11章:夏の終わり
11-1
女は、話した以上のことは知らないようだった。
「情報をくれた礼に、さっき思い出したことを、教えてやるよ」
俺は怪訝そうに眉をひそめる女の側に屈み、続けた。
「お前たちがあれだけ必死になって探していた隕石だけどな。……もう、湖の中にはないぞ」
「はあ?」
がばっと頭を上げて、目を見開いた。床に着けていた頬に、丸く赤い型が付いていた。
「隕石が落ちてすぐの頃、地上に突然開いた大穴を見物に来た竜――黒竜じゃないぞ、普通の竜だ。そいつが、綺麗な石ころだと思って拾って、自分の巣に持ち帰ったんだ。今どこにあるのかは、その竜しか知らん」
「う、嘘つけ!」
「嘘だと思うなら、そう思っていればいい。どうせ、これから調べることもないだろう」
自分のこれからの運命を再度思い出し、女はぐっと詰まった。
「……仮に本当だとして、なんであんたがそんなこと知ってるんだ」
「人に聞いたってことにしとこうか。人間に魔術を教えてる、変わり者のハイエルフ辺りだったら、信憑性があるか?」
本当は、ヴァルテッリが面白い素材を探して、俺のガラクタコレクションを漁っていた時に見つけたのだ。どこで手に入れたのか訊ねられたから答えたら、空から降ってきた石だと教えてくれた。某性悪ハイエルフは関係ないが、少しくらい隠れ蓑に使っても、問題あるまい。
女はまだ何か言いたそうだったが、望み通りもう一度眠らせてやった。次に目を覚ます時は、城の牢の中だ。
「先生、今の話本当かよ」
「ああ、多分な。……もっと早く思い出していれば、こんな大騒ぎにはならなかったかもしれない。すまん」
湖に隕石がないことが早々にわかって調査が中止されていれば、保安員も死なず、イブキが悲しむ顔も見ずに済んだのだ。こればかりは、自分の暢気な記憶力を恨んだ。
「いや、先生のせいじゃないし……。どうせ、言ったって誰も信じないだろ」
謝る俺が珍しかったのか、ラインがぎょっとして慌てて首を振った。
以前なら、少々の人死にで後悔することなどなかったのに。人間も竜も、変わるものだ。
*****
スモーラに戻った時には、空が白んでいた。皆疲れ果てていたが、別荘に残った使用人たちが心配しているだろう。それに、どうせ休むならふかふかのベッドで眠りたい。
一同は皆同じ気持ちで、朝日の昇る湖を船は走った。
その日の朝は、さすがにイブキも廊下で叫ぶことはしなかった。いつもより少し遅く起きて、静かな庭をニイナと俺に見守られながら走り、風呂で汗を流してから、一人で朝食を取っていた。俺が席に着くと、
「ティアーナさん、大丈夫かな」
レタスをフォークで突き刺しながら、浮かない顔でぽつりと言った。
「大丈夫だ。あいつも被害者だし、一通り片付いたら首都に戻れるように手配すると、ラインが言ってた」
一応同じ団体に所属していたティアーナは、保安員と共に詰め所に留まることになった。少し休んでから、事情を聞かれることになるらしい。
「そっか……」
思いの外重大な事件に発展してしまったものの、あの洞窟の向こうでの出来事は、表向きには観光客が起こした火事として処理されることになるそうだ。
これを機に、湖周辺の地形や放置された建物などの把握管理が進むかもしれないと、保安員が言っていた。
目に見えて落ち込んでいるイブキの気を紛らわそうと、俺は訊ねた。
「イブキ。洞窟に置いてた石のこと覚えてるか」
以前、何かおもちゃになるものがあればとイブキを洞窟のガラクタ置き場に連れて行った際に、例の隕石を掘り出していたことを思い出したのだ。
「ああ、あの綺麗な赤い石? 山の、私の部屋にあると思うよ。棚に飾ってたはず」
見た目が気に入ったとかで、家に持ち帰っていた。四、五歳の頃だったと思うが、まだ持っていたとは。イブキはすぐに勘づいた。
「もしかして……。あれ、隕石?」
使用人たちに聞こえないように、小声で訊ねた。頷くと、口を丸く開けて驚いていた。
「例の事件のせいで、すぐにでも首都に戻るよう通達が来るだろう。一旦ジェードに帰るぞ。いいか?」
夏はまだ終わっていない。石のことを確かめたいこともあるが、何より、魔素の薄い首都には、もうしばらく戻りたくなかった。
「いいよ。家の様子とか、気になってたから」
イブキは快く頷いた。
「じゃあ、今のうちにお風呂にいっぱい入っとこう。そうだ、買った水着も着てみなきゃ」
少し元気が出たようで、レタスに突き刺したまま止まっていたフォークで、更に三枚ほど貫いて頬張った。
*****
イブキが買った水着は、丈の短いキャミソールのような上部と、水に強い素材のショートパンツのセットだった。機能性を重視したようで、あまり色気のあるものでないことに安心したが、
「うーん、やっぱり毎日走ってるのが効いてるんだろうなあ」
形の良い健康的な脚を、中身は二十五歳の青年であることが発覚した少年が、浮き具に身を預けて漂いながら、感慨深そうに見ていた。
「おい」
「ちが、あの脚は見るだろ?!」
何が違うというのか。うちの娘の身体を不躾に品定めしやがって、この年齢詐称野郎。桟橋の上から睨みつけていたら、ラインの頬を何か光るものが高速で掠めていった。砂浜に刺さった氷の粒が、音もなく溶けた。
飛んできた先を見ると、サイが氷よりも冷ややかな目でラインを一瞥し、アヒルの子の形をした浮き具に掴まって、スーッと横切っていった。
「だから違うって!」
ラインの頬によく絆創膏が貼ってある理由が、わかった気がした。
「何? 私の話?」
水中に潜っていたイブキが顔を出した。帰る前に魚介を使った料理を覚えるのだと言って、先ほどからせっせと貝や魚を捕っている。釣りをするより潜ったほうが、効率が良いことに気付いてしまったらしい。
「あの……」
不意に、背後から遠慮がちな声がした。ニイナだった。
「失礼いたします……。その……ちょうど、今日は午後から休暇の予定で……。買って頂いたのだから、きちんと着て見せてくるようにと、メイド長に言われまして……」
目を泳がせながら、言い訳がましくぼそぼそと言うその姿は、
「うわー! ニイナさん、かわいい!」
例の、強引にラインが店員に選ばせた水着だった。白い三角の布を首の後ろで結びリボンにした上部と、同じく白で腰にレースの付いた下部。最後の抵抗なのか、飾り気のない上着を羽織っていたが、それが逆に水着の可愛らしさを引き立ててしまっている。セットで買うよう勧められた踵の高いサンダルが、すらりとした脚を更に長く見せていた。
「ライン? どうしたの?」
案の定、悪乗りして買わせた張本人は、ぽかんと口を開けて固まっていた。イブキに肩をつつかれて、はっと我に返る。
「ライン様……。ちゃんと、似合っていますか?」
ニイナが、恐る恐る訊ねた。少しでも肌を隠そうと腕を抱きしめているせいで、人間の女性としてはかなり大きい部類に入ると思われる、たわわな胸元が、窮屈そうに谷間を深めた。
「えっ、あ、うん。すっごい似合う! 良いと思う!」
ラインは慌てて下手くそな感想を述べた。
「恐縮でございます……」
ニイナは、背筋を伸ばして職務をこなす寡黙なメイドと同一人物だとは思えないほど、恥ずかしそうに身を縮こまらせる。
「ニイナさん、ニイナさん」
すかさず、何やら嬉しそうな顔のイブキが桟橋の下に寄ってきて、ニイナを呼んだ。
「はい」
呼ばれたニイナは、職務中ではないというのに忠実に返事をし、俺の隣に屈んでイブキを見下ろす。
「大丈夫、すっごく似合ってるよ。ラインね、ニイナさんが綺麗だからびっくりしてるんだよ」
「え……」
「ばっ! そういうのは言わなくていいんだよ!」
突然の裏切りに、ラインが派手な水しぶきを上げてイブキを追いかける。
「えー? なんでー?」
すっかり泳ぐのが上手くなったイブキは、器用に魔法も駆使して笑いながら逃げた。
「……もう、着替えてきてもよろしいでしょうか……」
顔を手で覆い、羞恥心と夏の日差しで茹だってしまいそうなニイナに、
「いいんじゃないか」
俺は適当に答えるしかなかった。
「ふふ」
一連の光景を見ていたサイが、浮き具に掴まって漂いながら小さく笑ったことに、遠くまで泳いでいった二人は気付かなかった。
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