その子が信じてくれたなら
アレクシアはソファに浅く座っている。
脚を揃えているし、手は膝の上で重ねられていた。言われてみて気付くが、その所作は見事に女性的だった。
「どこから話したらいいかな……ええと、あの孤児院は、じつは正式な孤児院じゃないんだ」
「モグリなの?」
「お兄さん、失礼だね」
むっとした顔をされた。
こりゃ失敬。
「あそこは廃教会なんだ。2年前の区画整理に合わせて街の中心区に大聖堂ができたから、あの教会は取り壊される予定だったんだよ」
「ふうん?」
「でも、新しく来た大司教の方針とかで、大聖堂に孤児を住まわせることはできないって言われたんだ」
大司教の方針ねえ。
街の中心に新しく立派な聖堂を作って? でも孤児はだめって? なんか臭くなーい?
「それに猛反対したのがシスター・グラシアなんだよ。『それは神のご意思に反します。家だけを立派にして、救うべき者を追い出すとは何事ですか』って、かっこよかったなあ」
「あの人、怒ったら怖そうだよな」
「うん、すごく怖い」
二人して頷いてしまった。
「そしたら、シスターも大司教に追い出されちゃったんだ。廃教会の管理を任せるとか言われてさ。シスターは『結構なことです』って笑って、僕たちを纏めて引き取ってくれたんだけど……」
「ロックなシスターだな」
それどう見ても左遷されてる……。
「教会が運営する孤児院には国からの補助金が出るんだけど、それはその地区の大聖堂を通して各教会に給付されるんだ」
「となると……?」
「うん。利用者もいない廃教会だからっていって、給付金が減らされてるんだよ、大聖堂に」
おお神よ……。そんなしょうもない嫌がらせをするような輩が大司教で良いのですか。
この世界の神を知りもしないが、適当に十字を切った。
「だからお金は足りてないし……人も雇えないから、シスターはいつも忙しいんだ」
「あの人数をひとりで世話してんの!?」
めっちゃ子どもいたんですけど!?
「あ、ううん。シスター・グラシアを慕って付いてきた見習いさんとか、教え子のシスターさんがよく手伝いに来てくれてはいるよ」
「ほっとしたわ。てかグラシアさんめっちゃ人望厚いのな」
もうシスターじゃなくてグラシアさんって呼んじゃう!
「だって女性で大司教の座に推挙されるくらいの人だよ? 本人が断ったからそうならなかったけど、本当にすごい人なんだよ」
あー、はいはい。はいはいはいはい。
本当は大司教になるはずだったのに断ったから、別の奴がやってきたと。そいつにとってはせっかく手に入れた権力なのに、邪魔になりそうな奴がいると。はいはい。あるある。ラノベで見たことある。
おれは深々と頷いた。
「んで、お金に困ってるのは分かった。だからってな、そんなすぐに体を売るとかだな」
「あ、そうじゃなくて」
「おう?」
せっかくすべてを悟った大人のように説法をしようかと思ったのに、出鼻を挫かれた。
「運営費に困っているのはもちろんなんだけど、寄付もあるからなんとかやってはいけてるんだよ」
「じゃあなんで必要なん?」
「……じつは、変な奴らに目をつけられちゃったんだ」
「なぜに?」
「今日、作業場を見せたでしょ? みんなでいろいろ作ってた」
「運営費の足しにするってやつか」
「うん。普段は教会でのバザーとか、寄付をしてくれた人へのお礼とかで配ってるんだけど……僕の知らないところで、勝手に市場で売ろうとした子がいたんだ」
「……あー、それで?」
「知ってるかは分からないけど、市場に店を出すには登録料が必要なんだ。もちろんそんなお金はないし、役人に見つかるのも困るから、その子たちは裏通りで布を敷いて売ることにしたんだけど」
え、そっちのがやばくない?
「裏通りは裏通りで、仕切ってるギャングみたいなのがいて……ね?」
わかるでしょ? みたいな顔をされた。
わかる。
「案の定、難癖をつけられちゃって。その子たちは捕まらずに逃げて来たんだけど。たぶん、孤児院に帰るところを見られたらしくて」
「なるほど」
なんか、めんどくさそうだ。
「それから変な二人組がよく来るようになって。最初はショバ代を払えってことだったんだけど……そのうち、勝手に商売をした賠償金だとか、逃げる時に怪我をしたから治療費だとか請求されだしてさ。一昨日には、この教会を守ってやってるんだから金を払えって言いだして。それが出来ないならここから出て行けって」
「なんちゅー理屈だ」
「ひっきりなしに来るから、みんな怯えているし、シスター・グラシアが追い返してくれてるけど、もし暴力でも振るわれたらって不安だし……。僕たちはさ――ただ、生活していきたいだけなのにさ」
アレクシアは俯いて、手のひらで目尻をぬぐった。
「お金を渡して、それでもう来なくなってくれるなら、それでいいって思ったんだ。それで前みたいに戻れるならって。でもそんなお金はないし、だからなんとか稼ごうって、それで」
「あー、もういい、もういい。分かったって」
アレクシアの声が震えだして、何度も手のひらが目尻を擦りあげるようになって、細い脚に滴が落ちて。おれはアレクシアの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「ふぐぅ……」
「っとに、頭が回るってのも考えもんだな、お前は」
年に似合わない頭の良さがあるから、年に似合わない重荷まで背負っているのだろう。
なのに自分にできることは何もなくて、それでも何とかしたいと考えていて。どうすれば解決するのかなんてわかりゃしないのだから、今できることに飛びついてしまうのは、当然のように思えた。
「ギャングも、大司教も、なんで僕たちをいじめるの……?」
アレクシアは顔をくしゃくしゃにして、おれを見た。
「なんで力を持ってる人たちは、あんなことして、僕たちを、グラシアさんを踏みにじって、それで平気なの……? 力を持ってることが、そんなに偉いことなの……? 気まぐれで人を傷つけてもいいの……?」
おれは、なにも答えられなかった。
あまりにもまっすぐな言葉は、まるで心臓を押しつぶすようだった。息を吐くことすら難しく思えた。口を動かしても、そこからは何も出てこなかった。
「僕は、そんな人たち、大嫌いだよ……」
/
泣き疲れたのだろう。緊張もしていたと思う。
アレクシアはソファですっかり寝入ってしまった。
何をどうすればいいのか、おれには分からなかった。この世界の文明よりもずっと発展した世界で生きて、ずっと発展した学問を学んでいたところで、何の役にも立たないことだけが分かっていた。
ただ、何かをするべきではないのかという思いが、何度もおれの尻を蹴り上げていた。
けれど、アレクシアを助けたいと、そう思うことが、ただの傲慢さにも思えた。誰かを救うなんて偉そうな考えは、自分に酔っているだけの偽善なんじゃないか?
目の前に困っている子がいる。だから助ける。言うのは簡単だ。
でもどうやって?
でもどうして?
助ける――なんだよ、助けるって。
誰かの、あるいは自分自身の声が、頭の中をぐるぐると回っていた。
おれはベッドの端に座ったまま、両手で頭を抱える。
ああ、くそ、と、頭を搔きむしる。
おれは両手を見た。
お前、チート、あるじゃん。
そんな声がする。
化け物と戦えるじゃん。怪我しないじゃん。すげー力あるじゃん。
だから――だから、なんだ?
力があるなら、人を助けなきゃいけないのか?
力があるなら、人を助けるなんて言って良いのか?
――力を持ってることが、そんなに偉いことなの?
アレクシアの言葉が胸の奥に残っていた。
それは、まるでおれ自身に向けられた言葉のように思えたからだ。
きっとどこかで思いあがっていた自分を、見せつけられたからだ。
おれはアレクシアに目をやった。ソファで寝ている、あどけない顔。涙の跡が残っている。
飽きれるほど細い肩に、どれほどの重荷を背負おうとしたのだろう。
よく知りもしない男の部屋にやってきて、自分の身を差し出すことに、どれほどの葛藤があったのだろう。
アレクシアは、戦っていた。逃げずに、自分のできることをしようとした。
それが、どれほど怖くて、そして凄いことか、おれはようやく分かった気がした。
おれは立ち上がった。寝間着を脱ぎ捨て、外出着に着替える。サンダルからブーツに履き替える。壁に掛けていた剣帯を腰に巻き、両腰に剣を差した。
ソファで寝ているアレクシアを抱き上げ、ベッドに移し、かけ布団も忘れない。おれ、優しい。
机の上と、壁のランプの灯りを落としてから、おれは部屋の外にでた。ドアの鍵を閉める。
「ジローさん」
ひぃ!?
肩が跳ね上がった。
壁にもたれかかるようにして、リズが立っていた。髪の毛は下ろされていて、手触りの良さそうな服を着ていた。初めて見るが、パジャマだろう。襟元に花柄の細かい刺繍が入っていて、とてもきゅーとだった。
「お、おう。リズ。その服、似合ってるな」
「本当ですか? ありがとうございます。買ったばかりなんです」
「それに、その髪型も良いな。ええと、いつもより大人っぽい」
「はい、さっきお風呂から上がったので」
「ええと、ええと」
予期せぬことだったので、頭がうまく回らない。
「ジローさん、こんな時間におでかけですか?」
リズがぴょんと跳ねるようにして、おれの方に歩いてくる。
「ああ、そう、ちょっと買い物をしようかなと」
ぴょん。
「こんな夜更けに、剣を下げて?」
ぴょん。
「急に欲しくなってな。夜だとほら、危ないから護身用に」
目の前で、リズがおれを見上げている。
うぐぅ……しまった……めっちゃ気まずいところを……いや、やましいことはないんだけども……。
「こんな時間に、誰かお部屋に来たみたいですね」
ぎくぅ!
な、なんでばれたんだ……!
どうしよう、えっ、なにが正解なの、助けてドラえもん。
「ジローさんのお話、今日も聞きたかったのになあ」
「うっ、すまん。ええと、明日とか、どう? だめ?」
おれをじーっと見ていたリズが、口元に手を当てて笑った。
「冗談ですよ」
「えっ」
おれ、静止。
「ごめんなさい、部屋の中のお話、少し聞いちゃいました」
「え、あれ、そなの?」
「男の子を連れ込んで何をしてるのか、心配になっちゃって」
「ご心配をおかけしてすいません……」
リズは両腰に手を当てて、眉を吊り上げた。
「こんな時間にわたし以外の人を部屋にいれるなんて許せないですっ」
「……うぃっす」
あれ? なんか今めっちゃ可愛いこと言ってない?
「そんなジローさんには、罰を与えます」
「……うぃっす」
リズは腰に手を当てたまま、笑みを浮かべた。
「あの子のこと、助けてあげてください」
―――。
「誰にも頼れないって、誰も助けてくれないって、だから自分でなんとかしなきゃいけないんだって、そういう風にしょい込んじゃうのは、とっても辛いです。わたしもそうだったから……だから、ジローさん。わたしみたいに、あの子のことも助けてあげてください」
―――。
「わたしにはどうしたらいいかわからないけど、どうにかする力もきっとないけど……ジローさんなら何とかしてくれるって、信じちゃだめですか?」
―――へへへ。
おれは深く息を吸った。自然と笑顔になることを抑えられなかった。
だから、リズを思い切り抱きしめた。
「ふぁっ!?」
リズからは石鹼と花のような爽やかな香りがした。香油か香水か、なにか使ったのだろう。それと、そのままのリズが持っている、甘くて、心が落ち着く匂い。
「いいことを教えてやろうリズ。これはな、おれの国で伝説となった大泥棒の言葉なんだ」
「な、なんでしょうかっ」
「――その子が信じてくれたなら、空を飛ぶ事だって、湖の水を飲み干す事だってできるのに」
リズから体を離す。赤い顔で、リズは大きな瞳をぱちくりさせていた。
「じ、ジローさんもできるんですか?」
「無理」
「ええぇぇ……」
リズの頭を撫でる。
「でも、やってみようっていう勇気が出てくる。それだけで十分だ。ありがとな」
「――はいっ」
リズは、にこりと笑ってくれた。
「んじゃ、行ってくるわ」
「いってらっしゃい」
ぱたぱたと手を振るリズに、不思議と心が満たされていくのがわかった。何かをしてやろうという、勇気が湧いてきた。
背を向けて、階段に向かう。
「帰りは遅くなる」
おれ、方向音痴なもんで。
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