4 ヨーロッパの父、シャルルマーニュ

「マホメットなくしてカールなし」



                   ――ベルギーの歴史家アンリ・ピレンヌ


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 フランク王国の都パリより少し北、サン=ドニの教会堂にて。

 国王シャルルマーニュはテュルパン大司教をはじめとした僧侶たちと共に、戦勝祈願のため神に祈りを捧げようとしていた。


 この聖堂はパリの守護聖人と崇められし聖ドニがその命を終えた、霊験あらたかな地であるとされる。

 余談だがドニの毛髪は、オルランドの持つ聖剣デュランダルの柄に聖遺物として納められている。


(聖ドニは異教の僧侶によって斬首され殉教した後、その首を抱えたまま数マイルも歩いて神の教えを説いたという。

 普通に考えれば馬鹿げた怪奇現象であろうに、ことキリスト教会にかかれば美談と化す。滑稽な事よ――)


 シャルルマーニュは内心そんな事を思いながらも、十字架の前へ一歩進み出て、やや甲高い声で祈りの言葉を粛々と唱えた。

 身長6フィート6インチ(約195センチ)の長躯であり、豊かな銀髪を生やした小太りの王は、儀礼用のローマ式正装に身を包んでいる。窮屈で仕方なく、シャルルマーニュは早いところ機能性重視の、愛用のチョッキとズボンに着替えたい一心であった。


 ここは歴代のフランク国王を埋葬する墓の役目も果たしており、彼の祖父であるシャルル=マルテル(カール・マルテル)、父のピピン3世(小ピピン)の遺体も納められている。

 今日のサン=ドニ市で見られるゴシック構造の立派な大聖堂は12世紀に造られたもので、この当時はまだ簡素な礼拝堂であった。


「天にまします我らが父よ。どうか我ら信心薄き者たちに慈悲深きご加護をお与え下さい――」


 シャルルマーニュの言葉は、表面上は神への敬虔なる祈願に聞こえるだろう。

 だが注意深く聴いていれば「ここで自分たちが敗れれば、教会は踏みにじられ神の権威も地に堕ちるぞ」と、暗に脅しをかけているようにも思える。

 その場にいた僧侶たちはシャルルマーニュの祈りを口々に褒め称え、必ずや神のご加護が正しき信徒シャルルとその騎士たちを助けるでしょう、と楽観的な見解を述べた。


 「手続き」を終えたシャルルマーニュは、テュルパン大司教ほか信頼できる騎士たちを伴い、南のセーヌ川を目指した。

 明日にでも攻め寄せるであろうサラセン帝国軍に対抗するべく、防備を整えねばならないからだ。


 当時のパリは戦術的には一地方都市でしかなく、重要な拠点ではない。シャルルマーニュが拠点とし、後に宮廷を築き上げる地はドイツ西部やオランダ等、数多く存在している。これはシャルルマーニュ自身が統治のため、地方を治める伯の下へ移動・連絡を行う必要性や、交通網の未発達による食糧輸送の困難といった諸事情から来るものである。

 しかし戦略的に見ればパリの失陥は、そのままサン=ドニ教会堂の蹂躙に繋がり――歴代の王たちの墳墓がサラセン人によって暴かれる屈辱を意味する。フランク王国にとって、これ以上ない深刻な威信の失墜を招いてしまうだろう。


(故にこの地パリにて決戦すべく都市の防備を整え、ブリテン島に援軍を要請し。多くの勇士に召集命令を下し集結させたのだ。

 余の信ずる『神の国』の実現に賭けて、明日の戦は決して敗れる訳にはゆかぬ――!)


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 シャルルマーニュが防衛する城の中心部はセーヌ川中央に位置する中州・シテ島に建っており、ここは聖ドニが生活した地として知られる。

 内城はセーヌ川そのものが天然のほりとなり、防衛に適した地形となっていた。

 外周においても城壁が市街をぐるりと取り囲み人工の濠を造らせている。セーヌ川岸には防塁を築きあなを穿ち、敵の侵入を防ぐ。パリの都には二重の防衛ラインが敷かれているのだ。


「セーヌ川上流、都の外壁にかかる河川部の封鎖、完了にございます」

 重臣から報告が上がった。万一に備え川の上流に大きな鎖を張り巡らせ、敵の舟による侵攻を阻む作戦である。

「サラセン人の軍勢が東側から来る可能性は低いですが、これで川の流れに乗じて内部に侵入される事はありますまい」


 シャルルマーニュは満足げに頷くと、召使いたちに夕食の用意をさせた。

 食卓に並ぶのは、彼の大好物である肉料理――なのだが、普段より量が少なく、質素なメニューである。


「申し訳ございませぬ陛下。此度の決戦に備え、パリに集結せし騎士たちにも食事を振る舞っておりますゆえ――」

「構わぬ。明日の戦、皆に奮起して貰わねばならぬ。良き判断ぞ」


 召使いの長は畏れ多さに縮こまり、何度も頭を下げた。

 内心シャルルマーニュは不服だった。彼は生来、酒は余り飲まなかったが焼肉を好んだ事で有名だ。晩年、医師に止められた時に不機嫌になり、結局死ぬ間際まで食べ続けたというのだから筋金入りである。


「して、今宵は何をお聞きに――?」

「――アウグスティヌス。『神の国』の続きを」


 食事が始まると、傍らに控えていた学者が立ち上がり、手にした神学書を朗読し始めた。

 これは夕食の際のシャルルの日課だった。彼は文盲であったが勉強熱心でラテン語にも堪能だったという。食事中、家臣に歴史書を読ませる事を好んだが、今朗読させている神学者アウグスティヌスの著書「神の国」も彼のお気に入りであった。


 今日の内容は古代ローマ時代、多神教を奉じたために災厄や風紀の乱れを招いた事への批判だ。最終的に古代ローマ帝国はキリスト教を国教として認めた。これは一神教たるキリスト教こそが真の宗教であり、正しき教えへの回心なくして「神の国」の到来は有り得ない事の証明であると説く。


 シャルルマーニュは脂たっぷりの肉を噛みしめつつ、神学者の朗読に聞き入っていた。


(一神教が多神教に、教義として優っているか否かはさして問題ではない。

 だが歴史が証明している。一神教の力強さを。唯一絶対の神を信奉する事で人々をまとめ上げ、多神教を奉ずる数々の国を打倒した。

 最後の預言者マホメット――彼奴の唱えたイスラム教がアラブの人心を掴み、今まさに余の王国の中心部にまで牙を食い込ませているのは認めねばならぬ事実だ)


 イスラム教を奉じ、瞬く間に拡大したサラセン帝国に対抗するために、フランク王国もまた教化せねばならぬ。

 イスラムはアッラーなる唯一神を信仰すると聞く。唯一神に打ち勝てるのもまた唯一神だけなのだ。


(平和なくして、神を喜ばせる事はできぬ。

 余の務めは――野蛮なるフランクの地に、聖なるキリストの教会を作る事)


 ゲルマン民族の跋扈したこの未開の地に、古代ローマ時代水準の文明と力を復活させるには、キリスト教の布教が不可欠だとシャルルマーニュは痛感していた。

 東のザクセン、南のスペイン、北イタリアのランゴバルド――周囲は敵だらけであり、各地を治める領主たちをまとめ上げねば、フランク王国は滅びてしまう。


(未だ現実の世界は、理想たる「神の国」には程遠い。だが――

 唯一神を奉ずるキリスト教を利用する事で、余はこの手で「神の国」を打ち建てようぞ。

 その為には数多の罪を犯す事も厭わぬ。神よ、ゆるし給え――)


 シャルルマーニュは内外で頻発する反乱の鎮圧に奔走し、生涯46年の治世の間に53回もの軍事遠征を行っている。

 彼によってドイツ・フランス・イタリアの地は一時的とはいえ一つの国家として統合され、キリスト教を主体とした統治・教育政策は「カロリング・ルネサンス」と称えられた。


 後の歴史学者はシャルルマーニュをこう呼ぶ。「ヨーロッパの父」と――

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