5章:やっぱり顔は怖い

5-1.

 月日が経つのは早いもので、気付けば五月も半ばに差し掛かっていた。

 俺の授業は『やり方を教えて課題を与えて、できるようになったら次』という形を取っているので、全員で行うのは、週に一、二度だ。

 他人と一緒にやることで、効率の良い練習方法を教え合ったり進度を競い合ったりして、より確実に魔法を覚えることができる。イブキにとっても、良い刺激になっているようだ。


 それ以外は、アリアが従来の魔法学と魔術についての授業を行っている。俺は教室の後ろの邪魔にならない位置で、授業を聞いているだけだ。

「魔法や魔術を発動させる際に消費される魔素というのは、生物の体内で生成されるものと、大気中に含まれるものの二種類があります。皆さんもご存じですね」

歌うようななめらかな説明に、男子生徒が数人、うっとりと聞き惚れている。内容は頭に入っているのだろうか。

「生物の体内で生成される魔素と、大気中の魔素には違いがあります。生物は原則として、自分の体内で生成した魔素しか、魔法に利用することができません。一方、魔物は自分の体内で魔素を生成することができない代わりに、大気中や他の生物の魔素を吸って、原動力にすることができます。生物と魔物の、一番大きな違いですね」

「じゃあ、魔物は魔素の薄い場所に行くと、死んでしまうのですか?」

ソフィアが心なしか生き生きとしている。

「貯め込む器官がありますから、すぐに死んでしまうことはありませんが、徐々に元気がなくなるそうです」

首都は山に比べると魔素が薄く、おかげで俺も、よく腹が減る。食物に含まれる魔素で補うために、たくさん食べる必要が出てきて、食費が嵩む。おかわりするとイブキが喜ぶので、不満は言わないが。

「大気中の魔素は、人間には関係ないってこと?」

今度は、ラインが手を挙げた。勉強は嫌いだと言っていたが、魔法学の授業は真剣に聞いている。

「いいえ、全く関係がないわけではありません。呼吸で取り込んだ魔素は、体内で生物由来の魔素に変換されることがわかっています。と言っても、人間の魔素生成器官はエルフやミゼットなど、他の人種に比べるとあまり発達しておらず、実際に吸い込んだ魔素の十分の一も取り込めないそうです」

「へー」

「でしたら、やっぱりあまり関係がないのでは?」

今度は、眼鏡を掛けた男子生徒が意見した。

「そんなことはありませんよ。例えば、皆さんの頭の上で光っている魔導灯ランプ。これは、魔物のように大気中の魔素を吸って、光に変換しています。それに、杖もそうです。本来は人間には使えない大気中の魔素を集約・変換して、魔術の威力を底上げしています」

なるほど、何故人間は、わざわざ魔具を使って魔法を発動させるのだろうかと思っていたら、そんな効果があったのか。――いや、イブキは杖を使わずとも、大気中の魔素も利用している気がするのだが。

「はい、サイバーくん。何でしょうか?」

考え込んでいると、いつの間にかサイがそっと挙手していた。

「……魔素の濃い場所に行けば、魔具の威力が上がる?」

すると、アリアは待ってましたと言わんばかりに笑顔になった。

「ええ、そういった実験結果も出ています。ただし、予め調整しておかないと壊れてしまう場合もあるそうですから、旅行先などで試す場合は気をつけてくださいね」

これは、実際にやったことがある。麓で買った魔導炉コンロを山で使おうとしたら、想定外に火が大きくなり、鍋を焦がした挙げ句に魔導炉が壊れた。原因は魔導炉に使われていた魔素集約機構が、大気中に魔素が多すぎたせいで供給過多を起こし、誤作動したせいだった。

「魔素の濃度が高い場所として有名なのは、ジェード山ですね。確か、イブキさんはジェードの出身ですよね。やっぱり、首都とは違いますか?」

「そうですね。首都にいるときは、山で使う時よりも強めで丁度いいっていうか……」

イブキが頷いた。首都に来た日は、魔法が使えなくなったと慌てていた。すぐに感覚を掴んで慣れたが、未だに朝寝ぼけている時などは、不発させたりする。ということはやっぱり、イブキは大気中の魔素も利用していることになる。

「先生。ジェード山のような魔素の濃い場所の空気を吸ったら、体内で変換される量も増えますか?」

再びソフィア。他の生徒に負けてたまるかと言わんばかりの、前のめりな挙手だった。

「実は、そうでもないんです。濃すぎる魔素は消化しきれずに、毒になってしまう場合があります。『魔素酔い』と言われますね。症状が軽い時は少し気分が悪くなったり、めまいがする程度ですが、重症になると嘔吐や幻覚などの症状が出たり、身体に障害が残る場合もあるそうです。山間部など特に濃い場所に行く場合には、事前に慣らす必要があります」

イブキは全くそんな様子を見せなかったが、言葉を発するようになるまでは、何故泣いているのかもわからなかったので、もしかするとそれが原因だったのかもしれない。

「これは余談なんですが、逆に首都では魔具の使い過ぎによる魔素不足が、度々問題になりますね」

かのクォーツ・エテルメールがこの地に町を作ったのは、大きな川の側だったことや、地質が農作物を育てることに向いていたからという人間らしい理由の他に、地下に霊脈が通っていて、魔素が潤沢だったからという理由もあったはずだ。ところが、人口が増えるにつれて、それでも補えないほどに魔素が不足する事態が起きていた。

「皆さんのお家にある魔具は、少ない魔素で動く最新式だと思いますが、普段から使っていない時は切るなどの習慣をつけておくと、魔素不足対策になるかもしれませんね」

最近では、夏場に空調魔具を使いすぎて、首都中の魔具が一斉に止まったこともあるらしい。

 それを聞いて、ふと心配になった。俺は夏になったら、魔素不足で死んでしまうのではないだろうか。巷では伝説に尾ひれが付きまくり、無敵の世界最強種などともてはやされるが、竜の天敵は今も昔も人間だ。間違いない。


*****


 授業が終わり、仕事部屋までの道のりをアリアと並んで歩いていると、不意にアリアが深刻そうな顔で訊ねた。

「ディル先生、私、何か間違ったことを言っていなかったでしょうか」

「いや、特には……」

人間の身体と魔素の関わりや、長年の研究の成果など、なかなか有意義で面白い話が聞けた。

「本当ですか? 授業中、ディル先生が怖い顔をしていらしたから、私、気が気じゃなくって」

「……」

おそらくそれは、考え込んでいただけだ。最後の小話などは命に関わるので、どう対策をするべきか、かなり真剣に悩んでいた。

「……俺の顔が怖いのは元からだ。あと、眉間に皺が寄るのもただの癖だ」

すると、淡い水色の目を潤ませていたアリアが、口を丸く開けて俺を見上げた。みるみるうちに顔が赤くなっていく。

「すみません。私、失礼なことを」

「気にするな。……慣れてくれるとありがたい」

「はい……」

アリアは、自分の仕事部屋に戻る前に何度も頭を下げて去って行った。

「……そんなに怖いか?」

人間の顔の美醜はわからないので、適当に作った外見だ。イブキに泣かれた時点で、もう少し整えておくべきだっただろうか。かといって、この顔で生徒たちに認知されてしまった以上、作り直すわけにもいかない。まったく、人間というのは面倒くさい。

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