある庶民的な家を見て驚いていた。とは言えソフィア自身も、貴族街に住んでいるわけではない。
「もちろん、貴族街に家を建てるくらいの財産はあるわよ。でも、貴族じゃないもの」
古くからの貴族と庶民出身の商人の間には、深い溝があるようだ。商人の誇りのようなものかもしれない。
「それに、お父様の仕事柄、城下住まいのほうが便利なの」
ふわふわとした布の多いブラウスとスカートに身を包んだソフィアは、そう話した。
「商人の家に興味があるなら、今度招待するわ」
「ホント? 楽しみにしてるね」
嬉しそうなイブキは、シンプルなシャツにフード付きの上着を羽織り、動きやすさ第一のハーフパンツと、ショートブーツだ。ひらひらまみれのソフィアと並んでいると、確かに細身の少年にしか見えない。
もう少し、可愛らしい服を買ってやるべきだろうか。しかし服屋に連れて行っても、本人が機能性を重視したシンプルな服ばかり選ぶのだ。そういう服が好みなら、無理に甘ったるくて動きにくそうな服を着せる必要もない。いや、布の多い服は高いから、遠慮している可能性もある。
十二年育ててきても、イブキの考えていることがわからないことはよくあった。魔法では、心を読むことはできない。それに、本当は嫌われていたりしたら、再度洞窟に引きこもるので、読めなくていい。
などと深刻に考えている間に、二人は大通り沿いの雑貨屋に入っていった。店頭に大きなくまのぬいぐるみなど飾ってあるので、大の男が一人では入りづらい。そもそも、小さい店なので入ればすぐに見つかる。仕方なく、外から声だけ聞くことにした。
「イブキくんって、あの二人とはお友達なのよね?」
「サイとラインのこと? うん、入学試験の日に知り合ったんだ」
「ふーん。……お付き合いしたりしているわけではないのよね?」
何だそれは。
「何それ」
イブキも驚いていた。人を待っている振りをして壁に寄りかかっていたら、眉をひそめてしまい、通行人が足早に避けた。
「だって、貴族なら許婚がいてもおかしくない年齢でしょう。在学中に結婚する人もいるのよ。どちらかとお付き合いしているのかと思っていたわ」
エテルメール王国では、男女ともに十六歳から結婚できる。魔術学校には十二歳から十八歳までが通っているので、上級生の中には、婚約や結婚をしている生徒もいるらしい。
「まさか」
イブキは笑って否定する。
ラインに至っては、ついこの前まで男だと勘違いしていたくらいだ。なお、ソフィアがイブキくんと呼ぶので、案の定他にも勘違いしている様子の生徒がいる。
「あ、でも、二人とも人気があるのは知ってるよ。ラインに渡してほしいって、他のクラスの子から手紙預かったことあるもん」
「シルバランスに取り入ろうなんて、とんだ勇者もいたものねえ」
イブキはもちろん、きちんとラインに手紙を届けた。が、ラインは笑顔で受け取った後、イブキのいないところで困ったようにため息をついていた。結局、手紙の中身を読んで呼び出しに応じた上で、丁重に断っていた。
「サイバーくんは……。さすがに、特攻するような子はいないでしょうね」
美しい容姿をしているので少女たちの間でも話題には上るものの、一歩間違えば不敬になる。加えて、表情が薄く冷ややかな印象を受けるため、近寄り難いようだ。
「イブキくんはどんな人が好み?」
「私? うーん、考えたことなかったなー。ソフィアは?」
イブキは、色恋沙汰に疎い。恋愛小説のようなものも好んで読んだりはしているが、ずっと山の中にいて、他人との付き合いがなかったのだから、無理もないか。
「……困っているところをスマートに助けてくれる、おとぎ話の王子様みたいな人がいいわね」
ソフィアは、何やら含みを持たせてそう答えた。
「へー。かっこいい人が見つかるといいね」
「……そうね。難しそうだわ」
年頃の少女特有の華やかな話題かと思っていたら、ソフィアは重いため息をついた。一人娘だという話だから、なかなか自分の思う恋愛はできないということだろうか。
「あっ」
ソフィアの話を聞いて何か考えていたイブキが、不意に声を上げた。
「好みっていうのかわからないけど、こういう人がいいなーっていうのは思いついたよ」
「どんな人?」
急にソフィアが色めき立つ。こいつはあれだ、自分より他人の色恋沙汰が大好きな人種だ。
「お父さんみたいな人」
なんと。急に名前を挙げられて、にわかに喜んでしまった。が、その直後、
「ディル先生? ……失礼だけど、顔が怖いわ」
「確かに、顔はちょっと怖いけど」
率直な感想を述べられてしまった。やはり怖いのか。すると、イブキは「でも」と前置きしてから、続けた。
「優しいし、私が困ってたら絶対助けてくれるし。魔法使ってるときはすごくかっこいいよ」
盗み聴きしているのが申し訳なくなってきた。きっと、口元が思い切りにやけている。顔を覆って、思わず壁に寄りかかって蹲ってしまった。通行人にまた避けられた。
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