4-3.
翌朝、ラインは教室に入ってイブキの姿を見つけるなり、平謝りしていた。
「昨日は本当にごめん。案内も中途半端になった上、めちゃくちゃ失礼なこと言って。兄ちゃんたちからも、レディは丁重に扱えって言われてんのに」
ものすごく落ち込んでいた。
「気にしないで。校長先生にも間違われたもん。私が紛らわしいんだよ」
貴族の中には、『女性は男性を立てて淑やかにあれ』という教えがあるらしい。身分も、男性よりも家督の継承順位が低い。男の世継ぎが生まれず女性当主となった例はあるが、出世するには自分の家よりも暗いの高い家から婿養子を貰うくらいしか方法がないのが現状だ。
そのためか、制服も機能性よりも装飾性を重視したスカートを着用している者が大半で、そういう意味でもイブキは珍しい。
「それに、私もサイのこと、始めは女の子だと思ってたし。ごめんね」
イブキの突然の懺悔に、しょげていたラインが吹き出した。
「サイは仕方ないよな。喋らないとただの美少女だもんな」
主君にここまではっきりものを言う家臣は、国内でもラインだけではないだろうか。
「……それ、褒めてる?」
サイはおろか大人たちも咎めないところを見ると、そうするように言われているのかもしれないが。
「イブキが男だったら、サイの近衛隊にスカウトするつもりだったんだけどなあ」
「そうなの? 残念だなー」
なんと、就職先まで斡旋してくれる予定だったらしい。――もしや、筆記試験の二番の受験票を見た時、それを目当てにイブキに近づいたのか。この男、したたかにも程がある。
「……女でも、良くない?」
サイも、イブキを気に入っているようだった。
「時代的にはそうだけど。いろいろ大人の事情があるんだよ」
戦後、国内で女性の社会進出が叫ばれ、ローズやアリアのように要職に就く女性も増えてきたという。
「軍でも、女性の採用率は上がってるよ。けど、体格とか筋力にはどうしても差が出るだろ。それに、野営やら着替えやらを男女で同じにするわけにもいかないし……、いろいろと、都合がつかないんだよ」
シルバランスは王家の護衛の役目を仰せつかっているだけあって、軍事に長けた家柄のようだ。
「へえー、ライン、難しいこと知ってるんだね」
「知りたくてしったわけじゃないけどな。シルバランスに生まれると、嫌でも叩き込まれる」
心底面倒くさそうに、ため息をついた。
盛り上がっている三人に、ソフィアが近寄ってくる気配があった。
「王子。ご歓談中に、失礼します。少し、ブランシェルさんとお話ししたいのですが」
先日の気の強さはどこへやら、今日は随分としおらしい。
「何だよ。ここで言えない話?」
魔法学の授業での確執もあり、ラインが警戒する様子を見せた。
「いえ、この場でも構いません。……ブランシェルさん、昨日、引ったくりを捕まえたでしょう」
少し声を落として、ぼそぼそと話すソフィア。
「うん、それが?」
もう噂になっているのか。何か問題があっただろうかと、先を促すイブキ。
「手提げを取られたの、うちの使用人だったの」
「えっ!」
イブキがうっかり声を上げてしまい、慌てて口を塞ぐ。他の二人が驚いていないのは、事前に情報が入っていたからだろう。
「それで、捕まえてくれてありがとうって、お礼を言いたくて。……私がお使いに行かせたところだったから」
「そうだったんだ」
「あれ? でもあの人、ワッフル屋の前で――。あっ」
イブキの性別以外には察しの良い男が、何かに気付いた。
「そうよ。悪い?」
身なりの良い使用人が護衛もつけずに歩いていると思ったら、お嬢様のわがままでこっそり間食の買い出しに行かされていたらしい。どこも子守は大変そうだ。うちのイブキの、なんと物わかりのいいことか。
「シルバランスくんも。お家の護衛を割いて、うちの使用人を家まで送り届けてくれたことと、お父様に報告せずにいてくれたこと、本当にありがとう」
「そんなことだろうと思って、事情次第で適当にごまかせって言っておいた」
何しろ、奴は脱走と買い食いのプロだ。城下の食べ物の魅力に抗えない心には寛大だった。
「……」
事の顛末を聞いていたサイが、何か考えていた。
「サイ、どうした?」
「……何かしてもらおう」
「えっ?」
突然の王子の提案に、ソフィアはたじろいだ。
「貴族に貸し作るの、嫌でしょ」
「それはそう、ですが」
バイオレット家は、貴族ではない。貿易で財を成した、いわゆる成り上がり商人の家柄だ。商人には、貴族に反感を持っている者が少なくない。そういう環境で育っているから、ソフィア自身、助けられたことにずっと負い目を感じ続けるだろう。見抜かれたことに驚いたのか、たどたどしく頷いた。
「何かって、何だよ」
ラインが訊ねる。いくら反感を持っていたとしても、国民である以上、王家の命令は絶対だ。ソフィアも、何をさせられるのだろうかと警戒心を滲ませている。
「……考える」
今から考えるらしい。怯えるソフィアを前に、三人はうーん、と唸り始めた。
しばし考えていたイブキが、あっ、と小さく声を上げた。
「そうだ、名前で呼んでよ。ファミリーネームで呼ばれるの、慣れてなくて」
何しろ、ハイエルフに適当に名付けられてから一ヶ月も経っていない。俺も慣れていない。すると、
「それ、いいな。俺もラインでいい」
ラインが賛同した。
「俺もそれでいい……」
続けてサイも。
「王子まで!?」
「違う。サイバー」
決定したらしい。こういう時のサイは頑固だ。
「じゃあ……。イブキくん?」
「えっ」
ラインが聞き返した。
「何? 私、何か間違えたかしら」
まさかソフィア、お前も節穴か。
「……イブキは女の子だよ」
サイが昨日に引き続き訂正した。イブキ本人は、立て続けの勘違いに苦笑いしている。
「ええっ!? ……ごめんなさい」
聞き覚えのあるやりとりだった。
「いつも二人と一緒にいるから、てっきり……」
ショックからか徐々に声が尻すぼみになった後、わざとらしく咳払いをして気を取り直した。
「それじゃ、イブキさん。ラインくん。サイバーくん。……これでいい?」
「うん、それでいい。……この分だと、他にも勘違いしてる奴がいそうだな……」
ラインの心配をよそに、イブキは笑う。
「私はどっちでもいいよ」
ファミリーネームすらただの言葉遊びだ。敬称にこだわるイブキではない。
「そう? じゃあ、イブキくんって呼んでもいいかしら。そのほうがしっくり来るのよね」
「ニックネームだね! 嬉しい」
イブキが喜んでいるのでもう何でもいい。周囲の勘違いが加速しないことを祈るだけだった。
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