第五章 決闘(3)
*
悪魔が羽根を閉じ、墜落するように智貴の前に着地した。
と っさのことに反応しきれない生徒と智貴。そんな智貴を襲おうと悪魔は足に力を溜め、
「どっせいや!」
可愛い掛け声とともに、光り輝く壁が現れて悪魔を閉じ込めた。
「な、なんだ?」
「さっきの立体映像装置を使って、悪魔を閉じ込めたんだよ」
横にいた姫乃が遊びのない様子で説明する。そしてそのまま後ろを振り向いて、固まっている生徒たちに声をかけた。
「悪いけど勝手に複数人選んで魔術機の核にさせてもらったから! 核にされた子は負荷がきついかもしれないけど耐えて! それからもしも隣の子が倒れたら介抱してあげて! 後、シャッターを開けるまでまだ時間がかかるから、そこで待機してて!」
言いながら高速で手を動かす姫乃。シャッターを開けるべく、システムにアクセスしているのだろう。
状況がいまいち飲み込めない智貴は、姫乃に声をかけるべきか逡巡する。彼女の邪魔をしても大丈夫か判断がつかないのだ。
「――魔術機は魂なくして発動できないの。だから鹿倉はこの場にいる生徒たちを使って施設の魔術機であの悪魔を封じ込めたのよ」
そんな智貴の内心を読んだかのように喜咲がそう説明してくる。
「なんだそれ。そんな便利なことできるのか?」
「……普通は無理よ。コネクタを介して無理やり魔術機と魂を接続させたんでしょうけど、そんなことができないようにリミッターがかけられてるはずだもの。それに元々ここの魔術機にもあんな悪魔を封じ込めるような機能はないわ。大方プログラムを書き換えたってところなんでしょうけど……およそ人間業じゃないわね」
「なんとなく凄い奴なんじゃないかとは思ってたけど……なんだ、姫乃って実はアンドロイドかなんかなのか?」
「アンドロイドは魔術機を使えないわよ」
ならこの学園に通って魔術機を使っている以上、彼女は一応生物なのだろう。
「喜咲ちゃん、油断しないで! トモ君も遠藤君は他の子に任せて戦闘準備をしておいて!」
そんな二人を叱責するように、姫乃が声を張り上げる。
「戦闘準備って……悪魔は封じ込めたんだろ? つーか、俺なら返り討ちにできるとか言ってなかったか?」
「あれが普通の悪魔ならね……誰か! トモ君の代わりに遠藤君を運んであげて! 早く!」
慌てて駆け寄ってきた男子生徒に遠藤を引き渡しながら、智貴は戸惑ったような表情を浮かべてしまう。
喜咲はそんな智貴ではなく、閉じ込められた悪魔に視線を向け、それからはっと目を見開いた。
「……まさか、中位級の悪魔なの? あり得ないわ、あれが逃げ出すなんて」
「どういうことだ?」
取り乱す喜咲に、智貴が質問を投げかける。
「この学園が実験用に悪魔をいくらか飼ってるのは聞いたわね。それらの多くは下位級の悪魔。でもこの学園にいる悪魔はそれだけじゃない。更に危険な中位級の悪魔もわずかながら存在してるのよ。でもそれらは絶対に逃げ出さないよう、厳重に管理されているわ」
「でも間違いないよ。今さっき学園のデータベースにアクセスして確認したけど、あれは間違いなく中位級の悪魔だよ」
そう言って姫乃は喜咲から智貴に視線を移す。
「そして演習場の施設じゃ、中位級の悪魔は完全に封じておけない。つまり時間稼ぎしかできないの」
姫乃の説明が終わるのを待っていたかのように、悪魔を封じ込めていた光壁が明滅しだす。もうあまり時間は残されていないようだ。
「お願い! 私がシャッターを開くまで、なんとか二人で時間を稼いで!」
「ふ、二人でって……」
無茶ぶりでしかないお願いに、智貴は思わず狼狽してしまう。対して、喜咲は冷静な視線を姫乃に向ける。
「一応確認するけど、わざわざそんな言い方をするってことは、この場に戦える人間はいないってことなのよね?」
「……うん。一応この場にいる生徒たちのデータは調べてみたけど、中位級と戦えそうなのはトモ君たちしか……ごめんね」
「謝らなくていいわ。ようは適材適所の話でしょ。アナタしかシャッターを開けられる人間がいないように、あの悪魔と戦える人間が私たちしかいないだけ。むしろそれをアナタが的確に判断できただけでもありがたい話だわ」
言いながら、喜咲は誠二が使っていた槍を弄り出す。契約して魔術機を使えるようにしているのだ。
「ちなみにこの間、死都で遭遇した蛇っぽい悪魔は何級なんだ?」
「アレも中位級ね」
「蛇レベルの悪魔と戦うって、ありえねえ、マジでありえねえだろ……」
「アナタも覚悟を決めなさい。この場を凌いだら、ご飯でもなんでも奢ってあげるから」
喜咲に叱咤激励されて、智貴は嫌々剣を構えた。
そうこうしている内に姫乃も後方へ下がっている。もはややるしかない。
「……適性検査から決闘、実戦の連闘で、しかも実戦は訓練なしでの初戦闘。しかも相手は蛇と同格の中位級? どんだけついてないんだよ……俺ってそんなに日ごろの行いが悪かったっけ?」
「むしろ前世での行いでしょ」
珍しい喜咲の軽口――ひょっとしたらただの本音かもしれないが――に、智貴はぐうの音も出せずに納得してしまう。
「まぁ、安心しなさい。基本的には私が前に出て奴の気を引くから、アナタは例の修羅閃刃とやらでサポートしてくれればいいわ」
「だぁぁぁぁ! クソが! わかったよ、やってやるよ! こうなったら徹底的に、この怒りをあのクソ悪魔にぶつけてやらあ!」
やけくそ気味な智貴の声が響き渡り、悪魔を閉じ込めていた光の壁が消失する。途端、弾かれるようにとびかかってきた悪魔に、喜咲と智貴は同時に左右へ跳ぶのだった。
智貴たちがいた地面に拳がめり込み、大地が爆音を伴って陥没する。当たれば簡単に昇天できそうな一撃に、智貴は思わず頬を引きつらせた。
そんな智貴をよそに、喜咲が反撃とばかりに突っ込んでいく。横薙ぎに振るわれた悪魔の腕をくぐる様に回避して、がら空きになったわき腹に槍の穂先を叩き込んだ。しかし槍が悪魔を傷つけることはなく、弾かれた槍をそのままに、喜咲は追撃を嫌って後ろへ跳ぶ。
攻撃を受けた悪魔は仕返しとばかりに喜咲に攻撃をしようと腕を振り上げ、その姿勢のままぐるりと顔を智貴に向けた。
直後、嫌な予感に駆られた智貴は慌てて後ろへ跳ぶ。そのタイミングで悪魔が羽根を震わせた。そしてつい先ほどまで智貴がいたそこに衝撃波の槍が突き刺さる。
「あぶねえ、ノォ!」
続いて繰り出される悪魔の体当たりを、智貴は奇妙な声を上げながら回避。だが予想外の追撃を回避したせいで後が続かない。続けて振るわれた拳を智貴は剣で受ける。拳が剣に触れる直前、見えない壁に遮られるように拳の勢いが弱まる。かろうじて受けきれる程度の威力に収まった。
なにが起きたのか考える前に、智貴は修羅閃刃でその場を離れる。
距離を取って、智貴は改めて悪魔を見る。悪魔は智貴を見失ったようで、一瞬辺りを見渡すが、直ぐに智貴を見つけると再び襲い掛かってきた。
「またかよ!」
言いながらバックステップで回避。続く拳を今度は剣でかろうじて受け流し、そして拳を振り切ったところで竜を断つ剣を発動。そのまま斬りつけるが、斬撃は表皮をわずかに傷付けるだけにとどまった。
まるで岩でも切りつけたかのような手ごたえに、智貴は顔をしかめながら修羅閃刃で距離を取る。そして直前まで智貴がいた場所を、悪魔の剛腕が通り過ぎた。間一髪である。
そうしている間にも後ろからは喜咲が悪魔に攻撃を加えているが、しかしダメージが通っていないからか、悪魔がそちらを向くことはない。再び姿を見失った智貴を探しているようである。
あくまで狙いは智貴らしい。
「クソ、マジで疫病神か死神にでも取り付かれてるんじゃねえのか、俺……」
異常なまでに不運が続いて、智貴は悪態をつく。
それから態勢を整えるべく自分の体を見下ろして、胸元に焦げ臭い臭いを上げる三つの命があるのを発見した。
どうやらさっき悪魔の攻撃を和らげたのは、この魔術機のおかげだったらしい。
説明では三度攻撃を防いでくれるとの話だったが、先の悪魔の攻撃があまりに規格外だったのだろう。宝玉は輝きを失い、ところどころ火花が散っている。あと一回攻撃から守ってくれるかどうか、正直怪しいところである。
「いよいよ持ってジリ貧になってきやがったな……」
こちらの攻撃はほとんど通じず、向こうの狙いを散らそうにも、何故か悪魔は智貴にお熱の模様。挙句にそんな智貴を守ってくれる三つの命はほぼ機能していない。
「まじでSGMだかなんだか助けに来てくれねえかな」
再び襲い掛かって来た悪魔の攻撃をさばきながら、智貴が呟く。
姫乃がシャッターを開くか、SGMが助けに来てくれれば、とりあえずは光明が見えるだろう。しかし同時にそれは難しいのではないか、と智貴は思う。
この状況が意図して作り上げられたものであるなら、当然その両者にもなんらかの妨害があってしかるべきだ。
そして十中八九、これは意図的に作り上げられた状況だ。
生徒が閉じ込められたり、脱走不可能な中位級の悪魔が現れたりしたこともそうだが、なによりその悪魔が智貴を執拗に狙ってきていることが不自然すぎる。
確証はないが、この状況は何者かが智貴を殺すために用意した物なのかもしれない。
「そこまで嫌われることをした記憶は、特にねえんだけどな……ん?」
そこで智貴は悪魔の首になにかがあることに気が付いた。
悪魔の皮膚と同じ赤色で分かりにくいが、どうも首輪のような物が付いている。
「あれは……コネクタ?」
悪魔が学園の実験に使われていたと言うなら、コネクタを付けられていてもおかしくない。
おかしくないが、なんだ。智貴はひっかかりを覚えて眉を顰めた。
なにかが繋がったような気がする。いや、よくよく考えてみればそもそもがおかしいのだ。
誰かが智貴を殺したいとして、そもそもどうやって悪魔を操っているのか。
魔術機や、洗脳と言った可能性もある。だがあのコネクタが悪魔の操作に関わっている可能性もあるのではないか――――
「って、しまった!」
思考に没頭してしまった。そのせいで手元がおろそかになる。悪魔の攻撃を剣で受けようとして、逆に剣を弾かれてしまう。
修羅閃刃で攻撃そのものは回避するが、状況は芳しくない。
何度も繰り返したせいか、悪魔も修羅閃刃に慣れたようだ。取り乱した様子もなく、悪魔はすぐに智貴を見つけ出して再攻撃に移る。
続けざまに修羅閃刃は使えない。故に、智貴は避けられない。
修羅閃刃は強力だが、しかし万能な技ではないのだ。
加速できる時間は体感で三秒。最大倍率は三倍が限界。しかも体を無理やり動かすわけだから消耗も大きく、なにより一度使うと数秒はクールタイムを置かないと再使用が難しい。そしてそのクールタイムは消耗が大きいほど長くなる。
智貴は既に前の戦闘で修羅閃刃を多用している。しかも慣れない悪魔戦で、消耗は大きい。だから続けて修羅閃刃は使えない。
振るわれた悪魔の拳を、智貴はバックステップで回避する。しかし回避がぎりぎり過ぎて胸に付けていた三つの命がジャージの布ごと持っていかれる。そして無理やり回避したせいで、智貴の姿勢が大きく崩れた。
悪魔がとどめとばかりに拳を大きく振り上げる。
修羅閃刃は使えるかもしれないが、それを使っても体勢を戻すのがやっとだろう。起死回生には程遠い。そしてそれ以外にできることはない。
しかしそこに喜咲が割って入ってきた。そして槍を盾のように構えて、そこから生じた光壁が悪魔の攻撃を受け止める。
バチン、と弾けるような音が響く。光壁が破壊されるが、同時に悪魔の拳も弾かれる。だが弾かれたのは悪魔の右腕のみ。まだ左腕が残っている。
突き刺す守りの防御壁も、修羅閃刃と同じですぐに使えない。修羅閃刃で逃げるにしても、喜咲を抱えてでは難しい。故に、
「首だ!」
主語もなければ動詞もない。首になにがあるのかもわからない智貴の台詞。しかし喜咲はそれだけで智貴に意図を汲み取る。
悪魔が左の拳を振り下ろすよりも早く、槍の先端が首のコネクタに突き刺さる。直後、悪魔の喉から鼓膜をつんざくような雄たけびが上がった。
まるで拷問で電流でも流されたかのように悪魔が痙攣し、そしてその全身から力が抜ける。
悪魔の瞳から光が消えるのを見て、智貴は弛緩するが――視界の端で悪魔の翼が細かく震えた。
「え?」
全てが、吹き飛んだ。
なにが起きたのかわからなかった。
記憶にあるのは轟音と衝撃。そして気付けば智貴は宙を舞っていた。
爆弾の爆発に巻き込まれたら、今の智貴のような感想を抱くのかもしれない。そんなことを思いながら、智貴は地面に叩きつけられた。
遠のく意識を気合で繋いで、智貴はかろうじて頭を起こす。
そして目の前に広がる光景を目の当たりにした。
そこに広がるのは一面の破壊の跡だ。
地は抉れ、壁は崩れ、そして空は煙と粉塵で灰色に染まっている。そしてその中心に、悪魔がいた。
全身を炎のような赤に染めた巨大な人型。そしてその背にある六枚の羽根が、蜃気楼のように揺らめいている。
智貴は、さっき悪魔の羽根から衝撃波が放たれたことを思い出す。ならばこれは全ての羽根から指向性を持たせずに衝撃波が放たれた結果なのだろう。
つまりこれは、自分の失敗がもたらした光景なのだ。
おそらく、コネクタが悪魔にもたらしていた制約は、二つ。
一つは智貴を狙うこと。そしてもう一つはそれ以外を攻撃しないことだ。
それらの制約がなくなればどうなるか。その答えが目の前の光景である。
言葉がなくなる。呼吸を忘れる。
自分がもたらした災厄の規模が大きすぎて、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまう。
これほどの破壊がもたらされたのであれば、喜咲は、姫乃は。そして他の生徒はどうなってしまったのか。
知りたくない。考えたくない。
意識が現実を拒絶する。そうなれば意識を保つ理由など存在しなくなる。
悪魔がこちらに歩み寄ってくるのが見えるが、どうでもいい。このままでは殺されてしまうだろうが、それも自分のしでかしたことを考えれば仕方のないことだ。むしろ意識を失っている間に死ねるのであれば、幸運なのかもしれない。
だから智貴は、死神に誘われるまま意識を手放そうとして、
「しっかりしなさい、穂群!」
その言葉が、智貴の意識を現実に引き戻した。
気付けば見覚えのある背中がそこにはあった。
太陽のような長い金髪に、黒のいかついヘッドホン。手足の所々は怪我を負っており、黒や赤に染まっている。しかし決してふらつくことなく、巨大な槍を構えて智貴の前に立っている。
まるでおとぎ話に出てくる英雄の様な立ち姿に、智貴は先とは違う理由から、呼吸を忘れていた。
「早く起きなさい、このポンコツ魔王! さもないと……えーと、と、とにかく酷いことするわよ!」
「……なんつーか、台無しだよ。馬鹿野郎」
さっきのは目の錯覚だったのだ、智貴は自分に言い聞かせて上体を起こす。
「トモ君!」
聞こえてきた声に振り返ってみれば、そこには光の壁に守られた姫乃とその他の生徒たちの姿があった。
どうやら施設の魔術機を使って、姫乃が他の生徒たちを守ってくれたらしい。
不幸中の幸いと言うべきか、全員が無事だったことに智貴は心底安堵する。しかしその安堵は長くは続かない。
「起きたなら丁度いいわ。この場は私が踏ん張るから、アナタは鹿倉たちの所に避難しなさい」
「なに言って……っつ」
智貴は喜咲を非難しようとして左腕に走った痛みに顔をしかめた。見てみれば、腕の関節が一つ増えていた。どうやら折れているらしい。
「そんな状態じゃ、アナタはもう戦えないわ。足手まといを抱えながら戦うことの難しさは、言うまでもないでしょ?」
「……アンタはどうするんだ?」
「さっきも言ったでしょ、ここで踏ん張るって」
「無理だ! お前、そんな怪我で……!」
「いいから行きなさい!」
いつの間に悪魔はすぐそこまで迫っていた。喜咲は叫ぶより早く地を蹴ると、悪魔に斬りかかっていく。
コネクタに支配されていた頃ならいざ知らず、今や自由となった悪魔は自分を侵すものを許さない。
かくして、悪魔と喜咲の熾烈な第二ラウンドが始まった。
*
槍が振るわれ、拳が振るわれ、瓦礫が砕け、血が弾け、空気が震え、血が弾け、骨が軋む。
悪魔が力強く肢体を振るって舞い、喜咲がしなやかに槍を振るって舞う。
相反する舞にもかかわらず、しかしそれは奇跡的なまでに噛み合い、美しくさえあった。
だが幾ら美しく見えても、実情はただの殺し合いだ。その一手一手が、必殺の気合を込められて放たれている。
いや、込められているのは気合だけ。
悪魔のそれは確かに必殺の一撃だ。だが喜咲のそれは、必殺からは程遠い。
槍が皮膚に当たっても傷にならない。それこそ全力で突き込んでも、かすかに血が流れる程度だ。
「トモ君、早くこっちに!」
姫乃が焦った様子で智貴を呼ぶ。障壁の目の前までやってきたにもかかわらず、智貴が足を止めてしまったからだ。
智貴の視線は前の姫乃たちではなく、後ろの喜咲たちに向けられている。浮かべる表情は迷いのそれだ。
「……そっちに行く前に一つ教えてくれ。俺がこの壁の内に入ったら、その後で出ることはできるのか?」
「…………なんでそんなこと聞くのかな?」
「いいから答えろよ」
「……できるよ」
逡巡してから、姫乃が無表情に答えた。
姫乃と智貴の視線が交錯する。その時間は一瞬。それから智貴は、ふっと表情を緩める。
「やっぱ、アンタもいい奴だよな」
「トモ君?」
「悪いな。そっちにはまだ行けねーわ」
言って、智貴は背を向ける。
行かなければいけない。
後ろから智貴を止める声が聞こえる。しかし智貴は止まらない。
姫乃は智貴を助けようとした。喜咲も同じだ。
いや、彼女たちは自分だけではない。それ以外の皆も救おうとしている。
そんな彼女らに任せて、安穏とした場所に引きこもっていていいのか。いや、いいわけがない。
SGMは来ない。シャッターもまだ開かない。
時間があればそのどちらかは叶うのかもしれない。しかし時間はあまりないだろう。
智貴は悪魔と戦う喜咲を見る。
最初こそ、拮抗しているように見えた両者の闘いは、今では完全に悪魔の方に傾いていた。
SGMが来るにせよ、シャッターが開くにせよ、喜咲には悪いがそれまで彼女が無事でいられるとは思えない。
歩きながら、智貴は改めて自分の状態を再確認する。
左腕は折れていて、全身は擦り傷と打撲傷だらけ。竜を断つ剣も、悪魔に吹き飛ばされた時点で失っている。加えて言えば連戦のせいで体力の消耗も激しく、修羅閃刃もあと数回使えるかどうかと言ったところ。
誰に言われるまでもなく、足手まといにしかなれないことは智貴自身が理解している。
だがそれでもこの場をどうにかできるとしたら、それは智貴しかありえない。
魔王の断片たる智貴にしか、喜咲を救える者はいない。
「……なんで俺は、自分から面倒事に向かってるんだかな」
戦いの場に向かいながら、智貴は呆れたように呟く。
十年も眠りこけて、目が覚めたら化物がはびこる死都の中。保護されたと思ったら監禁されて、ほとんど選択肢も与えられずに間宮学園に通うことになった。そして今、望まない戦いに挑み、ほぼ死に体の状態で死地へと向かっている。
どうしてこうなった。なにが悪かった?
考えるまでもない。智貴の中にある魔王の断片が原因だ。
これがなければ智貴が十年の時を超えることもなく、喜咲に捕まることもなく、脅されて学園に通うこともなかった。そしてそれらがなければこの戦いだって起こりようがなかった。
つまり全部自分の中にあると言う、暴食が悪い。
今までもずっとそうだった。
幼い時から暴食をコントロールできなくて、そのせいで周りを傷つけて破壊して。だから友達もできなかった。
天堂一刀流を学んだのだって、精神を鍛えて暴食を制御できるようにするためだ。
でも制御できるようになったからと言って、人とまともに接したことがない自分に友人など作れるはずもない。いや、そもそも制御できるようになっても、それはいつまた制御が効かなくなるかわからないような代物だ。そんなものを抱えて友達を作るなんて、とても恐ろしくてできなかった。
だから智貴にとって暴食は非常に疎ましいもので、憎しみの対象と言ってもいい。
でも。いや、だからこそ、智貴は思う。
「……今まで散々っぱら迷惑かけてきやがったんだ」
吐き捨てるように、あるいは祈るように、智貴は内に抱える漆黒のそれに呼びかける。否、命令した。
「たまには言うこと聞きやがれ!」
同時に、智貴の右腕に異変が生じた。
黒い靄(もや)のような物が皮膚からあふれ出し、徐々にその色を濃くしていく。右腕が全て漆黒に飲み込まれるが、しかし右腕を覆った靄は安定せず、不規則に形を変えていく。
まだ形を保てないそれに、智貴が強制的に
「
智貴の叫びを得て、右腕が確固たる形を得る。
それは狼の頭のようだった。ただし目はなく、耳も形こそあったが、耳の穴はない。あるのは悪逆たる敵を食い殺す、無数の鋭い歯を備えた咢(あぎと)のみ。
「がっ!」
喜咲が光の壁を破られて、槍本体で悪魔の拳を受け止める。だがダメージを殺しきれずに吹き飛ばされて、地面を転がる。そして止めをさすため、悪魔が彼女に踊りかかった。
「させるかぁぁぁぁぁぁぁ!」
同時に智貴も地を蹴る。そして喜咲に届くよりも早く、悪魔の拳に黒く染まった自分の右腕を叩き込む。
醜い咀嚼音が響き、続いて悪魔の絶叫が響く。悪魔の右腕、その肘から先が智貴の右腕に喰われて消滅していた。
「ほ、穂群?」
突如姿を現した智貴の姿に、喜咲の目が見開かれる。その視線は、智貴の黒い右腕に注がれていた。
「アナタ、その右腕は……」
「どうだっていいだろ、そんなこと。それより選手交代だ」
「で、でも」
「今はアンタの方が足手まといだと思うぜ?」
智貴の言葉に喜咲は唇をかむ。事実だと理解しているのだろう。
小さく頷くと、喜咲は急いでその場から離脱した。
「さぁ、じゃあフィナーレといこうじゃねえか。ラスボス君」
言って、智貴は馬鹿にするように手招きしてみせた。
挑発に応えるように、悪魔がなくなった右腕を押さえながら必死の形相で睨んでくる。
怒り狂っているように見えて、しかし智貴に近づくのは危険だと分かるぐらいの理性は残っていたらしい。
こっちも体力はあまりないのだからてこずらせないで欲しい、と智貴は思う。
そんな智貴の想いをよそに、悪魔が羽根を震わせる。おそらくはさっきやったような全周囲への攻撃を仕掛けてくるつもりなのだろう。
「遅い!」
だがわかっていれば対処するのはたやすい。智貴は攻撃が放たれるよりも早く悪魔の懐に潜り込む。そして悪魔の胸に漆黒の右腕を突き刺した。腕に宿った暴食の獣は、悪魔の胸に大穴を穿ち、その後ろにあった羽根すらも喰らい尽くす。
それで、終わりだ。
智貴が悪魔の胸から腕を引き抜いて悪魔から距離を取る。
悪魔は死に抵抗するように智貴に手を伸ばすが、しかしその願いが結実することはない。その左腕はなにも掴むことなく空を切ると、力を失ってその体ごと地へと伏した。
駄目押しの追撃が、悪魔の頭部を平らげる。これで悪魔が起き上がることはもはやない。
「……今度こそ、終わった。な」
悪魔が動かなくなったのを見て、智貴の右腕を覆っていた黒い靄が晴れる。だが右腕が明確になるのに反比例して、智貴の意識が曖昧になっていく。
「穂群……!」
喜咲が駆けつけてくる。そして気付けば、智貴は彼女の腕の中にいた。
あ、やばい。智貴は直感する。
喜咲が二人に見えてきた。しかもその姿はぼやけている。更に体の感覚も曖昧になってきた。
じきに、自分は意識を失うだろう。ならばその前に彼女に伝えておかなければ――――
「……遠藤と、姫乃には、一つだけ言うこと……聞かせる権利を取り付けた。それを使って、アイツらを、アンタのチームに――――」
――入れてくれ。そう言い切る前に、智貴の意識が急速に拡散していく。
ちゃんと伝わっただろうか。もう一度言っておきたいが体が言うことをきかない。
口も回らなければ、目も智貴の想いとは違う動きを見せ――遠くになにか、気になる人影があるのに気が付いた。
それがなんなのか、なにを意味するのかわからない。ただその人影がいたことは覚えておかなければいけない。
そんな思いを最後に――――
――穂群智貴は意識を失った。
*
「穂群!」
腕の中で意識を失った少年の名を、喜咲が叫ぶ。
慌てて脈を計り、そして息があることを確認する。それらが安定していることに気付き、喜咲は安堵する。だがすぐに違和感を覚えて、再度智貴の体を確認した。
そこで異常に気が付いてしまう。
「左腕が……」
折れていたはずの智貴の左腕、それがいつの間にか治っていた。それだけではない。体中にあった痣や傷もなくなっている。
「これは一体…………」
戸惑っていると、足音が聞こえてくる。振り返ってみれば駆け寄ってくる姫乃が見えた。
いや、見えたのはそれだけではない。
その後ろに、姫乃たちが守ったと思しき生徒たちの姿があった。しかしその表情に助かった安堵はなく、むしろ悪魔に見せた以上の、恐怖と怯えの色が浮かんでいる。
「今のは魔術器官……?」
「じゃあ、アイツは妖混じり……」
それらは全て智貴に向けられた言葉だ。
彼らを助けた者に向けられた、言葉だ。
ゾクリ、と背が震える。
それらの顔を、言葉を喜咲は知っている。
それは自分たちと違うものに向けられるものだ。
――アイツが大罪人の孫娘?
――あの子と遊んじゃだめよ。穢れるわ。
昔の記憶がよみがえり、喜咲は智貴を抱く腕に力を込める。
「トモ君は大丈夫なの?」
姫乃に声をかけられて、喜咲の意識が現実に引き戻される。
「喜咲ちゃん?」
「え、あ……ええ。大丈夫よ。命に別状はないみたい」
「よかった……」
胸を撫で下ろす姫乃。彼女の瞳にだけは、恐怖や怯えと言ったものがない。そのことに安堵を覚える。
「じゃあ、とりあえず医務室いこ? トモ君は……なんか怪我治ってるみたいだけど、意識失ってるし。喜咲ちゃんもボロボロだし。遠藤君は先に連れて行ってもらったから」
「シャッターは開いたの?」
「うん。なんかトモ君が悪魔を倒した直後ぐらいにあっさりと」
「そう…………」
「とにかくいこ。ほら、私もトモくん担ぐの手伝うし」
姫乃の台詞に、喜咲は智貴と彼女を交互に見やる。
大人と子供ぐらいの体格差だ。姫乃に智貴を担がせるのは難しいだろう。
なにより、そうやって手間取って、この場に長くい合わせたくない。
「いえ、穂群は私が担ぐわ。それぐらいの体力は残ってるし」
「そう? じゃあ任せるよー」
どこか気の抜けた返事を聞きながら、喜咲は立ち上がる。
そしてあまり気分のよくない視線を浴びながら、その場を逃げ出すように後にするのだった。
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