第九章 堕ちる暴食(2)






 *




「で、穂群を助けに行くって話だったけど、具体的にどうするんだい? まさか草薙悠馬に直談判しに行くわけじゃあないんだろう?」


 喜咲たちと合流した後、誠二は歩きながら単刀直入にそう尋ねる。


 その途端、それまで迷いなく歩いていた喜咲が足を止めて振り返る。誠二に向けられたその顔には八の字になった眉があった。


「……直談判、ダメかしら?」

「本当にする気だったのかい!」


 大学部から高等部に向かう道だったのでまさかと思ったが、本当にそうだったらしい。


 誠二の視線に、喜咲は頬をかすかに朱に染めて顔を逸らしてしまう。


「うん、まあ。喜咲ちゃんだしね。難しいことを考えてるわけないよね」

「そうですね、喜咲様ですから」


 姫乃とエルミールが当たり前のように告げて、更に喜咲がむくれる。だがさすがの誠二もフォローの言葉を見つけることができなかった。


「なによ、そう言うアナタたちはなにか考えがあるの? そこまで言ってないって言うなら、私も怒るわよ」

「怒るのはいいけど、とりあえず場所を移す方が先決じゃない? ここだと通行の邪魔になるし、なにより作戦を練る場所には相応しくないと思うんだけど」


 言われて、喜咲は今いる場所がただの道であることを思い出す。


 気に入らないが、確かに姫乃の言う通りだ。今からする話はあまり人には聞かれたくない。


「じゃあ、食堂にでも場所を移して――――」

「いやいや、そこだと人目も耳もあるわけだから、ここ以上にどうかと思うよ?」

「じゃあどこならいいって言うのよ?」

「本当は理事長室でそのまま決めれば、なにも気にする必要はなかったんだけどね。どこかの誰かさんが先走って出ちゃったしー」

「い、今更言っても仕方ないじゃない。もうやっちゃったんだし」

「まあね。じゃあ、仕方ないから私が場所を提供してあげよう」


 いまいち姫乃の言葉を理解しきれない喜咲は小首を傾げる。そんな彼女に、姫乃は満面の笑みで告げた。


「今日だけ特別。寮にある私の部屋を使わせてあげよう」




 姫乃に案内された彼女の部屋は、一言で言うなら狭かった。


 窓と扉を覆わない程度に壁と言う壁を棚が埋め尽くし、更にその棚の中を大量の機械が埋め尽くしている。本来であれば六畳ほど広さがある部屋のはずだが、ベッドとそれらの棚、更にパソコンデスクのせいで自由に使える空間は半分ほどしかない。


 正直、四人が入るには狭いと言えた。


「エルと喜咲ちゃんは適当にベッド使っていいよー。遠藤君は……クッション上げるからキッチンの床でいいよね。あ、ついでに冷蔵庫からお茶と、あと適当にコップも出してくれると嬉しいな」

「そういうおもてなしは、普通家主がするモノなんじゃないのかな……別にいいけど」


 呆れたように言いながら、誠二が人数分のお茶を用意する。


 その間に姫乃はデスクの椅子を引っ張り出して座り、パソコンの電源を入れた。


「……なんというか、色々突っ込みどころが満載なんだけど。とりあえず私たちは作戦会議のためにここに来たって言う事でいいのよね?」

「そだよー」

「だったら私とか遠藤の部屋でよかったんじゃないの? 少なくともここよりはもっと広く場所を使えるわよ」

「そかもねー」

「ならなんでこの場所を選んだのよ。まったく意味がわからないんだけど!」


 ふざけているとしかお思えない姫乃の態度に、喜咲は業を煮やして怒鳴るようにそう言った。


「まあまあ、そう熱くならないで。私も、別にふざけてこの場所を選んだわけじゃないんだから」


 姫乃の態度は相変わらずだったが、一応理由はあるらしい。喜咲は渋面を浮かべながらも、怒りのボルテージを下げた。


「ふざけてないならどうしてこの場所を選んだのよ。いい加減、それを説明してくれないかしら」

「その前に確認したいんだけど。トモ君を救出する際に、クリアしなきゃいけない問題がある事はわかってるよね?」


 質問に質問で返されて、喜咲が眉を顰める。しかしこちらを見る姫乃の表情は、さっきと打って変わって真剣なものだ。


「姫乃様は普段こそふざけていますが、今は真剣だと思います。話を円滑に進めるために必要な質問なのでしょう」


 エルミールに諭されて、喜咲は逡巡した後、静かに口を開いた。


「穂群の居場所がわからないことでしょ」

「そうだね。で、私がこの場所を選んだ理由はまさしくそれなの」

「どういうこと?」

「平たく言うと、草薙財閥関係の施設全部にハッキングを仕掛けてトモ君の場所を探すため……って言うか、今話しながら並行してやってるんだけどね。で、それができそうな施設が、学園内じゃ大学部の一部研究室を除けば私の部屋しかないからだよ」

「ごめん、ちょっと意味がわからない」


 いや、なんとなく言っている言葉の内容はなんとなく理解できる。理解できるが、しかし常軌を逸していて納得にまで至らないのだ。


「私の部屋のパソコンは一世代前のスパコン並みの性能があるって言うことだよ。まあ、そのせいで部屋が狭くなっちゃってるんだけどねー」

「じゃあ、棚にある機械類は……」

「うん。全部パソコンの演算機。正確には複数の本体を接続して、疑似的に一個のスパコンに見立ててるだけなんだけど。演習場に閉じ込められた時も、これを使えれば話が早かったのになー……」


 一瞬、姫乃が遠い目をする。確かにあの時、姫乃がシャッターを開けることができていたなら、ひょっとしたら状況は違ったのかもしれない。


 しかしそれは今考えても仕方がない事だ。今考えるべきことは……そこまで考えて、喜咲は首を傾げてしまう。


「あれ? ひょっとして穂群の居場所がわからい問題はほとんど解決してる?」

「それについてはちょっと時間がかかるかもしれないけど、うん。なんとかなると思うよ。仮にも魔王の断片監禁しようって言う話だし。どうやっても足はつくだろうからね」

「なら作戦会議って、後はなにを考えるのよ」


 智貴の居場所がわかれば、後はそこに行って彼を助けるだけではないか。


 てっきり智貴の居場所を探る手段について考えるものだと思っていた喜咲は、早速この場に集まった意味を見失いかけていた。


「いや、そうでもないと思うよ。神宮さん」


 しかし誠二が喜咲の考えに異を唱えた。


「穂群の捕らえられている施設には、十中八九厳重な警備が敷かれてるはずだし、加えて言えば穂群の捕まってる詳細な位置もハッキングじゃわからないかもしれない。だからそれらの対処についてもある程度話しておいた方がいいと思う」

「でも後者は捕らわれてる施設がわからないことには、なんとも言えないんじゃないかしら? あと前者は……別にどうとでもなりそうだけど」


 喜咲が扱う魔術機は『八脚の神馬槍』。その名のとおり八本の槍を手足のように操る魔術機だ。


 本来であれば八つを独立して動かすのは魔力消費が激しい上に、思考が追い付かない。非常に扱いが困難な魔術機である。


 それを喜咲は八セット。計六十四本を同時に扱うことができる。その気になれば魔術機を使わない一般の軍隊であれば、二個中隊程度。五百人ぐらいを、誇張ではなく一人で相手取ることも可能と自負していた。


 そんな自分を止められるような警備などまずありえない。故に誠二が言うところの「厳重な警備」への対策は必要なく思える。


「確かに、喜咲様の戦闘能力を考えれば、警備など無意味に思えるかもしれません」


 肯定するような言葉の後、エルミールは「ですが」と付け加えた。


「相手もそのことはわかっています。そうなればなんらかの対処をしてくるでしょう」

「なんらかって?」

「そこまではわかりません。ですがざっと考えても時間稼ぎの上、智貴様を別の場所へ移送する。『八脚の神馬槍』の弱点を突いてくる、など色々思いつきます。ですので論議することは無駄にはならないと思いますわ」

「……でもだったらそれも、結局は穂群が捕まってる場所がどんなところかわからないと考えようがないんじゃない? 実際に戦う場所を想定しないことには、相手が使ってくる手段なんて無限にありそうなものだし」


 沈黙が場を支配する。どうやら誠二やエルミールもそう思ったらしい。


 つまり、今この場で話せることはないと言うことだ。


「……とりあえず、穂群の場所がわかるまで仮眠でも取る?」


 今できることと言えばその程度しか思いつかない。だから喜咲はそう提案するが、


「んー、皆他になにも思いつかないなら、私の立てた作戦を話していい?」


 姫乃がそんなことを言い出した。


「アナタ、話を聞いてなかったの? とにもかくにも穂群の居場所が特定できないことには――――」

「や、特定できててもできてなくても関係なく立てられる作戦ならあるよ。って言うか、よっぽどのことがない限り、トモ君が監禁されてる場所は似たようなところだろうし」

「……どういうこと?」

「言ってみればトモ君は核爆弾みたいなものでしょ? 万が一のことを考えれば、とりあえず人気のない山か海の施設に連れてくのが妥当でしょ。その方が大きな資材もこっそり運び込みやすいだろうし」

「それは確かにそうかもだけど。それぐらいじゃ、なにもわからないのと大差なくない?」

「そうでもないよ。つまり、私たちが派手に動いても、関係者以外には迷惑が掛からないってことだからね」


 いまいち姫乃がないを言いたいのかはわからない。わからないが、彼女の表情を見るに、ろくなことではなさそうだ。


 あの表情は、喜咲がナース服やメイド服を着させられた時に浮かべていた表情である。


「アナタ、いったい何をしでかすつもりなの?」

「それを説明する前にエルに頼みがあるんだけど」


 突如話を振られて、エルミールが目を丸くする。


 そんな彼女に、姫乃は実にいい笑顔でこう言った。


「二千万円ぐらいお小遣い頂戴♪」






 *




 目を覚ますと暗い密室だった。


 頭が痛い。まるで頭の中を、熱した火かき棒でかき混ぜられたようなひどい痛みである。


 いや、実際にそんなことをされてなどいない。されては死んでしまう。


 ようは死にそうなほどにひどい頭痛と言うことだ。


 痛む頭を抱えようとして体が動かないことに気付く。


 動かない、というよりは動かせない。以前学園で拘束されていた時のような感覚だ。


 そこまで考えて、それがいつの話しだったか思い出せないことに再度気付く。


 頭が痛い。ここは、どこだ?


 頭が痛い。俺は、誰だ?


 頭が痛い。一体、なにが起きている?


「……驚いたな。あらかじめ聞いていたとは言え、まさか本当にあの状態から目を覚ますとはね」


 部屋の中に明かりが差す。同時に一人の少年の姿が目の前に現れた。


 眼鏡をかけた優男、しかしどこか人を見下したような雰囲気のある少年だ。確か、草薙悠馬と言ったか。


 そしてその姿はかすかに透けている。立体映像と言う奴だ。どうも本物の彼はここにいないらしい。


「魔王因子を抑制された上で、脳と心臓を破壊されてなお復活するとはね。これが魔王の断片の力と言うわけか……とんだ化物だな」


 どうやら自分のことを化物と言っているらしい。


 ひどく気に障る言葉だが、しかし何故か言い返せる気がしなかった。


「ああ、魔王の断片の力を使おうとしても無駄だよ。君に打ち込んだ弾丸。それと寝ている間に打っておいた薬は魔王の断片の力を抑制する物だからね。そしてその拘束具は人間の力で解くことはできない」


 よくはわからないが、つまりは拘束を解くことはできないようだ。


「微妙な顔をしているね。どうして君が魔王の断片であることを知っているのかが不思議なのかい?」


 そうなのだろうか? そうなのかもしれない。


「ああ、返答は聞いていないから答えてくれなくていいよ。もっとも答えたくても答えられないだろけどね」


 確かに、口もなにかで塞がれていて話すことはできそうにない。


「それでなんだったかな……ああ、君の正体をどうして知っているかだったね。簡単な話さ。君は以前死都でその力を使っているだろう。その時の様子を捉えたのが、僕の家の衛星だったからさ」


 自慢するような、あるいは呆れるような声で少年は続ける。


「まさかそんな大事を、実の家族に隠されていたとは思わなかったよ。まぁ、教えようにもその時はその魔王の断片が誰だったのかまではわかっていなかったらしいから、話されてもどうしようもなかったんだけどね」


 先の話と矛盾しているように聞こえるのは気のせいだろうか。


「それで死都のあれを引き起こしたのが君だと分かったのは、先日の演習場での件があったからさ。君が悪魔を倒した際に使った最後の攻撃。あれが死都で使われたそれと同種の物だったからね」


 死都、演習場。悪魔。それらの単語が記憶を揺さぶる。少しずつだったが、記憶がよみがえってくる。


「ああ、安心してくれ。君の存在を公表して、それを隠していた学園を非難したりするような真似はしないからね」


 悠馬が笑みを浮かべる。背筋がぞっとするような、冷たい笑みを。


「君にはそんな些事ではなく、もっと大きなものの役に立ってもらうつもりさ」


 非常に嫌な予感がする。


 だがそれが何故なのかがわからない。思い出せない。


「君は、俺が英雄になるための犠牲になってもらうよ。穂群智貴」


 言いたいことを言って、悠馬の姿が消える。


 動揺が心に走る。


 だがそれは悠馬の話した内容のせいではない。


 彼が最後に残した自分の名前のせいだ。


 穂群智貴。間宮学園に所属する魔術師見習いの少年。魔王の断片と呼ばれる、世界を左右する力を持つ少年。


 そして、頭と胸を撃ち抜かれ――死んだはずの少年。


 悠馬の話が本当なら、その上で自分は意識を取り戻したらしい。


 ――本当に、化物じゃねえか。


 胸の内にこぼしたその言葉は、彼を覆う闇に溶けることなく、その心を蝕んでいた。





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