8-2.

 湖が見渡せるレストランで、昼食をとる。

 俺は湖で取れた貝のスープで茹でた魚介のスープパスタ。イブキとニイナは白身魚のムニエル。サイとラインは、幅の広い麺を使った海老のクリームパスタを注文した。

 使用人の身分で主と同じテーブルに同席することに、ニイナが酷く恐縮していたが、ラインがなんとか説得した。

 待っている間、『サイ女に間違えられすぎ問題』について、ラインが歴史を語った。

「生まれる前からだったらしいぞ。王宮付きの医者が産前に診断した時も女だって話だったから、王様なんかめちゃくちゃ浮かれて、まだ生まれてないのに三歳の祝いのドレスまで作らせてさ」

浮かれすぎだろう国王。

 なんでも、エーリカ王妃は貴族ではあるものの、あまり位の高い家柄ではなかったそうだ。しかし、容姿の美しさは国中の貴族の知るところで、なんとかして自分の妻にしようと画策する男も、少なくなかったとか。

 結局、王宮で開催された宴の席で、当時はまだ王子だった現国王に見初められ、周囲の反対を押し切り大恋愛の末に王妃となった、らしい。

「エーリカ様、なかなか子供ができなくてさ。王様も、周りにいい加減世継ぎをって急かされて、仕方なく側室を入れたんだ」

そんなに王妃を寵愛しておきながら何故側室が、と思っていたら、そういう事情だったのか。

「それで、ヨハン王子とフランツ王子が生まれて一安心ってなった所に、エーリカ様に御子が! しかも女の子! ってなったら、そりゃあ、浮かれるよなあ。……まあ、男だったんだけど」

当時作らせたドレスは、エーリカ王妃が大変お気に召して、王宮に飾らせているらしい。国王、それでいいのか。

「五歳くらいの時、どっかの貴族の息子が勘違いして、求婚してきたこともあったよな」

「あったっけ……」

すっかり記憶から焼却しているようだった。どこの貴族だか知らないが、あまりにも哀れだ。

「顔立ちがエーリカ様に似てるからなあ。それにあの頃、エーリカ様の趣味で『かろうじて男物』って程度の、なんかひらひらしたの着せられてたし」

あと何年かすれば骨格に違いも出るだろうが、サイは今のところ、イブキよりも線が細い。加えて、すれ違う人々が再度振り返って見とれるほどの整った顔立ちと、絹糸のごとき白銀の長髪。

「そういや、なんでサイは髪を伸ばしてるんだ」

イブキは髪が短いせいで、よく男に間違えられる。ならば、サイも髪が短ければ少しは間違われなくなるのではないだろうか。

「……家のしきたり……。豊かさと権力の象徴とか、なんか、どうでもいいことで……」

麺をフォークで器用に巻き取りながら、サイがぼやく。

「どうでもいいって言うなよ……。まあ、長男ならまだしも、三番目にまで強制しなくてもいいんじゃないかとは思うけど」

「じゃあ、お兄さんたちも髪が長いんだね」

「ああ。二人ともくせ毛だから、手入れが大変そうだよな」

 そういえば、クォーツも髪が長かった。ただしあいつの場合は、魔法の研究に没頭しすぎて、身だしなみやその他諸々をおろそかにしすぎた結果だった。

 ずぼらが過ぎて、髪を切れと言ったら丸刈りにする勢いだったので慌ててやめさせ、綺麗好きのローズが渋々、外出の予定がある時には風呂に突き落とし、甲斐甲斐しく髪を梳いて編んでやっていた。おかげで、大衆の前では小綺麗に見えていただけだ。

 ――まさか、後世で曲解されているのではあるまいな。やたらハッタリの上手い男だったから、ありえる。

 「お家のことがなくても、切ってほしくないなー。サイの髪、綺麗だもん」

「……そう?」

髪を伸ばすのは本意ではないようだが、褒められるのはまんざらでもなさそうだ。照れているのか、毛先をいじりながら視線を湖面に逸らした。


 と、逸らした先で何かに気付き、じっと一点を見つめる。

「どうした?」

ラインが、視線の先を追う。

「あの人。……溺れてない?」

「え? どこだよ」

「岩の手前……」

湖岸から突き出た、小島のようになった岩場を指差すサイ。

 岩にぶつかって弾ける波の間に、人影があった。泳いでいるにしては動きがおかしく、水着も着ていない。

「ホントだ、誰か溺れてる!」

「マジかよ……。あんなとこ、誰も助けに行けないだろ」

当たり前だが辺りに他の人影はなく、船で近づくには岩が邪魔だ。砂浜を監視している保安員に救助を要請するにしても、それから駆けつけるまでの間に流されるか、力尽きて沈んでしまいかねない。

「お父さん、どうしよう」

王子を連れている都合上、できれば目立つことはしたくない。いっそ見て見ぬふりをしておきたいくらいだが、イブキは、目の前で誰かが溺れているのを見過ごせるような性格ではない。見殺しにしたら、どんな理由があったとしても一生引きずるだろう。

 俺は舌打ちした。やっぱり面倒なことになった。ニイナに水着だけ買いに行かせるべきだったか。

「ギルベルト。保安員と警察に連絡して、人払いと周辺の警戒」

すぐ近くの席にいたギルベルトに指示を出す。

「はい」

同時に、客に紛れて店内で食事をしていた近衛兵たちが、慌ただしく立ち上がる。彼らが店員と客に事情を説明している間に、俺はテラス席へ向かい、湖面を覗き込んだ。

「……何するの?」

「こうするんだ」

大きく横に振った手に現れたのは、細長い棒状の氷。サイが得意とする氷柱クルスタロを更に大きくしたものだ。俺は氷柱を逆手に持ち替え、テラスの真下の湖に突き刺した。

 湖に刺さった氷を起点として、岩場まで一直線に、氷の道が出現する。

「……すっげー……」

ラインが、目の前に広がる光景に小さく声を漏らした。

「滑るぞ、気をつけろ」

氷の上に降りた俺の後ろから、当然のように子供たちも降りてくる。店に居ろと言っても聞かないだろう。ニイナは心配そうに、店のテラスから見ている。

 強い日差しですぐに溶け始めた氷の表面を、サイとイブキが器用に凍らせ直しながら歩く。氷の魔法は苦手だと言っていたラインは、二人の後を慎重に追ってきた。


 冬の氷上釣りのようにぽっかりと開いた丸い穴の中、その女は気絶して浮いていた。

「流されたり沈んだりしないように、加減したのか……」

氷に服の一部が巻き込まれて凍っているのを見たラインが、感心していた。

「お父さん、その人、生きてる?」

「ああ、大丈夫だ」

引き揚げて容態を確認する横で、イブキがそわそわと心配する。

「……ユクレスで見た……」

一番に気付いたのは、サイだった。

 そう、助けたくなかった理由はもう一つあった。――例の、湖底調査機関の黒い服を着ていたからだ。

「ホントだ。こんな所で、何してんだ?」

「一人なのかな。他の人たちはどこに行ったんだろ」

「さあな」


 五分ほど後、近衛兵からの連絡を受けた保安員が小型の魔導船で駆けつけ、岩場の影響を受けない位置で停まった。

 保安員に女を引き渡し、子供たちにも船に乗るように促す。

 夏の日差しの中に突如出現した氷の道を見て、日に焼けた保安員が説明が欲しそうにこちらに目を向けたが、無視する。

 最後に、残った氷の上に観光客が降りて湖に滑り落ちる二次被害が出ないよう、船に飛び乗るついでに蹴った足で氷を溶かした。ジュワッと水蒸気に変わる音がして、蒸し暑い風が沖に流れていった。ラインが歓声を上げた。

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