第四章 悪戯兎と盲目の騎士(2)






 *


 焼肉定食、焼き魚定食、肉うどん、チャーシュー麺、ミートスパゲッティ、海鮮丼、親子丼。大量の食事が智貴の前に並べられており、しかもそのほとんどが智貴の腹の中にすでに納まっている。その上で、智貴は手に持っていた牛丼を口の中にかき込み、至福の表情を浮かべていた。


「さすが暴食……とんでもないわね」

「安心しろよ。これを食い終わったらデザートもちゃんと食うさ」

「もう好きにして」


 諦めたように喜咲はため息をつくと、自分の生姜焼き定食に手をつけた。


 そんな喜咲を、智貴は残りの食事をかき込みながら眺める。


 金髪翠眼の外人風の美少女が器用に箸を使って豚の生姜焼きを食べている様は、なんというかシュール……ではなく、食事を取る彼女の姿は自然体だ。悠馬が言っていたような、なにかがあるようには見えない。


「なによ、ご飯なら上げないわよ」

「ちげーよ。いや、くれるって言うんなら貰うけど、今のはそういう意図で見てたわけじゃねーよ」


 言って、智貴は最後に残った親子丼の残りを口の中にかき込んだ。水でそれを流し込む。


「アンタってさ、結構正義の味方みたいな真似してるのな」

「本当になんの話をしてるのよ」


 心底嫌そうな顔をする喜咲。どうもあまり触れて欲しい話題ではないらしい。


 もっとも智貴はそんなことは気にしない。


「いや、死都で結構人助けしてるとか言ってたじゃん? 俺も一応はアンタに助けられた口だし。いつもそんなことしてるのか?」

「別にいつもってわけじゃないわよ。偶々目の前で襲われてる生徒がいたら助けてるだけよ」

「やっぱ、正義の血でも騒ぐのか?」

「やっぱってなによ……そんなのじゃなくて、ただ単純に、目の前で人が殺されたら夢見が悪いじゃない。それだけよ」


 動揺などがないところを見ると、この手の質問はされ慣れているのかもしれない。


「それに、助けを求めてる人間全員を助けられるわけでもないし」

「ん? なんだって? 声が小さくてよく聞こえなかったんだけど」

「なんでもないわよ。それよりなんでそんなことを聞いてきたのよ?」

「や、大したことじゃねえんだけど、不思議に思ってな」

「だからなにがよ?」

「アンタは傍若無人で口の悪いコミュ障じゃん。だからチームのメンバーが集まらないのはただ単に人望がないだけなんだと思ってたけど」

「喧嘩売ってるの? 今なら言い値で買ってあげるわよ?」


 喜咲が睨んでくるが、智貴は平静なままだ。


「安心しろよ。人望がないってのは俺の勘違いだった。アンタは性格面はあれだが確実に人望はあるよ。それは周りの反応を見てたらわかる。でもだからわからねえんだよ」


 そこで言葉を切ると智貴は箸を置く。彼の前にある食事は器を残して全て空だ。


 智貴は挑むような視線で喜咲を見る。


「アンタが声をかければ、チームメンバーなんざすぐに集まりそうなもんだ。いや、ただチームを組むだけなら、アンタが他のチームに入ればいい。あのクソ野郎が邪魔してる、みたいなことを言ってたけど、それこそアイツのチームに入ることだってできるはずだ」


 だが喜咲はそれをしない。草薙悠馬のことが気に入らないと言うのもあるだろうが、それだけではないはずである。確証はないが、確信はあった。


「あのクソ野郎の言ってたアンタの目的。それってなんなんだ?」

「それは……」


 喜咲が豚肉に伸ばしかけていた箸を止める。その瞳は内心の動揺を映すように揺れていた。


 今の今まで、智貴は喜咲の目的を聞いていない。そして今こうして話を振っても喜咲が答える様子はない。それほどまでに喜咲の目的とは言い難い物なのだろうか。


「まさかチームメンバーである俺にすら言えないような目的なのか?」

「そ、そんなことないわよ。そうじゃなくて、えっと……」


 困ったように喜咲が言葉を詰まらせる。しかしわずかに逡巡して目を瞑った後、喜咲は意を決したように瞳を開き、


「それは私が教えてしんぜよう!」

「ひゅいっ!」


 直後、喜咲とテーブルの隙間から、生えるようにして見覚えのある少女が現れた。実に一時間ほど前に見た、ピンク色の髪をした小学生並みに小柄な少女である。


 時に、喜咲がなにか妙に可愛らしい悲鳴を上げた気がするが、黙っておいた方が自分の身のため……ではなく彼女の尊厳のため良いだろう。智貴は喜咲のことを意識から外して、新たに現れた少女の方に向き直る。


「呼ばれてないけど勝手に参上! みんなのアイドル姫乃ちゃんでっす!」


 喜咲の膝上に座ったまま、姫乃が決め顔でそう告げる。


 なんだかまた騒がしくなりそうだ。智貴はそんな姫乃を見て、不安に駆られるのだった。






 五分後、智貴はデザートを持ってテーブルに戻ってきた。


 姫乃が現れた直後、二人が喜咲の膝の上を巡って争い出した。そうして手持ち無沙汰になった智貴は、一旦席を離れていたのである。


 姫乃が満足顔で膝の上に座っているところから、どうやら勝負は姫乃が勝ったらしい。


「ムフフー、満足満足。特に頭のあたりのクッションがなだらかで頭にフィットするわー」

「なだらかって、アナタも似たような物じゃない!」

「似たようなものだけど、私は喜咲ちゃんと違って気にしてないしー。むしろ私みたいにプリティな少女は、胸が小さくてもそれが魅力昇華されるしー」

「……あー、もう。勝手にして」

「言われずとも!」


 喜咲が疲れた顔でため息を漏らす。


 二人の話が一段落したところで、智貴も丁度デザートに持ってきていたマンゴーパフェを食べ終わる。なかなかどうして美味だった。次に来たらまた食べよう。今度は喜咲の奢りで。


「で、鹿倉。アンタがどうしてここにいるんだ?」

「んう?」


 喜咲の生姜焼きを勝手に口に入れながら姫乃が顔を上げる。


「ひはひひゃんひゃひゃんひふぉ」

「とりあえず飲み込んでから喋れ」


 智貴に指摘されて、姫乃が水で生姜焼きを流し込む。言わずもがな、その水も喜咲の物である。喜咲は顔をしかめるだけで、もうなにも言わない。若干哀れに見えたが、被害を受けたくないので智貴はスルーする。


 とりあえず間が開いたので、智貴も口に水を含み、


「喜咲ちゃんが色気で男子をたぶらかしてチームに引き込んだと聞いたので、事情聴取に来ました!」


 危うく吹き出しそうになった。


「な、なななな、なに言ってるのよ! 私はそんなふしだらな真似はしてないわよ!」

「……確かに、あれはたぶらかすって言うより脅迫だったな」


 かろうじて水を飲み干した智貴がそう呟くと、喜咲に睨まれて、智貴が目を逸らした。


 姫乃はそんな二人を気にせず言葉を続ける。


「で、そうやってやってきたら、なんか喜咲ちゃんの目的がなんたらかんたらってシリアスな空気を漂わせてたから、ついついそれをぶち壊したくなって」

「最悪だな、アンタ……」「最悪ね、アナタ……」


 喜咲と智貴の声が思わずハモる。しかしそうやって二人に非難された姫乃はどこか満足げだ。


「まあまあ、お詫びってことで代わりに私が喜咲ちゃんの目的を教えてあげるから」

「あん? アンタは知ってるのか?」

「高等部の生徒なら大体知ってるんじゃないかな? むしろなんでトモ君は知らないのかと」

「さっきも言っただろうが、十年寝てたって。この学園に来たのもつい昨日の話だからな、神宮(コイツ)の事情なんて知らねえよ」


 納得する姫乃に反して、今度は喜咲が怪訝な表情を智貴に向ける。


「アナタたち知り合いなの?」

「ん? ああ、さっきアンタと落合う前に遭遇してな」

「それで遅刻したのね……なるほど」


 何故か妙に納得したように頷く喜咲。どうやら姫乃に絡まれると時間を食う、と言うのは彼女にとって常識らしい。


「なんかすごーく不服な認識が、二人の間で共有されてる気がするんだけど」

「至極当然の認識よ……それより私の目的を教えるとか言ってたけど、私がそれを話すならアナタはいらないと思うんだけど。つまり即座に膝から退きなさい」

「だが断る」

「………………」

「まあまあ、そんな怖い顔しないで。可愛い顔が台無しだよ? それに実際問題、私が説明した方がいいと思うけど。喜咲ちゃん、結構口下手だし」

「む………………」


 喜咲が嫌な顔をしながら黙り込む。どうやら口下手な自覚はあったらしい。もっとも、口喧嘩で負けて膝の上を占領されているのだから、自覚していなかったらそれはそれで問題だろうが。


「俺は目的さえわかればどっちが話そうが構わねえよ。で、結局そこの口下手ヘッドフホンはチームを作ってなにをしようとしてるんだ?」


 智貴の軽口に、喜咲が思い切り睨んでくる。そこでなにも言い返せないところが口下手と言われる由縁だろう。


「喜咲ちゃんの目的は簡単に言うと死都深層域、別名人類未踏破領域の探索だね」

「しとしんそう……なんだって?」


 呪文のような長ったらしい名前に、智貴は思わず聞きなおす。


「人類未踏破領域。死都の中でも一番深層部にある、未知の場所の事だよ」


 姫乃の言葉が理解できず、智貴は首を傾げる。


 死都は、元は東京と呼ばれる日本の都市だ。現代はどうかよくわからないが、十年前なら知らない者はいない日本の首都である。それがたった十年程度で未知の場所呼ばわりされるのは、少々不可解と言わざるを得ない。


 そんな智貴の内心でも読んだのか、「えーと」と、姫乃が悩みだす。


「トモ君は、死都は知ってるんだっけ?」

「一応は。地獄変だかなんだかで、悪魔が出るようになった元東京だろ? で、手に負えなくなったから壁を作って閉じ込めた場所」

「そそ、臭い物には蓋って訳だね。まあ、その蓋も完全じゃないから、定期的に私たちが死都に赴いて悪魔を文字通り掃除してるんだけど、今はどうでもいいか」


 どうでもいいならどうして話した。智貴は内心で突っ込んで話を促す。催促された姫乃は上着のポケットから、レンズの付いた小型機械をテーブルの上に置く。そこから立体映像が投射された。


 投射されたのは、半径の異なる三つの同心円の壁に覆われた都市。3Dモデルで作られた死都東京の姿である。


「おお? これどうなってるんだ? 勝手に動いてるぞ」

「コネクタの無線で遠隔操作してるだけだよ。ちなみにこれは死都の簡略図ね。死都は一番外に一枚、内部を二枚の壁で遮られて、三つのエリアに分けられてるの」


 言葉の直後、立体映像に映し出された街の映像。その一番外周部が緑に光り出す。


「ここが外周域。基本的に下位級レッサークラスの悪魔が生息する場所だね。魔術を扱えれば、一人でも割と安全に歩けるかな。油断して死ぬ人も少なくないけど」


 外側のエリアが赤の光を失い、代わりに都市部の中間が光り出す。


「こっちは中層域。基本的に中位級以上の悪魔の生息する場所。上位級グランドクラスは深層域から出てこれないようになってるけど、それ以外は出ると思ってくれていいかな。チームを組んでないと高確率で死んじゃうね。そんな訳でここから先に行くには最低でもチームを組んでなきゃいけないの……喜咲ちゃんぐらい強ければ一人でもなんとかなるかもしれないけど、そう言った例外はごく少数。この学園内でも十人もいないんじゃない?」

「……お前、思ったよりも凄かったんだな」


 智貴が心からそう言うと、喜咲は自慢するように胸を張ってみせた。面倒くさいので無視。


 そうこうしてるうちに二つ目のエリアが赤の光を失い、死都の中央部が今度は緑に光り出す。


「そこが噂の深層域か?」

「そだね。別名未踏破領域って呼ばれてるところ……なんだけど、ここのことはぶっちゃけよくわからないの。って言うのもここに入って戻ってきた人がいないからなんだけど」

「戻ってきた奴がいない? そこにいる悪魔はそんなに強いのか?」

「うーん。確かにここには上位級って言う、街ぐらいなら単体で滅ぼせるような悪魔はいるんだけど……それに加えて深層域は、時空間が歪みに歪みまくってるの。それこそ歩いてたら空中に出たり、急にふっとんだりするぐらいには」

「なんだそのびっくり箱みたいな場所」


 もっとも、驚くだけで済めば大分ましだろう。


「今は無くなっちゃったらしいけど、黒の柱門の影響で有害な魔力に満ちてたり、そのせいで植生そのものが変わったりしてるし。簡単に言うと秘境と言うか、魔境になってるわけだね。あるいは地獄って言っていいのかも」


 地獄に変わった場所。地獄変が、あった場所。


 それが死都と呼ばれる場所。


「……そう言えば、さっき深層域のことはよくわからないとか言ってなかったか? その割には色々説明されてる気がするんだけど」

「それは私が全知全能だからです」

「手前はどこの唯一神だ」

「新世界の神に、私はなる! ……まあ冗談は置いておいて。一応、機械で死都の外側から可能な限りの観測はしたみたいだからね。ただ直接観測に向かった人間や、調査のために飛ばしたドローンが戻ってないから、詳しいことはわからないの。それに結局分かったのはそれぐらいで、実際のところはほとんどわからないって言っていいと思うよ。だからこそ深層域は未踏破領域なんて呼ばれてる訳」

「なるほどな。それでそこに行くとなにかいいことあるのか? 聞いてる限りだと地獄への片道切符みたいな場所にしか聞こえねえんだけど」

「さっきも言った通り未踏破領域の情報はないに等しいわけだから、そこの情報を持って帰ればそれだけで大きな功績になるんだよ。それこそノーベル賞物の功績に匹敵するんじゃない?」

「それは……凄いな」


 智貴は素直に感心する。


「じゃあ神宮のチームにメンバーが集まらないのは、その未踏破領域が危険な場所だからってことなのか?」

「そだね。未踏破領域を攻略するには千年は早いって言われてるから……半導体とか、ジェット機。コンピュータとか、インターネット。魔術ぐらいの世界的な技術改革がもう一回ぐらい起きないと、まともに調査なんかできないんじゃないかな? 仮に一億人ぐらいで人海戦術を取っても、現代の技術じゃ文字通り屍の山を築くことしかできないと思うよ」


 うへえ、と智貴は顔をしかめる。確かにそんなレベルの困難であるなら、挑みたがらないのも理解できる。自殺志願もいいところだろう。むしろ理解できないのは、そんな無理難題に挑もうとしている喜咲の方だ。


「で、我らがチームリーダーはどうしてそんな死地に行こうとしてるんだ? 富と名声なんてわかりやすい物の為とかじゃないんだろう?」

「ノーコメントで」

「っておい、さっきアンタの目的を教えてくれる的なことを言ってなかったか?」

「言ったけど、全部言うとは言ってないわ。というか、元より未踏破領域の調査をしたいことと未踏破領域の危険性までしか言うつもりなかったし」

「いやいや、それって目的教えるって言わなくないか? つーか、なんでその程度のことを教えるのにあそこまでためらうんだよ」

「……別になんだっていいじゃない。間違っても未踏破領域のことを教えたら、他の生徒みたいにチームに入るのを止めるんじゃないかとか、そんな心配してないから」

「つまりチームを抜けられるのが心配で言い出せなかったと……はぁ」


 喜咲の言葉を聞いて智貴は大きく溜息をつく。なんだか盛大な肩透かしを食らった気分だ。


「まあ、別になんでもいいけどよ……アンタって傍若無人なくせに、変なところで小心者だよな」

「……それだけ? チームを抜けたいとか、私の目的についてもっと聞いてきたりとかしないの?」

「あん? アンタが話したくないって言うなら、無理に聞いても仕方ないし、そもそも前者は俺に抜けるって選択肢がないだろうが」


 そもそも喜咲の事情を考えればおいそれと話せない可能性もあるのだ。なにせ、彼女はエルフ。悪魔である。彼女の目的がそれに起因するモノなら、悪魔を敵視する人間に囲まれたこの場で話せるはずがない。


「まぁ、アンタが話したくなったらその時に教えてくれればいいさ」

「アナタがそれでいいなら、私は構わないけど……その、あ、ありがとう」

「……俺はなんで礼を言われたんだ?」


 喜咲が告げた礼の意味がわからず智貴がそう聞き返すが、喜咲は何故か恥ずかしそうに顔を逸らしてしまう。


 それに異を唱えるのは、智貴、ではなく姫乃だ。


「えー、そこで追及止めちゃうの? せっかくここまで来たのにー」

「アンタを喜ばせるために喜咲の話を聞いたわけじゃねえからな。諦めろ」


 智貴がそう言うと、姫乃が不満そうに頬を膨らませる。しばしそのまま二人を見やるが、姫乃は不意になにかを思いついたように頬を吊り上げた。


 姫乃が喜咲の膝の上からテーブルの下に潜り込む。


「ひゃっ!」


 直後、喜咲の口から再度可愛らしい悲鳴が上がった。なにがあったのだろうか。智貴が疑問に思っていると、今度は智貴の脇から姫乃が生えてきた。


「……アンタ、なにやったんだ?」

「ウフフ、ちょっとしたイタズラ」


 姫乃は満面の笑みを浮かべると、喜咲を指さして彼女にも聞こえるようにこう告げる。


「今日の喜咲ちゃんの下着の色は白のバックプリント。ちなみに熊のやつだった!」


 智貴が思い切り噴き出す。反射的に前を見てみれば、そこには顔を赤くして言葉を発せられないでいる喜咲の姿があった。


 これは非常に危険な気配がする。急いで喜咲をなだめなければいけない。しかし、


「アンタ、すっげえ子供っぽい下着付けてるんだな」


 智貴の口から出たのはそんな言葉だった。智貴は慌てて自分の口を覆うが、すでに遅い。


 羞恥心のゲージが振り切った喜咲は顔を茹でダコのように赤く染めて、手元にあった空のグラスを手に取る。


「私がなにを身に着けようが私の勝手でしょ! この変態!」


 怒声と共に飛来したグラスが、智貴の顔面に直撃した。






 *




 プンスカ、と言う擬音が聞こえてきそうなほど、激昂した後姿を晒して喜咲がその場を離れていく。智貴が復帰したのは、喜咲がまさに食堂を出ていこうとする瞬間だった。


「イテテテテ……」


 智貴は顔面を押さえながら、そんな喜咲が食堂を出ていくのを見送ることしかできなかった。いや、仮に声をかけたところで、今の喜咲は止まらない確信があった。


「あーあ、怒らせちゃった」

「誰のせいだと思ってるんだ、誰の」


 他人事のように告げる姫乃に、智貴が半眼で抗議する。マジでぶん殴りてえ。


「二人のせいじゃない? 私六割、トモ君四割ぐらいで」


 そう言われては智貴としても返す言葉がない。確かに智貴が余計なことを言わなければ、喜咲があそこまで激昂することもなかっただろう。


 そしてそう認めてしまえば、一方的に姫乃を叱る理由もなくなってしまう。智貴がやり場のなくなった怒りを、拳に込めて握りしめた。


「つーか、なんであんなことしたんだよ? 喜咲のことが嫌いなのか?」

「そんなことないよー。あくまでちょっとした悪戯のつもりだったもん。あそこまで喜咲ちゃんを怒らせるつもりはなかったんだけど……ごめんね?」


 両手を合わせて謝る姫乃に、智貴がため息をつく。智貴にも非がある以上これ以上責めるのは筋違いと言う物だろう。


「お詫びに今度なにかごはん奢るから、それで許して?」

「わかった。それで手を打とう」


 姫乃の提案を、智貴は即座に了承する。いつまでもいがみ合い続けるのはあまり生産的な行為とは言い難いからだ。間違っても、奢ると言う言葉につられたからではない。


 智貴が一人内心でそう言い訳していると、再び食堂が騒がしくなり出した。


 食堂の出入り口に視線を向けてみれば、そこには見るからに殺気立った少年が立っている。


 くせっ毛の黒髪に面長の顔。表情は阿修羅のような怒りの形相で、可能であれば近寄りたくない。


 しかし厄介ごとを嫌っている智貴とは裏腹に、厄介ごとは智貴のことを好いているらしい。


「穂群! 穂群智貴はいるか!」


 少年が自分の名前を叫ぶのを聞いて、智貴は全力でげんなりしてしまう。どうやら彼の人物の目的は自分のようだ。


「よし、逃げよう。今すぐ逃げよう」

「え? でも向こうはトモ君のことを探してるみたいだよ?」

「だから逃げるんだよ」


 ただでさえ小向の事やさっきの喜咲のことなど、厄介ごとが立て続けに起きているのだ。これ以上面倒事に巻き込まれるのは勘弁願いたい。


「正面以外にどこか出入り口はないのか?」

「一応、東と南に一個づつあるかな」

「じゃあ、そこまで案内してくれ。嫌とは言わせねーぞ」


 智貴が拳を目の前で握りしめてみせると、姫乃は嫌そうな顔をしながらも頷いてみせた。そして彼女の先導で食堂を脱出しようとするが、どうやらわずかばかりに行動を起こすのが遅かったらしい。


 見覚えのある少女――確か新垣と言ったか――がこちらを指さして、殺気立っている少年になにかを教えた。少年の顔がこちらを向き、智貴と視線がぶつかる。


 直後、少年がものすごい勢いで走り寄ってきて、智貴の目の前に立ちはだかった。


「君が穂群智貴か」

「いえ、人違いです。俺はミケランジェロ・ブオナローティです」

「そんな見え見えの嘘に騙されるか!」


 少年は怒鳴るとテーブルを力強くたたいてみせた。


「君が神宮さんはたぶらかしてチームに入ったことはすでに聞いている! そんな暴挙は断じて許せない! 彼女をかけて僕と決闘しろ、穂群智貴!」


 至極面倒なことになった。目を血走らせて叫ぶ少年の姿に、智貴は顔をしかめてそう思った。

















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