3-5.

 子どもの飲み込みの早さと柔軟な頭には、いつも驚かされる。

 少々歪ではあるが、授業中にサイとラインが、細いナイフの形を作れるようになった。

 他の生徒も、休み時間ごとにちらほらと見せに来た。これなら、成績優秀者が集まる一組は、一週間もすれば皆習得するのではないだろうか。


 などと感心していたら帰り際にローズに呼び出された。

「いくら指導の一環でも、生徒にナイフを突きつけるのはやり過ぎですわ。次は庇いきれません。よろしくて?」

 よその家の愛娘をナイフで脅した件について、おそらくは一連の流れを見ていた一組の生徒か、その保護者辺りから密告があったのだろう。

「申し訳ありません……」

 授業を監督する立場にあったアリアも呼び出されていた。肩を小さくして頭を下げるアリアの隣で、

「面倒くせえな、人間」

俺は舌打ちした。明らかに害意のない戯れも許されないとは、窮屈極まりない。

「返事は」

 碧の半眼で睨み付けられ、俺はため息をついた。

「わかったよ。なるべく穏便にやってやる」

「素直にはいと言わないところが不安ですが、まあ、いいでしょう。授業の評判自体は、悪くありませんでしたから。……他のクラスの生徒から、自分たちも受けたいと不満が上がっているくらいには」

俺が担当するのは、ひとまず一年の一組と二組だけ、らしい。六学年全ての魔法学教師を総括しているアリアや、三組から五組を担当する男の教師に比べれば、随分と楽な仕事だ。


 塔を出たところで、アリアが頭を下げた。

「すみません。私が不甲斐ないばかりに」

「なんであんたが謝るんだ。やったのは俺だ。ローズも、あんたを咎めなかっただろう」

「いえ、私が生徒の興味を引く授業ができれば、ディル先生のお手を煩わせることもなかったわけですから……」

 アリアは俯き、暗い顔をしていた。どうやら、ローズと対等に話し、客員教授扱いの俺を、どこかの偉い学者か何かだと結論づけたらしい。都合がいいので勘違いさせておく。

「あのソフィアは、あんたの授業を受けたかったみたいだった。そういう生徒もいるんだ。あんまり自分を卑下するもんじゃない」

 界隈では、アリアもそれなりの知名度があるはずだ。ソフィア以外にも、アリアの授業が目当てで入学した者がいるに違いない。

「そう言って頂けると、少し気が晴れます。……正直、私も生徒として、ディル先生の授業を受けたいです」

「参加すればいい。俺もあんたの授業に興味がある」

俺はイブキに実践的なことばかり教えたが、イブキはもっと、魔法を知りたがっている。この若い教師はきっと、イブキが知りたいことの答えを持っている。

「まあ、これからも迷惑はかけるだろうが、解雇されるまでよろしく頼む」

「もう! そんなこと仰らないでください。こちらこそ、よろしくお願いします」

 まだ仕事があるので自分の教員室に戻るというアリアを見送り、空を見上げると、日が傾いていた。

 まさか、人間の子どもに囲まれて先生なんて呼ばれる日が来るとは。長く生きていても、経験していないことは案外たくさんあるものだ。


*****


 玄関ドアの開く音を聞きつけ、イブキが家の奥から走って来た。

「おかえり!」

「ただいま」

俺たちが首都で拠点にしている家は、学校からほど近い住宅街の中古物件だ。魔具屋の口利きで安く譲ってもらった。

「ご飯できてるよ。今日はねえ、鳥肉のステーキ!」

 ローズには、貴族街にもっと大きくて見栄えの良い家を買えと憤慨された。だが、必要以上のものを持っても持て余すだけだ。山の家にも帰ろうと思えば帰れるので、大きな家は必要ない。治安も、極端に悪くなければ自衛すればいい。


 テーブルの向かいに座り、自分で作った料理を食べ始めたイブキを眺め、俺は訊ねた。

「学校、楽しかったか」

 と、頬張ったものを慌てて飲み込んでから、イブキは大きく頷いた。

「うん! 広いから施設の場所を覚えるのは大変そうだけど、ラインとサイがいろいろ教えてくれるから大丈夫」

イブキにとって、ラインとサイは生まれて初めてできた友達だ。片や魔具屋の孫、片や知り合いの末裔で一国の王子。この上なく身分もはっきりしていて、安心だ。

「今度の休みにね、ラインが街の案内してくれるんだって。サイも一緒!」

 早速遊ぶ約束まで取り付けて、我が娘ながら逞しい。しかし、一つ気になることがあった。

「王子が、そんなに簡単に城下を歩けるのか」

サイは王位継承権の低い第三王子で、学校でも他の生徒と同じように接するよう通達があっている。だからと言って、普段の生活まで一般市民と全く同じように振る舞えるわけではあるまい。

「よくわかんないけど……。時々遊びに行くって言ってたから、大丈夫なんじゃない?」

 人間社会に疎いイブキは、何か問題があるのだろうかと首を傾げるだけだ。

 ただでさえ貴族というのは、血統や伝統や、いわゆる『貴族らしい振る舞い』というものを重視すると聞いた。それとも、俺が引きこもっている間に寛容になったのだろうか。校内の様子を見る限り、そうは思えなかったが。

「まあ、本人たちが大丈夫だって言うなら、いいか……」

 何にせよ、王子とその臣下が真っ先にイブキと仲良くしてくれたのは、僥倖だ。

「お父さんは? 学校、楽しかった?」

 働く者に楽しかったかどうかを訊ねるのは少し違う気もするが、本来働く必要がないのだから、人間のふりをするごっこ遊びのようなものか。

「そうだな……。思っていたよりは面白かった。一組は特に見所がある」

サイとラインは頭一つ抜けているが、他の生徒も伸び代が感じられる。

「よかった。私のせいで無理させてるんじゃないかと思って、心配してたんだよ」

 ローズに無理矢理押しつけられた教職と肩書きだ。自分が学校に行きたいと言ったばかりに、俺が嫌々やらされているのではと思っていたらしい。

「そういう心配はしなくていい。嫌になったら、いつでも辞めてやる」

「それは困るなー。みんな、ディル先生の授業面白かったって言ってたから」

 ローズが言っていた通り、うまいこと興味を持たせられたらしい。

「……まあ、まだ一日目だからな。少し慣れて、被ってる猫が逃げてからが勝負だ」

「猫?」

 口の端を上げた俺を見て、イブキは怪訝な顔をしていた。

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