大聖堂にて
心配するグラシアさんをなんとかなだめて、おれたちは大聖堂へ向かっていた。
「兄ちゃん、さっきカリスの魔力剣を握ったらしいな。どういう体してんだ?」
「……あのさあ、中学の同級生じゃないんだからさあ」
フレンドリーにデブに話しかけられ、おれは戸惑った。というか拍子抜けだ。
おかしいな。さっき殺し合いになったはずなんだけど。
おれの顔を見て、デブはけらけらと笑った。
「なに、お互いに生き残ってんだ。水に流そうぜ」
「なんだよこのデブ切り替え早すぎるだろ」
「筋肉だって言ってんだろ」
そう、デブとノッポも一緒に向かっているのだった。もちろんエリーゼも。
仮にもグラシアさんを襲おうとした輩を、子どもたちもいる教会に置いていくことはできなかった。武器はエリーゼが没収しているが、それだけだ。手を縛ったりとか、そういうこともしていない。
「素手で握るとなると、魔力剣よりも高い密度の魔力で手を覆う必要がありますね。ジャグルではそういった戦闘技法が存在するようです」
先頭を歩いていたエリーゼがちらりと振り返って言った。
「へえ。ジャグルっつーと、魔境大戦で名を上げた国だな。そっちの出身なのか?」
デブが言った。
「ひみつでーす」
「……」
「そう言うなよ。カリスも気になるってよ」
なにも言ってないじゃんノッポさん……完全に無言じゃん……。
なんでこんなに和気藹々と世間話をしているのか、おれは不思議で仕方なかった。
「お前ら敵なのか味方なのかはっきりしてくれよ」
「任務だからやってただけで、別にあんたに恨みもねえしな」
デブがあっけらかんと言った。
そういうものなのだろうか。
「どういう任務を命じられたのですか」
エリーゼが歩く速度を落とし、おれたちの横に並んだ。
「最初はシスター・グラシアの様子を見てくるだけだったよ」
デブが答えた。
「で、だんだん悪質になっていった。何かしらの難癖付けてシスターの邪魔をしろだとか、孤児院の運営の妨害をしろだとか。くそ下らねえ任務だったよ」
その任務で泣いてる子がいるんですけどねえ。
デブの後頭部をハンマーで殴りたい衝動が芽生えた。
「だが、いい加減にきな臭い命令が下されてな」
「と、言うと?」
デブはエリーゼに顔を向け、「怒るなよ?」と念を押した。
「シスターと孤児院のガキを攫ってこいって言われたんだよ――だから怒るなって言っただろ!」
「……失礼。つい反射的に」
いつの間にか、エリーゼが柄の先をデブの脇腹に押し付けていた。超早業だ。
「それで、何のためにそんなことを?」
「さあね。ろくでもない理由ってことだけは分かるが」
「あなたはなにも知らないと?」
「パッツィ大司教さまは謎の多いお方でねえ。下々の人間にゃ詳しいことはなにも話しちゃくれないんだよ」
攫う。何のために?
利権を貪りたいケチなギャングをとっちめればいいかと思っていたのに、いつの間にか話がややこしくなっていた。ギャングかと思った二人組は、実は大司教の回し者だし、その大司教はグラシアさんと子どもたちを狙っていたというし。
頭が痛くなってきたところで、ようやく大聖堂が見えてくる。時間はすっかり深夜も過ぎている。この辺りは歓楽街と違って、どんちゃん騒ぎが聞こえるようなこともない。
大聖堂の前には大きな円形の広場があり、中心ではいくつものでかい彫像の乗った豪勢な噴水が水をたたえている。
石畳で出来た広場は、ぽつりぽつりと街灯が立っていて、うっすらとその全容が見えた。まるで人がいなかった。
「……この辺りは、宿無しの旅人や浮浪者が寝泊まりしていたように思いますが」
エリーゼがぽつりと言った。
「区画整理でな、そういう輩の取り締まりが厳しくなったんだよ。街の景観を損ねるってな。それに、最近は妙にそういう奴らが減っちまった。住みづらくなってどっか行ったか、裏通りにでも隠れてるんだろうさ」
「確かに王都のように洗練されてはいますが……あまり、好ましい雰囲気ではありませんね」
エリーゼの視線を追うように、おれも大聖堂を見上げる。
でかいし、豪華だ。教会というよりも、いっそ城と言った方が良いようにすら思えた。広場から門を通り、まっすぐに道が続く先に、3mはありそうな巨大な観音扉がよく見えた。
そこまでの通路を縁取るように、丁寧に彫刻された真っ白な柱が何本も並んでいて、通路が雨ざらしにならないための屋根を支えている。
正面の建物は一番背が低く、その両脇にでかい尖塔が立っている。正面の建造物には呆れるほどに巨大な円形のステンドグラスがあって、もはや美しさよりも先にただただ圧倒される。
夜ですらここまでの威圧感を出しているのだ。真昼間に来たら、おれはびびって入れないかもしれない。こんなに金の掛かっていそうな教会に、おれは入りたくない。
ためらっているおれを置いて、エリーゼたちはさっさと進んで行ってしまった。
仕方なくその後を付いていく。
「こっちだ。通用口がある」
正面から逸れて、脇の方の通路へデブが先導する。その先には、たしかにこじんまりとした扉があった。関係者用入り口という感じだ。こっちの方がずっと安心して通れる。
デブが入り、エリーゼが入り、ノッポが入り、そしておれが入って、扉を閉める。
暗闇だ。
手探りで進み、突然の階段にこけそうになりながら進んでいくと、出口が明るく照らされているのが分かった。
ほっとしながら上がりきると、その天井の高さにおれは度肝を抜かれた。広い空間だった。正面を向いて無数の長椅子が列をなしていた。大木とでも言うべき太さの石柱がずらりと並び、天井まで伸びている。
あちこちにランプが掲げられ、あるいは蠟燭が並び、まるで夜ということを感じさせまいとするかのように、室内は明るい。
長椅子の間を通るようにして、中央の通路にたどり着く。
そこからは、正面の祭壇にまで赤い絨毯が伸びていた。
4人で歩きながら、会話はなかった。けれど、全員がその男に気付いていた。
中央路を進んでいくにつれ、壁に祭られているいくつもの彫像が鮮明に見える。中央には頭を垂れた女性の像。そしてその周囲を囲むように、何人もの、あるいは何体もの、人間や亜人と、魔物のような彫像が入り乱れている。それが、天井に届きそうなほどに。
神聖な空気、なんて言葉で表現できれば良かったのだが、おれは息苦しさすら感じていた。あまりに邪な行動やら、煩悩まみれなせいで、神の家には長く居座れないのかもしれなかった。
彫像の表情さえ見分けがつく頃になると、赤い法衣を身にまとい、頭に小さな丸い帽子を被っている男のこともよく見えるようになった。像へ向かって跪き、一心に祈りを捧げていた。
先導していたデブが足を止めた。おれたちがそうするのを待っていたかのように、その男はゆったりと立ち上がった。
「君たちのような客人を招いた覚えはないが……どちら様かな?」
「神の家は万人の帰るべき場所であり、その門戸はいつでも開かれているのでは?」
エリーゼが言った。
「古きゴスタゴニア人の教え、第13章か。よく学んでいるようだね」
男はこちらに体を向けた。痩身で、50代か、60代か。頬はこけていて、顔色も悪い。けれど、眼だけが強い力を持っていた。
男はおれたちを眺め、両手を広げて見せた。
「もちろん、神の家は何人たりとも拒絶しない。来訪を歓迎しよう。……しかし、騎士エリック。私が望んだ者たちはどうしたのかね?」
「……申し訳ありません、大司教。任務は失敗致しました」
デブが片膝をついて答えた。デブ……エリックっていうのか。似合わないな。
「それで、代わりにその二人を連れてきたとでも?」
「ええ、まあ、そうなりますね」
気だるげにデブが言った。
「パッツィ大司教。私が問いたいのはひとつです。なんのためにシスター・グラシアを狙うのですか」
さらりと切り込んだエリーゼに、大司教は片眉を上げた。
「お嬢さん、いや、騎士エリーゼと呼ぼうか」
……なんでこのおっさん、名前を知ってるんだ? ストーカーか? 思わず三人の顔を見る。ノッポは変わらず無表情だったが、デブもエリーゼも驚いた様子はなかった。
思ったよりも、エリーゼって有名なの?
「狙うなどと、誤った言葉を使うべきではない。神に仕える者ならばなおさらだ。私はシスター・グラシアと少し話がしたくてね。そのために騎士エリックを遣わせただけだよ」
「貴方は話をする相手を呼ぶとき『子どもごと攫ってこい』と命ずるのですか?」
大司教は微笑みを浮かべたまま、エリックを見た。
「困るな、エリック。秘密だと言っただろう?」
「騎士エリーゼに脅されたもので」
「聖堂騎士ならば、命に代えても秘密は守るものだと思っていたがね」
「真面目な聖堂騎士ならそうかもしれませんね」
「おや、では君は真面目ではないのか」
「いい加減、ガキをいじめるような真似には飽き飽きしてましてねえ。人を攫うっていうのも、気の進まない仕事だったもんで」
肩をすくめたデブを、大司教は微笑みのままじっと見つめていた。こわっ。
「まったく、どいつもこいつも私の邪魔ばかりしてくれる」
慈愛にも似た表情を浮かべ、大司教はそう言った。
「シスター・グラシアがあなたの何を邪魔したというのですか」
エリーゼが言った。彼女の表情は全く変わっていない。あるいは、そう見えるだけなのかもしれないけど。
「邪魔なのは彼女の持つ人望だよ。彼女の周りに集い、頼り、権力を捧げようとする馬鹿な輩たち。吐き気がする」
「だから、孤児院の運営の妨害を命じたと?」
「ささやかな遊びだよ。彼女の大切なものを少しずつ壊していくという、日々の楽しみだ」
――は?
「……おっさん、おいこら」
「何だね」
大司教は、穏やかな瞳でおれを見た。まるで何も感じていないような、春の陽気を眺めるような瞳だった。
「あんた、マジで、そんな下らない理由で、孤児院の子どもに因縁つけてたのか?」
「よく分からないね。疎ましいと思う人間に嫌がらせをする。それだけのことに大層な理由が必要かね? 君は嫌いな人間に同じことをした覚えはない? 共に歩く先に溝があるのを知っていて、教えなかったことは? 彼が飲む酒杯に塵屑をいれたことは? 夜寝る前に、不幸になれと願ったことは? 一度もない?」
おれは肩がどっと重くなるのを感じた。
「あんたさ……それ、もう、馬鹿じゃねえの?」
「おや、理解はしてもらえないかな」
「あるよ、ある。おれもそんなことした覚えあるよ。不幸になれと思ったこともあるし、なんであいつだけ上手くいって、おれはだめなんだって勝手に恨んだこともあるさ。だけどな、それで、そんなことで、なんで子どもまで巻き込むよ。なんでそんなしょうもないことに、騎士だとか金だとか誘拐だとか、そんなことを絡ませるんだよ」
拍子抜けした、というのが一番だったかもしれない。
アレクシアは泣いていた。苦しんでいた。グラシアさんだって悩んだだろう。辛かっただろう。
その原因が、こんな下らないこと?
こんな下らない――ジジイの嫉妬で、不幸にさせられてたのか?
「なに、こうして大司教という座に就いてみると、存外に退屈でね。好き勝手に使える騎士という駒もいたことだし、どこまで命令に従うか試す意味もあったのだよ。誉れ高き聖堂騎士が、ならず者の役回りを演じる。滑稽だったろう?」
ぴくりと動いたのは、ノッポだった。表情は変わらず、何も言わず、ただ、拳が握られていた。ぎゅっと、白くなるほどに。
「貴方のような愚物が、なぜ大司教の座に就けたのか。理解できませんね」
エリーゼが言った。
「教皇庁に正式に抗議することにしましょう。あまりに――下らない。そんな理由で騎士を動かし、あまつさえ誘拐までさせようなど」
「ああ、誘拐はね、暇つぶしのためではないんだ」
大司教がにこりと笑みを浮かべた。
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