13 記憶の旅・司藤アイ編
ブラダマンテこと
「月」は過去の精神世界。思い出したくなかった彼女の現実世界の記憶が蘇るのだった。
**********
小学校を卒業し、地元の中学に入学して間もない頃。
引っ越して転校していった黒崎とは会えなくなったが、アイは相変わらず勝ち気で、正義感に溢れる少女だった。
中学でも見えない所で、気の弱そうな男子をイジメている現場を目撃した。
小学生の頃の黒崎を思い出したのか、アイは彼を救うべく積極的に行動した。
イジメグループの首謀者たる女子をやり込めたまでは良かった。
だが翌日――その女子は、自殺未遂を起こしたのだ。
一命は取り留めたらしい。だがその女子は家族の都合か、引っ越して行方をくらましてしまった。
真相は分からない。アイに追い詰められた事が自殺未遂の原因かは分からない。当の本人は死んではいないが、もう話を聞く事もできないのだから。
その日以来、
イジメていたのはアイだ、という噂がクラスに広まっていた。アイがいくら弁明しても、周りはまともに取り合ってくれなかった。
当のイジメられていた男子も、アイと何がしかの噂になるのを恐れてか、彼女を避けるようになった。
アイに対して、あからさまな嫌がらせというものは無かった。
ただ、無視された。事務的な用事以外、誰からも声をかけられなくなった。
表立って何か起きた訳でもない。アイに対する周囲の態度は、教師の目にも咎められる事はなかった。
(……どうして、こうなっちゃったんだろう……?
わたし、間違っていたの? 正しいと思った行動をしただけ、なのに……
誰も答えてくれない。わたしの何が悪いのか、何がダメだったのか……誰一人、教えてくれない……)
両親には相談した。父親は昔から厳しい人物で、何か揉め事が起こると決まってアイを責めた。
母親だけが、アイの孤独に対し親身になって相談に乗ってくれた。
「よく聞いて。一生懸命行動しても、正しいと思って行動しても。上手く行かない事だってあるわ。
でもねアイ。嫌な事、つらい事。決して立ち向かわなくちゃいけない、逃げちゃいけない……そんな事はないのよ。
痛みはつらいものなの。耐え続けて、いい事なんて何一つないわ。
ずっと痛い思いをしていると、ずっとつらい思いをしていると。人の心は弱ってしまう。痛みに打ちのめされてしまうの」
泣きじゃくるアイを、母親は優しく抱き寄せた。
「いざとなったら、学校だって『やめてもいい』のよ。でも失敗してもいいように、備えをなさい。逃げ道を作りなさい。
……アイ。あなたは……これから、どうしたい?」
「……やり直したい。今ここじゃない……どこか別の場所で……」
母親はアイの希望を聞き入れてくれた。
遠くの町の高校を受験すると言った際、父の反対を押し切ってまで説得に回ってくれた。
普段、横暴な父の言う事に滅多に逆らわない母が――その時はとても頼もしく、そして強かった。たとえ殴られようが、殺されようが、アイの願いを曲げさせないという信念があった。
(お母さんには、とっても感謝してる――わたしなんかの為に。
お母さんのお陰で、必死で勉強する事ができたし。遠くの高校に行くまでの間、頑張ってこれた)
陰惨な中学生活が終わり、アイは親元を離れて寮のある高校に通う事になった。
母親が仕送りをしてくれたお陰でお金の心配は無かったが、一人暮らしに慣れるまでは大変だった。
何より中学時代のトラウマのせいで、周りの人間と積極的に関わるのが恐ろしくなってしまった。アイが孤立しかかった時、偶然にも出会えたのが……小学生の頃別れて以来の、
「えっと……や、やっく……く、黒崎……? その、お久しぶり、ね……?」
「……お、おう……しばらく見ない内に……その……変わったな……?」
中学の頃に何があったのか? そんな事を聞かれたくない。忘れたい過去を思い出したくない。
アイはその一心で、旧友との再会をお茶を濁したまま終わった。向こうも察したのか、こちらの過去を――とりわけ、交流の無かった中学時代の話を尋ねてくる事はなかった。
アイは周囲の人間と上手く打ち解けられない自分を、心の底で忌避していた。
黒崎は学校の問題児だった。アイをはじめ、複数の女子に益体もない悪戯やちょっかいを出すようになった。
その理由はさっぱり分からなかったが、彼女の中の生来の正義感が再び芽生え――黒崎の被害に遭った女子と知り合い、緩やかな交流が持てるようになった。
彼女たちとの縁で、演劇部を紹介して貰った。自分以外の誰かになれる。それがアイにはたまらなく魅力的に映った。
アイは演劇の練習にのめり込み、即興劇好きの風変わりな先輩――現在は部長――にその才を認められた。
以前のように、感情を剥き出しにする事はめっきり減ったが――それでも中学に比べれば、アイの高校生活は少しずつ充実していった。
半年に一度、親元に帰る事があった。その時に母親から紹介されたのが……
「どうも。
「あっ、はい……その、よろしくお願いします」
どういう縁なのかはっきりしなかったが、もともと家族ぐるみで付き合いのある家だったという。
(どうしてこの人、ここまでわたしの事、分かってくれるんだろう?
まるで心の中を読まれているかのよう。でも全然不愉快じゃない。かっこいいし、優しい――
ああ……もし、こんなすごい人が、ずっと一緒にいてくれたら……)
芽生えた憧れは淡い恋心へと変わり、本来臆病だったアイを突き動かした。が……
上手く行くはずだ、なんて思い上がった訳ではない。
ただ――それでも空虚だった。
悔しさの余り、帰りがけに出会った黒崎を思わずブン殴ってしまった。怒りに身を任せ行動し――激しく後悔した。
(……やっぱり、わたしじゃ駄目なんだ……
お母さんにも、皆にも迷惑ばっかりかけて。
今だってそう。『ブラダマンテ』を演じきる事もできず、黒崎とフリでもいい筈の恋人役も、全うできなくて。
わたしがもっと上手くやれてたら――わたしがわたしじゃなかったら。
こんな思い、しなくて済む、よね――?)
高校生活で取り戻しかけていた、幸福と自信は――
昔の、中学時代の――自信も希望もない、大嫌いな自分が再び顔を出している。いや……これがきっと本当の自分なのだろう。
**********
周囲には誰もいない。とても悲しい気持ちになり、泣きたくなったが――何故か涙はこみ上げて来なかった。
辺りに散らばるガラクタにぼんやりと目を向ける。その中に、記憶の片隅に留めていた「持ち帰るべきもの」を見出した。アイは吸い寄せられるように「それ」に近づき、手に取った。
それは透明な瓶の形をしていた。ラベルには、「
(
カタイの王女アンジェリカの肉体に宿り、魂の記憶を失ってしまった人……)
彼女はもう、現実世界に戻る事を半分がた諦めかけていたが。
この瓶を地上に持ち帰る事ができれば――彼女の記憶が蘇り、元の世界に戻れるようになるかもしれない。
アイは彼女の記憶の瓶をしっかと握り締め、懐にしまい込んだ。
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