3 タタール王マンドリカルドの征服

 惨状だった。

 サラセン帝国軍の二部隊が壊滅し、焼け焦げた藁のように屍が散乱している。

 かろうじて息のある者も身動きが取れず、苦痛に呻き死を待つばかりであった。


 戦いの起こった――いや、一方的な虐殺が繰り広げられた地に、馬を駆って入り込む武者が一人。

 剣をかず、軽めの革鎧を身に着け、蒙古モンゴル風の奇妙な角兜の頂点に生えた深紅の羽根飾りが特徴的だ。顔立ちもいかにも東洋系の騎馬民族のそれで、いかついエラの張った、冷たい印象を受ける細目の男。韃靼タタール王マンドリカルドである。


「……この殺戮が、たった一人の騎士によって為されたとはな。

 燃え盛る炎が、蝋あるいは案山子かかしの群れを焼き払ったかのようではないか」


 マンドリカルドは戦場跡に漂う死臭――むっとする程の血と臓物の臭いをかぐわしげに吸い込み、ほくそ笑む。

 間違いあるまい。ただの一人で斯様かような恐るべき所業を為し得るは、音に聞こえしオルランドに他ならぬ。

 騎士というより、英雄というより。天の災いと呼ぶに相応しい男だ。


(奴を――オルランドを追い、殺す事で父の仇を討ち、俺様が手にするべき聖剣デュランダルを得る。

 それも悪くないが、今はまだその時ではない。お楽しみは他にある――)


 傷を負い助けを求める敗残兵らに一瞥もくれず、タタールの武者は急ぎ馬の歩を進めた。


**********


(見つけたぞ――)


 マンドリカルドは川を越えた先の木陰多き草原に、大勢のムーア人(スペインのイスラム教徒)騎士たちが駐屯している天幕を発見した。

 無遠慮に近づいてくるタタール武者に、騎士たちは誰何の声を上げる。


「そこで止まれ! 何者だ?」

「俺様の名はマンドリカルド。偉大なる父アグリカンの遺志を継ぎしタタールの王である!

 貴様らこそ何者だ? その天幕の中にはどなたがおられるや?」


 不遜な事にマンドリカルドは馬上に居座ったまま、居丈高に尋ねた。

 その傲岸なる態度に、ムーア人たちは気圧されながらも声を張り上げた。


「無礼者め。この天幕は高貴なるグラナダ王女、ドラリーチェ姫君のものぞ!

 近々にアルジェリアの王たるロドモン様と婚姻の契りを結ぶ手筈となっておる。今はその為の旅をしておるのだ。

 長旅で姫もお疲れだ。貴公のような野蛮な武者とかかずらわっておる暇はない。早々にこの場を――」


 部隊長と思しき騎士の口上が終わらぬ内に、タタール武者は稲妻の如く動いた。

 騎士は咄嗟に避けようとしたが間に合わず、マンドリカルドの槍によって心臓を串刺しにされ絶命する!


「ほう。あのスペイン一の美女と名高きドラリーチェ姫か。噂が真実か否か、ぜひ一度その御姿、この目に焼きつけておきたいものだ」


 タタール王の突然の狼藉に、居合わせたムーア人騎士たちはどよめき立った。


「いきなり現れ、卑劣な不意打ちをしておきながら……なんたるおこがましさ! 礼儀知らずの言い草よ!」

「やはり東方の蛮族は禽獣きんじゅう、あるいは蛇蝎だかつの類か! このような暴挙、我らがアッラーとてゆるし難し! もはや貴公の命によってあがなう他なし!」


 姫の護衛の騎士たちは一斉に半月刀シャムシールを抜き、不埒なるマンドリカルドを殺すべく踊りかかった!


 多勢に無勢。タタールの猪武者の行動は無謀そのものであったが。

 かの暴虐なる王の目には、これから起こる殺戮を愉しむ狂気の色が宿っていた。


**********


 十数分後。あちこちに転がる、ムーア人騎士たちの屍。

 マンドリカルドはまさに鬼神の如き戦いぶりで、ドラリーチェ姫の護衛を次々と薙ぎ払い、打ち砕き、血と魂を根こそぎ奪い去った。


「ひ……ひ……ひいィィ……!?」


 その場に残るは、戦う力のない老臣や従者、供する貴婦人たち。

 怯えて動けずにいる彼らをゆっくりと見回し、マンドリカルドはさして面白くもなさそうに告げた。


「俺様と戦う意思のない者を殺す趣味はない。

 未だ姫を守ろうとする者だけ残り、俺様に殺される為かかってくるがいい。

 そうでなければ暇をやる。早々に我が視界より消え失せろ!」


 タタール武者の一喝に、残ったムーア人らは蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。

 残るは一際豪奢な天幕にて、事の次第を震えながら見守っていた――グラナダの王女ドラリーチェのみ。


 マンドリカルドは天幕へと足を踏み入れ、中にいた彼女の頭部に巻かれた覆布ヒジャブを強引に剥ぎ取った。

 美しくも豊かな天然の褐金髪ゼブラブロンドを持ち、色白の瑞々みずみずしい肌にアーモンド型の碧眼、小さく愛らしい唇。迫りくる恐怖に怯え、目尻に涙を浮かべているが――それでも悲鳴ひとつ上げず、視線も逸らさずこちらを睨み据えてくる。


(さすがに一国の王女、肝が据わっている――『何度見ても』、良いものだ)


「……わたくしをグラナダ王ストルディランの娘と知っての所業ですか。

 これからわたくしをどうなさるおつもりで? 殺すなら殺しなさい!」

「殺す? 殺すだと――もとよりそんなつもりはない」


 若武者は逃れようとした王女の細腕を掴み、一思いに抱き寄せた。


「んぐッ……離しなさい! 離し――」

「噂に違わぬ美しさよ、麗しのドラリーチェ。我が名はマンドリカルド。

 今宵の出来事は運命だ。決して避けられぬ。俺様は――ずっと前から、そなたに惹かれていた」


「――わたくしには、ロドモン様という定められた許嫁いいなずけが――あアッ」


 タタール武者の左手が、ドラリーチェの豊かな双丘をまさぐり――王女の言葉は思わず漏れた喘ぎに遮られる。


「ロドモンが何だと言うのだ。そなたらイスラム教徒の風習は知っている――

 婚姻を結ぶまで、男と肌を重ね合う事すら許されぬのだろう?

 何とも不便な、馬鹿げたしきたりだ。俺様と共にあれば、そんな戒律に縛られる必要はない」


 なおも抵抗し、声を上げかけた王女の唇を――同じく唇を重ね強引に塞ぐマンドリカルド。


(何なのです、この男――!?

 まるでわたくしの身体を以前から知っているような――)


 まさに暴挙。一国の王女がこうむるにあるまじき侮辱。にも関わらず抵抗できない。抗う意思が快楽によって塗り潰される。マンドリカルドの指遣いは恐るべき手管であった。


(ドラリーチェ。そなたの事は何でも知っている――

 たわわに実った乳房の感触も。形よくくびれた腰の肌触りも。淡く香り立つ独特の吐息の匂いですら。弱い部分も、感じる部分も、何もかもだ――

 これまで幾度となく、そなたを我がものとしてきたのだからな)


 何よりマンドリカルドの欲情をそそり、虜としたのはこの状況。

 婚約者がいる身であり、目の前の男は不遜きわまる略奪者。決して屈してはならない恥辱――それを意識しながらも、タタール武者の言葉と指先に蕩かされ、一夜にして慕うようになる。この征服する瞬間は、何度味わってもたまらない。


(だからこそ、そなたを本気で愛するようになった。

 麗しのドラリーチェ。そなたと一秒でも長く、共に在りたいのだ。

 この『世界線』で今度こそは、我が望みを成し遂げてみせようぞ――!)


 タタール王マンドリカルド。

 彼もまた放浪の美姫アンジェリカの魂と同様、外の世界より引きずり込まれた「何者か」であり――幾度も繰り返される物語を旅するうち、記憶たる「魂の顔」を忘れ去った犠牲者の一人であった。


**********


 翌朝。ドラリーチェのミンネを己が物としたマンドリカルドは、思いがけぬ訪問者と出くわした。

 身の丈7フィート(約2.1メートル)近い巨人のような体躯に、悪しき竜の如き恐ろしげな容貌。中国セリカンの荒ぶる王グラダッソである。


「夕べはお楽しみだったようだな? マンドリカルドよ」

「――グラダッソか、久しいな。今までどこをうろついていたのだ?」


 マンドリカルドの憮然とした問いに、グラダッソは曖昧に笑みを浮かべるのみ。

 厄介な相手が来たと思った。この男とは聖剣デュランダルの所有権を巡り、幾度も相争った間柄である。


「デュランダルをオルランドから奪うのは、この俺様だ。

 俺様は数多の冒険を経て、古の英雄ヘクトルの鎧兜を身に纏うに至った。後は剣だけなのだ」


 今まで何度も繰り返し、曲げる事のなかった主張を行う若きタタール武者。

 しかし巨大なるグラダッソは、そんな事はどうでもいいと言いたげに違う話題を始めた。


「儂が今ここにいる事――それ自体が今までと『世界』が異なる。気づかぬか? マンドリカルド」

「『世界』が異なる――だと?」


 セリカン王の奇妙な物言いに、マンドリカルドはいぶかった。

 まさか自分以外にも――この世界が「繰り返されている」事を認識している者がいるとは。


「反応が変わったな? お主もこの世界の真実に気づいておる証拠よ」

「……一体何が言いたい。要求は何だ?」


 考えを見透かされている心地がして苛立つマンドリカルドに、グラダッソは笑みを浮かべて言った。


「取引をしようではないか。この『物語』を破壊し――我らで自由となろうぞ。

 その為にも――我ら二人で力を合わせ、あの忌々しきオルランドを殺すのだ!」

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