8-3.
助けた女は、気を失ってはいるが命に別状はないということで、保安員の詰め所に併設された医務室に運び込まれた。
「診察の邪魔になる。あんまり近づくな」
「はぁい……」
医務室の外から、窓越しに覗き込もうとするイブキの首根っこを引っ張って剥がす。不要な心配を掛けまいと思って黙っていたが、いい加減、例の団体にあまり関わりたくないと、正直に伝えたほうがいいだろうか。
「まずは、人命救助にご協力頂き感謝いたします。恐縮ですが、報告書を作成するために二、三、お伺いします。まず、皆さんの身元をお訊ねしてもよろしいですか」
地元の警官と保安員が、それぞれに書類を持って椅子に座った。子供三人は、机を挟んだ対面の簡素なベンチに大人しく座り、俺は壁に寄りかかって腕を組んだ。
「王立の教師だ。こっちは、俺の娘とその友人二名。三人とも、王立の生徒だ。……貴族階級なのは気付いてるだろう。そちらに通報して、今外を警戒しているのは護衛の兵士。話しづらくなるから、名前は言わなくていいな?」
変にかしこまられると、口上ばかり長くなって話が進まない。保安員は苦笑いするが、そちらのほうが都合がいいことは確かなので、頷いた。
「お気遣い痛み入ります。しかし、王立の先生と学生さんでしたか。道理で、見事な魔術だと思いました。まさか、湖面を凍らせて足場にするとは」
大がかりな魔法を訝しんでいた保安員の態度が、王立の名を聞くなり軟化した。
「ええっと。レストランで食事をしながら湖を見ていたら、溺れているあの女性を見つけて、我々に通報すると同時に救助に向かった、ということでしたね」
「……そう」
「あの岩場の辺りは水流が複雑で、時々今日のように、流されたまま戻れなくなってしまう人がいるんですよ」
隕石湖と言っても、隕石が落ちてからの長い間に周囲の浸食が進み、スモーラは本来の丸い穴からはみ出た場所に位置している。そのため、足が付くような浅い場所もあれば、例の岩場のような足場の悪い場所もあった。
「あの女の人、怪我は……?」
イブキはさっきから、そればかり心配している。
「大丈夫ですよ。岩場で付いた細かい擦り傷はありますが、大きな怪我はしていませんし、骨にも異常はないそうです。容態は安定していますから、そろそろ目を覚ますんじゃないかと」
目を覚ましてから事情を聞く予定だということだった。イブキが、ほっと胸を撫で下ろした。
「あの女の服、ユクレスのホテルに宿泊してる団体の服だったんだ。『湖底調査機関』とかいう……。何か聞いてないか」
「ええ、ここ半月くらい、よく見かける集団ですね。湖の歴史とか、潜りやすい位置とか、我々にも細かく訊ねてきたので覚えています」
本当に湖を調査しているらしい。
「何のために?」
「さあ……。隕石が落ちてできた湖だということについて、随分念入りに調べていましたが。漁船を邪魔したり、観光客に迷惑を掛けている様子はないので、船の航行も許可していました」
「なるほど。団体の他の人間には、連絡は?」
「今、他の職員が団体に連絡を取っていますが、まだ連絡がついていないようです」
別々に行動していたのか、あるいは――わざと湖に突き落としたのか。考えてわかることではないが、俺は警戒を強めた。
「すみません。女性の意識が戻りましたが……。お話されますか?」
白衣を着た駐在医師が、医務室の扉を開けて声を掛けた。
「ああ、はい。皆さんは、どうされますか?」
保安員が立ち上がる。
「帰るか。……何だ。不満そうだな」
イブキが女の容態を気にしているのはわかるが、サイとラインも、帰るという案に乗り気ではないようだ。
「……情報をもう少し入れたほうが、いいと思う……」
「俺も。どうして溺れてたのかだけでも、聞いていかないか?」
溺れていた理由が、突き落とされたり置いて行かれたということであれば、それだけ攻撃的な団体ということになり、より警戒する必要がある。逆に、本人の過失による偶発的なものなら、警戒を緩めてのんびり町を観光してもいい。無闇に警戒するのは兵士を疲れさせるだけだという意見だった。
「……わかったよ。あんまり近づくな。覗くだけにしとけ」
「はーい」
俺が医務室に入り、子供たちは後ろから覗く。
「こちらは、貴方が溺れているのを最初に見つけて、救助してくれた方です」
濡れた服を着替えさせられ、簡素な前開きの病人服のようなものを着た女が、説明を受けて背筋を伸ばした。
「そうだったんですか! ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。ありがとうございます、助かりました」
まだ湿っている茶色のウェーブヘアをぶんぶんと振り、しきりに頭を下げる。
「まだ目が覚めたばっかりなんですから、あまり暴れないで」
「あっ、すみません」
案の定、めまいを起こしてうずくまった。随分ととぼけた女だ。
「まず、お名前を伺ってもよろしいですか」
「はい、ティアーナと申します」
ファミリーネームはない、平民階級だという。
「ティアーナさんですね。着ていた服から見るに、船の航行申請を出してある『湖底調査機関』という団体に所属しているかと思うのですが、間違いありませんか」
すると、ティアーナはみるみるうちにしょぼくれて、背中を丸めた。
「間違いありません。でも、今日限りでクビになってしまいました……。私があまりにも役立たずなばかりに……」
「クビ、ですか」
「はい……。泳ぐのも潜るのも下手で、その上、今日は資料を湖に落としてしまって」
目の端にじわりと涙を浮かべ、鼻をすすり上げた。保安員が、呆れた声で訊ねる。
「……落とした資料を拾おうとして、湖に入って流されて、溺れた?」
「……お恥ずかしながら……。船の上でクビを言い渡されて気が動転して、なんとか挽回しようと泳げないことも忘れて飛び込んだら、当たり前ですが足が付かず、あれよあれよとあの岩場に」
嘘は言っていないようだった。しかし、
「じゃあアンタの仲間は、アンタが溺れてるのに通報も救助要請もせずに、まだ湖を調べてるわけ?」
ラインがしゃしゃり出て、授業中のように挙手して発言した。そう。そこが腑に落ちなかった。
「おそらく……。仕方がありません、私の行方なんぞに時間を割いている暇があったら、調査を続けるでしょう。隊長はそういう方です」
随分殺伐とした団体だった。
「人命をおろそかにするような団体となると、航行許可を取り消さねばなりませんね」
「ええっ! 私のせいでそんなことになったら、ますます叱られてしまいます!」
「……もうクビになったんだから、関係ないんじゃない?」
冷静な突っ込みに、きょとんとサイの顔を見て、宙を見上げ、もう一度サイの顔に視線を戻して、
「……言われてみれば」
今気付きましたという真顔で頷いた。これが演技だったら、首都の劇団などに転職を考えたほうがいい。少なくとも、この女に危険性はなさそうだ。
「一応、病院で詳しく検査をしたほうがいいかと思いますが、どうされますか?」
「その……。ご心配頂いて恐縮なのですが、金銭的な事情がありまして……。仕事をクビになってしまいましたし、今後の身の振りも考えねばならず……」
湯水のように金があるのは、一部の貴族だけだ。ちなみに俺は、山に引きこもる前にクォーツやローズ、ヴァルテッリと共に趣味でやっていた害獣退治――獣と言っても、大半が魔物だが――で稼いで、使いどころがわからずクォーツに譲りかけた金品を、『いつか役に立つかもしれないから』と固辞されて貯め込んでいた。おかげでイブキに不自由させずに暮らせている。
「そうですか……。まあ、身体に異変があったら、すぐに診てもらってください」
保安員は、疲れた顔をしていた。
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