我が神よ

 大司教は後ろ腰に手を回し、ゆっくりと歩き出した。先ほど跪いて祈りを捧げていた彫像たちの前まで進んでいく。


「美しいものだろう。この中には人、亜人、魔族すらいる。彼らひとりひとりが、今では信仰の対象だ。長い時間が過ぎゆく中で、神と崇められるようになった存在だ」


 こつこつと、壁に並んだ彫像たちを見上げるようにしながらゆっくりと歩いている。


「これは聖カウロ。豊作を司る聖人だが、生まれはただの農夫だった。その右上は聖狼ファグリヌ、孤狼族の祖として信仰されている。だが、ただの動物だよ。それから、ああ、そうだ。あの端に立っている者」


 指し示された方を見てみると、入り乱れた彫像の輪から、ひとりだけ離れている者がいた。灯りさえ満足に届いていない。


 その人物はフードで顔を隠し、一本の大剣を手にしていた。彫像は石造りだというのに、その手に持っている剣は本物のように見えた。


「彼はあまり知られていないだろうな。だが、この地には深く所縁のある人物だ。彼は死と罰を司る神の一人とされている。なにしろ、元は処刑人だからね。逸話の中で彼は魔族の首すら落としたとされている」


 処刑人ねえ。


「あの像が手に持つ処刑刀は、彼の使っていた物だという謂れがある。あらゆる罪人の首を落とした、伝説の剣だとね。教会で代々、まるで家宝のように大事に引き継がれてきたものだ。しかしどうせ偽物だろう。仕舞っておいても邪魔になるのでな、ああして像に持たせたんだ。引き立つだろう?」


 言って、大司教はおれを見た。


「ただの処刑人ですら神として崇められているというのに、私の信仰する神はここにはいない。なぜか分かるかね、ジロー君」


 肺が勝手に息を吸い込み、喉がひゅっという音を鳴らした。

 ――なんで、名前を知ってる?


「それはだね、まだ神として認めないという輩があまりに多いからなんだ。それだけじゃない。邪教だなんだと騒ぎ立て、迫害すらしている」


 このおっさんは、いきなり何の話をしてる?


「まったく、あまりに――下らない」


 大司教はおれたちと向き合い、そして、深く刻むような笑みを浮かべる。


「ジロー君。先日は私の部下が世話になったようだね。話は聞いているよ。黒髪で、双剣を使い、妙な魔力を持っていると。それに【百屍鬼】の生み出した鬼の血を浴びたようだね。まだ匂いが残っている」


 おれは反射的に剣を抜いた。


「おっさん、あんた……邪教徒かよ」


 嘘だろ。教会は邪教と敵対してるんじゃなかったのか?

 大司教って偉いんじゃなかったのか?

 めっちゃスパイじゃん!


 大司教はなにも答えず、懐に手を差し入れた。

 取り出したのは小さな透明の瓶だった。中には赤黒い液体が満たされている。


「君たちはどうしてシスターと子どもたちを狙ったのかと訊いたね」


 その口を開け、大司教はその場に液体を零した。

 液体は絨毯に染み込んでいき――それから、うごめき出した。細く伸び、曲がり、やがて、魔法陣とでも呼ぶような形になった。


「実は答えは簡単でね。この辺りの浮浪者は全部使ってしまったから、足りなくなったんだよ」


 魔法陣が、光っている。


「我が神への生贄が」


 そして、そこから、何かが出てくる。


 手だ。白骨化した、人間の手。

 そして朽ち果てた黒のローブ。腕を曲げ、地面につき、体を持ち上げるようにして、山羊の頭蓋骨が出てくる。


「身寄りのない子どもなんて、何の価値もない。生贄としてでも使い道が生まれるなら、喜ばしいことだろう?」


 そして、その全身が露になった。

 見上げるほどの巨躯――おれの二倍以上はあるだろう。黒のローブから覗く手足は白骨で、その手にはさび付いた大鎌を持っている。巨大な山羊の頭蓋骨の眼窩には、青白い光が蠢いていた。


 聖域とされるべき教会で、悪魔と呼ぶしかないような存在と、おれは向き合っていた。


「その生贄がない今、代わりは君たちに務めてもらうことにするよ」


 変わらぬ微笑のまま大司教が言った。


「……あー、大司教? 俺たちはどうなるんですかねえ」


 いつの間にか立ち上がっていたデブが言った。


「無能な騎士に価値などあるまい?」

「分かりやすいご回答をどーも」


 デブがすっとおれの耳元へ顔を寄せた。


「――あれは、やばい」


 まったく同意だった。なにがやばいのか説明されなくても、よく分かる。前にしているだけで心臓が握られたように重苦しく、寒気が止まらないのだ。この場を異常な冷気が満たしていた。


「まさか彼が邪教徒だったなんて! と驚きたいところですが、今はその余裕もありませんね」


 エリーゼが言った。余裕だらけのようにも思えたが、その表情は固い。


「あれは【魔】です。かなり高位の召喚のはずですが……あの瓶の中に入っていたものを、あまり推測したくありませんね」

「……なんだったの、あの瓶」

「心臓の血を濃縮したやつだよ。邪教徒が高位召喚をする時にはよく使う。あんだけの階位の【魔】となると……さて、何十人殺したんだか」


 吐きそうになった。狂気しか感じなかった。


「相談事は終わったかね?」


 大司教が言った。にこにこと、愉悦の笑みを浮かべて。


「これを」

「ありがとよ」

「……」


 エリーゼがデブとノッポに柄を渡した。没収していた魔力剣だ。


「この人数でアレとやるのか。笑いしか起きねえな」

「撤退を第一目標としますが――頑張りましょう」

「頑張ってどうにかなんの?」


 おれが訊くと、エリーゼとデブは視線を合わせた。

 それからデブがおれを見て、やけにからっとした笑みで言った。


「心配すんな。どうにかしてお前だけでも逃がしてやるさ」


 ――そういうことじゃ、ねえんだけど。

 っていうか、お前はいきなりなに言ってんの?

 なにその、まるで自分たちは死を覚悟したみたいな――


「さあ、神を讃えよう」


 大司教の声。おれはデブに突き飛ばされた。

 そして、その場所に、おれがいた場所に、鎌が突き立っていた。


「は?」


 あまりに突然のことに思考が追いつかなかった。

 気付けば山羊頭は目の前にいて、その鎌を振り下ろしていた。

 デブとノッポとエリーゼが、それぞれ魔力剣を作り出し、山羊頭に斬りかかろうと。


 そこまでを見て、おれは突き飛ばされた勢いのまま長椅子の隙間に倒れこんだ。

 慌てて体を起こす。


「……マジで?」


 目を離したのは一瞬だった。

 その一瞬で、状況は変わっていた。


 デブは砕け散った長椅子を下敷きにして転がっていて、ノッポは壁際まで吹き飛ばされていて、エリーゼが山羊頭の足首を斬り払った。


 甲高い、金属同士のぶつかる音。

 山羊頭の足首で、エリーゼの剣は止まっていた。


 山羊頭が鎌を振り払い、エリーゼは瞬時に飛びのいた。

 おれは長椅子を飛び越えるように移動して、一番近くにいたデブと合流した。


「おい、無事か!」

「当たり前だろ、筋肉だぞこれは」


 誰も脂肪の話はしてねえよ。


「……エリーゼの攻撃が跳ね返されてんだけど」


 今見たことを伝えると、デブは平然とした顔のままだった。


「召喚された【魔】は、言わば高密度の魔力の塊なんだよ。俺らの魔力剣ごときじゃ斬れるわけねえ」

「え、じゃあどうすんの?」


 つまり攻撃が効かないってこと? は? 攻撃無効? ラスボス? こんなとこで?

 いや、そんなまさか。んなわけがない。


「太刀打ちできるモンは少ねえんだよ。祝福された神具か、強力な魔術、あとはそうだな、デビルバスターでもいてくれりゃ心強いんだが」

「ええぇぇ……無理ゲーじゃん」

「言いたいことは大体わかる。ま、お前は今のうちに逃げろ。ああいうのと戦うのは、俺ら聖堂騎士の役目だからな」


 そして、デブは山羊頭に向かっていった。


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