第七章 引かれ者の小向Ⅱ(2)
*
「後は穂群君も知っての通り。この病院で綾ちゃんの治療をしてもらいながら、その見返りとして私は草薙君のチームに入ったんです」
「なるほどな」
小向の話を聞き終えて、智貴は苦り切った表情で頷いた。そして小向に聞こえないよう小さく零す。
「強引な勧誘。それを断ったらたまたま悪魔が襲ってきた、ね……」
非常に既視感を覚える話だ。
できればその辺りをもっと深く掘り下げたいところだが、あまり意味がない上に今回の主旨からは外れてしまう。
智貴がわざわざ小向に会ったのは、事情を聞くのが一つ。そしてもう一つ、彼女に用事があるのだ。
「で、アンタはいつまで草薙のクソ野郎の言いなりになってる気なんだ?」
「いつまでって……」
戸惑ったように小向が言いよどむ。
「ソイツの治療なんてその気になればヨソでもできる。ぶっちゃけて言えば、アンタが草薙の言うことを聞き続ける必要なんてないんじゃないのか?」
「それは……無理ですよ」
どこか疲れた顔で、小向は首を横に振ってみせた。
「確かに理屈の上ではそうなのかもしれません。でも、それはあくまで理屈です。彼は、草薙君は私を逃がすつもりがない。そして私を逃がすつもりがない以上、綾ちゃんのことだって……」
小向は世にも希少な回復魔術師だ。しかも言うことを聞かせるのに好都合な、金田綾香と言う首輪付きの。
そんな便利なモノを、強欲な悠馬が手放すとは思えない。
「……アンタはそれでいいのか?」
「いい悪いの話じゃないんです。無理だって話をしているんです」
「試してもいないのにか? アンタがその気にさえなれば、姫乃は絶対に手を貸してくれる。俺も協力してやっていいと思ってる。神宮に遠藤も、巻き込むのは難しくない。口では文句を言うかもしれないが、最後まで付き合ってくれるいい奴らだ。相手が草薙財閥の力を振るうって言うんなら、それと敵対する組織だってあるだろう。それを頼れば芽だってある。人手もあれば可能性もある。それでもアンタは無理だって言うのか?」
「……それは」
「草薙はアンタを助けることなんかない。いずれアンタは使い潰される。そうなれば金田も用済みだ。用済みになればソイツは――――」
「やめてください!」
叫んでから、小向は慌てて口元を覆った。
そしてばつが悪そうに、智貴から視線を外して言葉を続ける。
「……仮に穂群君の言う事が正しくても、それでも私にはそんな大それたことはできません」
「草薙が怖いからか?」
「それもあります。でも……それ以上に、それを実行した時にどれだけの犠牲が出るかわからないからです。私が逃げ出そうとすれば、草薙君はどんな手を使ってでもそれを阻止しようとするでしょう。それこそ」
小向は一旦言葉を切ると、ベッドで寝ている綾香を一瞥した。そしておもむろに智貴を睨む。
「彼だったらその為に綾ちゃんを殺すことだってするかもしれない。そしてその上で新しい人質を取る可能性だってある……確かに穂群君の言った作戦が成功すれば、みんな助かるのかもしれません。でも失敗したら、私と綾ちゃん、姫ちゃん。それだけじゃない、もっと多くの人に被害が及びかねない――私は、それが嫌なんです」
屋上の時同様、有無を言わせない迫力で小向は言う。直後、彼女のコネクタが瞬いた。
どうやら何者かからの通話らしい。おそらく悠馬か、それに連なる者だろう。
「……はい、わかりました。すぐに行きます」
通話は一分も経たずに終了した。内容は呼び出しだろうか。
「他に話がないなら、私は行きますけど」
「残念ながら、これ以上アンタを口説く台詞は持ち合わせてないな」
「そうですか……それじゃあ、失礼します」
小向は軽くお辞儀をすると、智貴の横をすり抜けて部屋を出ていこうとする。
「ああ、でも一つだけ聞いておきたいことがあったな」
「……草薙君に呼び出されてますから、手短にお願いします」
つれない返事に、智貴は肩を竦める。それから振り返らないまま『聞きたいこと』を口にする。
「金田を助ければ、アンタはうちのチームに入ってくれるのか?」
「それは……どうでしょうか」
「金田を助けるだけじゃダメってか?」
「仮に綾ちゃんが治っても、草薙君は私を開放しようとはしないでしょうから」
「つまり草薙がアンタを諦めるよう、ついでに差し向ければいいんだな」
なんでもないことのように言われて、小向は呆れたようにため息をついた。それから冷たい目を智貴に向ける。
「……アナタも草薙君と同じなんですね」
「あん?」
「私を手に入れる為なら手段を選ばない……そうまでして私の回復魔術が欲しいんですか?」
「………………」
「私は姫ちゃんや綾ちゃんと平穏に暮らせればそれでいいんです。本当は命を懸けて戦いたくなんてない……それでも私の力が欲しいのなら、どうぞお好きにしてください。どうせ下につくなら、誰のチームでも変わりませんから」
無表情に小向はそう言うと、そそくさと部屋を後にする。
後にはベッドで眠り続ける綾香と、苦虫を噛み潰したような表情の智貴が残されるのだった。
*
「つーわけで、ダメだった!」
病院正面にある庭。
そこのベンチに座る喜咲、姫乃、誠二と合流した智貴は、小向の勧誘に失敗したことを告げて、「アッハッハッハ」と盛大に笑って見せた。
「駄目だった、じゃないわよ。アナタが自分に任せろみたいに言うから任せたのに、これじゃあ話が違うじゃない!」
「まあまあ、落ち着けって。っていうか俺に任せろなんて言ってないぞ。あくまで芽があるとしか」
「そんなこと言ってるんじゃないわよ! アナタはどうしてそう……ああ、もう! アナタはどうしてそうなのよ!」
能天気とも言える智貴の態度に、喜咲が絶叫しながら頭を抱える。
「しかも相手は怒って帰ったって、もう状況は絶望的じゃない……どうするのよ、コレ!」
「本当になー、まさかあんなに怒らせちまうとは予想外だったぜー」
「そもそもアナタは獅童小向を助けたいから、アスガルドから彼女を引き抜こうとしたんでしょう! どうしてそれを言わないのよ!」
智貴がもっとちゃんと事情を説明していれば、小向があそこまで激昂することはなかったかもしれない。少なくともここまで状況がこじれることはなかっただろう。
「つってもな……。実際アイツの回復魔術があったら便利は便利だし、それ目的もなくはない。そもそもそう言う信頼関係ってのは、実際にチームを組んでから育む物だろ」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
「だから言ったじゃないですか、神宮さん。コイツは信用ならないって」
喜咲と智貴の会話に、それまで黙っていた誠二が割って入る。
誠二がここにいるのは、決闘で負けて、その報酬として智貴に喜咲のチームに入るよう言われたからだ。本人は嫌そうにしていたが、「あんだけタンカ切っといて約束破るなんて、アンタの喜咲に対する気持ちってのはずいぶん安いんだな」と智貴に言われて、渋々チームに入ったのである。
そんなこともあって誠二は智貴にいい感情を抱いていないらしい。
「ひでえ言われようだな」
「当然だろう。そもそも僕たちは、なんで病院に連れて来られたのかすら聞いてなかったんだ。それを事後承諾で済まそうとした挙句、勧誘には失敗しました。それで済まされちゃあたまったものじゃない。むしろ問答無用で殴られないだけ、ありがたいと思って欲しいね」
「仕方ないだろ、草薙の奴に邪魔されたくなかったんだから。アンタら二人は隠し事できるタイプじゃねえんだし」
「それならそれでもっと入念に準備をしてから、彼女を勧誘するべきだったんじゃないのかい? それなのにあんなに怒らせたんじゃあ――――」
「ああ、それなら大丈夫だ。そこまで含めて予定通りだし」
「……なんだって?」
智貴の言葉が意外だったのだろう。怪訝そうに誠二は眉を顰めてみせた。
見てみれば隣で喜咲も似たような表情を浮かべている。
「そうだろ、姫乃?」
「……私的には、ヒナちゃんをあんなに怒らせるつもりはなかったんだけどね。でも、まあうん。これぐらいなら誤差の範囲ではあるよ」
複雑な表情を浮かべながら、姫乃が首肯する。
「どういうこと?」
「つまりヒナちゃんを縛ってるのは、綾ちゃんと草薙君なんだよ。その二つをクリアすれば、ヒナちゃんがアスガルドにいる理由はなくなる。つまりアスガルドにいたくないヒナちゃんに、恩を売れるの」
「……じゃあ、その恩に着せて獅童小向をスカウトしようって言うの?」
「俺にムカついたことなんざ、それらの恩と比べたら些細なもんよ。見たとこアイツはいい奴っぽいし、そんだけ恩を売っておけば十中八九引き抜けるさ」
「賛同しておいてなんだけど……獅童小向本人の意思を完全に無視した最悪の作戦ね」
「素直に褒めてくれていいんだぜ?」
決め顔で告げる智貴に、喜咲と誠二は完全な呆れ顔だ。
「今回アイツに会ったのは、獅童の事情の確認する為。クリア条件を確認、確定するためだったんだ」
「言ってみればここまでが仕込みで、本番はこれからなんだけどね……って言うか、クリア条件厳しすぎない?」
誰も言及してこなかったが、つまり小向を仲間にするには未だに治療方法が確定していない金田綾香を助け、日本七大財閥の一つをバックに持つ草薙悠馬に言うことを聞かせる必要があるのだ。
生半可な方法では、それをこなすのは困難だろう。
珍しく不安そうにする姫乃に、智貴はその不安を紛らわせるように頭を撫でた。
「まぁ、安心しろ、とは言えねえし。素早くかつスマートにアイツを助けてやるとも言えねえけど、でもまあ、アイツを助けることを諦めたりはしないからよ。だから……あー、やっぱ前言撤回。安心しろよ、姫乃」
そう言うと、智貴は遠くを睨みつけるように見て口の端を吊り上げた。
ここにいない草薙悠馬に挑むように、あるいはもっと大きな敵に挑むように。
「ああ、こんなふざけた展開。俺が派手に食い散らかしてやるよ」
静かに、しかし強い敵意を持ってそう宣言した。
*
「クソ、アイツ……!」
とあるオフィスビルの最上階。その一室で、悠馬は苛立たしげに壁を殴った。
彼の目の前には仮想ウィンドウが展開されており、そこには喜咲のチームの動向、ひいては穂群智貴の動向についての報告書が表示されている。
そこには彼らがほぼ毎日のように行っているボランティア活動を行っていることや、智貴が獅童小向を引き抜こうとした旨が記載されていた。
本人たちは隠しているつもりだったが、情報と言う物は、完全に遮断することが困難なのである。
「そんな報告、あの妖混じりからは聞いてないぞ……舐めやがって!」
一度小向にはきつく調教してやる必要があるようだ。
怒りに突き動かされるまま悠馬は部屋を出ようとして、しかしそれを呼び止める声があった。
「まあ、待て。悠馬。そう熱くなると向こうの思うつぼだぞ」
豪勢なデスクに肘をのせ、落ち着いた様子でその男はそう言った。
整髪料で黒髪を整えた、悠馬によく似た痩身の男。彼の兄、草薙乱馬である。
「彼らが行っているのは、仮装をしての病院でのボランティア。壁の外に出た悪魔の退治など、やたらと目につく行為ばかり……十中八九、こちらに対する挑発行為だろう。つまり悠馬、お前のリアクションを期待しての行為だ。あまりうかつな真似をすれば、自分の首を絞めることになるぞ」
「だからって兄さん、このままアイツらを放置しておけって言うのか? アイツらは俺を、ひいては草薙家に対して喧嘩を売ってきてるんだよ」
「だから熱くなるなと言っている。動くならしっかりと機をうかがえ。下手な攻勢は反撃を許すだけだ。ましてやこちらは従順なる悪魔(イーヴィルスレイヴ)を使用したばかり。連続して派手に動けば、穂群とかいう小僧どころか、他の者どもにも付け入るスキを与えかねない」
「う、ぐ……」
従順なる悪魔は、悪魔を意図的に操作する装置である。それを使って、中位級の悪魔を演習場に送り込んだのは悠馬の独断だ。そこを突かれてはなにも言い返せない。
「そう気にするな。確かにお前の行動は早計だったが、そのおかげで奴らに付け入る隙もできた」
「隙……?」
「ああ、奴らの狙いが獅童小向であることは明白だ。ならばそれを利用してやればいい」
要領を得ない台詞に、悠馬は不安そうに眉を顰める。そんな彼に、悠馬は不敵な笑みを浮かべてみせた。
「安心しろ、すべて私に任せておけばいい。そうすればお前は――英雄になれる。誰もが敬う英雄に、な」
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