第十章 堕ちる暴食Ⅱ(1)






 *




 特殊魔術機研究所大山支部。


 房総半島の先端部にある草薙財閥保有の研究施設。それがハッキングを駆使して見つけた、智貴の監禁場所だった。


 見られたくない物ばかり扱っているのだろう。研究所の周りは森と山、更に高い壁で囲まれており、まさに陸の孤島とでもいうべき様相をしている。


 当然ながらそんな研究所の警備は厳重だ。


 隠れて侵入するのは難しい。しかも相手はこちらの侵入を予測している節がある。


 加えて今回の目的は智貴の奪還。


 あまり時間をかけすぎては、智貴をヨソへと移送されかねない。そして智貴の詳しい場所もわからない。


 ハッキングでわかればよかったのだが、どうやらこの研究所は回線が外部に繋がっていないらしく、無理だったのである。


 つまり短時間で奪還を済まさなければならないにもかかわらず、その難易度は高いのだ。


 説明されればされるほどただの無理難題に聞こえるその状況に、しかし姫乃は胸を張ってこう言った。


「隠れるのが難しい? なら隠れなければいい。


 時間をかけると逃げられる可能性がある? なら逃げられないようにすればいい。


 私たちの侵入に対策してある? なら対策させなければいい。


 トモ君の詳しい居場所が外からじゃわからない? なら中から探せばいいんだよ」



 そして今。


 そんな姫乃の立てた作戦を実行し、特殊魔術機研究所大山支部は炎に包まれていたのだった。




 聞こえてくる音は大量の羽虫が飛ぶような音。なにかが発射される音。なにかが燃え盛る音。なにかが壊れる音。なにかが爆発する音。そして誰かの悲鳴だ。


 狭く暗い部屋の中。誠二は窓の外から差し込む爆発の明かりに、緊張から出た汗を拭う。


「……全くとんでもない事を考えるな」


 小さく呟いて、誠二が後ろを向く。そこには壁に穴を開けて、中に走るケーブルとコネクタを直結した姫乃の姿があった。


 彼女がなにをしているのかと言えば、ハッキングで智貴の居場所を探しているのだ。


 ネット回線がつながっていないとは言え、それはあくまで外部と研究所をつなぐ回線がないだけのこと。研究所内部では仕事を円滑にするため、社内ネットワークが整備されている。姫乃はそれを利用しているのだ。


 口で言うのは簡単だが、実際これを行うのは非常に困難である。そもそもこうやって中に入ること自体、本来はまず不可能なのだ。


 ならば姫乃と誠二はどうやってそれを成したのか。


 簡単に言えば陽動である。


 喜咲とエルミールを別動隊にして、外にある車両の破壊。及び、建物の破壊に、警備員の無力化をさせているのだ。


 そしてそうやってできた建物の穴から姫乃と誠二が侵入。人の出入りが少なそうな部屋に入って、ハッキングを仕掛けている、と言う流れである。


 ちなみに誠二がここにいるのは、姫乃が見つかった時に護衛する為。喜咲たちが車両の類を破壊したのは、敵の脱出を阻止する為だ


「……神宮さんたちは無事かな」

「大丈夫だと思うよ。一応、警備員の通話も同時に傍受してるけど、準備のかいあって、まだ混乱したままみたいだし」


 今度は誠二の声が聞こえたようで、姫乃がそんな言葉を返す。


 確かに、時々人の声のような物が聞こえてくるが、その全てが悲鳴や怒号ばかりで、冷静さの欠片も感じられない。


 もっとも、現状を考えれば無理もない事だろう。


 なにせ今この研究所は、姫乃の仕込みによって絨毯爆撃を受けているのだ。戦中でもないのに、そんな目に遭えば混乱する。


「本当に君はとんでもない事を考えるね」

「ウフフフフ。もっと褒めてくれていいんだよ」


 断じて褒めたわけではない。誠二は呆れたような半眼を姫乃に向けた。


 エルミールにとんでもない額の資金をせびった姫乃。それを実際エルミールが用意したのも驚きだったが――なんでももらった給金はほぼ全て貯金しているらしく、気付いたらそんな額になっていたとか――なにより驚いたのが、その資金の使用方法である。


 姫乃はそれらを全てドローンと、ロケット花火、そしてそれを運搬するためのトレーラーに使用したのである。


 ドローンの数はおよそ二千。その全てにロケット花火を射出できる機構を取り付けると言う魔改造を施してある。


 作戦会議をしたのが前日の午後であり、およそ一日ちょっとで二千機すべてを改造したのだ。


 当然、まともにやってそんなことができるはずもない。ならばどうやったかと言うと、喜咲の人望を使って集めた人員に加えて、姫乃が弱みを握って連れてきた人員。計五十人に、それらの作業をやらせたのである。


 そしてそれらに独自のプログラミングを施して、今現在、研究所を襲わせているのだ。


 それによって研究所の職員が逃げ出さないよう建物の中に押し込めつつ、喜咲とエルミールの援護をさせているのである。


 喜咲たちは基本的に一撃離脱戦法を取っており、建物や車両を破壊したら即座に移動して別の場所を攻撃するよう指示している。


 ドローンのせいでまともな追撃も行えない警備員たちは、喜咲たちを補足することができない。いや、そもそも相手が喜咲であることも認識できていないかもしれない。


 なにせ大規模な破壊が起きたと思ったら、それをもたらした喜咲は既にその場を離れているのだ。しかも周囲はドローンによって轟音と閃光に包まれている。そんな状況で正しく現状を理解できている者が、果たしてどれほどいるのか。少なくとも誠二が逆の立場だったら、間違いなく混乱の極みにあっただろう。


 現に今この場所は炎と煙、そして阿鼻叫喚が渦巻く地獄のような場所と化していた。


「オッケー、トモ君の居場所。大体わかったよ」

「……大体?」

「詳しい話は合流してから話すね。とりあえず喜咲ちゃんたちにも合流地点を伝えておいたから、まずはそっちに移動しよ」


 微妙にもやもやが残る言い方だが、この場で長話をして二度手間になるのも具合が悪い。


 誠二が頷いて部屋を出ようとすると、その手を取られて引き留められた。


「急いだ方がいいんじゃないのかい?」

「そうだけど、部屋を出たすぐ近くに警備員が来てるみたい」


 警備員と言われて、誠二はわずかに緊張する。聞かされずに遭遇していたら、混乱した上失態をしでかしていたかもしれない。


「どうする? やり過ごすかい?」


 誠二たちの存在はまだ警備員にはバレていない。ならこの場は下手に遭遇しないようにした方がいいのではないか。


「やり過ごそうと思えばやり過ごせるとは思うけど……せっかくだし、派手にいこうか」


 邪悪な笑みを浮かべる姫乃。


 姫乃はスカートからスタンガンと閃光弾――両方とも自作したらしい――を取り出すと、誠二が止める間もなく部屋を出ていった。


 姫乃が出ていった扉越しでもわかるぐらいに激しい光が生じ、直後になにかが倒れる音が二つほど。少し経ってから、ほくほく顔の姫乃が部屋に戻ってくる。


「……僕がわざわざ護衛についてくる必要、なかったんじゃないかな」

「そうでもないよ? さすがにハッキング中は無防備になるし。トラップを仕掛けておけば一人でもなんとかなったかもだけど、時間がもったいないしねー」


 つまり自分は時間短縮の為だけに連れて来られたと言う事か。そこはかとなく哀愁が誠二の背中に漂い出す。


「まあまあ。さっきので多分私たちの存在もバレたと思うから。ここからは遠藤君の仕事もたくさんあるって!」

「それって……ようは君が余計なことをしたってことじゃないか!」

「よし、じゃあ警備員たちに捕捉される前にさっさと合流地点に行こう。護衛よろしくね!」


 誠二の叫びをスルーして、姫乃が部屋を飛び出す。


「護衛よろしくって言いながら先に出るんじゃないよ!」


 そんな姫乃を追いかけて、誠二も抗議の声を上げながら部屋を飛び出すのだった。




 十分後、姫乃の言う合流地点に辿り着く。さっきまで二人がいた部屋よりも一回り大きく、照明もちゃんとついた部屋である。その部屋の中央で、誠二は満身創痍で倒れていた。


 息もあれば意識はある。


 満身創痍と言ったが、全身に負った傷はかすり傷程度で、倒れているのは単純に疲労のためだ。


 姫乃が無茶な特攻ばかりして、誠二がそのフォローに当たったのが原因である。


「もう、二度と。君の護衛は、ごめんだ!」

「ヒュー。喜咲ちゃんだけじゃなくて遠藤君もツンデレなんだね……ん、ロックを解除できなくてハッキングを仕掛けてきた? アハハ、馬鹿だなー。そんな程度の腕で私が組んだ防壁を破れるわけないじゃーん。前と違って今度はきっちりばっちり準備してきたんだからね♪」


 姫乃は軽口を叩きながら、部屋に備え付けられえていたコンソールのキーを叩く。


 今この部屋の扉はロックがかけられており、警備員たちが入って来られないようになっているのだ。そしてそれをシステム側から解錠しようとして、姫乃がそれを防いでいる……ということのようだ。


 相変わらず有能なのが憎らしい。


 誠二は苦々しい表情を浮かべて上体を起こす。できればこのまま倒れていたいが、状況がそれを許さない。まだ智貴を助けるどころか、喜咲たちとも合流できていないのだ。そこまで考えて、誠二は一つの疑問に思い至る。


「ところでドアをロックしたみたいだけど、喜咲さんたちはちゃんと来れるのかい?」

「……え?」

「え?」


 誠二と姫乃が見つめ合う。三秒ほどそうしてから、気まずそうに姫乃は目を逸らした。


「まさか考えてなかったのかい!」

「いやー、警備員が慌てふためく姿が面白すぎて、そんなこと考えてなかった……テヘペロ☆」

「可愛く舌を出しても許されないからね! って言うか、本当にどうするのさ!」


 このままでは喜咲たちと合流できない。なら自分と姫乃だけで智貴を助けられるか。いや、無理だろう。


 確かに姫乃は優秀だが、そこまでだ。彼女に喜咲の様な突出した戦闘能力はない。そして智貴はおそらく厳重に守られているはずだ。警備員によって守られていたら、戦闘能力の低い自分たちでは彼を救い出すことはできない。


 ここまで警備員を無力化できたのは、あくまで奇襲が利いていたからだ。だがそれももう限界だろう。


 今では完全に誠二や姫乃の存在は、警備員たちに捕捉されている。警備員が集まって襲ってきたら、物量的に誠二たちでは捌けない。


 つまりここに来た目的は叶わないのだ。


 逆に喜咲たちも、智貴の詳細な位置を知る姫乃と合流できなければ智貴を助けることができない。


 現状はあまりいいとは言い難かった。


「んー、向こうにはエルもいるから大丈夫じゃないかな? 喜咲ちゃんだけだったら駄目だったかもしれないけど」

「それは…………」


 否定できないところがまた悔しい。


「だけど現状を知らないのにどうにかできるものなのかい?」

「あー、そだね。通路を使っての合流は難しそうってことは教えておいた方がいいかも」


 誠二に言われて、姫乃がコネクタに触れる。


「あ、エル? そっちの方はどう? 車両は全部壊せたの? さっすがー。あー、それなんだけどね――――」


 どうやらエルミールと通信しているようだ。


 具体的にどうするつもりなのかは知らないが、あの二人で方法を考えるなら合流は可能だろう……なんだか自分がまた大変な目に合いそうな気がするが、そうはならないことを祈りたい。


「うん。それで通路が使えないから。なにか妙案はないかなーって。え? 喜咲ちゃん? なに? え?」


 不意に姫乃の表情が曇る。なんだか嫌な予感がしてきた。


「ちょ、ちょちょちょ! 撃ち込むってなに! 壊せば通路を使わなくてもいいとかなんとか聞こえた気がしたんだけど! ちょっと待って、五秒でいいから!」


 慌ててコンソールを叩きだす姫乃。誠二は本能の赴くまま、部屋の隅に退避する。直後、大砲でも撃ち込まれたような衝撃が部屋に走った。


 部屋の中に砂煙が立ち込めて、思わずむせてしまう。


「まったく……相変わらず、猪突猛進すぎです。着弾地点に人がいなかったからよかったものの、もしもいたらミンチどころの騒ぎじゃ済みませんわ」

「ちゃんと魔力の反応を探って、安全を確かめてから撃ったわよ」

「仮に生体の位置を探れても瓦礫による負傷、爆発物への誤射。なんらかの二次災害が生じる危険性はあったかと。決して仲間が傍にいるのに、取っていい選択ではありませんわ」


 聞き覚えのある二つの声。


 砂煙が晴れて見えた部屋の光景には、姫乃に加えてもう二人、見覚えのある姿があった。


 一人は死神が持っていそうな大鎌を持ったメイド服の女性、エルミール。もう一人は六十四本の槍を二対の翼のように背中にマウントしたヘッドホンの少女、神宮喜咲である。


「って言うか、待ってって言ってるのになんで待ってくれないの!」


 そんな喜咲に、それまで衝撃で倒れていた姫乃が跳ね起きて叫ぶ。


「ああ、鹿倉。いたの?」

「いたの? じゃないよ! 危うくいろんな意味で心臓が止まるところだったよ! って言うか、トモ君を助けられなくなるところだったんだよ!」

「でもアナタは無事だったんでしょ? ならいいじゃない」

「よくなーい!」


 叫んで、姫乃は壁を指さす。そこにはさっきまで存在しなかった穴が開いていた。いや、よく見てみれば下へ続く階段が覗いている。


「これは……隠し通路?」

「そうだよ! 隠し通路! 喜咲ちゃんがもう後数秒早く攻撃してたら、開けられなくなってたかもしれないんだよ!」


 どういう意味だろうか。誠二は小首を傾げる。


「喜咲ちゃんが攻撃して床が壊れたせいで、そこにある隠し通路を開けるための回路が切断されちゃったの! 私が咄嗟に扉を開けてなかったら今頃どうなってたか……」

「……その場合はその扉を破壊すればいいだけだったのでは?」


 エルミールの呟きに、一瞬場が鎮まる。


「じゃあ気を取り直して地下に行こう!」

「……別に私はいいんだけどね」


 喜咲が呆れたようにため息をつく。


 なんにせよ、これで役者は揃った。


 喜咲は誠二たちの面々を見渡す。


「準備はいい?」


 問いかけに頷くのを確認してから、喜咲は隠し通路に向き直る。


「なら行くわよ。穂群を助けに!」


 そして階段へ、その一歩を踏み出した。






 *




 地下の階段を降りた後、喜咲たちを阻む者たちはいなくなった。


 警備員たちの追走もなく、それどころか喜咲たちが地下に足を踏み入れた途端、まるで歓迎するようにフロアに明かりが灯りだす。


「……どう思う?」

「十中八九、誘ってると思われますわ」

「ですよねー」


 エルミールの答えに、姫乃が顔をしかめる。そんな二人をよそに、喜咲はすたすたと先へ行く。


「ちょ、ちょっと喜咲ちゃん! 話聞いてなかったの! 罠かもしれないんだよ!」

「罠だって言うなら、私たちをおびき寄せるために穂群がいるかもしれない。どちらにせよ、私たちの取る行動は変わらないわ。だったら悩んでも仕方ないじゃない」

「それはそうかもしれないけど」

「下手の考え盗むに至りよ、ほらさっさと行くわよ」

「それを言うなら休むに似たりじゃ……」


 姫乃のツッコミに一切応えず、喜咲はさっさと歩いて行ってしまう。誠二がそれを追いかける。


「どうも智貴様の存在をより近くに感じて、少々急いているようですわね。それだけ大事なんでしょう」

「ふーん……」

「とりあえず追いかけましょう。喜咲様が焦っているなら、なおのこと私たちが付いていませんと」

「……そだね」


 頷いて、二人も喜咲を追いかけた。


 そして間もなく四人は目的の人物を発見する。


 体育館並みに広い、半球状の部屋だった。


 壁の上部には窓が付いているが、下から窓の向こうはうかがえない。そんな部屋の中央にはこれ見よがしに十字架が生えており、そこに人間がはりつけにされている。頭を垂れていてわかりにくいが、はりつけにされているのは智貴のようである。


「穂群!」


 喜咲が叫んで駆けていき、『八脚の神馬槍』で固定しているバンドを破壊する。手足の拘束を解かれて、智貴が十字架から剥がれ落ちた。喜咲は降って来た彼を受け止めると、そのまま優しく床に横たえる。


「しっかりしなさい! 穂群!」


 声をかけるが智貴からの反応はない。意識を失っている……だけなのだろうか。喜咲には判断がつかない。


 このまま連れ出して大丈夫なのだろうか。喜咲が戸惑っていると、遅れて姫乃がやってくる。エルミールと誠二も同様だ。


 姫乃は奪うように智貴の顔を覗き込み、瞼を開いて瞳を見る。それから腕を取ってなにかを確認してから、安堵したように胸を撫で下ろした。


「……穂群は大丈夫なの?」

「うん。脈拍は弱ってるけど、目立った外傷とかはないし。多分、気絶してるだけだよ」

「よかった……」


 あからさまに安堵する喜咲。そんな彼女を見て、誠二が複雑そうな表情を浮かべていた。いや、エルミールも眉を顰めている。しかしエルミールの瞳は智貴を捉えていた。


「姫乃様」


 静かに姫乃に歩み寄って、二人に気付かれないよう声をかける。


「怪我はないみたいだけど……でも妙な発疹やチアノーゼが見て取れた。多分、なにかしらの薬物を投与されてると思う」

「薬物と言うと……まさか」

「うん。ここまでされて再地獄変リカラミティが起きてないことを考えると、多分ウイウイの言ってた対魔王用の特殊弾。それを使われたのかもね」


 詳しい仕様については聞いていないが、対魔王用に作られたその特殊弾は弾頭に特殊な材質を用いている。魔術的な効果ではなく薬物的な効果で智貴の持つ魔王の断片。その力を弱めることができるらしい。


 おそらく、その弾頭と同じものを投与されたと思って間違いないだろう。


「二人でなにを話しているの?」


 姫乃とエルミールが話しているのに気づいて、智貴の顔を眺めていた喜咲が振り向く。


「んーん。なんでもないよー。それよりトモ君も無事回収できたし、早くこの場から脱出しよう」


 喜咲は一瞬不満そうに唇を尖らせるが、姫乃の言う事も一理ある。


 目的を達した以上、この場に居続ける理由はない。むしろ敵地である以上、この場に長く留まっている方が危険だろう。


 智貴を誠二に背負わせて、いざその場を脱しようとするが、しかしそれを阻むように雷の壁が喜咲たちを取り囲んだ。


「なに!」


 驚きに足を止める喜咲。見回してみれば前後左右、天井から床までを格子状に電撃が走っている。逃げ場はない。


「これは結界……いえ、純粋な電気エネルギーのようですわね。さしずめ電気の檻と言ったところでしょうか」

「暢気に分析している場合じゃないでしょ! これ絶対触れちゃ駄目な奴ですよ! どうするんですか!」


 悲鳴のような誠二の絶叫。しかし喜咲は迷わない。


「邪魔を……」


 喜咲は背中にマウントされていた『八脚の神馬槍』を全て分離する。それらは自分の意志を持っているように上下に狙いを定め、


「しないで!」


 電気の檻が出ている床と天井を同時に貫いた。


 直後、小規模な爆発が連続して巻き起こり、電気の檻がかき消える。


 電気の檻を形成していた機械の残骸だろうか。爆発の余波で、金属粉のようなものがまき散らされて周囲の空間を煌いている。わずかに吸い込んでしまい、喜咲は不快感に眉を顰めてしまう。


 とにかくこれで逃げ出すための障害はなくなった。そう思って前を向けば、今度は喜咲たちが入ってきた部屋の出入り口が閉まっていた。


「フン、この程度で私を閉じ込められるとでも――――」


 思っているのか。そう告げようとして、しかし喜咲は全ての動きを止めてしまう。


「神宮さん、どうしたんだい?」

「魔術機が……動かせない……?」

「え?」


 戸惑ったような一同の声の直後、部屋の上部から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


『やあやあ、流石は神宮と言うべきかな。ライトニングシールドを無傷で破壊するとはね』

「草薙悠馬……!」


 喜咲が叫びに呼応するように、正面に悠馬の姿が浮かび上がる。透けて後ろから見えることから立体映像の類のようだ。


 反射的に『八脚の神馬槍』を操ろうとするが、やはり槍は動かない。


『おやおや、難しい顔をしてどうしたのかな。ひょっとして魔術機が使えないのかい?』


 わざとらしい棒読みの台詞に、喜咲は目を細めた。


「これはアナタの仕業ね。一体なにをしたの?」

『特に難しいことはしてないさ。魔術を疎外する特殊な物質を部屋の中に散布しただけだよ』

「なんですって?」

『学園から提供された対魔王用特殊弾と言う物があってね。その弾頭に使われている物質を調べてみたところ、魔王の断片の弱体化に加え、魔力の拡散。魔術機と術者を繋ぐレイラインをジャミングする効果がある事がわかったんだ』

「……つまり、それをこの部屋の中に撒いたと言うこと?」

『それはあまり正確じゃないね。ライトニングシールドが破壊されたら、その爆発によって部屋の中に拡散するように仕込んでおいただけさ。僕たちはマジックチャフと呼んでいるんだけどね、そのマジックチャフを部屋の中に撒いたのは他ならぬ君自身と言うわけさ』

「実にいやらしい、アナタらしい趣向ね……!」

『こう見えて、舞台演出にはこだわる性質なんだよ。どうだい気に入ってもらえたかな?』


 舞台役者のように、大仰に両腕を広げてみせる悠馬。


 皮肉を皮肉で返されて、喜咲は渋い顔だ。逆に悠馬はそんな喜咲の表情を見て、実に楽しそうな笑みを浮かべている。


『さて、立場をわかってもらえたところで取引といこうか。僕の物になれ、神宮喜咲。さもなくば、仲間の命はないよ』

「……とんでもなくふざけた口説き文句ね。そんな言葉で女の子のハートを射抜けるとでも思ってるの?」


 嫌悪感を隠そうともしない喜咲の言葉。しかし悠馬は気にした様子はない。


『ああ、それなら安心してくれていい。別に君の気持ちなんか僕にはどうでもいいからね。むしろ人間でない存在に好意を向けられるなんて、考えただけで虫唾が走る』


 さらりと言われて、喜咲が驚いたように目を見開く。喜咲やエルミールも同様だ。ただ一人、喜咲の正体を知らない誠二だけが怪訝そうに眉を顰めている。


「草薙はなにを言っているんだい? 今の言い方だと神宮さんが人間じゃないみたいに聞こえるんだけど……」

『なんだ、聞いてないのかな? 彼女の正体が人間ではなく、悪魔だって』

「……は?」

『物わかりの悪い君のために、もう一度言ってあげよう。神宮喜咲は、人類の敵たる悪魔なんだよ』

「嘘だ!」


 誠二が大げさなまでに腕を振って、否定の声を上げる。


「神宮さんが悪魔なわけない! 彼女は死都で僕を助けてくれたんだ! 悪魔と戦って、悪魔を倒して! そんな彼女が悪魔なわけがない!」

『君は馬鹿だな。悪魔だから悪魔と戦うわけがないとでも言いたいのだったら、その回答はナンセンスだ。死都で悪魔同士が殺し合っている様を見たことぐらいあるだろう。悪魔でも理由があれば悪魔を殺すし、同じように人間を助けたりもするものさ』

「だ、だけど……!」

『嘘だと思うなら、彼女のヘッドホンを外してみるといい、彼女が人間でない証が見れるからね』

半信半疑の様子で、しかし誠二は喜咲に歩み寄る。

「……神宮さん」

「………………」


 喜咲は目を逸らして沈黙するが、抵抗する様子はない。誠二はかすかに指を震わせながら、彼女のヘッドホンに手を伸ばした。そして人ならざる長い耳が外気に晒される。


「……嘘、だろ」


 愕然としたような誠二の声。喜咲はそんな彼の視線に耐えるように、強く目を瞑った。


『ハハハハハハハハハハ! 二人とも、実にいい表情をするじゃないか! いいね、実にいい! ハハハハハハハハハハハ!』


 実に愉快そうな悠馬の笑い声。その声に耐えかねたのか、エルミールが動いて、腕を振るう。握られていた鎌が立体映像の悠馬の首を切り裂いた。そして立体映像がかき消える。


『なんだ、怒ったのかい? 君がそこまで怒りの感情をあらわにしたところは初めて見たよ、エルミール。意外に直情的な動きを取るんだね』


 姿こそ消えたが、悠馬がいなくなったわけではない。実に愉快そうな、喜咲たちからしてみれば不愉快な声が、変わらず部屋の天井から聞こえてくる。


『じゃあ無事に君たちの仲間の絆を確認できたところで、本題に戻ろうか……と、言っても強情な君のことだ。この程度のことで心が折れることはないだろう? だから君が素直になれるよう、こんな趣向を凝らしてみたんだ』


 直後、部屋の壁に無数の穴が開き、そこから大量の筒――銃口が姿を現した。更に遅れて空いた穴から、弾かれる様になにかが飛び出す。飛び出したなにかは床の上を転がり、喜咲の足元で停止する。


 見てみれば、喜咲の足元に転がって来たのは黒い首輪、コネクタである。一般的に市販されているそれに比べると一回りほど大きい。


『そのコネクタは特別製でね、神経系に干渉して、激痛を脳に誤認させることができる代物なんだ。しかも外そうとしても同じことが起きる。言ってみれば西遊記の緊箍児きんこじさ。孫悟空に言うことを聞かせるための頭の輪だよ』

「……そんな物を出してきてなんのつもり?」

『それを身に着けて俺に忠誠を誓いたまえ。さもなくば……周りを見れば、後は言わなくてもわかるだろう?』


 大量の銃口で囲まれていれば、わからないわけがない。


 つまりは隷属か、死か。悠馬はこの二つしか選ばせる気がないのだ。


 実にふざけた選択肢だと喜咲は思う。選択肢は二つ用意されているが、実質的には一つしかない。しかもそれでいながら、待ち受ける未来は決して明るくない。


「……アナタ、悪魔は嫌いなんじゃないの? それがどうして私なんかを欲しがるのよ」


 先延ばしにしたい思いから、喜咲は思わずそんなことを呟く。だが心にもない言葉と言うわけでもない。実際、悠馬がどうして自分なんかを欲しがるのかがわからないのだ。


『決まっているさ。僕が欲しいのは悪魔としての君の能力なんかじゃない。間宮学園主席の神宮喜咲、その君への信用さ』


 信用。あまりに悠馬に似つかわしくない言葉に、喜咲は眉を顰めた。


『簡潔に言えば、俺は魔王の断片を使って英雄になる。その生き証人として君が最もなのさ』


 意味がわからない。わからないが、ろくでもないことを考えているのは顔を見なくてもわかる。


 やはり彼に従うべきではない。喜咲は本能的にそう思うが、


『それで、答えはまだ決まらないのかい? 判断が遅い女は嫌いなんだがね……仕方ない。なら、最後の手助けをしてやろう』


 なにをするつもりなのか問う暇もなかった。


 悠馬が言い終わるのと同時に、計八発の銃声が響く。内三発は外れて床に穴を穿ち、残りは姫乃の小さな体に吸い込まれていった。


 まるで踊るように全身を震わせて、姫乃が吹き飛ばされる。そしてそのまま床を転がっていき、微動だにしなくなった。


「鹿倉!」

『動くな。俺の許しなく動けば、今度はメイドを撃つ』


 姫乃の元へ駆けよろうとして、悠馬の低い制止の声がそれを留めた。


『安心してくれていい。一応頭と胸は避けておいたからね。早めに治療をすれば助かるかもしれないよ』

「あ、アナタ。アナタは……!」

『さて、あともう一つ駄目押しをしておこうか。自分の意志で首輪を付けることができないと言うのなら、君はつけなくていい。代わりに遠藤と言ったかな? 君が神宮にコネクタを付けてやるといい』


 急に話を振られて遠藤が驚いたように目を見開く。


「ぼ、僕が?」

『そうだ。君は今、生きるか死ぬかの窮地に立たされている。だがこんな状況に陥っているのは君のせいか? 違うだろう。君が今死にかけているのは、正体を偽って君をここに連れてきた神宮のせいじゃないかな? もし彼女が悪魔だとわかっていれば、君はこんなところまでのこのこと付いてきたかい? なにがなんでも必死で断ったんじゃないかな』

「そ、それは……」


 誠二が喜咲たちについてきたのは、初による後押しがあったとはいえ、自分で決めたこと。だが更にその前提として、人間だと思っていた喜咲のことが好きだったからだ。


 彼女が人間でないと知っていたら、果たしてここまで付いてきただろうか。


 いや、そもそも自分は今でも彼女のことが好きなのだろうか?


 自分は人間で、彼女はその人間の敵たる悪魔だ。それを踏まえても、自分は彼女のことが好きなのだろうか?


 わからない。わかることがあるとすれば、それは一つだけ。


 誠二は意識せず、倒れた姫乃を眺めていた。


 彼女は自分で作り出した血だまりの中に倒れて、微動だにできないでいる。死んでいる、と言われても違和感がない。いや、そもそもこのまま放置しておけば、彼女は死ぬ。そして自分も。



 死にたくない。その思いが彼の体を突き動かしていた。



 床に落ちていた黒いコネクタを拾い上げ、そして喜咲に歩み寄る。


 喜咲は一瞬、驚いたように目を見開くが、直ぐに諦めたように目を伏せてしまう。


「……ごめんなさい」


 喜咲の首に手を回そうとした瞬間、喜咲がそう謝った。


 なにに対しての謝罪かまではわからない。ただ胸の奥に鋭い痛みが走った気がした。気のせいだ、と自分に言い聞かせて、誠二は喜咲のコネクタを取り外す。


 外されたコネクタが床に落ち、カツン、と硬質な音を響かせた。


「……ない」


 なにか声のようなものが聞こえて、誠二は手を止める。


『どうしたんだい?』

「い、いや……なんでも」

『なら続けたまえ』


 悠馬に促されて、誠二は再度動き出す。いや、動き出そうとして今度こそはっきりとその声が聞こえてきた。


「渡さ、ない……!」


 誠二ではない。もちろん悠馬でも。それは二人の物とは違う、男の声。


 必然的に、誠二は残る男――床に倒れている智貴に視線を向け、そして見た。


 彼の体から漆黒の闇が立ち上る様を。


「神宮は、絶対に。渡さない!」


 次の瞬間、智貴の体から爆発するように大量の闇が迸り、それに飲み込まれるように、誠二は意識を失った。





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