2 司藤アイ、ブラダマンテに憑依する
しばらく馬を飛ばし、周囲に誰もいなくなった事を確認すると……
白を基調としたスカーフや盾。使い込まれた槍と剣、そして
羽飾りの兜は先ほどの一騎打ちで叩き落とされ、そのまま置いてきてしまった。
アイは赤面して、その場にへたり込んだ。
(何アレ……何なのよ、いきなりッ……!?
こっちが訳も分からず、飛び出しただけなのに、いきなり決闘挑まれちゃうし!
しかもこの何なのこの格好! 騎士のコスプレ!? 意味わかんないッ……!
っていうかわたし、乗馬とかやった事ないハズなのに……何でこんな上手く乗りこなせてるの!?)
先刻の激しい命のやり取りを思い起こし、心臓が緊張で早鐘の如く鳴っている。
演劇部員だけあり、彼女はこれまで様々な役柄を演じてきた。だが今回は、周囲を取り巻く環境が全く違う。
中世欧州めいた平原。類稀なる美貌を持った姫君。いきなり決闘を挑んできて、瞬く間に吹っ飛ばされていた騎士。
いずれも舞台のセットや、役者と断じるには奇妙な現実感を伴っていた。
そう、「奇妙な」現実感なのだ。
彼らの言動には演技めいた嘘っぽさを感じない。だがその割には、世界そのものから作り物めいた不自然さを感じる。
喉が渇いたので、川を覗き込んだが……アイはさらなる驚愕と絶望を味わった。
水面に映る彼女の顔は、鏡で見慣れた平凡な女子高生のそれではなかった。
目鼻立ちの整った西洋人女性の容貌。しかも自分の慣れ親しんだ顔より数段上の美人ときた。
ぺたぺたと自分の顔を触ってみる。夢ではない。現実としてそこにある。
顔を認識した途端、自分が成り代わった女騎士の記憶が――アイの頭の中に湧き上がってきた。
ブラダマンテ。フランク王国はクレルモン家、エイモン公爵の娘。もしかしなくても公爵令嬢である。
フランク王国の国王シャルルマーニュに仕える女騎士として、幾度も激しい戦争を戦い抜いている。
その武勇、十二勇士と称される屈強の騎士たちに勝るとも劣らない上に、女性としての華やかな美貌をも兼ね備える。どこの完璧超人か?
だがそんな記憶も、アイの心の動揺を鎮めるには至らず、むしろ不安をかき立てるだけだった。
状況が分からない。というより、受け入れたくない。
昨日までの、憧れの先輩である大学生、
アイはブラダマンテとなった美しい瞳に涙を溜め、大声で叫んでいた。
「何が……どうなってんのよぉーッ!!」
途方に暮れた女子高生の魂の叫びに、応える者などいる筈がない。
そう思っていた矢先に、彼女にとって聞き覚えのある、苛立ちを覚える男の声が聞こえた。
『おお、
お陰でお前さんの”現在ページ”を特定できた!
この私……
**********
声の主の名は、アイにとって忘れるはずのないものだった。
そもそもこいつのせいなのだ。自分がこんな所に飛ばされるハメになったのは。
下田の声を聞いた途端、混乱して忘れかけていた、この「異世界」に飛ばされるハメになった直前の出来事を、アイは鮮明に思い出した。
『あなたが下田教授?
『うむ。だが彼について説明する前に……まずこの本を開いてみてくれ』
大学の講師室に電話で呼び出されたアイ。もう少し用心すべきだったのかも知れない。
だが数日間行方不明となり、連絡も取れなくなっていた先輩の名前を出され……彼女はどうにか手がかりを得たくて、つい誘いに乗ってしまった。
下田教授に渡された本。
2冊からなる、非常に分厚い装丁のハードカバー本であった。
タイトルは「狂えるオルランド」とある。アイは名前すら聞いた事がなかったが、下田に言われるまま、本をめくった。
次の瞬間、意識と記憶が飛び、アイは気を失った。
気がつけば、辺りは大学構内ではなく……だだっ広い平原だった。
何故か乗った事もない馬を乗りこなし、身に着けた事もない、重い鎧兜を装着している。
彼女が驚き戸惑っている間に、馬は勝手に歩を進め……先ほどのサクリパンとの戦いになし崩し的に巻き込まれてしまった、というのが、先刻の場面に至った背景である。
心細くなり、泣き出しそうになった所に、頭の中に声が響いてきた。
今となっては憎むべき対象でしかない、この厄介な状況に自分を引きずり込んだ張本人、下田三郎の声だった。
「……聞こえるわよ。コレどういう事なの? ひどい夢見てるんだけど……!」
『どっこい夢じゃありません! 現実! これが現実……!
その様子だと作中のチート女騎士、ブラダマンテに成り代わったようだな!』
説明を聞けば聞くほど、薄々気づいていた絶望的な事実の再確認となり、アイは暗澹たる気持ちになった。
「どうして事前に説明してくれなかったのよ……いきなりこんな事になるなんて、聞いてないわよ……」
『……あ、いや、その……済まない、よもやこんな一瞬で異世界転移が発生するとは思わなくてな。
何しろ
涙声になっているアイにたじろいだのか、下田教授の声も腫れ物に触るような猫なで声になっていた。
しかし今、聞き捨てならない話が聞こえた。
「それってもしかして、
『ああ。……それで、何とか問題を解決できそうな人物を探していたんだが。
……
それで自分は呼び出されたのか。
「
『残念ながら、こうやって交信できるのはきみとだけのようだ……
試みてはみたが、
これはとりもなおさず、アイ君。きみの扮するブラダマンテが、この物語の主役という事を意味している。
そしてそれは、きみの頑張り次第で、この本から脱出できる事を示している!』
熱っぽく語る下田教授の言葉に、胡散臭さを感じなくはなかったが。
脱出する方法がある、というのだ。アイは彼がこれからする話を、注意深く聞く事に決めた。
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