2章:ローズ・アプリコット魔術学校
2-1.
店主はカウンターから出てきて、イブキと俺を、しげしげと見た。
「指一本で魔法を発動できる上、アンドラ文字も読めると」
イブキが手に取った本は、隣国の古代文字で書かれた書物だった。彼女の好奇心の妨げにならないよう、俺が知っている言語は全て教えたので、そのうちの一つだ。
「お二方、少々お待ちいただけますか。……テオドールさん、ちょっと」
「はい」
店主は、俺たちにカウンターの椅子を勧めると、卸業者の男と共に店の奥に消えた。
「今のうちに帰るか」
「待ってみようよ」
面倒事が起きる前に退散しようとしたが、イブキに引き留められた。
戻ってきた店主から渡されたのは、赤黒い封蝋で閉じられた手紙だった。
中身は『ローズ・アプリコット王立魔術学校』という仰々しい名前の学校へ、イブキの入学を推薦する内容だという。
「魔法について学びたいことがあるなら、その手紙を学校へ持っていってみてください。悪いようにはされないと思います」
「私も連名にしておきました!」
業者の男も、誇らしげに胸を張った。こいつもおそらく、道楽貴族なのだろう。
とりあえず手紙を受け取った俺は、イブキに訊ねた。
「興味あるか、学校」
自分と同じくらいの年頃の子どもが、様々なことを学ぶために通う場所があるというのは、イブキも知っている。
目をうろうろと泳がせてから、イブキは小さく頷いた。
「……ある」
返事を聞いて、俺は悟った。
山に閉じ込めている間止まっていたイブキの運命が、とうとう動き出したのだ。
ここから先は、彼女が自分の意思と足で歩んで行かねばならない。
俺にできることは、彼女の人生に悔いや悲しみが残らぬよう、支えることだけだ。
*****
善は急げという言葉がある。
家に帰るとすぐに荷物をまとめさせ、山を出る準備をした。
姿を見られない夜のうちに、紹介された魔術学校がある人間の国、エテルメール王国の首都へ飛んだ。
適当な宿を取って一日休んでから、首都の郊外にある学校の門を叩いた。
魔具屋から受け取った推薦状の効果は絶大だった。
何の連絡も入れずに突然行ったにも関わらず、守衛に封蝋の紋章を見せるだけでホイホイと敷地内へ招かれて、学校長と面会する羽目になった。
「また貴方とお話しする機会があるとは思いませんでしたわ。『
金色の髪を太い三つ編みのお下げにし、銀縁の眼鏡を掛けた性格のきつそうな女は、紅茶を一口傾けると、ため息をついた。
イブキは、つんと尖った長い耳を、興味深そうに見ていた。
俺はフンと鼻を鳴らす。
「まったくだ。エルフってのは無駄に長生きだな、『
人間なら二十歳半ばほどにしか見えない女は、形の良い唇を歪め、カッと犬歯を剥いた。
本人が言ったとおり、彼女は
「高かろうが低かろうが、エルフに違いねえだろうが」
「これだから竜種は……。ああ、ごめんなさいね。気にせずにお菓子でも召し上がって。首都で一番美味しいお店のスコーンですわ」
碧の目で俺を睨み付けた後、怯える様子を見せたイブキに、ローズは笑顔で茶菓子を勧めた。俺に向ける表情とは百八十度違う、はちみつのような顔だ。
「ありがとうございます」
遠慮がちにスコーンをかじり、会話の撃ち合いが途切れたところで、イブキは俺を見上げる。
「お父さん、校長先生と知り合いなの?」
それを聞いて、ローズが紅茶を吹き出して咽せた。
「けほっ、けほっ! お父さん!? この朴念仁のスットコドラゴンが!?」
「お前こそ、人間に校長先生なんて呼ばせてるズッコケハイエルフのくせに」
堪えきれずに笑い出したハイエルフを睨み付けると、涙を浮かべてひいひいと息を吸った。
「はあ、失礼。事情は大体察しがつきました。イブキさんの質問に答えましょう」
ローズは数秒前の大笑いが嘘のように、優雅に碧眼を細めた。
「仰る通り、わたくしとこの竜は、旧知ですわ。こうして再開したことを思うと、因縁と言ってもいいでしょう。手紙に記された名前に心当たりがあったからこそ、この竜は貴方をここに連れてきた。そうですわね?」
図星を突かれて、俺は視線を逸らす。魔具屋の店主が提案した学校がこの女の名前を冠していなければ、推薦状を突き返していた。
「この竜とあのご隠居の推薦とあらば、イブキさんの実力は間違いないのでしょう。優秀な人材は歓迎いたします。……ですが、困りましたわね」
「何か?」
「……今年の受験者の願書受付は、先週で終わっていますのよ。わたくしの権限でねじ込むことは可能ですが――」
な予感がした。
「竜に恩を売るなんて経験、これっきりでしょうし。せっかくですから、何かしていただきましょうか」
「何かって、何だ」
「入学試験が終わるまでに、考えておきますわ。それまで、ゆっくりしていらして」
このハイエルフが俺に向けてンフフと無駄に艶っぽく笑うときは、大概ろくなことを考えていない。
イブキの将来を人質に取られた俺は、自分のせいで俺がひどい目に遭うのではないかと不安そうに見上げるイブキの頭を、ぐしゃぐしゃと撫でてやることしかできなかった。
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