第3話 媚薬、盛る、ダメ。ゼッタイ。
体育館では既に、ドンッという床を蹴る踏み込みの音と、裂帛の掛け声が響いてきた。
因みにこれは誰かが言ってたことだけど、剣道の掛け声って
小学生「ヤー、メェェーーーーン」←まだ可愛い。
中学生「ヤァァァアアアア、メェェエエエンンンン」←むさ苦しくなる。
高校生「ィィヤァァアアアア、メェイアアアアアアン゛ン゛ン゛ンンンンンン」←キチ◯イじみてる。
学年が上がるにつれ、何言ってっか良く分かんなくなるんだ。
俺は入り口で一礼してから、俺は体育館全体を見回す。
よっしゃ、先生はまだ来てない。俺は内心、胸を撫で下ろす。理由のない遅刻はめっちゃ怒られる(帰れって言われる)わけで。
一安心、セーーーーフ。
「セーーーーフ、じゃねえよ」
後ろから竹刀で頭を小突かれた。
白の道着に白袴、その上に胴、小脇には面を抱えて、その中に手拭いと甲手をつっこんでいる。紺色の垂れには「夜坂剣 暁月」の文字。
暁月つかさだった。
月宮の可愛さが「おとぎ話の妖精」なら暁月の可愛さは「パン屋とかフラワーショップとかでバイトしてそうな女の子」の可愛さだ。
……いやこれ伝わるかな。
月宮はアイドルとかお人形とか、現実離れした手が届かないような美貌だが、暁月はこう、身近にいそうな手が届きそうな(いや、届かないにしても)感じの美貌だった。
その、暁月に睨まれた。
「何遅れてるんだよ。先生にバレたらしばかれるぞ?」
「いや、来る途中で月宮に絡まれて……」
「愛梨に? 大丈夫? なんかされた?」
月宮の名前が出た途端に、暁月の表情が心配そうになった。
――さすが月宮愛梨、夜坂中学校一、信用がない人間だった。
「いや、別に大丈夫」
「ふーん、なら良いけど。早くしないと――」
暁月が言いかけた直後。噂をすれば何とやら、暁月の後ろに巨体が立っていた。
剣道の師範、浅利先生だった。
「…………」
俺と目が合うも無言。
「あ、先生おはようございますッ」
今、昼だけど「こんにちは」は言いにくい。
「日向、遅刻か?」
短く、ゆっくり、ただそれだけを浅利先生に言われた。
「あっ、いいえ、っていうか、はい……」
やっべえ、浅利先生の登場が早すぎた。何も遅刻の言い訳考えてない。流石に、中学一ヤベー女の子に絡まれてました、とは言えない。
「日向、生徒会の手伝いで遅れたそうです」
暁月がサラリと嘘をついた。
「そうか。なら良い。日向、とっとと着替えてこい」
はいっ、と勢い良く答えて俺は更衣室へと駆け出した。俺は先生にバレないように目で合図。
「暁月、ナイス。マジ助かった」
と俺は小声で言った。
暁月は肩をちょっとすくめて
「貸し一な」
それから二時間ほどの稽古で汗を流し、各々、雑巾がけやら後片付けやらを始める(因みに雑用・後片付けは中三がやる。中一は何もしない。うちの強豪校たる秘密の一つだ)
今日は五月の中旬なのに、嫌に暑い。
折りたたみ式の長机に山積みしてある紙コップをとり、ウォータークーラーから水を汲み、一気に自分の胃に流し込んだ。あ゛あ゛ー稽古の後の一杯は染みるうぅぅ。
――同時に脳裏に良からぬ考えが思いついた。稽古中でも頭の片隅から離れなかった、月宮のこと。
俺は更衣室に入って、制服のポケットに入れておいた、絶対にきく媚薬(らしい)ものを取り出した。
容器の蓋を外し、そのまま紙コップへ。暁月に差し出す。そうすれば暁月は――。
「いやいや、ないない、それはない」
俺は独り言でその馬鹿げた妄想を否定した。「絶対に効果のある媚薬」なんて、それこそおとぎ話の世界だ。そう、俺自身が断言した。
……でも、万が一、億が一にでも、これが本物であったら?
俺は舌打ちをした。堂々巡りだ、そんなこと永遠に結論が出ない。
……考えて分からないなら試してみれば良いじゃない。
こうしよう。盛ってしまうのだ。効果なくて元々、あったら「ラッキー!」くらいのノリで。そうだ、そうすれば良い。どうせ効果なんかないんだから……。
俺は新品の紙コップに水を汲み、「媚薬」を数滴落とした。準備OK。
「おーい、暁月―!」
体育館の暁月に呼びかける。
暁月は面を脱いで、後輩たちに踏み込みの指導をしていた。
「暁月、まだ水飲んで休息してないだろ? ほら、これお前にやるよ」
そう言って俺は例の紙コップを暁月に差し出した。
「何だよ、真希時のくせに気が利くじゃん?」
「まあ、主将お疲れ様の感謝を込めてだな」
ふーん? とだけ言って暁月は紙コップを受け取った。
普段はこういうことしないから、暁月にもっと疑われるかと思ったが、そんなことも無かった。
暁月は受け取った紙コップをその桃色の唇に近づけ――。
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