2 アフリカ大王アグラマンの憂鬱

 サラセン帝国軍の天幕にて。

 パリ攻囲戦を明日に控え、サラセン軍の布陣図を広げ、嘆息をつく浅黒い肌の男がいた。

 細身で引き締まった筋肉質。清潔な布を円形に巻いたターバン。歳は二十代前半といったところだが――目だけが鋭く吊り上がり、不気味な光を宿しているように見える。この男の名はアグラマン。アフリカ大王――サラセン帝国の軍事的指導者である。


「あー。やだやだ、ホント面倒臭いったら。

 戦に勝てば勝つほど、敵国の領土に踏み込めば踏み込むほど――悩み事が増える一方じゃないの。

 ねえ、アナタもそう思わない? ソブリノ」


 奇妙な抑揚イントネーションの残る口調で、アグラマンは隣に控える老将に呼びかけた。

 白髪に染まった髭を蓄えた男――大王の腹心ソブリノは伏し目がちに言った。


「戦争とはそういうものです。ことフランク王国領は広すぎますな。

 敵を完全に屈服させる事は、現段階では非常に難しいと言わざるを得ない。

 戦況が有利なうちに、落としどころを探るべきだったのでしょう」


「そうも行かないのよねェ。戦に勝っている間は、みんな戦利品を獲ようと頑張っちゃうしさァ。

 一度始まった戦を終わらせようとするのって、ホント大変!

 でももうそろそろ限界なのよね。次のパリ攻めが攻勢臨界点ってトコかしら」


 アグラマンは軽い口調でやれやれと肩をすくめるが――現状は厳しかった。

 パリはフランスの北部中央に位置し、サラセン軍も敵地奥深くまで進撃している事になる。

 何が問題になるのかというと、補給線が伸び切ってしまい、サラセン領本国からの物資・食糧の運搬に支障を来し始めているのだ。


「フランク王国の道路って、ボロッボロなのよ。マトモに輜重しちょう車が動かないわ。

 そりゃあんだけ細かく騎士の領土が分割されてりゃ、道路や橋の整備なんて無理難題でしょうけどさァ。限度ってモンがあるわよねェ」


 昔も今も、道路などのインフラは為政者にとって金食い虫である。

 ましてや封建制で王権が弱く、各地の領主に裁量が任されているとなれば、わざわざ道路を修理するなどという重労働に手を出す者はほとんどいない。

 迂闊に手を出せば負担が増し領民に恨まれるし、隣同士の領地ですら仲が悪いというケースも多く、わざわざ侵略されやすくする必要もないといった所である。

 さすがに不味いと思ったか、シャルルマーニュはキリスト教会に主導させる形で「橋を掛ければ天国に行ける」といったキャンペーンも行ったようだが――現状の劣悪な交通事情を鑑みるに、成果は上がっていないと言わざるをえまい。


 道が悪いという事は、食糧を運ぶのに時間がかかるという事であり。食糧の保存技術が未発達なこの時代において、物資輸送の遅延は兵站の限界を早めてしまう。帝国軍の工兵を総動員しても、主戦場の輸送ルート確保すら覚束おぼつかない有様なのだ。

 とどのつまり、今のサラセン軍に長期戦を行う余裕はないという事だ。これではどちらが追い詰められているのか分からない。


「有利な講和を結ぶためにも――パリ陥落は急務でしょうな」ソブリノが言った。

「ブリテン島のフランク騎士どもがすでに上陸し、こちらに向かっているとの情報があります。

 時間をかけていては、内と外から挟撃を受け、我が軍が殲滅されかねません」


「そうねェ……パリは結局攻めなきゃダメよねェ……

 確かに戦には勝ってるけど、長距離行軍でウチの兵たちの疲弊は積もり積もっているわァ。

 まだまだヤル気マンマンなの、ロドモンぐらいでしょ? 残りの連中は士気ダダ下がりよ。頭痛いわねェ~」


 アグラマンの脳裏に、粗野で横暴なアルジェリア王ロドモンの馬鹿面が浮かぶ。げんなりする。

 猪突猛進しか知らぬ、最前線の脳筋武将は気楽でいいものだ、とつくづく思う。後方支援を担当しているスペイン王の苦労いかばかりか。


「ロドモン殿は近々、婚礼を控えておるという話ですからな。戦果が欲しいのでしょう」とソブリノ。

「彼以外で未だ血気盛んなのは、ダルディネル王子ぐらいでしょうか。

 あのお方は確かに腕は立ちますが、いかんせんまだ若い。不安が残りますな」


 アグラマンは苦渋に満ちた表情で天幕を出て、サラセン全軍の布陣を閲兵した。

 集結を命じたはずの予定していた兵数に足りない。

 足りないどころか、昨日まで従軍していた筈なのに姿を消している者までいた。


「……タタール王マンドリカルドは? どこ行ったのよ」

「はッ、それが……我が軍のうち、遅参せし二人の王が率いし部隊が壊滅したとの情報を受けて、『オルランドの仕業に違いない』と言い放ったが最後、戦線を離脱しまして……」


 報告を行った兵はたちまち震え上がった。

 大王の形相に青筋が浮かび、口から火炎を吐かんばかりであった。


「どいつもこいつも……好き勝手やってくれるわねェ……!」


 フランク王国の騎士たちは、お世辞にも統制が取れているとは言い難かったが――対するサラセン帝国の内情も、一枚岩には程遠かった。

 それでも明日のパリ攻囲戦は決行せねばならない。勝敗に関わらず、戦争終結に向けた根回しを始めなければ――サラセン帝国軍の首魁は、これから待ち受けるであろう山積する仕事に辟易しつつも、その決断だけは早かった。


**********


 ブラダマンテ――司藤しどうアイは、現実世界の大学教授・下田しもだ三郎さぶろうと念話で連絡を取っていた。

 メリッサの変身した天馬ペガサスに乗り、空を飛びパリへ急ぐ最中である。


『なるほど、黒崎君はパリ攻防戦の虐殺を防ぐようにと頼んできたのか。

 確かに彼の目の付け所はいい。原典を読む限り、アルジェリア王ロドモンこそが虐殺事件の張本人だからな』

「やっぱりそうなのね――もっとあっちこっちで酷い事になるのかと思った。

 ロドモンって奴以外に、警戒しなくちゃならない敵将っていないの?」


 アイの問いに、下田はパラパラと「狂えるオルランド」(通常版)をめくりつつ答えた。


『登場人物の名前はやたらと多いんだが、まあ大体覚えなくていい』

「ミもフタもないわね! その方がわたしも助かるけど――」


 実際シャルルマーニュはパリの防衛に力を注ぎ、王国領各地から援軍を募り集結させている。

 その戦争指揮は危なげないモノで、まともに話が進めばパリ陥落などという最悪のシナリオは回避できるハズであった。


『フランク側も、オルランドといった切り札の存在に欠けているが――サラセン側の内情も似たり寄ったりだ。

 一応、腕の立つ強敵としてタタール王マンドリカルドという人物がいる事はいるが……』

「マンドリカルド――そう言えば、アンジェリカが注意するようにって言ってた中にいたような――?」


 美姫アンジェリカの話によれば、マンドリカルドも彼女と同様「外の世界」から引きずり込まれた魂が宿っており――この物語世界が幾度も繰り返されている事を認識しているのだという。


『だが今回、マンドリカルドについては警戒しなくていい。

 あいつはパリ攻防戦には参加しない。奴は今頃、ロドモンの婚約者ドラリーチェを寝取るのに忙しいからな』

「…………え? 何それ。寝、取る……?」

『だから、マンドリカルドは味方の婚約者の天幕を襲撃して寝取るんだよ。原典にそう書いてある』

「何やってんのよ強敵ィィィ!?」


 念話を飛び越えて思わず口に出して叫んでしまったらしく、メリッサが怪訝そうに問いかけてきた。


『ブラダマンテ。今いきなり寝取るって言いました?

 もしかして私を――きゃっ♪』

「違うわよ! 敵の話よ敵の! マンドリカルドって奴が――」


 メリッサはメタ発言の多い尼僧だが、アイが下田と連絡を取り合っているという話を知らない。

 情報の出どころはさすがに明かせなかったので、小耳に挟んだ情報としてマンドリカルドなる王が、ドラリーチェ姫を寝取ろうと狙っていると話すブラダマンテ。


『まあ、それはうらやまけしからん話ですわね!』

「羨ましいわけ? メリッサ――」


『もしブラダマンテが望むなら、相手に気づかれない位置からその様子をこっそり伺い、情報収集するという手が! ありますけど!』

「それあなたの願望でしょーが! 何こっちをダシにしようとしてんのよ!

 大体、寝取りのシーンで何の情報を集めるのよ……」


『何のって……それはもう将来的な事を色々と!』

「別に今すぐ必要じゃない情報だと思うんですけどォ!?

 っていうか完全に覗き行為じゃない! 何でわたしまでアストルフォと同レベルの変態に堕ちなきゃなんないわけ!?」


 大声でわめき全力で拒否するブラダマンテ。メリッサは残念そうに「ちぇー」と漏らしたが。

 そもそもドラリーチェの天幕は、今向かっているパリの方角とは正反対であり、寄り道している余裕はない。

 今はパリ到着を優先すべきだとして、結局先を急ぐのであった。

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