第4章 パリ攻防戦

1 司藤アイと黒崎八式、大喧嘩する

 女騎士ブラダマンテは、夕闇の中を天馬ペガサスに跨り、空を翔けていた。

 昼間に動くのは目立つ。飛翔し移動している様子をサラセン帝国軍に見つかり、いたずらに警戒させる訳にはいかなかった。


 多数の歩兵や騎士、その他輜重隊しちょうたいなどの黒々とした蟻の群れのような姿が、眼下にぼんやりと映る。

 無数の篝火かがりびを焚きフランク王国の都パリの西側に陣取る、サラセン人の大軍勢の偉容であった。


「……改めて見ると、とんでもない数ね」

 ブラダマンテ――司藤しどうアイは息を飲み呟いた。


『すでにサラセン軍はパリ攻略への足掛かりを得て、明日にでも総攻撃を開始するでしょう』

 彼女の乗る天馬から女性の声がする。魔法にて変身した尼僧メリッサのものだ。

『この遠征軍に危機感を抱いた国王シャルルマーニュは、あなたの兄リナルド様をブリテン島に派遣されました。

 彼がイングランド・スコットランドの援軍を、いかに早く率いて到着できるか。それまでパリが持ちこたえられるかが勝負でしょうね』


 メリッサの言い分ももっともだが――アイの懸念はそこではなかった。

 ロジェロこと黒崎くろさき八式やしきの懇願。オルランドとの戦いで重傷を負い、それを悔やみながらも彼の口をついて出た言葉は「パリでの虐殺を止めてくれ」である。


**********


 承前。アイが出発する前の魔女の島にて。


「わたしがパリに行く事で、戦局がそこまで大きく変わったりするの?」


 黒崎の言葉を聞いた時、アイは素直に疑念を口にした。

 彼女の憑依するブラダマンテが、いかに才色兼備のチートじみた強さを持つとはいえ、たった一人の腕の立つ女騎士に過ぎない。

 戦局を変えるどころか、犠牲を大幅に減らす事ができるかどうかも怪しいと思うのは当然だろう。


「パリ攻防戦自体は、最終的にはフランク王国側が勝利する。しかし……

 オレもうろ覚えだが――パリの戦いでは、たった一人のサラセン人が市民を虐殺するんだ。

 そいつさえ止めれば、死ななくていい数千人の命が助かる」


 なるほど、とアイは腑に落ちた。兵を率いたり、策略を用いてどうこうという話ではなさそうだ。

 ファンタジーの戦記モノなら、軍師のような智謀で敵を一網打尽という話に憧れなくもないが、一介の女子高生である自分にそこまでの知恵が働くか? と問われれば全く自信がない。


「その虐殺を行うサラセン人というのは?」

「ロドモン。アルジェリアの王――ブラダマンテとロジェロが出会うきっかけになったアイツさ」


 アイは思い出した。南フランスのプロヴァンスにて一騎打ちを行った相手だ。

 その際、ブラダマンテは危機に陥ったものの――ロジェロが颯爽と割って入り、ロドモンを撃退したのである。


「もっともその時のロジェロは、綺織きおり先輩だったんだけどなぁ。

 ――今思い出しても素敵! あの時のやり取りだけでご飯三杯はイケルわね!」


 うっとりして夢想するアイの姿に、黒崎は途端に不機嫌そうに口を尖らせた。


「……悪かったな、ロジェロ役が愛しの先輩じゃなくて。

 もしかして、ホッとしてんのか? オレが大怪我して、すぐに挙式しなくて良くなってさ」


 口の悪い腐れ縁らしい、棘のある言葉。

 普段だったらスルーしただろうが、僻みっぽい言い草にアイも少しカチンと来てしまった。


「何よ黒崎。嫉妬してんの? そりゃまあそうよね。

 物静かで上品で、普段から気配りできて優しさオーラ全開の綺織きおり先輩と比べられたら、あんたみたいに毒舌が服を着て歩いてるような奴、立場ないもんねー」

「ンだとてめェこら! そこまで言うか!?

 オレだってなあ、ブラダマンテとロジェロが将来結婚する役同士だっつーから、仕方なく付き合ってるってのによ!?

 『協力しろ』っつったの、司藤しどうじゃねえか! それを今更何なんだよ!?」


 売り言葉に買い言葉。悪口雑言の応酬が繰り広げられ。


「……へー、やっぱり嫌々だったんだ。わたしなんかが恋人役でそっちもさぞかしご不満でしょうよ!」

「ああ、うっぜえ! 可愛くねえ! 感謝の概念がねーのかよお前!?」


「フーンだ、それはこっちのセリフよッ!」

「…………ケッ!」


 一旦ヒートアップすると、お互い引っ込みがつかなくなり。

 結局仲直りする事もなく、半ば逃げ出すようにパリに向かう形となった司藤しどうアイであった。


**********


(あーもう、今にして思えばしょーもない事で話がこじれちゃったけど。

 とにかくロドモンって敵を止めればいいのよね! 分かりやすくて助かるわ)


 どうにか気持ちを切り替えようとしたが、アイの心にわだかまりは残ったままだ。


『ブラダマンテ。ロジェロ様とは――何か折り合いが悪い事でも?』

 メリッサは遠慮がちに訊いてきた。


「あ、分かっちゃった?」

『出発の日、ロジェロ様の所に顔を出しませんでしたもの。

 何があったのかは存じませんが、心残りにならないようにいたしませんと、ね』


 メリッサの言葉に、ブラダマンテはしばらく押し黙っていたが――


「メリッサ。わたしがロジェロと喧嘩したのに――責めないの?」

『責める? どうして?』


「だって――わたしとロジェロって結ばれる運命、なんでしょ?

 それが、ええと――エステ家っていう、名門貴族の始まりになるって、貴女自身が言ってたじゃない」

『ああ。その事ですか――』


 メリッサは声を少し弾ませた。

 ペガサスの姿では判別できないが、微笑んだようだった。


『無理して意識する必要はありませんよ、ブラダマンテ。

 確かに貴女とロジェロ様で、結ばれて欲しいという気持ちはあります。でも貴女の意思を無視してまで強要はできませんわ。

 お互いの関係がギクシャクした時、距離を置いた方が良い場合もありますもの』

「そういう、ものかな?」


『どんなに好き合っていても、長い事一緒にいれば――お互い、欠点や短所が見えてきますわ。

 それはどうやっても避けられません。夫婦たるもの、一生綺麗事だけ、良い部分だけ見てやっていくなんて、不可能です。

 でもねブラダマンテ。二人の仲というのは、そこからが勝負なんですのよ』

「欠点や短所が――見えてからが、勝負?」


『はい。それを妥協と呼ぶ人も、中にはいるかもしれませんが。

 間近にいた時には見えなかったものが、ロジェロ様の良い部分が――離れて冷静になった時に分かる事だってあるんです。

 あの方の長所、短所。愛すべきところ、話し合うべき事。全てをひっくるめて、やっていきたいと思えるかどうか。

 それらを乗り越えて結ばれる事が、本当の愛情であり――夫婦なのですわ』

「本当の愛情――夫婦――」


 メリッサからすれば、ブラダマンテとロジェロは将来結ばれる間柄。

 しかしアイにとって、黒崎は幼馴染の悪友でしかない。そのため二人の考え方には若干の齟齬がある。

 それでも――今のまま互いの関係を放置してはいけない事だけは、分かる。


『そう難しく考えなくていいんですのよ。

 要は――もう一度ロジェロ様と会って、話し合いたいと思えるなら、そうすればいいですし。

 もう二度と顔も見たくない、とお考えであれば、それもまたいいでしょう』

「え――え――でも、メリッサ。もし、もしもよ?

 わたしがもう二度と黒――ロジェロと会わないって選択をしても。

 メリッサは、その――」


 いつになく宙ぶらりんの居心地の悪さを感じ、アイは躊躇ためらいがちに言葉を切る。


『心配なさらなくても、私はブラダマンテの味方ですわ。

 いつだって。どんな選択をなさったとしても』


 ひょっとしたら、メリッサに見捨てられるかもしれない。

 そんな不安がよぎっていただけに、彼女の返答にアイは安堵し――少しだけ目頭が熱くなった。


「――ありがとう。心配かけて、ごめん、なさい――」


 初めて出会った頃は、自分に対し距離をグイグイ詰めてきて、ドン引きしていたものだったが。

 今となってはこの胡散臭いファンタジー世界において――メリッサの存在は心の支えになってきている。司藤しどうアイは改めて実感した。


「この使命が終わったら――わたし、ロジェロにまた会いに行くわ。

 ちょっと言い過ぎたって、そんなつもりじゃなかったって。伝えたいから。

 黒崎アイツは口は悪いけど、ちゃんと腹を割って話せば聞いてくれるもの」


 何だかんだでロジェロを信頼しているのだな、とメリッサは微笑ましく思った。


『そうですか、ブラダマンテ――いいと思いますわ。

 必ず生きて、帰りましょうね』


 尼僧メリッサの暖かい励ましに、ブラダマンテ――アイは力強く頷いた。

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