4-2.
悲鳴と同時に、子どもたちの様子を窺っていた男たちが走り出し、三人を庇うように取り囲む。
「何……?」
「引ったくり、のようです」
逞しい体格の男が、苦々しげにサイの問いに答えた。確かに、買い物をしていた使用人風の女の手提げを、若い男が奪って逃げたのが見えた。
「捕まえなきゃ!」
「イブキ!?」
イブキは近衛兵たちの間をするりと抜け、男が逃げた方角へと走り出した。指を鳴らして地面を蹴り、ふわりと屋根まで飛び上がる。
「マジかよ……」
「おい」
頭上を身軽に駆けていったイブキを呆けて見ている一同に、俺は渋々話しかけた。
「わっ、ディル先生!? 何してんの、こんなとこで」
「……過保護?」
サイに、跡をつけていたことを瞬時に見抜かれた。とりあえず無視する。
「あの女、どっかの金持ちの使用人だろう。保護してやれ」
腰を抜かして泣きそうな顔をしている被害者の女を親指で差す。王子とその家臣に指図する俺に、近衛兵たちが警戒心をむき出しにする。が、
「話しただろ、例の新しい先生だ。言う通りにしろ」
自分よりも一回りは歳の多そうな男たちに、ラインが指示を出す。一番若い兵士が女性に近づき、声を掛けた。
「……イブキ、大丈夫かな」
サイは、引ったくりが走って行った道の先を見た。
「あの程度なら心配ない」
男の走り方を見るに、大した相手ではない。
「――捕まえたみたいだ。行くか?」
案の定、すぐにイブキの魔法が男に直撃した気配がした。
「うん」
感情が顔に出ない王子は、俺の顔を見上げて小さく頷いた。
「いけません、王子。危険です」
「先生が、大丈夫だって。……行こう」
いつもラインに流されているように見えたが、思いのほか強情だ。
俺に付いてさっさと歩き出すサイの後ろを、渋々ラインと兵士たちが付いてきた。
イブキの居場所は、探さずともすぐにわかった。人垣ができていたからだ。
サイは更に深くフードを被り、兵士たちは警戒を強めた。
「イブキ」
地面に転がっている引ったくりから手提げを取り戻し、身じろぎ一つしない男の顔を覗き込んでいたイブキが、名前を呼ばれて反射的に顔を上げた。そして、
「あれ、なんでお父さんがいるの?」
家にいるはずの俺がこの場にいることに、首を傾げた。まさかずっと跡をつけていたと言うワケにもいかず、どう誤魔化そうかと逡巡していると、
「俺が呼んだ」
サイがぼそりと答えた。突然のフォローに驚いて見下ろすと、いつもと変わらぬ眠そうな顔で、在りし日の友と同じ青い目が見上げていた。その視線は、すぐにイブキに移る。
「……イブキ、怪我は?」
「私はなんともないよ。けど……この人、大丈夫かな。ちょっと強めに殴っちゃった」
脇に屈んで頬を軽く叩いても、男は起きない。ラインは驚きを通り越して呆れていた。
「殴っちゃったって……」
イブキの「殴っちゃった」は、体重を乗せて思い切り振りかぶった握りこぶしから、圧縮した空気を打ち込む強めのパンチだ。調子が良いときの全力は岩をも砕く。イブキは風の魔法が得意だ。
「ちゃんと加減できてる。大丈夫だ」
一応、引ったくりの心音は正しく聞こえていた。顔が大きく腫れているので、頬か鼻の辺りの骨が折れているかもしれないが、その程度は自業自得だ。
「そう? よかった」
ホッと胸を撫で下ろすイブキ。
「よかったのか? よかったで済ませていいのか?」
ラインは腕組みし、難しい顔をしていた。
*****
サイとラインを護衛していた兵士たちから、到着した警官に引ったくりが引き渡された。ついでに、一番年長と思しき兵士が、警官に何事か耳打ちする。
すると、本来なら事情聴取に付き合わねばならないはずのところを、簡単な質問のみで解放された。他に聞きたいことがあったら、後日また連絡するとのことだ。
ようやく目を覚ました引ったくり犯と警官を見送り、
「じゃ、気を取り直して今度こそ時計台広場に――」
インが元気に踵を返したところで、
「いけません。今日はもうお戻りください」
恐らく近衛隊の隊長なのだろう。先ほど警官と交渉していた年長の兵士が、ぴしゃりと興を削いだ。
「えーっ、いいだろ、犯人は捕まったんだし」
「いいえ。お二人は城を抜け出しているんですよ。お忘れですか」
「ギルベルトは堅すぎ。いつもの茶番だろ?」
年長の兵士はギルベルトというらしい。
二人のやりとりから、俺は王子が出歩いていいのかという疑問の答えを知った。
外に出るなと言ってもどうせ出る。厳しく制限しすぎて、持ち前の魔術の才能を駆使して本気で撒かれるよりは、目の届く範囲で程々に息抜きをさせてやったほうがマシ。
そして賢い子どもたちも、大人の考えを見抜いて跡をつけることを容認している。そんな、苦労の滲む――もとい、柔軟な方針をとっているわけだ。
「我々もあまり厳しく言いたくはありませんが、少しでも危険なことがあったなら、直ちに帰還して報告すべきです。王子の護衛が、すすんで王子を危険に晒してどうするんです」
「それはまあ、そうだけどさあ……」
自分の任務のことを言われると反論はできないようで、ラインは悔しそうに口を尖らせた。
「なんか、二人に無理させちゃってごめんね」
イブキが申し訳なさそうに謝る。しかし、ラインは首を振った。
「イブキのせいじゃないよ。俺たちがやりたくてやったんだ」
サイも頷く。イブキとの約束がなくても、抜け出す予定だったのだろう。
「それより、イブキのジャンプすごかったなあ! 次の脱走に使うから、教えてくれよ」
「ライン様!」
近衛兵の気苦労は絶えなさそうだ。
「ご学友のお嬢様には申し訳ございませんが、本日はこれで解散ということで、よろしいでしょうか。後日、改めてお詫びさせていただきます」
片膝を立て、イブキの背丈に合わせて屈んだ。騎士階級が目上の者に見せる敬礼だ。
「お詫びなんていりません! 二人と遊べて、楽しかったです」
恐縮するイブキとギルベルトの会話を聞いていたラインが、不意に「ん?」と首を傾げた。
「お嬢様?」
それを聞いて、周囲の視線がラインに集まる。まさかライン、お前。
「……イブキは、女の子だよ。……気付いてなかったの?」
代表して答えたのは、サイだった。
「マジで!?」
ラインが未だかつてないくらいに目を見開いた。
「言ってなかったっけ」
「聞いてない!!!」
言わずともわかるだろう。節穴はここにもあった。聡い男だと思っていたのに、なんということだ。
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