第九章 堕ちる暴食(1)
*
「お待ちください喜咲様! 理事長は今――――」
「穂群がさらわれたってどういう事よ!」
理事長室に飛び込んでくるなり、喜咲が噛みつくようにそう叫ぶ。初はため息をつきながら腕を組んでいた。
喜咲の腰には彼女を止める為だろう、エルミールがしがみついていた。しかし効果のほどはなかったようである。
初は抗議するように、先に来ていた姫乃に視線を向けた。
「えーと、私も動転してたみたいで……つい喜咲ちゃんに、事実をそのまま連絡しちゃった次第です、はい」
「……確かに、普段の君であれば意図的ではない限り、こんなミスはしないだろうしな」
「ごめんなさい」
「気にするな。誰にでもミスはつきものだ」
まるで旧知のような二人の会話に、しかし喜咲は気付かない。彼女の頭にあるのは、さらわれたと言う智貴の事だけだ。
「なにのんきに話してるのよ! それよりなにがどうなってるのか詳しく教えなさい!」
エルミールを引きずって喜咲が詰め寄る。そんな彼女に初が辟易していると、さらに新たな人物が理事長室にやって来た。
「や、やっと追いついた……神宮さん、足早すぎ……」
「……遠藤まで連れてきたのか。チームメンバーが一人いなくなった程度で動揺しすぎだろう、君たち」
もっとも、喜咲がリーダーとなっているが、実際にそのチームメンバーの半分を集めたのは智貴の功績だ。チームの中核をなしていたのは、ある意味においては喜咲ではなく智貴だったのかもしれない。
そう思えるほどの見事な動揺っぷりである。
初はそう思考すると、喜咲のがなり声をBGMに紅茶を一口飲む。そして再度溜息をつくのだった。
数分後。ひとしきり騒いで疲れたのか、喜咲が膝に手をついて呼吸を整える姿がそこにはあった。
「……少しは落ち着いたかね?」
初に声をかけられて、喜咲ははどこか気まずそうに視線を逸らしてしまう。
「えっと、その……ごめん、なさい」
「気にする必要はない。君にとってそれだけの大事と言う事だろう」
「な、なに言ってるのよ! べ、別に穂群のことなんて大事ともなんとも……」
ゴニョゴニョ、語尾を濁す喜咲。隣では誠二が笑みを浮かべながらも青筋を立てていた。青春である。
暇な時であれば思わず弄り倒したくなるような光景だったが、あいにくと今はそんな場合ではない。
「弄り倒すのはまた今度にするとして……」
「え?」
「いや、なんでもない。それより今は穂群智貴になにが起きたか、だろう」
初の言葉に、喜咲の表情が切り替わる。
「それでは姫乃。説明してくれ」
「……理事長が説明してくれるんじゃないの?」
「生憎と、私も姫乃の連絡で学園に引き返してきたところでね。大まかな概要しか聞いていない」
おかげで草薙財閥と電話越しに一悶着あったのだが、わざわざここで話すようなことでもないだろう。
初は一度リセットするようにゆっくり瞬きしてから、姫乃に向き直る。
「では、頼む」
「遠藤君もいるのにいいの?」
さっきも言ったように初は詳しい話は聞いていない。だがわざわざ姫乃が確認するのならば、そう言う事なのだろう。
「構わん。チームを組んでいれば、いずればれる事だろうからな。ならば早い内に引き返せないところまで引きずり込んでおいた方が、後々便利だろう」
誠二がわからないながらも嫌な顔をするが、当然の如くスルーする。
姫乃は気にするように、一瞬だけ誠二を見た。しかしすぐになにかしらの結論を出したようだ。小さく頷くと、懐から手のひら大の機械を取り出す。以前食堂で死都の映像を映し出した、小型立体映写機だ。
しかし今回映し出されたのは立体映像ではなく、カメラによって録画されたと思しき映像だった。それが壁をスクリーン代わりにして写されている。
その内容を目にして、喜咲が怪訝そうに眉を顰めた。
「これは……?」
「約一時間前の第四演習場。そこの映像だね」
「第四演習場? あそこは立ち入り禁止になってたんじゃ……そもそもアナタはどうしてこんなところの映像を? いえ、それより、なんで穂群はそんなところに?」
「詳しい事情は省くけど、ヒナちゃんを引き抜く交渉のため、草薙悠馬におびき出されたの」
「またアイツは、私抜きで勝手なことを……」
「怒るのは後。それよりほら二人が来たよ」
姫乃が促した通り、智貴と悠馬が第四演習場に現れる。
そしてその直後に起きたことに、皆が皆絶句した。
智貴が襲われ、直後に閃光。回復したカメラに写っている物はあおむけに倒れている智貴の姿だ。慌てたように画面がズームアップして、彼の顔を映す。
その額には小さな穴が開いており、頭の下に大量の血だまりができていた。
「……瞳孔が完全に開いている。即死と見ていいな」
「うん。しかもこの映像だと分かりにくいけど、心臓も撃たれてるみたい。確実に殺そうとしたみたいだね」
初の見分を、姫乃が補足する。
そんな風に落ち着いた二人を、喜咲と誠二は宇宙人でも見るような目を向けた。
「な、なな、なにを落ち着いていってるんですか! 人が殺されてるんですよ! それも悪魔にじゃなくて同じ人間に! それをどうしてそんなに落ち着いて――――」
パン、と大きな音が響く。誠二が驚いて振り返ってみれば、そこには手を合わせたエルミールがいた。どうやらさっきの音は彼女が手を叩いて出した物らしい。
「落ち着いてくださいませ、誠二様。智貴様はあくまでさらわれたのです。死んではいませんわ」
「し、死んでないって、でも映像は……それに今理事長たちも即死だって……」
戸惑ったような誠二にエルミールは「確かにそうですわ」と肯定してから、初の方へ視線を向ける。
「構わん。説明してやってくれ」
「かしこまりました。ではとりあえず結論から。智貴様は殺されましたが、死んではいません。その証拠に映像の方をご覧ください」
エルミールに言われて、誠二が壁に目を向ける。
そこに映し出された映像では、複数の生徒が智貴のもとに集まっていた。拘束具を取り付けて、寝袋のような物に智貴を詰めた上でファスナーを閉めると、いずこかへと持ち去っていった。
「死体を処理するだけでしたら、あんな拘束具なんて必要ありません。あれは明らかに動き出すことを警戒した物ですわ」
「う、動き出すって……心臓と頭を撃ち抜かれているのに?」
「ええ。あの程度で彼を殺しきることなど不可能です。何故なら彼はただの妖混じりではなく、魔王の断片と呼ばれる、まともな生死感さえ超越した本物の化物なのですから」
エルミールとしては、淡々と事実だけを告げたつもりだったのだろう。そこに他意などない。
ただ智貴が死んでいない理由として、最もわかりやすい言葉を選んだだけのこと。その証拠に初も姫乃も異を唱えることなく沈黙している。だからそれを否定したのは一人だけだった。
「違う! アイツは化物なんかじゃない!」
反射的に叫んで、それから周りの視線に気付く。喜咲は気まずそうに顔を俯けた。
「化物じゃない……けど、うん。あれぐらいなら、多分生きてると思う」
「……神宮さん」
痛ましげなものを見るように、誠二が喜咲を見る。気まずい沈黙が場を支配した。
しばし困ったように視線をさまよわせた後、誠二は初に狙いを定める。
「百歩譲って穂群が死んでいないって言うのはわかりました。でも彼を連れて行って、草薙はどうするつもりなんですか?」
「穂群智貴、と言うより奴らが欲しいのは魔王の断片の方だろう」
初の言葉に誠二が眉を顰める。
「エルミールさんもさっき言ってましたけど、その魔王の断片ってなんなんですか?」
「簡単に言えばアレだ。地獄変。アレを起こした原因だな。ついでに言えば悪魔を誘致していた黒い柱門を発生させていたのも、魔王の断片だ」
「………………は?」
「他の死都の様子を見るに、本来であれば黒い柱門の中核として死都にあり続けるのが魔王の断片の正しい在り方のようだが、どういうわけかあれは穂群智貴としての自我を取り戻したようでね。偶然喜咲が捕獲したのを、学園で保護することにしたんだ」
「………………はあ?」
「演習場が悪魔に襲われた時に穂群が使ったのが、魔王の断片の力だが……ああ、君はあの時気絶していたんだったか。とにかく、彼が妖混じりだとバレても魔術器官を使おうとしないのは、制御に失敗すれば再び地獄変が起きる恐れがあるからだ。と言うか、本来ならさっき殺された時に地獄変が起きてもおかしくなかったんだがね。おそらくはこの間、穂群のデータを解析して作った対魔王用の特殊弾。それを使ったのだろう。うちでは量産できないからと思って、草薙財閥の信頼できる筋にデータを送ったんだが、どうも上手いこと使われてしまったらしいな。ハッハッハ」
「いやいやいやいやいやいや! なんかとんでもない事を、なんでもない事のようにぽろっと言うの止めてくれませんか! あと情報量が多すぎて頭が追い付かないんですけど! それと真顔で笑わないでください、めっちゃ怖いです!」
悲鳴のような突っ込みを入れて、誠二が肩で息をする。
その様子を見て、初は感心したように頷き、
「随分的確な突っ込みだ……喜咲をチームから外せばトリオ漫才ができるかもしれないな」
「アナタはなにを言ってるんですか!」
誠二が思わず頭を抱えてしまう。少々弄りすぎたかもしれない。
次があればもう少し手を緩めるとしよう。初がそんなどうでもいいことを考えていると、復活した誠二が胡乱げな瞳を向けてきた。
「……一応、状況は大体理解できました。その上で言います。アナタは馬鹿なんですか?」
色々ありすぎて頭が沸騰しているのだろう。普段の彼であれば年上の、しかも理事長に言わないだろう罵倒をまっすぐ言って、誠二は初を見る目に力を込めた。
「地獄変の元凶を野放しにするなんて正気の沙汰じゃない。しかもそのせいで草薙悠馬なんて言う最悪な人間の手に落ちることになってしまった。これについての弁明はありますか?」
「ないな。まったくもって君の言う通りだ」
誠二が歯を食いしばる。その様は今すぐ殴り掛かりたいのを我慢しているようにも見えた。
「一番安全だったのは穂群智貴を凍結封印することだったろう……だがあえて言わせてもらえれば、それによって得られる安全も絶対ではない。それで地獄変が再発しないと言う保証はどこにもないからな。更に言えば今回のように、彼がさらわれないとも限らない」
「でも……!」
更に言い詰めようとする誠二を、喜咲が手で制した。
「あまり理事長を責めないで。理事長は彼を凍結封印しようとしたの。それを無理言ってチームメンバーに入れてもらったのは、私の我儘だから」
「む、ぐ……」
初の時とは一転して、誠二は苦虫を噛み潰したような顔で押し黙る。これが惚れた弱みと言う奴だろうか。
誠二はしばし喜咲と見つめ合った後、諦めるように肩を落とした。
「まあ、起きてしまったことを責めてもどうしようもないですし……それについてはもういいです。それより理事長は、この件についてどうするつもりなんですか?」
「さて、どうしたものかね」
「ふざけてるんですか?」
「真面目に悩んでいるんだよ」
言って、初は本日何度目になるかわからない溜息をつく。
「穂群救出のために学園として動くわけにはいかないからな。そんなことをしては穂群が特殊な存在であると教えているような物だ。向こうもそれがわかっているから、あそこまで派手に動けたのだろう」
「穂群を見捨てるって言うの!」
驚いたような喜咲の叫び。ともすれば彼女の瞳には怒りの色すらにじんでいる。
「落ち着きたまえ、神宮。私は穂群救出に学園は動かせないと言っているだけだ。穂群を助けないとは言っていない」
いや、助けないわけにはいかないのである。
初は机に肘をつき、難しい顔で一同を見渡した。
「さっきも言った通り草薙財閥が欲しているのは魔王の断片だ。奴らがそれをなにに使うつもりかは知らないが、しかしなにかに使うつもりだから捕獲したのだろう。つまり奴らは魔王の断片を制御できると思っている。だがそれは驕りと言う物だ。あれは人の手には余るもの。本来であれば手を出していいモノではない」
それこそ最悪、地獄変が再び起こりかねない。
ならそんな物を生徒として受け入れるなとばかりに誠二が睨んでくるが、初は当然スルーする。
「学園は動けない。しかし穂群智貴は放置できない……なら、どうする?」
「どうするって……どうするのよ?」
戸惑ったような喜咲の言葉。やはり彼女は色々と察しが悪いらしい。
誠二を見てみれば、彼はどうすればいいのかわかっているようだ。答えないながらもしかめっ面で沈黙している。自分から口にはしたくないのだろう。
エルミールはメイド。よほどのことがない限りは主人を差し置いて自ら喋ることはない。
ならば答えを述べられる人間は、この場にはあと一人しかいない。
「そんなの決まってるよ」
その最後の一人、姫乃が小型立体映写機をしまって振り向いた。
「学園として動けないなら、私たちが独自に動けばいいんだよ」
「独自に……つまりそれって、私たちだけで穂群を助けに行くってこと?」
やっと答えに行きついて、喜咲は一瞬驚くが、徐々にその表情は真剣なそれへと変わっていく。
「そうか。私たちが勝手に穂群を助けに行くなら……」
「だ、ダメだ! そんなことできるわけないじゃないか! 相手は草薙財閥なんだよ? いくら神宮さんが強くたって、一人じゃ財閥相手に敵いっこない!」
慌てて誠二が引き留めるが、喜咲の表情は揺るがない。そんな彼女に誠二はなおも言葉を重ねようとして、
「一人じゃないよ。私も行くし」
姫乃が笑顔でそう言い、
「私は理事長なので表立って動けないが、その部下なら別だ――エルミール」
「かしこまりました。自主的に喜咲様たちに手を貸して智貴様救出に尽力いたします」
エルミールが恭しくお辞儀した。
そんな彼女たちの様子に、誠二は指を震わせながら口をパクパクさせてしまう。
「君たち、本当に正気なのか? 相手は日本七大財閥の一つなんだぞ? 穂群を助けるどころか無事に帰って来れるかも怪しいって言うのに」
「……心配してくれるのはありがたいけど、ごめんなさい。彼が捕まったのは多分私のせいだと思うから、だから私には彼を助ける義務があるの」
智貴が連れていかれる最大の原因を作ったのは喜咲だ。ならばそれを率先して連れ戻しに行くのも、喜咲でなければならない。
「神宮さん……」
誠二もそれがわかっているのだろう。彼がそれ以上なにかを口にすることはなかった。
「安心して。私たちが穂群を助けに行くのは自分の意志だから。アナタにまで強要したりしない。でもできれば今日聞いたことは胸に秘めて、誰にも言わないでくれると嬉しいわ」
普段あまり見せることのない優しい笑みでそう言って、喜咲は表情を引き締めた。そして姫乃とエルミールにそれぞれ一瞥して頷き、ドアに向かって歩き出す。
誠二はなにかを耐えるようにして俯き、彼女たちが立ち去ってもそのままだった
「……ふむ」
そんな喜咲たちのやり取りを眺めていた初が、なにかを考え込むように声を漏らす。
そしてしばらくしてからなにかを思いついたように手を叩くと、引き出しから小さな箱を取り出して誠二の横に立った。
「このまま行かせてしまっていいのかね?」
「……? いいも悪いも、彼女が決めたことです。これ以上僕が口を挟んでも……」
「ああ、そう言う意味ではなく、仮にこのままうまくいけば神宮と穂群の仲がますます縮まる事になると思うが」
ハッとした顔で顔を起こす誠二。そんな彼の様子に初は内心で笑みを浮かべた。
「ただでさえ穂群は君と違って、手段を選ばずに神宮を助けている。今回捕まったのも、ひとえに彼女のために動いていたことが原因だろう。対して君がしたことと言えば、穂群の要請を受けて神宮のチームに入っただけだ。ここで静観していてはますます差を付けられてしまうと思うぞ。君はそれでいいのかね?」
「そ、それは……」
「幸い、ここに私が渡そうと思って忘れていた秘密兵器がある。これを持って合流すれば、わずかながらポイントを稼ぐことができるだろう」
言いながら、笑みを浮かべて小箱を振ってみせる。しかし誠二はいまだ迷いが抜けきらないようで、手を箱に伸ばすが受け取るには至らない。
往生際の悪い奴だ。初は内心で舌打ちした。
「どうする? 嫌なら、私が届けるが……だが、誰かにこれを渡している所を見られると妙に勘繰られてしまうかもしれないなあ」
それが決め手だった。誠二はしかめっ面を浮かべると、ひったくるようにして小箱を奪い取った。
「――ああ、もう! わかったよ、わかりました! 僕も付いていきますよ!」
「おやおや、嫌なら行かなくても構わないんだが……」
「いいから行かせてくださいお願いします!」
絶叫するように叫ぶと、誠二は逃げ出すように部屋を出て行った。
しばらく楽しそうに笑みを浮かべていた初は、誠二の足音が聞こえなくなったところで一息つく。
「まぁ、わずかでも確率を上げられるならやっておくべきだろう」
喜咲たちが智貴を助け出せるかはわからない。
だがそれでも世界がこれ以上壊されるのを、黙って見過ごすわけにはいかない。
「……また世界が滅ぶ様を見るのは、ごめんだからな」
誰にともなく呟かれたその言葉は、誰に聞かれることもなく部屋の空気へと溶けていった。
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