14 記憶の旅・メリッサ編

 尼僧メリッサは、宮殿内寝室のベッドに横になりながら――眠りに落ちるのを躊躇ためらっていた。

 月の世界に行けば、過去の記憶が蘇るという。あの――地獄のような日々が。


(何を、恐れる事があるものですか……今だって、ブラダマンテと過ごす時間以外は似たようなものですわ)


 隠密集団アシュタルト。フランク王国に仕える影の部隊。

 魔術師マラジジに率いられし、個を持たず、指令のために生き、そして死ぬ――「チェスの駒」たちだ。


(マラジジ様の指令を果たしつつ、ブラダマンテの身を守るためには――行くしかありませんわ)


 決意と覚悟を胸に秘め、メリッサは眠りについた。


**********


 「彼女」は、物心ついた時から魔術の修練に明け暮れていた。

 才能のある赤子だったらしい。どこかも分からぬ殺風景な荒野で「彼女」は……黒ずくめの集団に囲まれ、彼らに命じられるまま日々を過ごした。

 彼らはとても厳しかった。いや、残虐であった。「彼女」の身体には生傷が絶えなかった。しかも時には――


 辛く苦しい日々の中、老人――マラジジだけが「彼女」に普通に接してくれた。


「お前の力は、国を守るためにあるのだ。

 決して――己の為に使おうなどと、考えてはならぬ」

「くにを……まもる……?」


「そうだ。我らの為に役立てよ。それが――お前の生き残る唯一の道だ。

 お前の持つ力が我らの手に余ると判断された時、お前は殺される。

 逃げ延びられても、邪悪な魔女として忌み嫌われ、いずれ必ず滅ぼされる。それを忘れるな」


 その時は幼かったし、言葉の意味の半分も分からなかったが。

 今は分かる。強大すぎる力に振り回された者は、自分を万能と思い込んで、私欲のままに行動する。財物を奪い、騎士たちを捕えて攫う。だが最後には報いを受ける。オルランドにやり込められ、己が鍛えた魔剣を奪われた魔女ファレリーナのように。


 やがて「彼女」は――若くして変身の魔術を極めた。

 そしてクレルモン家の女騎士ブラダマンテを助ける従者・「メリッサ」の役割を与えられた。

 

 マラジジから与えられた指令。己の持つ魔術を駆使し、ブラダマンテの道行きを助け――預言に記されしエステ家の祖先・ムーア人ロジェロと結ばせる事。

 仕えるべき主人ブラダマンテを待つべく、洞穴に礼拝堂をこしらえ、準備をして待った。


 かくして出会う。美貌の女騎士の姿。今まで見た事もない、麗しき顔だった。

 メリッサは思わず駆け出した。サイズの合わなかった靴が両方とも脱げ、裸足になってしまった。


(こんな綺麗な人にお仕えできるなんて――嫌われたくない。

 全力を、尽くさなくちゃ)


 その気合いが空回り気味だったメリッサの歓迎ぶりは、ブラダマンテに気に入られるどころか引かれたが。

 彼女はメリッサを避けるどころか、気さくに接してくれた。最初は我慢していたのかもしれない。しかし主人と従者というより――同年代の親友のような明け透けな関係が築けていた。

 メリッサは嬉しくてつい、抱擁にかこつけては色々とやらかしてしまったが……彼女は本気で怒ったり、嫌ったりなどはしなかった。


(大泥棒ブルネロを退治した後――『魂』の違和感に気づいたけれど。

 でも私は、今のブラダマンテが、好き……何があっても離れたくない。あの人の味方でいたい)


 様々な冒険と事件が起き、その度にハラハラする思いだったが。ブラダマンテとロジェロは度重なる危機にもめげず、立ち向かって退けた。

 彼女と行動を共にするたび、本当の絆が深まっていくのを感じた。しかし――


 メリッサが最初に気づいた違和感に、彼女の主人マラジジもとうの昔に気づいていたのだ。


「……『メリッサ』よ。ブラダマンテ殿を――『月』世界へとお連れするのだ。

 本来であればアストルフォ殿のみが向かう地であるが……ブラダマンテ殿の一連の行動。我が預言の記述にないものが多すぎる。

 ブラダマンテ殿の異変を調べ、我らに報せよ。よいな」

「し、しかし……マラジジ様……」


 言い澱むメリッサに対し、マラジジの視線は鋭くなった。


「よいな。此度の任務、もし芳しき成果が上がらぬ時は。お前を『メリッサ』から解任する」

「!」


「よく考えよ。お前が本来使えるべき主が……誰であるかを、な」


 冷たく言い放ち、マラジジは背を向けた。

 彼は気づいている。メリッサの心がブラダマンテに向いている事を。マラジジの手駒として「アシュタルト」の指令に背けば――メリッサは裏切り者となる。それだけならまだしも、最悪の場合ブラダマンテ自身に刺客が送り込まれかねない。


「マラジジ様……もし、その……ブラダマンテの心の中に、何か異変ありと判った時には……?」

「無論のこと、浄化せねばなるまい。我らがお仕えするにふさわしき主人になっていただかねば」


 魔術師の言葉は、メリッサの心胆を寒からしめるものだった。

 確かに今の「ブラダマンテ」の魂には不可解な点がある。しかし……それをもし取り除けば、メリッサの知る、あの大好きなブラダマンテではなくなってしまう。そんな気がしてならなかった。


**********


 メリッサは気がつくと、暗い月の世界にいた。

 とても恐ろしい記憶だった。今思い出しても、メリッサの心に暗い影を落とす。

 微かに心を通わせていたと思ったマラジジですら、もはや彼女の拠り所ではなくなっていた。


(だったら……いったい何を躊躇ためらう事がありましょうか。

 私は私のお仕えすべき主に尽くすだけ。その為であれば、私の命だって……!)


 改めて決意を固める。ブラダマンテを守ろう。彼女の魂を、意思を。

 その正体がいかなる者であれ、メリッサにとっての「ブラダマンテ」は今の彼女なのだ。その為の――彼女を守る力が欲しい。


 メリッサは力強く足を踏み出し、地面に転がるガラクタの中から、己の望むべき品を掴み取った。

 その瓶のラベルを眺めて、満足げに微笑むと――懐にしまった。そして他の皆と合流すべく歩き出した。


 程なくしてアストルフォ、ロジェロ、ブラダマンテと――聖ヨハネの姿が視界に入った。


「ほっほっほ。ようやく全員揃ったようじゃな。

 では向かおうかの。じゃがその前に――そなたらが今最も必要としているモノを探さねばならぬ」


「それでしたら……すでにこちらに」


 アストルフォが澱みなく言い放ち、自信満々に掲げたのは一際巨大な瓶だった。中の液体はほぼ一杯になっており、重そうな代物である。

 ラベルには「オルランドの心」と書かれていた。

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