3

 海岸へ向けて更に坂を下り、函館本線を越え、そして国道五号線を超える。

「あー……」

 男は高い建物が増えていく街並みとカーナビとを見比べながら言った。

「小樽運河の方走ってみようか。この天気だからわざわざ降りたりはしないけど、せっかく小樽来たんだし」

「いいね。雨の小樽運河もまた綺麗かも」

 女の返事を聞き、男は進路を変えた。

 カーラジオが流行の曲を流す。音が多く騒がしい。この曲は今週末札幌でコンサートをする男性アイドルグループの最新曲であるとラジオパーソナリティが小気味よく伝え、間もなくイントロが終わり瑞々しい声が歌い始めた。

「人気あるよなぁこの人達」

「そうだね、周りの子もみんな好きだよ」

 女は、そういえば、とくすくす笑いながら続けた。

「知ってる? このグループね、嵐を呼ぶって言われてるの。コンサートとかイベントとか、あと、テレビとか映画の撮影とか? 何かする度に天気が悪くなるんだって」

「そうなの? 何か爽やかなイメージなのに意外。きっと強力な雨男がいるんだね」

 生き生きとした歌声と幸が薄いエピソードが同時に耳に入り、そのギャップがおかしかった。

「本州からわざわざ飛行機でコンサートに来るファンの子もいるからね。今回も台風が重なっちゃって大変だと思うけど、それもこのアイドルのせいだって騒いでるんじゃないかな。半分喜びながらね」

 半分馬鹿にしたように喋る女の顔を男は想像し、何か言おうと考えたが、信号で曲がるタイミングが重なり、へえ、とだけしか答えられなかった。

 曲が終わると、番組はリスナーからの質問に答えるコーナーに移り、パーソナリティは一通の手紙を読み始めた。

 無駄に前置きが長く、運転する男の頭にはぼんやりとしか話が残らなかったが『最近芸能人のスキャンダルが多いですが、その行為自体よりも、世間の人へしっかりとした説明がないことが気になります、どう思いますか』といった、質問だか意見だかよくわからないものだった。

 下世話な内容に男は不快感を覚え、カーオーディオのコントロールパネルを睨み付けた。しかしラジオは男の視線を意に介さず話を続ける。ラジオからCDへ戻すか、と、伸ばした左手が宙で止まる。今更またCDを聞く気にもならない。カーオーディオそのものを切ってしまった。

 車内はぷつりと静かになり、男は自分の呼吸音を人に聞かれるのも何だか嫌になって息を潜めた。隣の人間も自分と同じように、通り過ぎていく景色をそっと眺める振りをして気配を消そうとしたように感じられた。

 小樽運河を左手に走る。雨は本降りになっており、川面は波立っている。レンガ造りの倉庫が車窓を流れる。ガス灯の橙色が雨に濡れた街に反射する。伴走していた運河がふと途切れ、右手にかま栄、ルタオ、北一ガラス等小樽の有名店が連なり、堺町通を裏に隠している。

 雨粒が車体を叩く音、たまにワイパーが窓を磨く音、対向車が水飛沫みずしぶきをあげ走り去る音……騒がしいであろうその音や音は、やや減衰して車内へと伝わった。地上数キロメートル、半径数百キロメートルの範囲に雨風が吹き荒れる中、この小さな守られた空間に二人で身を潜めている様を想像すると、まるで砲弾飛び交う戦渦の中、狭い防弾シェルターに逃げ隠れ、じっと落ち着きを待っているような姿を連想させた。スキャンダルで騒がれあることないこと世間様に言われる芸能人も、もしかしたらこんな気分でいるのかもしれない。人気ひとけのないメルヘン交差点を横目に見ながら男は物思いに耽った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る