第四章 悪戯兎と盲目の騎士(1)






 *


「計測完了。魔術機安定率21.8%。ランクE-。魔術機安定率検査終了。以上で魔術師適性検査を終了いたします。お疲れ様でした」


 そのアナウンスに、智貴の表情が非常に渋くなる。


 検査が終わったこと自体は、面倒事が終わったので喜ばしい。しかしその結果はまるで喜ばしいものではなかった。


 智貴は被っていたコードのついたヘッドギア、そして魔術機「輝く魔剣クラウ・ソラス」をテーブルの上に置いた。


 いっそのことこのまま逃げ出そうかと智貴は画策するが、具体的な方策を思いつく前に扉が開き、学園に似つかわしくないメイド姿の女性が姿を現す。


 ひざ下まである古風なエプロンドレスに、長い紫の髪を右でくくった見目麗しい女性だ。ともすれば美しい人形のようにも見える。


 検査を始める前に受けた自己紹介によれば、彼女はエルミールと言うらしい。理事長である初の秘書、要は初に命じられた雑務をこなす仕事を請け負っているとのことだ。この場にいるのも初の命で、智貴の検査を手伝うためらしい。


 エルミールが部屋の中に入って来たのにわずかに遅れて、あからさまに不機嫌顔の喜咲も姿を現した。


「えーと。よう、神宮。ご機嫌麗しゅう?」


 智貴が冗談めいてそう言うと凄みのある目で、喜咲に睨まれた。


「智貴様、『ご機嫌麗しゅう』は別れ際の挨拶ですわ。会った時の挨拶ではありません」

「あ、そなんすか? そいつは失礼」


 ハッハッハ。智貴はわざとらしく大きな声で笑う。それにつられて喜咲も笑い出す……ことはない。むしろますます眉間のしわが深くなっていく。


 マズい。間違いなくマズい。


 このまま放置していては最悪、明日の朝日が拝めなくなる。どうにかしなければ。


 とにかく先手だ。喜咲が先になにかするよりも早く、自分がなにか行動を起こすべきだろう。先手必勝である。


 そう考えて、智貴は喜咲がなにか言うよりも早く、足を畳んだ。そして両手を床につけ、地面を舐める勢いで額を地面に叩きつけた。


「すんませんっした!」


 古来より伝わる謝罪を現す最大級の肉体言語。土下座である。


「これはまた見事な謝りっぷりですわね」


 感心したような、呆れたようなエルミールの声は無視。とにかく喜咲に謝り続ける。


 謝り続ける十数秒。やがて、喜咲から諦めたようなため息が聞こえてきた。


「……仕方ないわね。この場で腹を切ったら許して上げてもいいわ」

「それで許されても俺が無事で済まねえよ! 意味ねえよ!」

「だったら鉄筋でも抱いて東京湾に身投げしなさい」

「それも結果は同じだよな!」


 思わず土下座を止めて智貴ががなる。未だに厳しい表情を崩さない喜咲と、今度は真正面から睨み合った。


「はい、そこまでにしてくださいませ。言い争ったところで結果は変わりませんわ」


 そんな二人の間にエルミールが割って入る。「やっぱりついてきて正解でしたわ」と愚痴っぽく呟いたことから、どうやらこうなることは予想済みだったらしい。


 そんなエルミールに毒気を抜かれたのだろうか。胸にたまった鬱憤を吐き出すように、喜咲は再度溜息をついた。


「魔術知識ランクE-。魔力貯蓄量ランクE-。魔術機適性ランクE-。魔術機安定率ランクE-。総合魔術師適正、確定で最低のE-……ここまで見事に魔術師として適性のない人間は初めて見たわ。一般人以下よ。アナタ、それでも本当に魔王なの?」

「むしろ俺はまだ俺自身が魔王の断片ってことを疑ってんだけど」


 智貴の回答が不満だったのか、喜咲が半目になる。もっとも今の彼女にはなにを言っても満足させられそうにはないが。


「魔王だったら、さぞかし強力な戦力になるだろうと思って勧誘したのに。なによ、こんなの詐欺じゃない」


 それが、喜咲が智貴をチームに誘った理由。そして今、彼女が不機嫌な理由である。


 もっとも、魔王だと言う触れ込みを聞いての結果なら、智貴が喜咲の立場でも似たような反応をしてしまうだろう。なにせ一般人以下の性能なのだ。智貴も今の立場でなければ同情していたことだろう。


 智貴がそんな風に唇を尖らせていると、見かねたようにエルミールが口を出してくる。


「仕方ありませんわ。彼は魔王の断片ですが、人間ですもの。いえ、正確には人間と言う器に魔王の断片が押し込められているわけですから」

「どういうことよ?」

「人間の容量と言う物は全てにおいて有限です。それは魔術師の才能、能力も同じことですわ。そして魔術師としての能力と魔王の断片としての能力は根本的に同じですの。だから」

「穂群の魔王としての能力が、彼の魔術師としての容量を圧迫しているって言うの?」


 結論部分を喜咲が奪うように言うと、エルミールが首肯する。

 喜咲の口から、三度目のため息。


「……この見せかけ魔王をクーリングオフするにはどうしたらいいのかしらね」

「お前、そんなことばっかり言ってると、いい加減に俺もキレるぞ」


 確かに自分の能力が低くて失望させてしまったのは悪いと思うが、それにしたって言いすぎだ。精神的に鍛えられている智貴ではあるが、だからと言ってここまでぼろくそに言われて傷つかないわけではない。


「一応、俺にだって選ぶ権利はあるんだからな。たとえ封印されるんだとしても、アンタのチームを抜けることはできるんだぞ」


 智貴が強い口調でそう言うと、喜咲がわずかに怯む。


 この間宮学園では生徒はチームを作って悪魔に挑むものらしい。この間のように喜咲が一人で悪魔と戦うのはかなりの例外であるらしく、チームを組まなければ、死都も一定以上のエリアへ入る許可が下りないのだと言う。


 つまり死都へ赴くにはチームを結成するのが必須である。


 しかし今までの態度からわかるように、喜咲は全くと言っていいほどチームメンバーを集められていないのだ。だからこそ、智貴のような身元も定かではない人間に飛びついたわけだろうが……なんにせよ、こうやって脅せば、少しは智貴に対する態度もマシになるかもしれない。


「……私が悪かったわよ」


 予想通り、喜咲は不満そうにしながら謝って、


「お詫びに私の昼食分のパンを買いに行かせてあげるから、それで許しなさい」

「全然悪いと思ってないだろ、テメエ!」

「はあ? なんで私が悪いと思わなくちゃいけないのよ? 私は雇用主よ、アナタの百倍偉いのよ」

「だったらなんで最初に謝罪したんだよ!」

「自分が悪いと思ってなくても、周りから求められたらポーズだけでも謝罪するのが上司の仕事でしょ」

「最悪だな、この上司!」


 思わず頭を抱える智貴に、喜咲は心なしか満足そうに胸を張る。直後、彼女の腹が鳴って、自慢げな表情のまま赤面した。


「……腹減ってるのか?」

「な、なによ! 悪い!」

「いや、別に悪かねーけど……」


 結局喜咲と合流できたのは、待ち合わせの時間から四十五分ほど経った後だ。ひょっとして待っている間、喜咲はなにも食べなかったのだろうか。不器用を地で行く彼女なら十分ありうる。


 ちなみに智貴は悠馬から受け取った焼きそばパンを食べているので、空腹ではあるが喜咲ほどではない。プライドで腹は膨れないのだ。


「なによ、難しい顔して? 人を殺す算段でも立ててるの?」

「なにをどうすればそうなるんだよ……じゃなくてだな」


 喜咲の言う難しい顔のまま、智貴が言葉に詰まる。もちろん殺人の算段を立てているわけではない。むしろ逆と言うべきか、わずかばかりの罪悪感を抱いているのが原因だ。


 つまり智貴が待たせたせいで喜咲が空腹を我慢することになったのなら、悪いことをしたなあ、と思っているわけである。


 しかし自分からそれを提案するのは具合が悪い。と言うか、妙に自尊心の強い喜咲の事だからこじれそうだ。


 智貴が困った顔で頭を悩ませていると、エルミールが助け舟を出す。


「時間ももうお昼をとっくに過ぎていますわね。でしたら少々遅めですがお二人で食事に行かれてはどうでしょう?」


 喜咲がさも嫌そうに顔をしかめた。


「なんで私がそんなことをしなきゃいけないのよ」

「智貴様一人ではなにかあった時に対処しきれないかもしれません。今の時代に不慣れな彼にはまだ付き添いが必要でしょう」

「それこそ私じゃなくてもいいじゃない」

「お二人はこれからチームを組むのでしょう? でしたら同じ釜の飯を食べて親睦を深めるのも必要かと。それに情けは人の為ならずと言いますし、いいことをすれば新しいメンバーが見つかるかもしれませんわ」

「でも……」

「なによりここで智貴様に恩を売っておけば、反抗的な態度を改めるかもしれませんわよ?」


 難しい顔で喜咲が考え込む。しばしその態勢で考え込んでいだ喜咲は、もはや何度目になるかわからない溜息をついてみせた。


「わかったわよ。コイツについていけばいいんでしょ。仕方ないからお守りをしてあげるわ」

「……俺はまだ了解した覚えはないんだが」


 ビシッ、と指を指されて、智貴は呆れたように頬をかく。


 だが智貴も元よりそのつもりだったのだ。反対するつもりも特にない。


「ま、いいや。俺も腹減ってるし、付き添い頼むわ。お姫様」

「ええ、タイタニックに乗ったつもりで安心しなさい!」

「なあ、それわざとやってるのか? 駄目な奴だよな、それ?」


 微妙に不安になる物言いに苦笑して、智貴は喜咲とその場を後にするのだった。






 *




 白の壁に緑の屋根。入口の周りは色鮮やかな花壇に囲まれており、小洒落たオープンテラスまで付いている。有名なレストランとして雑誌の一面を飾ってもおかしくなさそうな外観の間宮学園高等部第二食堂だ。


 食堂の中に入ると、視線が自分たちに集中する。隣の喜咲が七割、智貴が三割ぐらいだろうか。


「……なんかめっちゃ見られてねえか?」

「そう? いつもこんなものだけど」


 特に気にした風もなくそう言って、喜咲は空いた席を探して歩き出す。智貴も気後れしながらそれに続く。


 食堂の中は思いのほか多くの生徒が座っており、空いている席を探すのも一苦労しそうである。


「それにしても昼休みってまだ続いてるのか? 大分長くね?」


 智貴はこの学園にやってきてまだ二日目だ。


 初日はほとんど監禁されていたし、今日にいたっては説明やら魔術師適性検査などで潰れていたため、授業と言う物はまだ受けていない。


 その為、まだわからないことも多いのだが、それにしても昼休みの時間が長い気がする。


 なにせパンを抱えて走っていた小向を見かけたのが二時間近く前の話だ。あの時すでに昼休みに入っていたのだとしたら、智貴の感覚からすると少々長すぎる。それともこの時代ではこれが普通なのだろうか?


「うん? ……ああ、そういえばアナタはわからなくて当然よね。うちの学園の高等部は、午後からは基本的に授業はないのよ」

「え、マジで? なにそれ、最高じゃん」


 遊び放題ではないかと智貴は目を輝かせるが、喜咲は「全然よくないわよ」と呆れた表情である。


「その分、午前に座学の授業が集中して行われるからついていけずに留年、留年からの退学になる生徒も少なくないし、一般的な学校みたいに体育なんてものもないのよ。体を鍛えようと思ったら午後に自主的に行うしかないわ」

「……ここって学校なんだよな? 真面目に生徒を教育する気あるのか?」

「ここで教えてることは義務教育の外よ。そこまで丁寧に教える義務は学園にないわ。そもそも進級試験さえ合格するることができるなら、午前の授業に出る必要もないのよ」

「随分アバウトなんだな……」


 そんな会話をしながら二人で食堂をさまよっていると、そんな彼らに声をかける姿があった。


「あら、神宮さんじゃない。食堂に来るなんて珍しいわね」


 長い黒髪をポニーテールに結った少女である。彼女の周囲にたくさんの仮想ウィンドウが展開されていた。その内容を軽く見てみれば、歴史や地理のテキストのようである。どうも勉強をしているらしい。


「知り合いか?」

「クラスメイトの新垣さんよ」


 智貴に説明する様を見て、新垣と呼ばれた少女が智貴の方へ視線を向けた。


「そっちのは? ひょっとして彼氏とか?」

「違うわ、こんな目つきの悪い奴なんか彼氏にしないわよ。ただの転校生」


 気にしている所を指摘されて、智貴が喜咲を睨みつける。しかし喜咲は当然のようにスルーする。


「訳あって私が面倒見てるのよ」

「あー、つまりまた布教活動してるんだ。神宮さんも懲りないわね……」


 呆れたような感心するような新垣の反応。智貴は意味がわからず小首を傾げた。


「それよりまた中層に単独で潜ったんでしょ? その辺りの話、聞きたいんだけど。そこの彼、えーと……」

「穂群智貴だ」

「穂群君も一緒にお茶でもどう? ついでに彼のことも聞きたいし。付き合ってくれるならスイーツぐらい奢るわよ」

「マジで!」


 新垣の提案に智貴は瞳を輝かせて乗ろうとするが、その首根っこを喜咲が掴んで引き留めた。


「ごめんなさい、まだ彼には色々と話しておかないといけないことがあるから。お喋りはまた今度にしてもらえるかしら……ほら、行くわよ」


 名残惜しそうな声を上げる智貴を引っ張りながら、愛想笑いを浮かべて喜咲はその場を後にする。


 ある程度離れたところで、喜咲は笑みを消して喜咲は智貴を開放した。数歩たたら踏んだ後、当然の如く恨めしい視線が喜咲に向けられる。そんな智貴に喜咲は呆れ顔だ。


「……そんなにあの子とお茶したかったの、アナタ?」

「お茶なんざどうでもいい、スイーツだぞ。スイーツ。ただ飯だぞ! タダ飯食わぬは男の恥じだ!」

「そんなにタダ飯が食べたいんだったら、私が奢ってあげるわよ……まぁ、今回だけだけど」

「よ、喜咲様! 日本一の魔術師!」

「……アナタをどう扱えばいいのか、なんとなくわかった気がするわ」


 呆れた様に呟いてから、喜咲は開いたテーブルを発見する。


「なあ、さっきはただ飯のことで頭がいっぱいで気付かなかったけど、さっきのお誘い、なんで断ったんだ? 別に断る理由なくないか?」


 智貴に話がある、みたいなことを言っていたが、喜咲はそもそも智貴と食事に来るのを嫌がっていたのだ。改まって二人きりで話すようなことなどないように思える。


 案の定、痛いところを突かれたのか、喜咲が嫌そうに顔をしかめた。


「……苦手なのよ。他人と話すのが」

「ああ、コミュ障なのか」

「ち、違うわよ。私は優秀だから、他人とかかわる必要がないからよ……それに気を抜いておしゃべりに興じてたら、ぼろが出るかもだし」


 そう言って喜咲はヘッドフォンに触れる。人ならざる者の耳が隠されたヘッドホンを。


 確かに悪魔が忌み嫌われているこのご時世でエルフとばれるのは死活問題だろう。智貴が思っている以上に、喜咲はここでの生活に苦労しているのかもしれない。


 言ってみれば彼女にとって間宮学園は針の筵(むしろ)のようなものだろう。探せばここより安全で、正体を隠しやすい場所などいくらでもありそうだ。それにも拘らず、なぜ彼女はここにいるのだろうか?


 智貴がそんなことを考えていると、また新しい人影が近づいてくる。


 明るい茶色の髪をショートに揃えた、小向ぐらいに小柄な少女だ。


 着ている制服が喜咲たちのそれと少々異なる。喜咲たちのそれが紺なら、少女が着ているのは灰色だ。更に喜咲や智貴は胸元に二つのバッジを付けているが、少女の制服についているのは一つだけ。中等部、高等部、大学部に上がるにつれ、付けるバッジは増えると喜咲に聞いた覚えがある。記憶違いでなければ少女は中等部に所属しているのだろう。


 そんな彼女が一体なんの用なのか。智貴が不思議に思っていると、少女は喜咲の元に辿り着くなり、大げさなぐらいにお辞儀して見せた。


「あ、あの! この間はありがとうございました!」


 突然のことに智貴は思わず目を丸くする。喜咲も同じように驚くが、しかし智貴よりも素早く回復する。


「えーと、アナタは?」

「中等部二年の飯塚麗です! 先日助けてもらったラピッドラビットのメンバーです!」

「……ああ、この間外周域で中位級ミドルクラスの悪魔に襲われていたチームの子ね」

「はい! 本当に、本当にありがとうございました!」


 そう言って、麗と名乗った少女がまた勢いよくお辞儀する。


「そんなかしこまらなくていいわよ。あんなのただの気まぐれみたいなものだし、皆見てるから恥ずかしいじゃない」

「す、すみません」


 慌てる喜咲の様子を見て、麗は周りの視線に気付いたらしい。顔を真っ赤にさせてしまう。


「あの、その、私、怪我してたから昨日まで入院してて、それで今日退院したから神宮先輩にお礼したくて……でも、その、私は成績が悪いから支援金もあんまりなくて」

「いいわよ、そんなの。別に礼金が欲しくてやったわけじゃないんだから」

「すみません……でもだからせめて言葉だけでも伝えておきたくて。その、すみませんでした!」


 緊張と周りの視線で、自分でもなにを言っているのかわからなくなってきたのだろう。麗はもう一度お辞儀すると、逃げるようにその場を後にするのだった。


 後に残されたのは、顔を紅くして戸惑ったように頬をかく喜咲と、完全に蚊帳の外だった智貴だけである。


「……ひょっとしてだけど、死都でピンチな奴を見つけたら片っ端から助けてるのか、アンタ?」

「なによ、悪い?」

「いや、別に」


 むしろ色々合点がいった。


 どうやら喜咲は日常的に死都で人助けをしているらしい。


 周りが特に気にした様子もなく食事やおしゃべりに戻っていることも、そんな智貴の推理を裏付ける。つまり日常的にこんなことが起きているから、周りの方も慣れているのだろう。


「なるほど、布教ね」


 新垣もなかなかうまいことを言ったものである。この分なら喜咲の信者と化している生徒は結構いるのかもしれない。


「なによ、言いたいことがあるなら言いなさいよ」

「特にねーよ。強いて言うならただの杞憂だった、ってぐらいだからな」


 確かに喜咲は学園で苦労しているのかもしれないが、しかしそれ以上に彼女の学園生活は充実していそうだ。


 少なくとも智貴が思っているより、彼女はここでうまくやっているのだろう。


「よっしゃ、じゃあさっさとテーブル占拠して飯食おうぜ。もう腹が減って腹が減って仕方がないんだ」

「なんか納得いかないわね」


 先導して歩き出す智貴に、喜咲も続く。


 僅かばかりに重かった足も今ではすっかり軽くなっている。コレなら気持ちよく食事が取れそうだ。しかしそう思って浮かべた智貴の笑みは、


「やあ、主席の君じゃないか。こんなところで合うなんて奇遇だね」


 三人目の想定外の遭遇により凍り付いてしまう。


 眼鏡をかけた嫌味な優男、草薙悠馬が再び智貴の前に現れた。






 *




「……その恥ずかしい呼び方は止めてくれないかしら」


 遭遇してわずか五秒。喜咲は嫌そうに顔をしかめてそう言った。


 顔をしかめている理由は呼び方だけではないのかもしれない。同じような渋面を作って、智貴はそう思う。


「なにを恥ずかしがることがあるんだ。この僕を差し置いて学年主席に選ばれているんだ。誇りこそすれ恥じることなんてないだろう」

「別に、たまたまテストの点数がよくて、たまたま実技試験もトップを取れただけの話よ。誇るほどの事じゃないわ」

「謙遜も過ぎれば嫌味になるんだよ? この間の実技試験の内容は見せてもらったけど、運だけで三百機のドローンの攻撃をしのぎながら、百近い目標を同時に破壊するなんて芸当はなかなか真似できるものじゃないさ」


 実技の試験内容を智貴は知らない。だがそれでも随分ぶっ飛んだ内容に聞こえてくるのは、多分気のせいではないのだろう。


「それ程に自分より格上の女性なんだ、敬った呼び方をするのは当然だろう?」


 ウィンクしながら、冗談めかした言い方で悠馬が肩を竦めてみせる。様になっているのがまた実に憎たらしい。


「それより、だ。君は相変わらずソロでやっているのかい? いい加減僕のチームに入る気にはならないかな、どうせ誰も君の勧誘にはなびかないんだろう?」

「そうね。どこかの誰かが邪魔しているみたいに誰も寄り付かないわね」

「それはひどいことをする奴がいたものだね。それでどうだい? 君のためにチームの枠はずっと残しているんだ」

「……誰もそんなことを頼んだ覚えはないんだけど」

「頼まれなくてもこれぐらいは当然だろう。君のように優秀で気高く、美しい……ヘッドフォンのセンスだけは正直いただけないが、とにかくそんな君とお近づきになりたいって言う俺からの好意の表れさ」


 さわやかな笑顔で悠馬が告げる。


 構図だけを見れば美男子が美少女を口説いている、少女漫画の一コマのようだ。ともすれば、周りが二人のそんな様子に黄色い声を上げるほどに、絵になっている。


 ただ当時者たる喜咲と、事前に小向とのやり取りを見ていた智貴だけは、そんな悠馬に心奪われることなく、嫌そうに顔をしかめていた。


「どれだけ誘われても私の気持ちは変わらないわ。それに」


 しかめっ面のまま断りを入れる喜咲。そして流れるような動きで智貴の襟首を掴むと、悠馬の前に引っ張り出した。


「私もチームを作ったから、アナタのチームには入れないわ」

「彼は……」

「私のチームメンバー、穂群智貴よ」


 喜咲の台詞に周囲がどよめく。


 何故そんな反応が起きるのか。不思議に思う智貴を見て、悠馬が目を細めた。


「君は、どこかで見たな」

「なんだ、若い癖に健忘症か? さっき屋上で派手に友情を確かめ合ったじゃねえか」

「そんなことをした覚えはない……それで、屋上でいちゃもんを付けてくれたチンピラがどうしてここに? しかも喜咲さんのチームに入っただって? どんな冗談だい?」

「俺からしたら二時間近く前に食事してて、今また食堂にいるアンタの方が冗談みたいな話なんだが。なんだ、見た目によらず大食漢なのか? 三十超えたら横綱級の肥満になっても知らねえぞ」

「……君が俺の食事を邪魔してくれたんだろう。そんなことも忘れてしまったのかい? 見た目通りの低能っぷりだね」


 智貴と悠馬の間で見えない火花が散る。


 険悪な二人の態度に、状況についていけない喜咲は戸惑い顔だ。


「なに、アナタたち知り合いなの?」

「ああ、さっきアンタと落合う前にちょっとな」


 智貴の返答に喜咲は怪訝そうに眉を顰めるが、今は無視だ。


「それより穂群、とか言ったかな。聞いたことがない名前だけど、君は本当にこの学園の生徒なのかい?」

「そりゃあ、つい昨日この学園に入ることになったからな。聞いたことがなくても当然だろう」


 昨日と聞いて悠馬がピクリと反応する。それがなにを意味するのか考える前に、悠馬が続けて口を開いた。


「…………君は、喜咲君のチームに人がいない理由を知っているのかい?」

「アンタが妨害してるんじゃないのか?」

「……さあね。誰かが妨害してはいるらしいが、俺は関係ないよ。それに妨害がなくても、彼女のチームにメンバーが集まったかは疑問だね」


 意味深な言い方に智貴が喜咲を見ると、喜咲は気まずそうに視線を逸らしてしまう。どうやら割と我儘を地で行く彼女でも、話すのをためらってしまうような理由があるらしい。


 悠馬も、智貴からそんな喜咲に視線を向け直す。


「知っていると思うけど、チームの最低構成人数は五人。二人だけではチームは作れないよ」

「……わかってるわよ」

「なら早くチーム結成を諦めて、俺のチームに入ることをお勧めするよ。それが君の目的を果たす上で、一番の近道だろうからね」


 悠馬はどこか勝ち誇ったように言うと、もう話すことはないとばかりに歩き出す。


 智貴としてもあまり長い間話したくない相手なので、これ見よがしに手を振って追い払った。そんな智貴の態度に悠馬は薄目になって、


「彼女は俺の物だ。君には相応しくない」


 底冷えするような低い声。智貴にだけ聞こえるような声量で呟いて、悠馬は食堂を後にするのだった。








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