第六章 エルフの居場所(1)
*
いつも独りぼっちだった。
どこにいても一人だった。
皆が自分を避けている。
皆が自分を怖がっている。
いや、違う。
本当は逆だ。
自分が、皆を避けている。自分が、皆を怖がっている。
自分が他人と違うから。傷つけてしまうから。だからそれを恐れて避けていた。
だけど、それでいいのだろうか?
よかったのだろうか?
わからない。自分にはわからない。
でも、多分。きっとそれは――――
*
智貴が目を覚ますと、ヘッドホンを付けた美少女の顔が視界一杯にあった。
「……こんなに近くから真顔で見つめられてると、なんつーかホラー映画みたいだな」
「それはなに? 私がブスだって言いたいの?」
「いや、どっちかっつーと美人さんだからこそ、人形みたいで怖いと言うか……そもそもそんなに顔を近づけてなにしてるんだ?」
キスでもしようとしていたのだろうか。それにしてはムードもへったくれもないが。
智貴がそんな益体もないことを考えていると、喜咲が柳眉を逆立てる。直後、智貴の額に痛みが走った。
「ぐぁ! なにしやがる!」
「それはこっちの台詞よ、大馬鹿ポンコツ魔王。アナタ、私や理事長に言われたことを忘れたの?」
「あん……? あー、魔王の断片のことか?」
ビンゴだったようだ。鼻を鳴らして喜咲が顔を離す。そして口をへの字にして腕を組んだ。
「理事長も言っていたけど、魔王の断片の力は制御できるような物じゃないのよ。さっきはかろうじて被害が出なかったけど、アナタが制御に失敗していたら、悪魔が暴れまわるよりひどい結果になってたのかもしれないのよ?」
「いやいやいや、アンタも随分ボロボロだったじゃねえか。俺が手を出さなくても結果は……あ、いえ。なんでもありません」
思い切り睨みつけられて、智貴は反射的に目を逸らした。
なんだかいつもより迫力があるように感じるのは気のせいだろうか。
「ことと場合によっては凍結封印されていてもおかしくなかったのよ。それに……それに、アレを使ったらアナタが妖混じり……魔術器官持ちだって宣言しているようなものじゃない。魔術器官持ちがどういう扱いを受けているか知らないかのかもしれないけど――――」
「一応知ってる。妖混じりは村八分にされるんだろ? つーか、魔術器官なんて知られてない十年前から、魔王の断片のせいで村八分にされてたし」
「……それでどうして魔王の断片の力を使うことができるのよ。せっかく環境がリセットされたのに、また疎外されたいの?」
「リセットもなにも、元がマイナスなら現行でマイナスになってもプラマイゼロじゃねーか。変わりねーなら気にする必要もないだろ」
喜咲の言い方からすると、智貴が気絶した後に心無い言葉でもかけられたのだろう。
直にそれにふれた喜咲には悪いと思うが、智貴にとっては今更だ。
「アナタは……アナタは本当にそれでいいの?」
「まぁ。魔王の断片の制御に失敗してたら、派手に後悔してただろうけどなー。そうでないなら後悔は全く……いや、ほとんどねーよ」
自分の読み間違いで、悪魔の拘束をほどいてしまったことを思い出して、智貴は言い直す。
それにしても、と智貴は改めて喜咲を見た。
「つーか、アンタ。ひょっとして俺のこと、心配してくれてるのか?」
「ち、違うわよ! 自分のチームに難癖付けられたら困るから言ってるだけよ!」
「へー、ほー、ふーん?」
なら何故顔を赤くして目を逸らすのか。智貴はあえて聞かずに、代わりにニタニタと笑みを浮かべてみせる。
喜咲はそんな智貴を睨みつけるが、さっきのような迫力はないので、智貴は相好を崩さない。
「そ、それより」
「あ、話逸らした」
「それより! 悪魔が演習場にやって来た件。アナタも聞きたいんじゃないの?」
「――ああ、そうだな。それはぜひ聞いておきたい」
目を細めて智貴が上体を起こす。その際、自分の左腕が普通に動くことに気が付いた。
「ん、左腕治ったのか」
「ええ、多分アナタの持つ魔王の断片の力が原因……って驚かないの?」
「天堂一刀流の修行の時に、何度か経験してるからな。つーか、ここは医務室か?」
見覚えのない部屋の内装に智貴が眉を顰める。
幾つも並べられたベッドに、薬品が詰まっていると思しき棚。
自分が気絶していたことも含めて考えれば、十中八九医務室だろう。
「ええ。さすがにあんな激戦の後に治療もせずに放置できないもの」
「姫乃とか遠藤とかは? 遠藤なんかも気絶してたろ?」
「遠藤はアナタよりも早く目を覚ましたわ。鹿倉もだけど時間も時間だから、今日はもう寮に帰ってもらったの」
言われて見てみれば、窓の外は既に暗い。コネクタで時間を確認すれば夜の十時を回っていた。
「ずっと看ててくれたのか? なんか悪かったな」
「これもチームリーダーの務めよ。それより悪魔の話でしょ」
そうだった。智貴は主旨を思い出して、わずかに緩んでいた気を引き締める。
「で、あれは結局どうして逃げ出して、なんで演習場に来たんだ?」
「……公式には実験中の不手際で逃げられたってことになっているわ。演習場に現れたのはたまたまですって」
「滅茶苦茶不満そうな顔してるな」
「当たり前じゃない。あんな目にあわされたのもそうだけど、たまたまで第五実験棟からかなり離れた位置にある演習場に来るなんて、考えられないわ」
そう言って喜咲が再び口をへの字にする。
どうやら彼女の言うところの「公式」が信用ならないらしい。
「それにアナタと鹿倉も不穏なことを言ってたじゃない。あの状況は誰かが意図的に作り上げたモノだって」
「ちなみにアンタや姫乃はどう思ってるんだ?」
「鹿倉は情報が足りないからなんともって。私としても同じ気持ちだけど……」
「心当たりがあるってか?」
「いえ、心当たりって程じゃないわ。ただ、あれが人為的なものなら、それを実行できる人間はひどく限られてくるって言うだけの話よ」
「例えば草薙悠馬とか?」
喜咲が驚いたように目を見開く。やはり彼女としても、彼を疑っていたらしい。
「多分だけどな、気絶する前にアイツ見た」
「演習場で?」
「ああ、上の観客席。そこの出入り口辺りにいた。ひょっとしたら見間違いかもしれないけどな」
なにせ気絶する直前に見えた気がしただけなのだ。ただの勘違いである可能性は高い。
だがそんなことはない、と智貴の直感が告げている。
「じゃあ、彼があの事態を引き起こしたって言うの?」
「それはわかんねーよ。確証はなにもないし、探しても多分出てこないだろ」
「ええ、そうね。彼はそんなヘマはしないでしょうし……でも、彼はまたなんでそんなことをしたの? 演習場を悪魔に襲わせて、なんの得があったって言うの?」
「いやいやいや、そんなの明白だろ」
呆れたように、智貴が薄目になる。
戦闘中は智貴の言葉少なな台詞を理解できたのに、何故これが理解できないのか。
「十中八九、俺を始末するつもりだったんだろ。でなきゃ、前半で俺だけを狙ってくるわけねーよ」
「……そう言えば、コネクタを破壊するまで、なにをしても全然こっちを見なかったわね」
「そう言うこった」
智貴がそう言うも、しかし喜咲はどこか納得いかなそうに首を傾げてしまう。
「でも、アナタと会ったのは今日が初めてなんでしょう? それがどうしてアナタを殺そうとするのよ? アナタ、草薙によっぽどひどいことでもしたの?」
「……これが噂に聞くライトノベル主人公って奴か」
あまりの察しの悪さに、智貴は思わず呆れ顔だ。
よほどボケているのか。あるいは――よほど自分に価値を見出していないのか。
「草薙も遠藤と同じだよ。つまるところ俺がアンタとお近づきになるのが気に食わないのさ……まぁ、アイツのは、遠藤ほど真摯な気持ちじゃないだろうがな」
誠二のそれに比べれば、悠馬の喜咲へ抱く感情と言う物はもっと暗くドロドロした物だろう。それこそヘドロやタールのように。
「まぁ、男漁りしたくなっても草薙だけは止めとけ。最悪刺されるか監禁されるぞ」
「そ、そんなことしないわよ! なに言ってるのよ、馬鹿!」
「冗談みたいなものなんだから、そんなに怒るなよ。アンタがそんなことしそうにないってのはわかってるっての」
そもそもクラスメイトとまともに話せないような輩が、恋人づくりなど、遠い夢の話だろう。
「草薙を恋人にするぐらいなら、アナタを恋人にする方がまだましよ」
「……そこはせめて遠藤の名前を言ってやれよ」
「べ、別にいいでしょ! 変な意図があって言ったわけじゃないんだから」
「あいあい……強く生きろよ、遠藤」
この場にいない誠二に軽く同情しつつ、智貴は悠馬への対策を考える。
「ところで、やっぱ悪魔が演習場に来た件って、だいぶ問題になってるのか?」
「当たり前でしょ。人的被害は奇跡的に出なかったけど、死人が出てもおかしくない事態だったんだし。それに悪魔が暴れたせいで、演習場が一個使えなくなったんだから」
何故か不満そうに喜咲が言った。
さっきの塩対応が気に入らなかったのだろうか。思考がわずかにそれるが、智貴は気にせず話を続ける。
「やっぱ使えなくなったのか、演習場」
「ええ、中の機械の他に建物にもかなりの被害が出たらしいから、取り壊して新しいのを立てることになるって話よ。理事長が言ってたからまず間違いないと思うわ」
「なら……しばらくは大丈夫か」
「なにが?」
「草薙への対応だよ。これだけ事が大きくなったなら、責任問題とか色々あるだろうからな。立て続けにあんなでかい規模のちょっかいはかけられないだろう」
そんなことをして万が一にでもばれれば、悠馬だけではなく、その背後にいる草薙財閥までダメージを負いかねない。
向こうとしてもそれは避けたいところだろう。
そう考えれば、悪魔のコネクタを破壊したのは妙手だった。
コネクタを破壊したことで被害の規模は大きくなったが、そのおかげで悠馬が負うかもしれないリスクも肥大化させることができたのだ。結果的にいい牽制になっただろう。
「きっと今頃、草薙の奴は顔を真っ赤にして怒ってるぜ。クケケケケ」
「随分嬉しそうね」
「そりゃあな。あれだけ辛酸を舐めさせられたんだ。向こうが悔しがってる様ぐらい想像したって罰は当たんねーよ」
「他人を助けようとしたかと思えば、他人が苦しむ様を想像して喜ぶ……アナタがなにを考えてるか、いよいよわからなくなってきたわ」
話が一段落したところで、喜咲がどこか疲れたようにため息をつく。
意味がわからず智貴が眉を顰めていると、そんな彼を喜咲は思い切り睨みつけてきた。
「忘れたとは言わせないわよ。アナタが気絶する前に私に言ったこと」
「悪い、マジで忘れた」
喜咲が本気で拍子抜けしたように
思わず頭を抱えてしまう喜咲に、智貴は思わず罪悪感を覚えてしまう。
だが覚えていない物は覚えていないのだから仕方ない。確かになにか言ったような気もするが、その後に見た悠馬の姿に記憶が上書きされているのだ。
つまりはその程度の事しか言っていないのだろう。
「えーと、なんだっけ? 起きたら飯を奢ってくれって言ったんだっけ?」
「全然違うわよ! アナタが勝ち取った権利を使って、遠藤と鹿倉の二人をチームに入れろって言ったのよ!」
「え? 俺、そんな重要なこと忘れたのか?」
「それはこっちの……あー、もう! 馬鹿!」
喜咲が台詞を途中で止めて罵声を叫ぶ。
その気持ちはわからないでもない。「ごめんなさい」と智貴は素直に頭を下げた。
「……で、結局あれはなんだったのよ? って言うか、本気なの?」
「え、あー。まぁ、本気のような、冗談のような」
「どっちなのよ」
「一応本気です」
「じゃあ改めて質問よ。アナタはなんの目的であんなことしたの?」
「いやー、だって二人きりのチームとか、噂されたら恥ずかしいじゃん?」
「……私は真面目に聞いてるんだけど?」
明らかに冗談っぽい台詞に喜咲が目を細める。しかし智貴は明後日の方を向いて笑い声を上げるだけで、それ以上なにかを言うつもりはないようだった。
「一応、鹿倉は二つ返事で了承してくれた。と言うか、アナタからすでに話を通してあったみたいだけど。遠藤は……チーム加入の件はアナタに確認を取ってから、改めて考えるらしいわ。それと私に忠告してきたわ」
「忠告?」
「ええ。アナタが本当に妖混じりだって言うなら、チームから外すべきだって。そうでなければチームメンバーが集まらなくなるから」
淡々とした調子で喜咲が告げる。その表情からはなんの感情も読み取れない。
「妖混じりは嫌われるらしいからな。まぁ、妥当な意見じゃねーの」
「アナタ、それでいいの?」
「いいも悪いも、そもそも俺の意志でアンタのチームに入ろうと思ったわけでもねえし」
智貴の言葉に、喜咲の無表情が崩れて、動揺したように瞳を揺れる。なにか変なことでも言っただろうか。
「……迷惑だった?」
心無し、沈んだ声で喜咲がそう聞いてきた。
「迷惑なら、無理強いはしない。理事長はいい顔をしないかもしれないけど……望むなら私のチームから外して、可能な限りアナタが普通に過ごせるよう取り計らうわ」
「えーと……?」
「私の都合ばかり押し付けて悪かったわね。でもアナタのおかげでチーム結成のめどは立ったもの。だから望むなら、私のチームから抜けてアナタは自由に――――」
「待て待て待て待て。誰もアンタのチームにいるのが嫌だなんて言ってねえよ。勝手に他人の気持ちを決めるなよ」
智貴が不満そうに喜咲を睨むも、それを上回る怒りの目で睨み返された。
思わぬ迫力に智貴が怯む。
「気持ちを勝手に決めるなって言ったわね。でもアナタはアナタの気持ちを言ってくれない。ならアナタの気持ちを考えるには、こっちで勝手に決めるしかないじゃない」
確かにその通りだ。「だから」と、苦渋の表情を浮かべる智貴に喜咲は続ける。
「決めつけて欲しくないなら、アナタの心の内を話して。アナタはなんであんなことをしたの? チームメイトを増やすために遠藤と戦って。私を守るために魔術器官を使って。なんであんな――――私を助けるような真似をしたの?」
睨みつけられて。否、睨みつけられるように見つめられて、智貴は息を飲んだ。
そこにあるのは疑問と不安。そして一抹の、期待。誤魔化すにはあまりにもまっすぐな瞳だ。
智貴は逡巡してから口を開き、
「……喉が渇いたな」
喜咲に水を要求した。
「………………はあ」
喜咲が諦めるようにため息をついて、席を立つ。それから水差しの中身をコップに注いで、智貴にそれを差しだした。
「俺さ、ダチがいなかったんだ」
水を手渡してくれた礼代わりに、智貴はそう言った。
突然の自分語りに、喜咲が眉を顰める。
「いきなりなに?」
「いいから聞けよ……とにかく俺には友達、仲のいい奴。そう呼べる人間がいなかったんだ」
理由はもちろん、智貴の持つ魔王の断片。暴食の力のせいだ。
本当に幼かった頃は力を制御しきれずに、怪我人も出した。ある程度制御できるようになってからも、幼い頃の噂のせいで友達はできなかった。
「魔王の断片のせいで、俺はいつでもどこでも腫物みたいに扱われた……親父だって、他人よりましだったけど、俺の扱いに困ってるなって思う時が何度かあったし」
普通に接してくれたのは、自分を慕ってくれたのは、それこそ妹ぐらいなものだ。
だから。智貴は水を飲んでから喜咲を見た。
「アンタが初めてだったんだ。脅迫までして俺に言うことを聞かせようなんて酔狂な奴は」
自分が危険な力を持っていると知っている者に、我儘を言われたことなんかない。
自分が危険な力を持っていると知っている者に、必要とされたことなんかない。
智貴が知っている限り、そんな変わり者は喜咲ただ一人である。
「だからアンタを助けるのは、それが理由だよ」
「……なに嬉しそうに言ってるのよ、馬鹿」
どうやら無意識のうちに笑っていたらしい。何故か、喜咲は指摘してから恥ずかしそうに顔を逸らしてしまう。
「そもそもアナタが私の世界を壊さなきゃ、あんな脅迫しなくても済んだのよ」
「ハハハ、そうだな」
軽口の応酬を交わして、互いに笑みを浮かべる。
それは心にもない言葉。つまらない冗談。
気の置ける相手にのみ伝わる、親睦の証。
しばらくそうやって時間を過ごしていると、不意に喜咲が笑みを消した。
「……アナタは悪魔がどうやって生きてるか知ってる?」
「悪魔って死都のか?」
「いえ、世界だった物の破片にいる悪魔の方よ」
当然それを知るわけがない。智貴が不可解そうに沈黙していると、喜咲はそれを肯定と受け取って説明を続ける。
「世界が崩壊して、生き残った悪魔たちは世界だった物の破片に逃げ込んだ……でもそれは所詮、その場しのぎでしかないの。砕けて小さくなった世界では浄化作用がほとんど働かないから世界はすぐ淀むし、世界としての生命力も弱いから作物を作ってもまともに育たない。この世界のように自給自足することができないの」
「なら、どうやって悪魔は飯を食ってるんだ?」
「別に難しいことじゃないわ。人間たちもしているように、食べ物がそこにないなら、外に出て取ってくればいい。例えば世界の外にいる悪魔とか」
「悪魔が悪魔を食べるのか……」
「人間も牛や豚を食べるでしょ。それと一緒。悪魔って一緒くたにするからイメージが悪くなるのよ」
「それで食料は足りるのか?」
「いえ、足りないわね。正確には悪魔……ややこしいからエルフって言うけど、エルフも生きていれば数が増えるもの。数が増えれば必要な食料も土地も増える。でも土地も食料も増やすのは難しい。ならどうすると思う?」
「あー……節制する?」
「それでも足りなければ?」
「それは……まさか」
そこまで考えて、智貴は一つの可能性を思いつく。そしてその考えが正しければ喜咲は――――
「ええ。食い扶持の方を減らせばいい。幸いなことに世界だった物の断片の外に装備もなしに放り出せば、直ぐに死なせることができる。大して苦しませずに、食い扶持を減らすことができる」
そこで喜咲は一旦言葉を切ると自分の胸に手を当てた。
「そうやって追放されて、私はこの世界にやって来たの」
「その、なんでアンタが選ばれたのか聞いてもいいのか……?」
「ええ。その為にこんな話をしてるんだもの」
珍しく迷うような智貴の態度に、喜咲が苦笑する。
「じゃあ聞くけど、なんでアンタが追放されたんだ?」
「端的に言えば、私の祖先が彼らの世界を壊したからよ」
「…………ん?」
待て。なにかがおかしい。
「いやいや、アンタらの世界を壊したのは俺って言うか、魔王だったんじゃないのかよ?」
「ええ、そうよ」
「でもアンタの祖先も世界を壊した?」
「……言い方が悪かったわね。わかりやすく言えば、実際に世界を壊したのが魔王。私の祖先は魔王を意図的に起動させたのよ」
起動と言う単語にやや引っ掛かりを覚えないではないが、しかし大体の状況は飲み込めた。
つまり喜咲の祖先と言うのは、世界が壊れるきっかけを作った大罪人と言う事らしい。
「そのせいでエルフは他の種族からつま弾きにされていて、世界崩壊後はとても過酷な生き方を強いられているのよ」
「過酷なのはよくわかるけど……強いられてるってのは?」
「他の種族。例えばドワーフや、ミニム・マルクス、ラパーニ。ギガンテスなんかは互いに助け合いながら生きてるから、エルフに比べるとまだマシな環境らしいわ」
「らしい、ね」
伝聞系になってしまうのはエルフがつま弾きになっているから、だろうか。
「少なくとも世界だった物の断片から、同族を追い出すなんて真似はエルフしかしてないもの」
「それだけ切羽詰まってるのか……」
「ええ。でもそこまでしても、エルフは長く持たない」
喜咲の言葉に、智貴はぎょっと目を見開く。
「エルフたちがやっているのはあくまで延命処置で、あくまでエルフと言う種の絶滅を遅らせることしかできないの」
「じゃあ、エルフはこのままだと滅びるって言うのか?」
「ええ、でもそれは私がさせない」
胸に当てていた手を、喜咲は強く握りしめた。
「アナタは私がどうして未踏破領域に行きたがってるのか、聞いたわよね?」
「あ、ああ」
また話が飛んで、智貴は戸惑いがちに頷いた。
「未踏破領域の情報を始めて持ち帰ったのがエルフなら……未曽有の功績をエルフが人類に与えることができたなら、この世界に、人類の世界にエルフの居場所を作れるかもしれない」
世界の外にエルフの居場所はない。
世界の中も同様だ。だが、外に比べればまだ可能性はあるのだ。
「……それが、それがアンタの目的なのか?」
「ええ」
ためらいなく頷く喜咲に、智貴は唖然としてしまう。
だってそうだろう。喜咲の話が本当なら、彼女にはエルフを救う義理なんかないはずなのだから。
「アンタは、エルフのことを恨んでないのか?」
「そうね。向こうで暮らしていた時はいつも迫害されてたし、食事の配給もうちだけはなかった上に、家を空ければすぐに落書きだらけになって、里を歩けば後ろ指を指されて、他所の親たちは自分の子供に一緒に遊んじゃいけないって言い含めたり、後は――――」
「そ、それくらいで勘弁してくれ。そろそろこっちの心が耐えられそうにない」
武道を学んで精神的に強くなったつもりだったが、どうもまだまだだったらしい。と言うか、喜咲の受けた仕打ちが予想以上すぎる。
「つーか、本当になんでアンタはエルフを助けたいんだ? そこまでされたらむしろ恨んでもおかしくないだろ」
「……逆に聞くけど、アナタはなんで獅童を助けようと思ったの?」
小向の名前を聞いて、智貴は噴き出す。
「な、なんでアンタがそのことを知ってるんだよ!」
「鹿倉から聞いたのよ」
「あんのクソチビ悪戯兎が……!」
次にあったらまたアイアンクローをかけてやろう。智貴はひそかに決意する。
「それで、アナタはなんで獅童を助けようと思ったの? ああいう子がタイプなの?」
「ちげえよ! やたらめったらに辛そうにしてたから見てられなかっただけだっての!」
反射的に答えて、智貴は顔面を手で覆って隠してしまう。
なんだ今のは、まるで正義の味方みたいな台詞じゃねーか。似合わないにもほどがある。
「や、今のなしで」
「辛そうにしてるのが嫌だったから助けたい、と言うわけね」
「だからなしって言ってるだろ!」
「私も、同じよ」
「――――へ?」
思わず、顔を覆っていた手をどかして喜咲を見る。
「私も、辛そうにしているエルフたちを見ていられなかったから、助けたいの」
「……アンタに酷いことしたのに?」
「誰だって追い詰められれば、他人に優しくする余裕なんてなくなるわ。彼らは加害者である前に被害者なのよ。住まう世界を追われた被害者」
確かに彼らは喜咲に酷いことをした。でもそれは彼らが追い詰められていたからだ。
だから悪くない、と喜咲は言う。
そして彼らが辛い境遇にあるから。だから彼らを救いたい。
それが喜咲が望む、彼女のしたいこと。
しかしそこまで言って、喜咲は表情を曇らせる。
「でも今日のことでよくわかったわ。私は一人だけじゃなにもできない」
「今日のことって、演習場でのことか」
「ええ。中位級の悪魔相手に、私は一人じゃなにもできなかった」
「いや、あれは例外みたいなものだろう」
あの時、喜咲は自分の魔術機を持っていなかった。使っていたのは代わりとも言えない、脆弱な槍一本だけ。
つまりあの時の喜咲は、全力には程遠い状態にあったのだ。
現に先日の死都では、喜咲は同格であるはずの蛇の悪魔を一人で倒している。ならば演習場での件は運が悪かっただけと言っても過言ではあるまい。
だがそんな智貴の考えを否定するように、喜咲は首を横に振った。
「例外だろうがなんだろうが、私が一人で事態を収束できなかったのは事実よ。そしてあの時、状況を解決に導いたのは私ではなく、鹿倉と、そしてアナタよ」
「……んなことねえよ」
確かに生徒たちを守ったのは姫乃で、悪魔に止めをさしたのは智貴だろう。だが智貴がそれを成し遂げることができたのは、喜咲のおかげだ。
智貴を庇った喜咲の背中がとても印象的で、ただそれを失いたくなかったから、智貴はがむしゃらになっただけである。
だが、喜咲はそれだけで十分だとでもいうように、朗らかな笑みを浮かべてみせた。
「私にはアナタが必要よ。他の誰でもない、穂群智貴の力が。だから、改めてお願いするわ」
喜咲はそこで一度言葉を切ると、覗き込むように智貴を見た。
「力を貸して欲しいの。私のチームに入ってくれないかしら」
その時感じた物をなんと言えばいいのか、智貴にはわからなかった。
興奮。期待。歓喜。不安。恐れ。驚愕。
そのどれかでもあるような、どれでもないような。あるいは全てが入り混じったような感覚。
「俺が魔王でも、か?」
たまらず、智貴がそう尋ねる。しかし喜咲の表情は変わらない。
「……忘れたの? 私が最初に欲したのはアナタの魔王の力よ」
「そう言えばそうだったな」
野暮な質問だったらしい。智貴は苦笑してから、大きく息をつく。
そもそも喜咲がそれを知っていて近づいてきたからこそ、智貴は彼女を助けたいと思ったのだ。その上、魔王としてではなく智貴自身の力を求めるなら――なにを悩む必要があると言うのか。
「なら改めて頼むよ、リーダー」
智貴の返答に、喜咲は笑みを浮かべる。そして自然な仕草で右手が差し出された。
それに応えるべく、智貴も右手を差し出す――――コップを握ったまま。
結果、喜劇のような悲劇は起こってしまう。
「あ」
「きゃ!」
思いの外勢いよく突き出た右腕。そこに握られていたコップから、盛大に水が溢れて喜咲にかかってしまう。
「わ、悪い!」
智貴はコップを台の上に置いて、手元にあったタオルを渡そうとする。
しかし悪い事は続くらしい。寝起きで激しい運動をしたせいか、智貴はシーツに絡まってしまう。そしてそのまま喜咲を巻き込んで床に倒れ込む。
なにがどうしてこうなってしまったのか。
気付けば、喜咲を押し倒すような形で、智貴は彼女に覆いかぶさっていた。
「え、あ、お?」
思わず動転して、智貴は奇妙な声を上げてしまう。
目を覚ました時より、喜咲との距離が近い気がする。
彼女の吐息が聞こえる。水に濡れた髪が、服が彼女の体に張り付き、透けた下着と合わせてなんとも煽情的な光景を作り上げていた。
心臓が高鳴る。しかしそれは何故だろう。
焦りからだろうか、それともあるいは、
「………………」
「………………」
声も出せずに、喜咲と目が合う。
彼女の方も混乱しているのか声を出せず、それでいてその頬はかすかに朱に染まっていた。
いい香りが鼻孔をつく。
目も耳も鼻も、そしてかすかに触れ合ったか肌からも、全てが彼女を、喜咲を感じている。
今までで一番彼女を傍に感じて、智貴は――――――
ガタン。
「誰だ!」
不意に聞こえてきた物音に、智貴は修羅閃刃を発動させる。
文字通り目にもとまらぬ早さで扉を開け放った智貴は、そこでへたり込んでいる姫乃の姿を発見した。
「や、ヤッホー、トモくん」
「…………アンタ、なにやってるんだ?」
言ってから聞くまでもなかったかと思い直す。
姫乃がへたり込んでいるのは、へばりついていた扉を智貴が開けたからだ。では何故扉にへばりついていたかと言えば、
「盗み聞きとはあんま褒められた趣味じゃねえな」
「やー、なんか強いラブコメの気配を感じて。つい」
そう言って、姫乃はいまだ部屋の中にいる喜咲を見た。
喜咲は床に倒れたままで、ポカンとした表情でこちらを見ている。
「アクシデントからのエロ展開……これが王道のラッキースケベだね!」
「な……!」
姫乃の言葉に、喜咲の顔が茹で上がったタコのように赤面する。
そして今更ながらに自分の濡れて張り付いた服のことを思い出し、慌ててシーツで体を隠した。
「あー、あれはやばかったわ。胸なんて全然ないのに、思わずクラッときたからなあ」
「でもでも普段強気な子が、恥じらってしおらしくしてるのって、最高に萌えない?」
「くっ……! 悔しいが認めざるを得ないな……恐るべし、ツンデレ」
姫乃と智貴で盛り上がっていると、対照的に喜咲がクールダウンしていく。いや、そのこめかみには青筋が立っていることからどうやらご立腹であるらしい。
「それにしてもあのガードの固い喜咲ちゃんが、こうも簡単に落ちるなんて、トモくん、ジゴロの才能あるんじゃない?」
「いや、どっちかっつーと神宮がちょろい……ん? 神宮?」
言って、智貴は背筋に感じた冷たいものから、喜咲を見た。
そして即座に理解する。
からかいすぎた、と。
半分は照れ隠しによるものだったのだが、そのせいで喜咲の逆鱗に触れてしまったらしい。
怒りに震えていた喜咲は表情を消すと、妙に落ち着いた目を姫乃に向ける。
「鹿倉、アナタはいつから聞き耳を立てていたの?」
「え、えーと……」
流石に姫乃も尋常ならざる喜咲の雰囲気に気付いたようで、返答を躊躇しているようだった。
「いつから、聞いていたの? 答えてくれないかしら」
「は、はい。喜咲ちゃんの先祖さんが魔王を起こしたって辺りからです」
「つまり私がエルフだってことはもう知ってる訳ね」
フフフフフフフフフ。
どこか底冷えのする表情で肩を震わせると、喜咲はゆっくりと立ち上がった。
そして突如として、彼女の体が淡い燐光に包まれ出す。
「アナタたちに一ついいことを教えてあげるわ。エルフも悪魔。つまりエルフも魔術器官を持つの。私が持つ魔術器官は世界に接続することで、触媒なしに様々な魔術をその身一つで発生させることができる――――」
「おい、待て。なんでそれを今言う」
「もちろん、こうするためよ!」
叫ぶが否や、喜咲のいる場所を起点に突風が吹き荒れた。
吹きあがった突風はそのまま収束して竜巻となり、扉の付近に立っていた姫乃と智貴を吹き飛ばした。 そしてそのまま後ろの壁に叩きつける。
「乙女の純情を弄んだ罰よ」
「お、乙女は……他人、を壁に叩きつけたり、し……ない……」
智貴はかろうじてそれだけ呟くと、再び意識を暗転させるのだった。
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