第八章 悪巧み(2)
*
智貴の立てた作戦は悠馬に問題を起こさせると言う物だ。
そしてそのための挑発行為として、喜咲のチームを目立たせて、彼のチームが相対的に埋もれるような行動を取っている。だがそれだけでは少々弱いのではないか、というのが智貴の見立てだった。
つまり確実に悠馬が行動を起こすよう、可能ならあと一押しが欲しい。
そしてその一押しを求めてやって来たのが、間宮学園の理事長たる間宮初の元である。
目的地にたどり着いた智貴が部屋を開けると、まずエルミールが座るデスクがあった。
「あれ、部屋を間違えたか?」
「いえ、間違っていませんわ。理事長室はこちらを通ってしか行けないようになっていますので」
そう言ってエルミールが隣のドアを手で示す。
どうやら理事長室に行くには、一つ余分に部屋を通らなければいけないらしい。不思議な構造だ、と智貴は首をひねる。
「初様は数少ない魔術学園の理事長ですので、こうしないとむやみやたらに会いたがる方がいらっしゃるんですわ。ですがその全ての相手をしていては時間が足りません。ですので僭越ながら私が、こうして理事長に面会を求める方を選別しているんですの」
「ようは検問所みたいなもんか……なんか洋画で見た社長室みたいだな」
なんの映画だったかは思い出せないが、そんな仕事をしている秘書の姿を見た気がする。
魔術学院の理事長と言うのもなかなか大変らしい。
「あれ? でもアンタ、ちょくちょく外に行ってるよな? そう言う時はどうしてるんだ?」
「初様も外に出ているか、あるいは居留守を使ってもらっていますね。一応カメラがこの部屋には設置されていますので、顔ぐらいは見ることができます。アポもなく、しかもあえて私の不在時にやってくるような方は基本的にろくな話を持ってくることはありませんので」
「なるほど」
「理解していただけましたらどうぞ奥へ。それと初様はこの後草薙コンツェルンに出向かなければいけませんので、話は三十分以内にお願いします」
「あいよ」
智貴は軽く答えると、もう一枚のドアを潜って、さらに奥の部屋へと入る。
奥では初が高そうな木製のデスクについて、一息つくように紅茶を口に運んでいた。
「……ん? やっと来たか。遅かったな」
「ここのセキュリティの高さが凄かったんで、ちょっと詳しく聞いてたんだ。悪かったな」
「構わんさ。だが生憎と長話している時間はないのでな、用事があるなら手短に頼む」
紅茶のカップをソーサーにおいて、初が話し合いの体勢に入る。智貴もそれを確認してから、談話用のソファに座った。
「んじゃ、単刀直入に。獅童小向をうちのチームに移して、ついでに金田綾香を別の病院に移送してくれ」
「……随分簡単に、とんでもないことを言ってくれるな。結論から言わせてもらえばそれは不可能だ」
「理由は?」
「獅童小向に対する、草薙悠馬の行いが目に余るのは間違いない。だが草薙悠馬は草薙財閥の御曹司だ。そして草薙財閥は間宮学園のスポンサー。国からの資金援助も受けているが、それ以上の支援を草薙財閥から受けている。仮に君の行いがどれだけ正しいものだったとしても、草薙財閥を敵に回すような真似はできない。これが一つ目の理由だ」
「他にもまだあるのか」
「ああ、もう一つ。だがこれは実に単純な話だ。見返りもなしに、どうしてそんな厄介なことをしなければならないんだ?」
「アンタはこの学園の理事長だろう。それで草薙悠馬はこの学園のモラルに反してる。ならそれを正すのはアンタの仕事の範疇だと思うんだが」
「理事長の仕事は、第一に学園の運営だ。そしてそれを成すためには草薙財閥の力が必要となる。ならば多少の問題には目を瞑るのも、私の仕事だ」
「それは職務怠慢って奴じゃないのか?」
「きれいごとだけでは世の中は回らないと言う、単純な真理だよ」
特に面白くもなさそうに、初は肩を竦めてみせた。この話については、これ以上突いても効果はなさそうだ。智貴は早々に思考を切り替える。
「さっきアンタは見返りがないから動かない的なことを言ってたけど、じゃあ逆に見返りがあれば引き抜きやら移送やらをやってくれるのか?」
「そうだな。十分な見返りがあるならそれらをやっても構わない。だが生憎とそんな大事に対して等価ともいえる見返りを、君が用意できるのかね?」
どこか試すような初の言葉。
今度は智貴が肩を竦めてみせた。
「勿論用意できるわけがない。だけど、脅すことならできるかもしれないぜ?」
「ほう?」
「俺が持つ魔王の断片の力は世界を左右するほどの力なんだろう? 断るならそれをここでブッパする。それによって生じる被害を防げるってのは、獅童の引き抜きに金田の移送。この二つを合わせても釣りが出るぐらいの見返りになるんじゃないか?」
「それは手段としてはあまりに最悪手だと思うがね」
特に焦るでもなく、むしろどこかがっかりした様子で初はそう言った。
「君がその力を脅迫に使うなら、こちらとしては凍結封印の件を持ち出すまでだ。いや、それを持ち出すまでもない。そもそも君が魔王の断片の力を使えば、君はもうそこで積みだ。世界の敵認定を受け、学園にいることもままならなくなる。神宮を手伝うどころか獅童小向を助けることもできなくなるだろう。私にとってもデメリットしかないが、君にとってもデメリットでしかない。故に交渉として成り立っていない」
確かにその通りだ。
規模の大きさに慄いて、冷静さを欠いてくれれば脅しとして機能したかもしれないが、初は完全に冷静である。
やはりと言うべきか、舌戦ではなかなかの強敵だ。だがなればこそ、ここで彼女を引き込むことができれば色々と役に立つだろう。
智貴は演習場で悪魔と戦った時よりも、全力で頭を回転させる。
「なら、俺に対する投資ってのはどうだ?」
智貴の言葉に、初は一瞬だけ眉を動かす。だがそれだけだ。
続けるよう目で促されて、智貴は再度口を開く。
「アンタは俺が魔王の断片の力を制御できる希少な存在だって言ってただろう。実際この間の演習場の件も、俺が魔王の断片の力で事態を収束させて見せた」
本当はかろうじて制御できただけで、暴走しなかったのは運がよかっただけだ。だがあえてそこの部分は語らない。
「アンタが俺に価値を見出しているのもその点だ。それは間違いないよな?」
「ああ」
「なら、ここで俺たちを手伝ってくれれば、俺は一度限り、アンタの言うことを聞いて魔王の断片の力を使ってやる。凍結封印の話を持ち出す必要もない。どれだけ嫌な使い方だろうが、一度だけは必ずアンタの言うことを聞く。なかなか悪い買い物じゃないと思うぜ」
「ふむ……」
頷きこそしないが、直ぐに否定したりもしない。それはつまり智貴の提案に揺れていると言うことだ。ならばここが攻め所だろう。智貴は勢いをつけるように談話用のテーブルに手をついて、身を乗り出した。
「さらにこれらがうまくいけば俺だけじゃない、神宮に獅童。学年主席にレアな回復魔術師にまで恩を売れる。投資としては最大高率なのは間違いないぜ」
「だがいかんせん、要求されているミッションの難易度が高すぎる。獅童の引き抜きに金田の移送となれば、それは草薙悠馬に対する敵対行動。ひいてはそれは草薙財閥への敵対行動となる。最悪、私が理事長を続投できなくなる可能性まで出てくる」
「なら、引き抜きや移送のことは一旦忘れてくれていい」
「それでは君は私になにを要求するつもりなのかね?」
「俺たちが計画を終了させるまで、可能な限りのサポートだ。できないことは断ってくれていい。だができることは全面的に手伝って欲しい」
「それは……」
「随分虫のいい話ってか? いやいや、そんなことはないさ。それで世界を左右できるほどの力、その行使権を手に入れられるんだ。安い買い物じゃあないかもしれないが、少なくとも高い買い物でもないだろ」
しばし初と見つめ合う。
どのくらいそうしていただろうか。
射抜くような初の視線に、智貴の心臓がバクバクと限界を超えそうになったところで――初は目を閉じ、そして静かに息をついた。
「……神宮に比べれば交渉としてはずいぶんマシだったな。いいだろう、君たちに力を貸そう」
「ッシャア! オラァ!」
智貴がガッツポーズを取ってみせると、初はかすかに苦笑を浮かべてみせた。
「だが手伝うとは言ったが、どうすればいい? なにか具体案はあるのかね?」
「……んー、あー。正直うまくいくとはあんま思ってなかったから、協力を取り付けた後のことは考えてなかったな」
さてどうしよう。智貴が今更ながらに悩みだすと、初が再度息をつく。だが先ほどのそれとは意味合いは違うようだった。
「では、具体的な方法については次回、ということでいいかね? こちらもこれから用事があるのでね」
「ああ、そう言えば草薙財閥に顔出しに行くんだっけか……なにしに行くんだ?」
ひょっとしたら、自分たちの役に立つようななにかが得られるかも知れない。
智貴は深く考えずにとりあえず聞くだけ聞いてみた。
「君が期待しているようなことはないと思うが……私の用事は依頼の途中報告だよ」
「依頼?」
「ああ、永久機の反応がこの近辺で見られたらしくてね。その探索依頼を受けていたんだ」
永久機。聞き覚えのある単語だが、どこで聞いたのだったか。
「永久機は前にも言ったが、対魔王用に、前の世界で作られた特殊な魔術機だ。それがどういうわけかこちらの世界にも流れ着いたようでね。草薙財閥はそれを欲しがってるのさ」
「それって具体的にどんなものなんだ?」
「さてね。詳しいことは私にもわかりかねる。わかっていることは無限に魔力を生成し、並の魔術機が百個束になっても敵わないほど強力だと言うことぐらいか」
「なんだそれ。どんなチートだよ」
「もっともそれを用いても前の世界は滅んだんだがね」
言われて智貴はなんとも言えない表情を浮かべていると、初は苦笑しながら席を立った。
「まぁ、具体案は次に会う時までに考えておいてくれたまえ。そうだな、明日また同じ時間でいいかね?」
別段拒否する理由は思いつかない。そう考えて、智貴は首を縦に振る。
こうしてこの日の初との会談は、無事終了したのだった。
*
「永久機とやらを手に入れて、それと獅童を交換……手に入るか不確定な上に、馬鹿に核爆弾を与えるようなものか。ならやっぱりここは草薙財閥かアイツ自身の弱みを掴んでもらって、揺するのが無難か……? いやそれよりも――――」
今後どうするか頭を悩ませながら、智貴は理事長室を後にする。
理事長室があるのは大学部本館だ。建屋を出れば当然ながらそこは大学部の敷地となり、高等部の生徒が近づくことはまずない。
だからこそ智貴はその可能性をまるで考えていなかった。
草薙悠馬が本館の外で待ち構えている、その可能性を。
「やあ、久しぶりだね穂群智貴。そんな間抜け面を晒してどうしたんだい?」
建屋を出るなり悠馬に声をかけられて、智貴は驚いた表情になる。
「……間抜け面で悪かったな。つーか、なんでテメエがここにいるんだ。これから草薙コンツェルンかなんかで理事長と会うんじゃないのかよ?」
「うん? ……ああ、永久機探索の定期報告か。俺は親父と違って、そんなあるかないかわからないような物に興味なんてないからね」
「で、実際に存在する神宮や獅童にご執心ってか? 流石金持ち。二股、三股はお手の物なわけだ」
「フン。君にだけは言われたくないね。神宮に尻尾を振って、鹿倉のご機嫌をうかがって……しかも最近はうちの獅童にも色目を使っているそうじゃないか? 発情期の犬だってもうちょっと分別があるんじゃないかな」
小向の名前が出たことに、かすかに智貴の目が細まる。
どうやらどこからか智貴たちが小向を引き抜こうとしているのがばれたらしい。
沈黙してしまった智貴の様子に、悠馬が満足そうに笑みを浮かべた。そしてそのまま彼は言う。
「さて、そんな獅童といちゃつきたいって言う君に朗報だ。条件次第では獅童を君にくれてやってもいい。どうだい、話を聞いてみるかい?」
あからさまに胡散臭い悠馬の表情に、智貴は怪訝そうに眉を顰めた。
「……よし」
「ん? どうかしたかい」
「いや、ヨッシー、今なにやってるかなーと思って」
「ヨッシーって誰だい? って言うか、君、友達いたのかい?」
「愛と勇気だけが友達さ!」
決めポーズを取ってそう言うと、悠馬は残念そうなものを見る目を向けた後、正面に向き直った。うまくごまかせたらしい。
智貴は安堵しながら、軽く周りを見渡す。
今二人がいるのは、以前破壊された第四演習場だ。
さっきの場所では人目がある。そう言われて連れて来られたのがこの場所である。
入り口は業者の手によって封鎖されていたが、何故か抜け道を知っていた悠馬の案内によって、中へ侵入できたのだ。
どう考えても怪しい。と言うか罠にしか思えない。
念のため、姫乃にヘルプメッセージを送り、それを誤魔化したのがさっきのやり取りの内容だ。
「それで獅童をくれるとかいう話だったけど、具体的にはどんな条件を出すつもりなんだ?」
「随分気が早いね。まだ目的地に到着してないって言うのに」
「もう人目はないんだし、ここで話してもいいだろ。それとも話すのは、その目的地とやらでなければいけない理由でもあるのかよ?」
十中八九あるはずだ。だが同時に悠馬はそれを肯定することはできないはずである。
「……歩きながらでいいなら聞こう」
嫌そうにしながら、悠馬はそう言った。
「それで条件ってのはどんなのを出すつもりなんだ? 金か? それとも酒か? あるいは女? あ、神宮はNGな。代わりに姫乃だったらいくら持って行ってもいいぞ」
もちろん、悠馬が姫乃を欲していないのは知っている。彼女を引き合いに出したのはただの嫌がらせだ。
「君にとって鹿倉は一体なんなのか非常に気になるところだが、まあいい。それよりも君はどうして獅童を引き抜きたいんだい?」
「どうしてもなにも回復魔術便利じゃん」
「……それだけの理由で、俺に喧嘩を売ってまで彼女を引き抜こうとしているのかい?」
「後、どっかの誰かがメンバーを集めるのを邪魔してるらしくて、メンバー足りねえしな。それでどんな条件を出すつもりなんだ?」
「そうだね。君が俺に協力してくれるなら、かな」
「あん? なんだそれ?」
思わぬ言葉に智貴が眉を顰める。
獅童のことについては、あくまで智貴を呼び出す口実だと思っていた。その為詳しい条件について話を振れば言葉を濁すか、引き伸ばすために必死で頭を悩ませて話題を逸らそうとする――そう思って、智貴は面白半分に話を振ったのである。
いや、それともそれを見越して、わざとそんなことを言ったのか。
ちょっとした疑心暗鬼に智貴が陥っていると、不意に悠馬が足を止める。気付けば建物を抜け、グラウンドに着いていた。以前、智貴たちが悪魔と戦った場所である。
取り壊されるのはまだ少し先であるためか、中は悪魔と戦った直後のまま。瓦礫が散乱した状態だ。
待ち伏せして襲うには格好の場所だろう。
そんな場所でなにをするのか――考えるまでもないだろう。
「少し離れてくれ。具体的な説明をするにはその方が都合がいい」
「……そうかい」
いい予感はしない。だが智貴には修羅閃刃がある。
慢心しているわけではないが、よほどのことがない限りは対処できるはずだ。
おそらく悠馬の目的はここで智貴を痛めつけて、その意志を折ること。あるいは痛めつけた後の姿でも写真に収めて弱みにでもするつもりだろう。
その為に投入される戦力に、悪魔を投入することはできないはず。ならば高確率で投入されるのは人間となる。
人間が相手であれば、無手でもある程度対処はできる。最悪、姫乃と言う保険もある。大事にはならない、はずだ。
だがどうにも嫌な予感が止まらない。なにかを見落としているような、大事な試験で思わず自分の回答を見直したくなるような、落ち着かない感覚。
それでも引けない。
この状況は智貴が望んでいたものだ。このまま問題を起こさせずに引いてしまっては、そもそも計画が台無しになってしまう。
だから、智貴は最大に警戒しながら悠馬の言う通りに彼から距離を取る。そして悠馬に向き直ったところで、それは起こった。
「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉ!」」」
物陰から現れた数人の男が智貴に襲い掛かる。
人数は三。前後と左の三か所からだ。智貴は反射的に修羅閃刃を使って右に跳び、そこでなにかが目の前に飛んできた。
それは黒い缶のようなものだった。なじみのない物だったが故に、それの正体がなんなのか理解するまで時間がかかってしまう。
FPSのゲームなどで見たことがあるそれは、手榴弾――いや、形状から察するに閃光弾などの類か。
智貴はとっさに目を逸らして、その先にも同じ物があるのに気が付いた。
缶が弾け、閃光と大音響が智貴の目と耳を貫く。
予想だにしない攻撃に智貴はたたらを踏んだ。
目も見えないし耳も聞こえない。今襲われては対処しようがない。
だがここを乗り切れればどうにかできるはずだ。智貴は頭を抱えて膝を合わせる。
とりあえず急所への攻撃さえ防げれば、そしてこの場を凌ぐことさえできればなんとかなる。
智貴が胸に抱いた淡い希望は、しかし胸に走った小さな衝撃によって、文字通り打ち砕かれた。
音が戻ってくる。視界が回復する。
そして智貴は見た。自分の胸が朱に染まっているのを。
「――――あ?」
なにが起きたのかわからなかった。
触ってみれば胸に穴が開いていて、触れた指先には赤い血が付いている。
なにげなく顔を上げてみれば、演習場の建物。その上にこちらを向く人の姿があった。
その人物は筒のようなものを握っており、その先端が智貴に向けられている。正面からではよくわからないが、ゲームで見たスナイパーライフルに似ている気がする。
それがなにを意味するのか考えるより早く、パシュン、と気の抜けるような音が響き、額に衝撃。
自分の身になにが起きたのか考える間もなく、
穂群智貴は撃ち殺された。
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