それで斬られると痛いのでは
宿を出てからどうしようと考えて、まずは孤児院に向かうことにした。
グラシアさんに話を聞ければ何か分かるかもしれないし、アレクシアがいないことを心配しているだろうから。
大通りは変わらずに光を灯していて、歩いている人も多い。あちこちの酒場や深夜食堂からは、賑やかな声が聞こえる。
しかし少し道を外れてしまえば、喧噪は遠くなる。
辺りが暗いせいで少し道に迷ったが、おれはなんとか見覚えのある道に戻ってきた。このまままっすぐ行けば孤児院のはずだった。
裏通りというべきこの辺りは真っ暗というべきで、時々、窓から薄明かりが漏れているくらいだった。
明らかに治安が悪い。首の後ろがぴりぴりとする。
少し歩いて、遠目にも分かるほどの灯りが見えた。孤児院だろう。
ほっとして近づいていくと、灯りがちらちらと遮られていることに気付いた。それと、言い争うような声が聞こえる。
とっさに駆け出す。
力を込めれば地面につま先が食い込み、爆ぜる。一瞬で景色が吹き飛び、加速する。走るというよりは跳ねるとでも呼ぶような動きで、すぐに孤児院が迫ってきた。
孤児院の出入り口の前で、大柄な男が二人とグラシアさんが向かい合っていた。
足を滑らせながら無理やり減速する。ずざざざざーっと。
突然の登場であるおれを、三人ともが目を丸くして見ている。
「おいっす」
「な、なんだてめぇ!」
デブがおれに向かって叫んだが、もちろん無視した。
「どうも、グラシアさん。良い天気っすね」
「あ、貴方は昼間の……?」
おれの顔を覚えていてくれたようだ。
「おいこっち向けよ!」
「そうですそうです。アレクシアの櫛を買った」
「アレクシア! あの、アレクシアをご存じありませんか! 姿が見えないのです!」
途端に慌てたように詰め寄ってきて、おれは両手でグラシアさんの肩を抑えた。
「……あの、もしもーし」
「アレクシアならおれの泊まってる宿で寝てますよ」
「まあ! どうして――いえ、アレクシアの名も知っていらっしゃるのですね?」
「なんでこんなに無視されてるんすかね」
「一通り事情は聴きました。それで、こいつらは?」
グラシアさんとの会話も区切りかついたので、ガタイの良い二人組に向き直った。
一人はおれと変わらない身長なのだが、体型が横に広かった。お腹も出ている。
もう一人はおれよりも随分と背が高く、血の気のない顔をしていた。
「そっちこそどちらさんだよ。派手な登場しやがって」
と、デブが言う。
デブとノッポはどう見ても柄の良い人間には思えなかった。しいて例えるのであれば、教会にやってきた強盗くらいがせいぜいだろう。
こんな時間にこんな場所にいて、アレクシアの話を聞いたあとだからなおさら、予想はついていた。
「……彼らは」
「最近、難癖をつけてるならず者って感じです?」
グラシアさんの後に続いて言うと、彼女は驚いたようにおれを見てから、頷いた
「ならず者ってのはひでえな。俺たちは親切心で来てやってるんだよ」
デブが言う。
「なーにが親切心だこのドラム缶体型め。金目当てにいちゃもんつけてるだけだろうが」
「……兄ちゃんよ、口には気を付けた方がいいぜ? 俺たちはこの孤児院のガキどもが危なくないように心配してんだよ」
「お前らが一番危ないの。わかる?」
デブが見せつけるようにため息をついて、頭をがしがしと掻いた。
「なんだかなー、もー。めんどくせえなあ。こんな仕事するために来たんじゃねえんだけどなあ」
デブの言葉に合わせたように、今まで黙り込んでいたノッポが、ゆらりと前に進んできた。
首を上に向ける必要があるくらいの長身でかなり細身だ。しかし、服の下には鍛えられた筋肉がある。というか、ひやりとするような嫌な圧迫感があった。
「なんだノッポさんこのやろう。緑の帽子かぶらせんぞ」
「…………」
ノッポはなにも言わず、おれを見下ろしている。表情はぴくりとも動いていない。
「ああ、もう、いいや、かったりぃ。なあシスター」
デブが言う。
「悪いことは言わねえ。ガキども連れて、さっさとここから出ていきな。親切心からの警告だ」
グラシアさんに目をやると、彼女は唇を噛みしめ、首を振った。
「……受け入れられません。子どもたちにとっては、ここが家なのです。家を捨てさせることなど、どうして出来ましょう。ここにはお金も、それに代わるようなものもありません」
「そうじゃない、そうじゃないんだよ、シスター・グラシア。あんたのことは知ってる。だから言ってるんだ。金なんて最初からどうでも良かったんだよ。あの人の狙いは、あんたとガキどもだ」
……どういうことだ?
デブの言うことが理解できない。
「あの人もいい加減、本腰を入れ始めた。だからそうなる前に逃げろって言ってんだ。……じゃねえと」
「あなたは一体なにを――」
グラシアさんの問いかけを、おれは最後まで聞けなかった。
ノッポの手が一瞬、消えた。完全な静から、急激な動へ。
おれは反応できなかった。腹を撃ち抜かれる衝撃。体が軽く吹っ飛んだ。
「こういうことになる。あんまり後味のわりぃ仕事はさせないでくれよ」
背中が鉄柵に叩きつけられ、跳ね返されるように地面に落ちた。
びっくりした。なんだいきなりあのノッポ。こんにゃろう。
起き上がってノッポを睨むと、おれを殴り飛ばした格好のまま、表情はぴくりとも変わらなかった。
「……驚いた。あんた、頑丈だな」
デブが口笛を吹いて見せた。
「いきなり殴るとか、卑怯じゃね?」
「なに、悪役は悪役らしくしねえとな」
デブが言って、腰の後ろに手を回した。そこから引っ張り出された手に握られているのは、小さな筒のようなものだった。剣先のない柄のようなものに見えた。
「さて、シスター。あんたがここを出ていくと言うのが先か、この男が死ぬのが先か。楽しみだね」
「お辞めなさい! なにをするというのです!」
グラシアさんの一喝に、デブは肩をすくめた。
「あんたには敬意を持ってるんだ、シスター。だが、この男のことは何も知らなくてね。遠慮する理由がない。それに」
デブが遊ぶようにくるくると柄を回し――。
「目障りだ」
その柄先から、赤い光が伸びた。
「――マジで?」
暗闇の中で、その光だけが輝いている。
「こいつは魔力剣ってやつだ。斬られると、痛いぜ?」
デブが言う。いや、それはなんというか、世界観の問題に配慮してもらいたい。
額に汗が吹き出して、頬を流れ落ちるのが分かった。
「ファンタジーのジャンルがちげぇ……」
「はあ?」
きょとんとした顔をされるが、こっちはそれどころじゃない。
腰に下げた剣の柄に手を伸ばしてはみたものの、これで防げるのか?
おれの体、あれで斬られたらやばいんじゃないの?
不安で胸がいっぱいなんですけどー!
っていうかあんなの持ってる人がただのギャングなわけないじゃんやだー!
「よく分かんねえな……まあ、いいけどさ」
デブが魔力剣をくるくると回す。赤い残光が生まれる。
おれは右手で剣を引き抜いた。どうなるのか予想はできないが、やってみなきゃ分からない。ふっ、と息を吐いた瞬間。
デブが踏み込んできた。デブなのに俊敏だった。
「動けるデブか!」
「デブデブうるせえな! これは筋肉だ!」
真横に振られた赤光に、とっさに剣を立てた。
甲高い金属音。――防げる!
安心する間はなかった。円を描くような軌道で赤光が尾を引き、今度は反対から振り下ろされる。
「――ッ!」
かろうじて防ぐが、次々と襲い掛かる剣撃はあまりに速い。まるで重さなどないようだった。
あ、重さとかないんだった。ずるいぞちくしょう。
デブがすっと足を引き、攻撃が止んだ。3mばかしの距離を挟んで向かい合う。
「変な動きだな、あんた。剣を振る動きはまるで素人なのに、身体能力だけは化けモンみたいだ。その長さの鉄剣をほいほい振り回せるはずないんだけどな」
「筋肉がすごいんだ」
「細身に見えるけどねえ」
くるっ、くるっ、くるっ。
赤い光が、規則的にデブの手首で回されている。
大丈夫。剣で止められる。
なら、おれの体に当たったところで、怪我はしない。
分かってはいても、恐怖は抜けないものだ。
わけのわからないアイテムで体を斬られてみたいとは、思えない。
そもそもおれは素人だ。
よく分からない力で頑丈なだけで、人と斬り合うような経験を積んでいるわけもない。
怖いものは怖い。
――くそう、腰抜けめ。
自分を罵るが、それでどうなるわけもない。
どうすっかな。
乾燥している唇を舐める。
ぼんやりと立ったままだったノッポが、ふらりと動いた。
「お? やるのか、カリス」
デブが言った。
「……」
ノッポは何も言わず、腰に下げていた長筒を持った。
ぶんっ。
空気が振動するような音と共に、長筒の上下から赤い光が伸びた。
さて困った、という状況だ。
いっそ剣を捨てて突っ込んだ方が話は早い気がした。しかし、あの剣、本当に体で受けて大丈夫なのだろうか。腕が切り落とされたり、腹に穴が開いたりしないだろうか。
おれはためらっていた。自分のチートをどこまで信じていいのかが、分からなかった。
「さて、二対一だがどうする? 降参するか?」
「じょーだん」
「強情だねえ」
デブが赤い光を振り回すのをやめた。両手で柄を持ち、顔の横へ立てるように構えた。
ノッポが腰を落とし、ゆっくりとした動きで二本の光を回転させている。
チリチリとした、息すらも焼けるような空気。背中がぞくぞくとする。
グラシアさんが何かを叫んでいる。口が動いて、おれを見つめている。
なんでか、声は聞こえなかった。いつの間にか、意識が一点に集まっている。頭の真ん中で、何かが渦を巻いている。
目の前に、デブとノッポがいる。おれを見つめている。鋭い目つきでおれを睨んでいる。わけのわからない剣を構え、おれを、殺そうとしている?
頭の中心にカッと熱が生まれた。頭全体が燃え上がるような熱さに包まれた。おれは足を踏み出そうとして、
「――お止めなさい」
誰だか知らないその声だけが、明瞭に、脳みそに入ってきた。
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