3 下田三郎、狂えるオルランドについて語る

「ちょっと待ってよ、下田教授」


 司藤しどうアイは、疑問がムクムクと湧いたので尋ねた。


「わたしが憑依したブラダマンテが主役って……おかしくない?

 この本のタイトルは確か『狂えるオルランド』でしょう?

 その……オルランドって人が主人公じゃあないの?」


 しばらく下田教授からの返事はなかった。何か調べ物をしながら会話しているのかもしれない。


『なるほど。もっともな質問だ。説明しよう……だがその前に。

 ……司藤アイ君。きみはオルランドについて、どれぐらい知っているかね?』


「そもそもオルランドって誰? 有名人なの?」


『ああ……そこからかい……仕方あるまい。

 オルランドが何者なのか。そもそもこの本が、どういった目的で書かれた叙事詩なのか、という所から解説スタートだな』


「あ。大学の講義めいた一本調子のつまんない説明は勘弁してよね。

 わたし頭あんまり良くないから、3分で居眠りする自信があるわ!」


『それはそれでひでえ!』


 下田教授はぼやいたが……司藤アイは16歳の平凡な女子高生。

 ルネサンス期の西洋文学に造詣があるほうが不自然というものである。


『オルランド。フランク王国最強の騎士だ。

 オルランドというのはイタリア語で、フランス語読みだとローランとなる。

 彼の持つ剣はデュランダルという。RPGで名前くらい聞いた事はないか?』


「あ。デュランダルって名前は知ってる!

 黒崎のアホが遊んでたMMOに出てきた強そうな武器よね!」


 黒崎というのは、アイの幼馴染の同級生にして、悪友である黒崎くろさき八式やしきの事だ。

 彼は事ある毎にアイに悪戯やちょっかいをかけてくるので、二人は犬猿の仲であった。


『……うむ、ぶっちゃけ本人より武器の方が有名というのはよく分かった』


 デュランダルはやたら硬い事で有名な剣で、「ローランの歌」でオルランドが死を覚悟した際、敵に奪われるぐらいなら叩き折ろう、と大岩を切りつけたら、逆に大岩が斬り裂かれてしまったという逸話がある。


「へー。デュランダルってそんな凄いのね。

 そんな剣持ってるくらいだし、オルランドさんって人も立派な騎士なんだろうなぁ」


 無邪気なアイの言葉に対し、下田教授は躊躇いがちに沈黙してから……答えた。


『オルランドさんは。ジークフリート、ランスロットと並び称されるぐらいの。

 中世騎士文学界における三大”自己中”騎士として名を連ねておられる』

「ダメじゃないのそれ!?」


『彼がそんな扱いなのも、さっきお前さんが会ったアンジェリカとの関わりが原因でな。ちなみに彼女は、中国は契丹カタイという国の王女なんだが』

「へえ……って、ちょっと待って。嘘でしょ?

 あのアンジェリカ姫って中国人なの!? どう見ても思いっきり金髪美女だったじゃない!」


『気にするな。この話に登場する人物は、原作者アリオストの狭い世界観によって描かれている。

 ルネサンス期のイタリア人は、インドと中国の区別もつかなかったのだ』

「……えぇえ……」


 現代日本人からすると噴飯モノの話であるが――アイは気を取り直して訊いた。


「……そのアンジェリカさんがなんで原因なの?」

『オルランドは、彼女に一目惚れしてしまい、祖国を守る使命も放り出して、延々と放浪する彼女の尻を追いかけ回していたんだ』


「……えぇえ……」

『だがアンジェリカは結局、別の男にうつつを抜かし添い遂げる事となる。彼の命懸けの恋は実らなかったんだ。

 哀れオルランドは失恋の余り、狂乱し野獣めいて理性を失ってしまう』


「うーん、まあ……失恋してショックだったのは分かるけど……」

『という訳でだな。オルランドの名前は確かにタイトルに用いられているが。

 ”女にフラれてヤケクソになった”という事件を指しているに過ぎず、彼は主役とは言い難いんだ』


 「狂えるオルランド」は全46歌、3万8736行に及ぶ大長編の叙事詩。

 長大さからも想像がつくだろうが、数多くの人物が登場し、各々の人物の冒険や逸話があっちこっちで錯綜する群像劇めいている。

 このため順を追って読んでいくと、物語の全体像を把握するのが非常に大変だったりする。


「まあ、オルランドについては何となく分かったわ。

 で。その事と、わたしが憑依した女騎士ブラダマンテが主役っていうのと、どう繋がる訳?」


 問われると下田は、コホンと咳払いしてから、力強く言った。


『この物語のメインテーマはズバリ……女騎士ブラダマンテと異教の騎士ロジェロとの、立場や宗教の壁を乗り越えた一大恋愛劇ラブロマンスなのだ!』

「わお。なんかそう聞くとウケそうね! 昔も今も恋愛モノって、広く好まれてるイメージだし!」


 ラブロマンスと聞いて、曲がりなりにも女子高生のアイは弾んだ声を上げた。


艱難辛苦かんなんしんくを乗り越えて、最終的に二人は結ばれ、後のイタリア名門貴族エステ家の祖先として名を残す!』

「いいわね! やっぱり障害が大きいほど、恋って燃え上がるの定番だし!

 しかも貴族のご先祖様なの、ブラダマンテって。凄いじゃない」


『……もちろん、嘘だけどな』

「嘘なんかい!!!!」


『作者アリオストのスポンサーがその、名門貴族エステ家でな。ぶっちゃけ箔付けする為にでっち上げた話なんだ、この”狂えるオルランド”は。

 大金を得た成り上がり貴族が、次は名誉や権威を欲しがる。実によくある話だ』

「……えぇえ……」


 本日何度目になるか分からない、アイの嘆息が漏れた。


 ペンは剣よりも強し、と言うが。

 ペンで物語を書き記すにも、先立つモノが必要な訳で。

 剣には逆らえても、スポンサー様にペンは勝てないのだ。いつの世も。


『とは言っても、ブラダマンテとロジェロが物語中で大恋愛をするのは本当の話だ。ここまで言えば分かるだろう、アイ君。

 きみが無事に元の世界に戻るためには……この物語でブラダマンテを演じ切り、夫となる騎士ロジェロと結婚エンドを迎えるしかないのだ!』


 下田教授は力説したが……司藤アイは戸惑いを隠せなかった。


「……そもそもわたし、ロジェロってどんな人なのか、知らないんだけど」


『そんな事はないだろう? きみにはブラダマンテの記憶がある。

 つまり、これ以前に意中の騎士ロジェロと戦場で出くわした、馴れ初めの記憶もあるはずだ。

 よーく思い出してみてくれ』


 アイは仕方なく下田の言葉に従い、ブラダマンテになったつもりで、過去の記憶を掘り起こそうと試みた。

 するとどうだろう。確かに下田の言う通り、女騎士ブラダマンテとして、異教の騎士ロジェロと初めて出会った時の記憶が鮮明に蘇ってきたではないか。


 司藤アイはしばらくの間、過去の記憶に思いを馳せる事となった――

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