第十章 堕ちる暴食Ⅱ(2)






 *




 龍を討って不死となった騎士。


 十二の試練を乗り越えた剣士。


 選定の剣を抜いて王となった少年。


 七つの首を持つ大蛇を倒して神になった乱暴者。


 それら全て英雄と呼ばれる存在であり、そして草薙悠馬が憧れた存在である。


 悠馬は、そんな英雄になれるはずだった。


 方法は単純。


 魔王の断片に地獄変を起こさせて、それを悠馬が収束させる。


 それを実現させるため、穂群智貴を捕まえて実験に使った。喜咲を従えようとしたのは、その収束の場に付き合わせて証言させるため、英雄譚を確定させるためだ。


 計画は順調だった。


 当然だ。順調にいくよう、入念に仕込みを行っていたのだから。


 穂群智貴を人目のつかない場所に連れ込んで拉致し、更に人気のない場所でモルモットにする。


 間違っても暴走などしないよう、過剰なぐらいに魔王の断片を抑制する薬を投与した。その上、彼を捕えていた部屋に同様の薬を散布してあったのだ。


 それなのに、どうしてこんなことになってしまったのか。


 主電源が落ちたのか、緊急用の電源に切り替わり、部屋を照らす照明が白から赤へと変わっている。


 聞こえてくるのは施設中に響く警報と、混乱する職員たちの阿鼻叫喚。そして絶え間なく生じる破壊音だ。


 だがそんなものは気にならない。


 部屋を照らす赤い光も、警報も悲鳴も悠馬の頭に入ってこない。彼が唯一認識している物は、モニターに映っている黒い繭だ。


 研究所上空に浮かぶ直径三メートルほどの不定形な黒い球。そこから無数の枝葉のように黒い線が伸び、その先端にある獣の口が、文字通り研究所を喰らっている。


 あれこそが穂群智貴が持つ魔王の断片。暴食の力なのだ。


「ありえない……」


 誰にともなく悠馬は呟く。


 こんなことはありえないはずだった。


 こうならないように準備していたのだ。現に喜咲たちがやってくるまで、魔王の断片が発現する兆候はまるでなかった。


 彼をモニターしていた機械がそのことを証明していた。


 機械が異常を示し出したのは姫乃を撃った直後辺りからだ。そして喜咲にコネクタを付けようとしたところで、それまで鎮静化した魔王の断片が急激に活性化し、爆発したのだ。


 智貴を捕らえていた第五研究室は爆散し、喜咲たちの安否は不明。智貴は部屋の直上を破壊して空中に飛び出し、そこで黒い繭のような物を作り出したのである。


 機械の予測によれば、再地獄変を起こす準備をしているらしい。


 最初、智貴を覆う黒い繭は二メートルもなかったのだ。それが時間を追うごとにかすかにだが肥大化していっている。


 予測によればあの繭の大きさが十五メートルに至った時、再地獄変が起きるらしい。


 猶予は最長で六時間。最短で二時間ほど。


 助けを呼ぼうにも、どうやら黒い繭が妙な電磁波を出しているようでどことも連絡がつかない。


 逃げ出そうにも、足となる車両は喜咲たちによって全て破壊されている。


 いや、そもそもここで再地獄変を起こしてしまえば草薙財閥の地位は失墜してしまう。それを防ぐためにも、は今ここでどうにかしなければならない。


「クソ……せめて兄さんに連絡を取れれば」


 泣き言を言っていても始まらない。悠馬は歯を食いしばって覚悟を決めると、後ろで混乱している職員たちを振り返った。


「ありったけの火力を持ち出してあれに攻撃しろ! この際魔王の断片の安否はどうなっても構わない。なにがなんでも再地獄変を阻止するんだ!」


 それが最善かはわからない。だが最悪の事態だけは防げるはずだ。


 職員たちは一瞬静まり返った後、悠馬の指示に従って智貴を攻撃しようと準備しだす。


 それを確認して、悠馬は正面に向き直る。そしてモニターに映る智貴を睨みつける。


 初めて会った時から反抗的な奴だと思っていたが、これほど手を煩わされるとは思わなかった。


 敵意すら込めてモニター越しに睨みつけると、繭の中で智貴が動く。


 繭越しでよくわからないが、目が合った気がした。


 嫌な予感がよぎった瞬間、部屋の天井を突き破って、黒い獣の顎が部屋の中に飛び込んでくる。


 さっきとは比較にならない阿鼻叫喚が響き渡り、轟音と衝撃が悠馬の身を貫く。


 なにが起きたのか理解できないまま、草薙悠馬は床に叩きつけられて、意識を失った。


 一体、どのくらいそうやって床に伏して、意識を失っていたのだろうか。


 悠馬が意識を取り戻すと、視界は赤と黒の二色に染まっていた。煙の黒に、そして炎と血の赤である。


 いつの間にか火災が発生したらしい。


 体を起こそうとして左腕に痛みが走る。見てみれば肘から先があらぬ方向を向いていた。


「う……!」


 見慣れない自分の体の有様に、悠馬は吐き気を覚えて目を逸らす。しかし目を逸らした先にある物が視界に入って、悠馬は動きを止めてしまう。


 そこにあったのは壁に張り付いた人間だった。この研究所の職員。その上半身だけが、まるで壁に叩きつけられた虫のように、潰れて張り付いていたのだ。


 目玉は飛び出し、胴の断面からは色々な物が飛び出し、右腕が胴の下敷きになってあらぬところから骨が飛び出している。


 死体の有様を理解した瞬間、それまでかろうじて堪えていた灼熱が口から溢れた。


「おえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ、げぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 自分の物とは思えない醜い声とともに、夕食に食べたチキンが床を汚していく。


 止まらない。止められない。


 まるで自分の制御下から離れてしまったように、体が言うことを聞かない。


 痙攣するように体が震えて、吐く物がなくなって胃液だけになっても吐き続けた。


 やっと吐き気が治まったところで、悠馬はふらつきながら立ち上がる。


 左腕は痛んだが、そんなことはもう気にならなかった。気付けば周りには大量の死体が溢れていたからだ。


 頭をなくした死体。上半身のない死体。原形こそとどめているが、全身に大量の破片を浴びた死体。


 死体、死体、死体。死体ばかり。


 この場はまるで地獄だ。


 生者の居場所ではないとばかりに死に溢れ、そして生きている者が立ち入れば、その命を奪うように熱と煙がその者を襲う。


 大量の死体を見たせいか、それとも煙を大量に吸い込んだせいだろうか。頭がクラクラする。


 正常な思考ができない。ほとんど本能に促されるまま、悠馬はその場から逃げ出した。


 助けて欲しい。


 誰でもいい。ここから自分を連れ出してくれるなら、なんでもいい。


 よたよたと走りながら、丁字路に差し掛かり、そこで横からやって来た職員にぶつかって転んでしまう。


「た、助けて……」


 倒れたまま、悠馬はそう言って手を伸ばす。


 ぶつかった相手は男の職員だった。年の頃は三十台の細身の中年だ。


 男はぶつかった悠馬を振り返ると、驚いたように目を見開き、次の瞬間、憤怒の形相を浮かべてみせる。


「助け――――」

「ふざけるな!」


 悠馬の台詞を遮って、男が大声で叫んだ。


「誰のせいでこんな目に合ってると思ってるんだ! これも全部お前のせいじゃないか!」

「ち、ちが。俺は」

「そもそも僕は反対だったんだ! それをお前が、お前たちが強行して……どうせ魔王の断片も金儲けに使うつもりだったんだろう、この金の亡者どもめ! そんなに助けて欲しいんだったら、そのご自慢の金の力でなんとかして見ろよ! この威張り散らすしかできない高慢ちきの無能野郎が!」


 言いたいことだけを言って、男は走り出す。


 そして次の瞬間、壁が爆発して飛び出した炎に男は飲み込まれた。


「あ――――」


 なにかを言う間もなく、立て続けに壁が爆発していく。そして悠馬の傍にあった壁も爆発する。衝撃で床が崩れ、その崩落に悠馬も巻き込まれる。


 建材の下敷きになってしまうが不幸中の幸いとでも言うべきか、一緒に吹き飛ばされた鉄骨が支えとなって致命傷を負うことはなく、意識も失っていなかった。


 全身を激痛が貫いていたが、動けないほどではない。


 だがいざ立ち上がろうとして、そこで自分の右足のふくらはぎを建材の破片が貫いているのが見えた。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 それが自分の喉から迸った声であると気付いたのは、叫びすぎて息切れし出した頃だった。


 どうしてこうなった?


 どこで間違えた?


 始まりはただの憧れだった。


 世界が変わり、魔術や悪魔が現実のものとなり、おとぎ話が現実になったようだった。だったらそこに出てくるような英雄になることができるのではないか。いや、なりたいと思った。


 それだけだったはずなのに。


 それがどうしてこうなった?


 何故自分は、英雄とは真逆のことをしている?


 脅して仲間を増やし、自らの望みを叶える為に悪逆の限りを尽くし、そして今、世界を再び危機に陥れようとしている。


 そこらのゴミのように、汚らしくその生涯を終えようとしている。


 気付けばみっともなく泣きじゃくっている自分に気付く。でももはや涙を止めることはできない。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 左腕を庇いながら、右足を引きずりつつ悠馬は逃げる。


 口から洩れるのは誰にともつかない謝罪の言葉と、


「俺が悪かった。全部悪かった。だからお願いします。誰か、助けてください……」


 それは助けを求める言葉。


 だが誰も助けてはくれない。


 自分がこの光景を生み出したのだから仕方がない。


 仕方がないとわかっていながら、しかしそれでも死にたくないと思ってしまう。


 それがどれほど罪深い事か、今更になって理解する。


 理解するが、だからと言って止められない。


 だって死にたくない。やっぱり死にたくない。


 だからどうかお願いです、神様。


 自分の罪が許されなくても構わない。この場を生き残れたならなんだってする。だから、


「誰か、助けて――――」


 そう言って伸ばした腕。


 万感の思いを乗せて伸ばした腕。


 決して掴まれることはないと思いつつも、それでもどうしても伸ばすことを止められない腕。


 それを包む温かい感触を覚えて、悠馬は目を見開いた。彼の手を包んだその正体を理解して。


 悠馬の手を包んだもの。その正体は――――――





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