1-3.

 店の中は薄暗く、実演も兼ねた魔導灯が怪しく光っていた。壁一面に並べられた商品が、赤みがかった光を反射して揺らめく。

「わあ……」

 厳かな空気を感じ取って、イブキが控えめな歓声を漏らした。

「いらっしゃいませ」

 カウンターで他の客の対応をしていた店主が、同じく魔導灯に眼鏡を反射させながら、こちらを一瞥して会釈した。

 白髪を撫でつけ、すっと伸びた背筋から品が感じられる初老の男。

 客のほうも振り返り、同じように軽く頭を下げた。

 金髪は、この辺りには珍しい。動きやすさを重視したコートと頑丈そうなブーツは、旅に慣れた人間の装いだった。

「何かお探しですか?」

愛想良く微笑む店主に、俺はイブキを指差して訊ねる。

「少し、見せてもらっても?」

「こんにちは……」

 注目されて、イブキが慌てて頭を下げた。店主は目を細めて頷いた。

「どうぞ。気になるものがあったら、お手に取ってみてください」

「ありがとうございます」

 快く許可してくれた店主に礼を言い、早速きょろきょろと物色し始めるイブキ。

 棚にはアクセサリーや置物の形の補助具、壁には杖や武器。

 更には店主の後ろに並んでいる薬瓶などを眺め、イブキは今日一番の食いつきを見せていた。


「これ、なんだろ」

 手に取ったのは、ガラスの小瓶に入った液体だった。普通に棚に並べられているところを見ると、危険な薬品ではないようだが、と中身を揺らす。正体のわからない液体は嗅ぐなと教えているので、とりあえず観察してみるだけだ。

「それは、魔物除けの香水だよ」

 客の男が声を掛けた。店主が差し出した書類にサインをしていたところから察するに、どうやら魔具の卸業者らしい。

「魔物除け、ですか?」

「魔物が嫌う薬草から作られていてね。弱い魔物なら、その匂いを嗅ぐだけで寄ってこなくなるんだ」

「へえ……」

 何の変哲もない小瓶をしげしげと眺めた。同じものが大小、棚にいくつも並んでいるところを見ると、山に入る人間には必携の道具なのだろう。

「この辺りには、その香水が効かないような強い魔物は出ませんから」

「どうしてですか?」

「さあ……。霊峰のどこかに棲んでいる竜のおかげだとか」

 おとぎ話ですけどね、と店主は笑い、

「そうなんだ!」

 イブキは嬉しそうに俺の顔を見た。そんな目で見られても、俺は何もしていない。

「嗅いでみるかい。僕の私物だけど」

 そう言って、卸業者の男は荷物の中から封の開いた小瓶を取り出した。栓を抜いてイブキに差し出す。恐る恐る鼻を近づけ、匂いを嗅いだ。

「……いいにおいだけど……」

 嫌うような匂いではないが、と不思議そうに首を傾げるイブキの後ろで、

「えっくしっ」

俺はうっかりくしゃみをしてしまった。

「……悪い」

 すみません、日に当たると劣化する魔具もあるので、あまり換気をしていなくて。埃っぽいでしょう」

「大丈夫?」

「ああ」

 埃のせいではない。香水だ。栓が開いた瞬間に、鼻の奥がむずがゆくなった。これは確かに、近寄りたくない。遮断する術を持たない魔物はまず寄ってこないだろう。

風精霊シルフには効かなそうだな」

 鼻をこすりながらぼそりと呟く。奴らなら、香水の成分を自分に寄せ付けなくすることができる。

「よくわかりましたね。水精霊オンディーヌにも効果は薄いです。洗い流されてしまうので」

 上級精霊ですから滅多に遭いませんけどね、と業者の男は付け加えた。


 香水を男に返し物色を再開したイブキが、棚の上のほうを見上げて声を上げた。

「お父さん、本がある! すみません、あれも見ていいですか?」

 幼少の頃から本を与えていたせいか、イブキは本が好きだ。

「構いませんが……」

 棚の上の本は、かなりの年代物だった。手入れが行き届いているため埃は被っていないが、日に焼け、角はすり切れている。

「輸入した古い本ですから、面白いものではないかと」

 許可を得るなり、イブキは到底届かない高さにある本に向かって、パチンと指を鳴らした。

「『日常使いの魔法』。魔導書なんだ。お父さん、これ――」

 空中に現れた白い光の球を灯りにしてタイトルを読み上げ、俺に何か言おうとしたところで、自分に集まる視線に気付いた。

「どうしたんですか? どうしたの?」

 前半は、ぽかんと口を開けて固まっている二人に。後半は、眉間の皺を伸ばしながら渋い顔をしている俺に。


 ――そういえば、人間が使う魔術と、竜が使う魔法の違いを教えることを、すっかり忘れていた。

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